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性を哲学するということはどういうことか?

「下記質問における質問者の方のやり取りを確認させていただいたところ、ご自分の疑問に対しての回答を見つけたいという姿勢ではなく、回答者とのやり取りをただ単に楽しんでいるように感じましたので、質問を削除いたしました。」 どうも管理者は「どう感じたか」によって削除するか否かを決めているようです。削除を決定された方は「哲学」における質疑というものが理解できていないようなので、ここに新たに質問いたします。 性を哲学するということは、どういうことであるか、具体例を示して回答して下さい。回答内容がどのような内容であっても質問者の私にとっては貴重な意見となり得ると考えますので、安易な削除はご遠慮願います。 お待ちしております。

noname#1976
noname#1976

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.1

この質問に私の1000回目の回答を捧げたいと思います。とは言え、哲学に関しては門外漢である、強いて言うなら似而非哲学者(気取った者の言い方に拘泥するソフィスト)であるということはご了承くださいますように、魁けましてお断りいたします。 「性を哲学する」というと、私なぞはどうしても、性善説・性悪説の方に発想が向いてしまいます。人間の「本性」という意味での「性」ですね。その性に対して、この質問での「性」という言葉の定義は、いわゆる男女の交媾を中心とした「生殖器官の活動行為を想起させるもの」であろうかと思われます。このあたりは、trunkmanさんが残念ながら明確な定義をされておりませんので、決めつける形になってしまい、心苦しいのですが、この性別の差が顕著に現れる「生殖器官の活動行為を想起させるもの」を「性(1)」とすることにします。それに対して、私がまず最初に思いついた「本性」を「性(2)」とし、「さが」と読んだ場合を考えて「性(3)」を設けておきます。今回は、言語における名詞の「性(4)」の登場はありません。 さて、人間の性(2)は野蛮なものであるというのが私の考えの根本です。抑は渾沌の中にあった人間が、その渾沌の恐怖から遁れるために、概念を創り、秩序を築いてきました。ですから、善も悪も存在する前に性(2)が存在していたのではないかと考えるのです。「ツァラトゥストラ」に登場する良心的な学究の言葉ではないですが、欲求の根源は恐怖にあるというのはある意味で正しいと思います。ただ、その場合、恐怖をどう定義するかにも拘ってきますが。 本来野蛮である人間が、秩序という衣を身に纏ったことは悪いことではないと思います。そうするしか道はなかったのかもしれないし、そうするのが、人間の性(3)なのかもしれません。この秩序という衣は、時代によって襤褸となりうるのであり、何度も見直して縫合する必要があるようです。ある時は理性という概念によって、ある時は科学によって、破れかけたこの衣裳を繕うことになります。 しかし、この衣で完全に覆い隠せない部分が性器、すなわち人間の性(1)なのではないかと思います。衣からはみ出て姿を覗かせようとしているのは渾沌です。まさに渾沌こそが性(1)なのです。そして、性(2)も渾沌であります。性(3)はそれらの性(1、2)を導く運命であり、布先案内人であるとは言えますが、今衣を縫っているのか、それとも衣を引き裂いているのか、性(3)自身にもわからないという不確定な状態です。 さて、人間は社会秩序を生み出しました。そこでは良識(こういう言葉も私は使うのですね。しかしいい響きの言葉ではありません)というものが闊歩しており、性(1)も性(2)も「良識的」社会から見ると闇の世界であり、まさに断たねばならないものであるようです。ですから、社会は人間の性(2)を曲げてしまったと言えます。同時に性(1)も曲げられてしまった。性(1)が人間の性(2)の発露の1つであるとして、それを「良識」によって抑圧しなければ、自由奔放に強姦が日常茶飯の事となるでしょうが、食い止める箍がない以上、それを不愉快に思う必要もなくなるでしょう。 しかし、人間は一旦衣を身に纏うと、それを総て取り去ることができません。裸を恐怖するのはアダムとイヴの時代からの性(3)なのかもしれません。その性(3)がこのままでは当てにならないということを「良識」が知ってしまったので、対策として「良識」は性(3)を操ることにした。それによって性(3)は他の性(1、2)と違って、秩序、良識の片棒を担ぐものになっていったのです。 人間は性(2)の上に成り立っており、性(1)がなければ種の保存は不可能である。そのことは流石に「良識」も忖度してくれているようです。しかし、その曖昧な価値観が、屡々コンフリクトを生じせしめるのです。では生殖活動をどのように行うべきか。そこで結婚制度なるものを設けた。日本の良識もつい最近までは誤謬により、嫡出子に業を負わせたりもした。良識というものも実は不安定な存在であり、その不安定さに恐怖を覚えるから、化けの皮が剥がれるまで、「我、良識は絶対の君主なり」と称えている。剥がれれば剥がれたで洒蛙洒蛙と取り繕って、それでもその王国は揺るぐことがない。そして今「良識」はますますオートメーションと機械化が進んで、性(1、2)を機械的なものにしていこうとしている。 性(1)に法悦であるとか快楽とかいった感覚があるのは、性(2)がそれを求めているのであり、その意味で性(1)は性(2)の申し子であると言えるかもしれません。しかし、その性(1)から法悦や快楽を奪い、単なる記号としようとしているのがその「良識」という僭主なのです。きっといつか人間は機械のように性交渉する時代が来ることでしょう。興奮や快楽に対して人間の感覚は鈍麻にされてしまう虞れは十分にあります。 そんなことを懸念してか、性(1)の解放なんてことが言われたりもする。それ自体は正論ではあると思う。しかし、性(1)が完全に解放された世界は人間の性(2)に適う世界ではあるけれども、渾沌な状態であり、それこそ恐怖である。性(1、2)の味方をするものはどうやら恐怖というものを見縊っているようだ。いや、「良識の恐怖に比べたらなんでもない」と思っているのかもしれない。しかし、渾沌の恐怖を体験していない人間がそう言えるのだろうか。俚諺にもある通り、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と謂う。 結局、性(1、2)は野蛮な渾沌とした世界のものであり、性(3)のように飼い馴らすことのできない類のものです。「野性」というヤツでしょう。野性の猛獣について語ることは危険ではないと思うが、眠っている野性の猛獣の尻尾を踏むような真似、また、大声で起こすような真似はしてはならないという思惑が「良識」にはあるのではないかと考えます。 だから、哲学とは別な次元で削除になったのですね。性(1)カテゴリは、存在しないと「良識」としても(人類が破滅しては良識自体の存在価値もなくなってしまい)困るので存在させているのですが、そこを統制しないと、いつ野性の猛獣が目覚めるかわかりません。それで時々火種を消すということが起こります。性(1)に関する質問が哲学カテゴリに飛び火したというのが「良識」の解釈であり、同様に処理したものと考えられます。 性(いやらしい意味も全くなくなった、純粋な部分=0)を哲学することは悪くないと思います。西洋哲学は男性中心に長いこと進んできました。女性が解放されて間もない現代、性(0)はどのように解釈されていくべきだろうか、と考えていくことは、これからの課題であると言えます。しかし、その課題には私は答えるわけにはいきません。私の持つ性別が、色眼鏡となって、論考の障礙となりえますので。 このアポリアは両性具有者に委ねるしかありますまい。

noname#1976
質問者

お礼

nabayoshさん、本当にまじめな回答ありがとうございます。 ただし、私は今反省しております。ここにこのような質問をしたことを。 はっきり申し上げてnabayoshさんの回答の真なる意味を解釈するのにもっと時間が必要です。それは私が「哲学」というものは予備知識なしでも私のような素人でも簡単に思考し、それを他人に的確に説明できるものという安易な気持ちを持っていたからです。 「交媾」、「箍」などという言葉は私は知りません。大いに馬鹿にしてください。しかし、それを使ったnabayoshさんが、敢えて難しい言葉を選んでそれらしくしたなどとは思っておりません。ひとえに私の「哲学」に対する思いあがりと無知に起因するところであります。 私にとって「性」は「いやらしい」と感ずるからこそ思考する対象になりうるものであり、こういう公の場での「性」の表現にも制約があるという人間の「性」に対するタブーがあるからこそ「いやらしい」という感覚も生まれてきたのではないか(いや、鶏と卵かもしれない)とも思うわけですが、それは他の方に押し付けるべき考えではないことも重々承知です。 私にとってはこの世の全てがアポリアです。 本当になさけない「お礼」文で申し訳ありません。

その他の回答 (4)

  • amukun
  • ベストアンサー率31% (611/1955)
回答No.5

あなたが回答した質問はROMしていました。 最初のうちは、面白く読んでいましたが、次第に「週刊大衆」「週刊アサヒ芸能」などの性的告白記事のような展開になってしまい、削除対象になることをを確信していました。(私がちくったわけではありませんよ) 哲学という分野は、自らの思考を突き詰めて真理を追究するものであると認識しています。 あの質問は、あなたの最初の回答までは哲学になり得たかもしれませんが、全体としてみれば哲学からかけ離れたものになってしまったことは否めないと感じます。 削除通知の時点での削除理由と、抗議後の削除理由が違うという理由でお怒りのようですが、理由はどうあれ、削除は当然と考えております。管理者が哲学を理解していないから、あの質問を削除したのではないでしょう。 管理者は、質問・回答の内容には触れたくなかったのかもしれません。 >削除を決定された方は「哲学」における質疑というものが理解できていないようなので・・・ そう主張するのは、あなたの詭弁です。 その点で、このサイト管理者がが、最近「なごみ系」質問・回答にきびしく対処しているのとは別問題として捉えた方が良いと思います。 別の質問・回答であれば、あなたの意見に賛同したかもしれませんが、今回の件では意見を異にします。 プロフィール欄に、退会を匂わせるような書き込みがありますが、こんな事で退会するようなら私は止めません。 ただ、この件の関係者に、自分のせいでtrunkmanさんが退会してしまったという心の傷を負わせてしまう可能性に関して、「メンタル・ヘルス」カテゴリーに数多く回答している あなたはどう考えますか?

noname#1976
質問者

お礼

amukunさん、回答ありがとうございます。 そうですね。あなたがおっしゃるようにこのサイト(だけじゃないよって言うでしょうが)ではあのような展開は相応しくなかったことを私も知っていながら…馬鹿でしたね。でも書いた内容については全く反省しておりません。 私の勘違い・事実との相違・意見の差などはあったとしても、あの回答ややり取りが前面否定されるものでは全くないと信じております。 また「哲学」というものを全く理解していないのは管理者だけではなく私も同様です。私はこれから自分の世界観を語るときに「哲学」という言葉を使うのをためらうでしょう。それは怖いからです。他人から批判されるのが怖いわけではありません。自分の中の自分の目が怖いのです。 >そう主張するのは、あなたの詭弁です。 いや、「詭弁」などという高尚なものではありません。 全くもっていいかげんな「言いがかり」以外の何物でもありません。 「詭弁」「矛盾」「欺瞞」などと指摘されたらここでの私の発言など言い訳の余地がありません。全て文字どおりの「口から出まかせ」です。 trunkmanの退会とこの件は全く関係ありません。時期が重なってしまったために誤解せれても仕方ないですが。 もしamukunさんが私の知人だったら、その理由をきちんと説明するでしょうが、ここは匿名の場なので秘密ということにしておいた方がいいでしょう。 えっ!関係者に心の傷を負わせる? そんなことができたらしてみたいですね。うそですよ。 でも、私の退会はあくまで個人的理由なので、どなたかが傷付いたとしても、私にはどうすることもできません。 「メンタル・ヘルス」カテゴリーへの回答はすべて私のうそのない「口から出まかせ」です。文字通り受け取って下さい。 ですから、本当にそのときそう思ったこと、本当に自分が体験してきたことしか書かなかったつもりです。 予告なしでいつのまにか退会いたします。 「宿敵」などと冗談にでも呼んでしまったことをお許し下さい。本当にお世話になりました。

noname#2441
noname#2441
回答No.4

こんばんはtrunkmanさん補足ありがとうございます。 >近々『萬○商会』も廃業の予定です。 trunkmanさんそんなに自分を責めないでください。 trunkmanさんの回答少し読ませていただきましたがtrunkmanさんの多趣味で経験豊かな回答で大勢の皆さんがあんなに喜んで感謝されているではありませんか。人間誰でも一時的に感情的になるとまわりが見えなくなるのです。すこし冷静に考えてみてください。私は人は人だから誠心誠意尽くせば誠意は伝わるとおもいます。人は更生できる。だから私も今こうして生きています。時間はかかると思いますが他のみなさんや管理者さんにもきっと誠意は伝わると思います。trunkmanさん肩の力をぬいてお互い頑張りましょう。これからもtrunkmanさんの回答を楽しみにしています。

noname#2441
noname#2441
回答No.3

こんばんは はじめましてtrunkmanさん  みなさんにご迷惑かけたdangomushiです。 私の回答は今となっては遅いのですが我ながら不適切な表現が多かった回答だと思って反省しております。 最近chihokoさんが出ておられないので心配しております。 もし除名されたならまた復帰させてあげたいですね。chihokoさんもかなり反省されていると思います。 名物ご意見番が出ておられないのは寂しいです。 やはりルールの中でネットとネットで繋がって手と手を繋げて皆さんと一緒に最高の回答をしましょう。 trunkmanさん生意気いってお許しください。 今後ともご指導ご指摘よろしくお願いします。

noname#1976
質問者

お礼

dangomushiさん、回答ありがとうございます。 私はこの質問を立てたことは反省しておりますが、例のchihokoさんへの回答文については全く反省しておりません。しかし、このサイトがそれを受け入れない以上、ここで感情的になっても仕方がないとも思います。そういう意味でこの質問は私の情緒的部分がかなり出てしまったので反省しているのです。 私はやがてこのサイトから消えます。 でも誤解しないで下さい。それはtrunkmanというハンドルネームを操る○○○○という男の個人的事情で仕方なくこのサイトに費やす時間がなくなるからです。 dangomushiさんのような若くて、率直な明るい方にお会いできたことをうれしく思います。あなたはすごくまじめな方ですね。 反省されているということですが、今のご自分を否定するようなことだけはしないで下さいね。 ご健闘をお祈りします。

noname#1976
質問者

補足

chihokoさんはご健在?ですよ。(^。^) http://www.okweb.ne.jp/user.php3?u=65347 改めて「お礼」書かせていただきます。

  • mcqgogo
  • ベストアンサー率25% (19/75)
回答No.2

何人かの方々の労作が消えてしまったことを残念に思います。正直に言いまして、そこまで言うのかと傍観者的に楽しんでもいました。下手な小説を読むよりもリアルで面白いと感じていたのです。あのスレッドには他では得ることが稀な、ある種のタブーを超えた知性を伴う人間の吐露があっただけに思いはひとしおです。 自分には出来ないと思いながら、その殻を破ってゆく人を眺める爽快感、カタルシスにも通じるところがありました。個々がネットで結びつき、バーチャルな時と場を得て、勇気や率直さが絡み合い、極めて現代的な展開があったと評価もしています。奇麗ごとのベールを取り除けた性の本質に迫る、それだけに大らかな秘めごとが善悪を超えてあったと思いました。 性であれ日頃の他の出来事であれ、基本的には他のスレッドにあるように、それぞれの思うところを述べるについて何の変わりはないと考えます。そのことにより、何がしかの認識を得て知的欲求なり共有願望が満たされ、生活の彩りとなすことについて同質な筈です。 また哲学と称して、あれこれと思いを巡らし己の考えを整理活用するのも同等です。 しかしながら社会的な風俗習慣に照らし合わせた時、性についてのタブーはまだ色濃く残っていることも否定できません。それを考慮して管理人が削除という手段に訴えたのは、あの内容が一般的公序良俗のうえでは、かなり際どい線上にあったのも事実だったと思いますので、2チャンネルの判例のこともあり立場上止む無しと捉えています。 思うにあのスレッドの価値は、通常おおやけでは口にすることのない性的やりとりがエスカレートしてゆく際どさにあったとも言え、繰り返すようですが貴重であっただけに個人的には残念なことです。

noname#1976
質問者

お礼

mcqgogoさん、回答お寄せいただきありがとうございます。 私にとっては例の質問と回答、お礼・補足文はまったく驚くに値しないことです。もちろん、あれを読んで「いやらしい」と感じた方もいらっしゃるでしょうが、「いやらしい」ことがどれだけ害悪なのでしょう? 比較してはいけないのはわかっていますが、「空爆で一般人の死者がでるのはやむを得ない」と書いてもここでは削除されないでしょう。しかし、普通の男女のカップルだったら当たり前のように行なっている性行為を言葉で表現しただけで、削除されていしまう。これが私には全く納得できません。 しかし、この質問自体が私の情緒的な部分でのはけ口になってしまったのは反省せざるを得ません。 その意味でせっかく回答いただいたmcqgogoさんには、まともなお礼文が書けず、本当に申し訳ないと思っております。 『本当にタブーにすべきものはなんであるか?』という真摯な質問をどなたかがされるのを期待しております。

noname#1976
質問者

補足

管理者はあくまで削除の理由を「質問者と回答者が楽しんでいるだけ云々」と言っており「公序良俗」に関することについては触れていませんでした。しかし、私がそういう理由での「削除」に抗議すると、一転して『「このサイトは性的なことに免疫のない子どもたちも多く参加しています」ので、18歳以上、未満でみれるみれないをわけてください。という意見も非常に多数いただいております。』という「公序良俗」的理由にすりかわった返答が返ってきました。 というわけで、そろそろ私のこのサイト上の存在も時間の問題か、という感を強くしております。 すみません。「お礼」は後日改めてさせて下さい。

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     質疑応答のあり方について考えるものです。  OKWave としては 次の利用規約第3条第1項における《質問と回答の形式による情報交換》 これが 基本的なあり方だと捉えます。  それ以前に理念などが大前提になっているかと思いますが 具体的には 情報交換ないしは 言い方を変えるなら一般に《対話》と呼ばれるかたちであろうと見ます。  ▲ (OKWave 利用規約)~~~~  第3条(本サービスの概要と範囲)  1. 本サービスは、会員間における質問と回答の形式による情報交換、利用者における情報収集および閲覧の機会、ならびにそれらの環境を提供することを目的とします。  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ところがさらにその具体的な内容を示す《禁止事項ガイドライン》という規定があって そこには 《意見表明目的や議論喚起目的》の質問は 禁止であると言います。  ▲ (禁止事項ガイドライン) ~~~~  【趣旨にそぐわない記述/投稿】  当サイトは、質問と回答の形式で会員の方同士の助け合いによる情報交換の場として運営しております。以下のような投稿については、当サイトの趣旨にそぐわないものとして禁止とさせていただきます。  ■ 質問ではない質問  結果報告やお礼、個人的なメッセージ、雑談、ご自身の意見を表明することを目的とした内容、議論喚起を目的として議題を掲げる内容など、質問欄に質問形式以外の質問として成立しない内容を投稿することは、ご遠慮ください。  ■ 回答ではない回答  質問と関係ない内容や雑談、便乗した質問、回答者同士のやりとりや議論、個人的なメッセージなど、質問に対する回答として成立しない内容を回答欄に投稿することは、ご遠慮ください。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ つまりはまづ考えるにあたって前提になることがらについてですが 質疑応答というものは 特に哲学のカテゴリでは 誰もが認める事実認識(つまり自然科学の知識など)にかんする内容以上のことをしばしば問い求めます。  つまりは 個人個人の意見を表明し互いにこれについて議論を交わす。それをとおして結論を得ることも重要ですが その対話の過程こそを重んじるとも言えます。特に思想(生活態度)としての哲学にかんしてなどは 結論がひとつにまとまるということが まれだからです。考え方が互いに練られるだけでも成果だと見られます。  だとしたら それなら 《禁止事項》に抵触するのではないか? どうでしょう? ガイドラインは 次のように表現しています。  ▲ ご自身の意見を表明することを目的とした内容、議論喚起を目的として議題を掲げる内容など  ☆ と。おそらくいわゆる《ためにする》場合を言っていましょうか? 意見表明のための意見表明 議論のための議論 これを禁止とするのだと。  ところが これでもまだ 必ずしも明らかではありません。  情報交換として対話する場合と 情報交換の体裁を取りながら自分の意見を表明するためや議論を起こすためにそのやり取りをしている場合と。これらのあいだの違いは どこにあるか?    わたくしの考えを述べます。    《質問と回答の形式による情報交換》 これを対話とわたしは言い換えましたが 問答あるいはやり取りのことです。問いと答え そしてその答えがまた問いとなって 答えがある。これだと思います。  言いかえると 対話は 双方が始めるのでもあれば 双方がこのあたりでキリをつけましょうと合意して終えるものです。  あるいは 主題や論点をはぐらかさないこと。話をすり替えて じつは対話を断つということ。もしこのようなことが現われれば それは《自分の意見表明を目的とする情報交換》であると見られます。  という結論に達しました。意見表明や議論そのものが禁止されているのではないということ。意見に対する批判をどこまでも受けて議論ないし対話をつづけるのが 情報交換の趣旨に合致するものだと。  ついでと言ってはいけませんが つぎの課題もあると考えます。   ▲ (利用規約 3・1) 利用者における情報収集および閲覧の機会・・・を提供することを目的とします。  ☆ おそらく ここまでに述べた《情報交換》においてやってはいけない《やり取りの勝手な中断・中止》は おもに質問者がおこなう場合に当てはまります。自分〔の用意した答え〕に不都合な内容の回答が寄せられると 話を中止してしまう場合です。  そしていま引いた条項の《情報収集》にかんしては おもに回答者が 質問者にその情報を提供する場合に当てはまるようです。  ところがこの規定は 早く言えば回答のしっぱなしといったかたちの回答は 成り立つのか? という課題を持つと考えます。  質問者が そのいちどの回答だけではまだ飲み込めない・分からないと思って問い返している場合にも あとは書き込まれた回答内容によってだけあなた(質問者)は情報収集すればよいと言っている態度 このような問題です。質問者や訪問者が《閲覧の機会が与えられた》というそれだけでも 正当な活動であるのだと弁明する場合です。  議論を端折りますが 結論は ひとつに それでもよい。なぜなら 情報収集の機会を提供するという目的にかなう行為をしているのだから。  ひとつに それでももし問題が生じるとすればそれは 同じ回答・同じ内容の投稿を延々とつづけるという場合です。ではないでしょうか?  おそらくここでも譲歩しなければならず もし課題として残るとすればそれは 同じ回答内容を同じ質問者の別の質問に対しても投稿するという場合なのではないか?  なぜなら その質問者は お礼欄ないし補足欄で ここが飲み込めない そこが分からない これこれのように考えるが なぜあれそれのようにあなたは考えるのか? といったふうにすでに問い返しているからです。つまり 初めに戻って《情報交換》というかたちまたはそこにおいてむしろ互いに情報提供をおこなうという精神 これに反するのではないかとうたがわれるからです。  まとめるなら 勝手に回答を投稿しておくから 自由にそこから得るものがあると思えば得てくれという回答の姿勢は 規約に反しないという考え方が おおむね共有される。  と同時に おしえて(O)とこたえる(K)との波を広めるという理念にかんがみれば 回答のしっぱなしというのは 同じ回答内容と同じ質問者の場合には その波をそこで断つかたちになる。  そうでない場合というのは その回答内容が よほどつねに全部ただしいという場合に限る。それなら わが回答を何度も何度もよく読んで咀嚼してくれたまえと言い置いておけば足りる。そうでなければ 問答を絶やすことは 禁止事項ガイドラインに抵触しまいか? 自分の意見表明を目的として 同じ内容を回答として何度も投稿しているという疑いがかかる。つまりその送信はするが受信はしないという半鎖国状態におけるここへの参加は 自己宣伝か何かのためであるのではないかと。  この課題も微妙ですが 全体として見ても 情報交換をつうじて互いの考えが――したがってみづからの考えも――練られて行くかどうか ここにかかっているように規約の内容を理解しました。OK のヱーヴを絶やさないですすもうと。    *  ご見解をお示しください。

  • 《ウンコ》は哲学になるのか?

    哲学カテに寄せられたとある質問を見て、 わたしの頭の中にふと浮かんだ疑問です。 「《ウンコ》、もしくは排泄〔行為]は哲学的課題になるのか、否か?」 笑いの哲学、性の哲学的考究などはあります。 しかし、わたしが知る限り、  《ウンコ》、《排泄》を扱った哲学はない!! 《ウンコ》・《排泄》は生命活動にとって極めて重要にもかかわらず、 ───笑いや性がなくとも、人は個体として生きられますが、《ウンコ》する、または、それに代わる代替措置をこうじなければ、人は確実に個体としての死を迎えます─── なぜ、哲学では、《ウンコ》について考究しないのでしょうか? わが国では、《ウンコ》はかつて肥料として使われました。 《鶏糞》や《牛糞》は、今でも優れた肥料として用いられています。 人糞ではありませんが、家畜の《フン》を燃料として用いるところもあります。 ○国では、人糞は薬として用いられました。 日本は、これから少子高齢化の時代を向かえ、これまで以上に、看護や介護の現場で《ウンコ》が問題になります。 にもかかわらず、《ウンコ》は哲学的な課題になっていません。 わたしが知る範囲では、 「荘子」外編・知北遊にわずかある程度です。 ───────── 東「あなたのいう道はどこにあるのですか?」 壮「どこにだってあるさ」 東「例をあげて説明してくださいよ」 壮「虫けらの中にある」 東「そんなものの中にですか?」 荘「ヒエの中にだってある」 東「ますます下等ですねえ」 荘「煉瓦の中にだってある」 東「だんだん酷くなりますけど……」 荘「いやいや、うんこや小便の中にだってあるよ」 東「……」                             (「荘子」外篇・知北遊) http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/roushi_3.html ───────── 西洋哲学の祖と言うべきプラトンは、「ウンコのイデアがあるのか」と尋ねられ、口をつぐんだ。このことから、プラトンは、最終的に《イデア論》を放棄したとも言われています。 これほど奥深い《ウンコ》、 人間の生に直接関係している《ウンコ》を、 哲学者は、なぜ、哲学的課題として取り上げず、放置しつづけたのでしょうか? 取り上げなかった理由とは? そして、 《ウンコ》は、これから、哲学の重要な課題のひとつになるうるのか、否か? 教えてください。 よろしくお願いします。 堅苦しく考えず、 わたしの《ウンコ観》、 わたしの《ウンコ失敗談》、 世界の《ウンコ事情》 などなど、 《ウンコ》にまつわる回答ならば、すべて大歓迎いたします。 なお、 参考までに、《ウンコ》を課題として扱ったこんなサイトを見つけましたので、そのリンク先をあげておきます。 http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/990315scat.html