• 締切済み

理解不可能な嫌悪感

先日こちらのサイトで「見なきゃよかった~~」というスレッドを見ていたところ、興味本位で「蓮コラ」なるものを閲覧してしまい、少なからずダメージを受けました。(世間ではブラクラと呼ぶようです) そこでふと疑問に思ったのですが、なぜ人間は「不規則に並ぶ粒状のもの」に嫌悪感を抱くのでしょうか?人体にコラされたものは強烈でしたが、普通に蓮の種の写真も見ていて虫唾が走る感覚を覚えます。 他にも私はゴキブリが嫌いで、似た容姿を持つ(ゴキブリを連想させる)コウロギやカブトムシも好きではありません。イナゴやバッタにカマキリ、トカゲ、ミミズなどはぜんぜん平気です。 頭の中では蓮の種などは「単なる模様」虫は「単なる昆虫」と思ってしまえば、なんとも無い筈なのです。しかし実際はこれらを念頭においても蓮コラやゴキブリなどには精神的なダメージを受けてしまいます。 身体的危機が及ぶ可能性があるなど蛇を嫌悪するのは納得いきますが、蓮コラや虫などの嫌悪感はよく理解できません。なぜなのでしょうか?

みんなの回答

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

むかし安倍公房がなぜ蛇が気持ち悪いのかというエッセイを 書いていましたが、それを思い出しました。 話はちがいますが、何を嫌悪するかは脳にインプットされた 情報に基づきます。以前NHKで脳科学のシリーズを放送して いましたが、その中で脳のある部位を削除すると、ネズミは ヘビを見ても何の反応も示さず、かえってヘビに近づいて行く 様子が映し出されていました。このように、脳の浅深はあるも のの、そこに先天的・後天的な情報が嫌悪感をもたらして反応 させるのです。後天的な場合は学習による、いわば羹に懲りて 膾を吹くという行動になることがあります。

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