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幕府が政権を執っていた頃の天皇の存在意義とは?

gyrocompasの回答

回答No.2

実質的には、天皇は何の権力ももっていなかったが、 幕府は開設以来、天皇を推戴して反幕府勢力が反乱を起こすことを 恐れたのでしょうな。 しかし、天皇や皇族のめんどうを見る機関は幕府にはあったようで 血を絶やさないように腐心していたようです。 天皇の存在は、幕府にとっては必要不可欠だったと言えます。 これは、形式的には、天皇から、執政を委託されたということで 政権と体制の正当性を、儒教みたいなもので理論武装する必要が なかったということになりますわ。 あたしは、このことが、儒教が日本で教養程度以上のものに ならかった一因と考えています。 そうだとしても、一般の町民や農民、下級武士は、 幕末まで、天皇の存在を知らなかったそうです。 逆に、知らなかったことが、将軍よりエライ人がいるんだと いう驚きの落差が大きくなり、将軍がナンボのもんじゃということになり 尊皇運動の起爆剤になったのかも。 ちなみに、第二次大戦末期、日本軍の残党やら 民兵みたいなのが、山岳地帯に逃げ込んでゲリラ活動を 展開することを非常にアメリカは恐れたそうですな この勢力が天皇を推戴することも恐れたので 天皇を無視するより、法で地位を明確に 規定する方が賢明と判断したのでしょうな。

quman_kl
質問者

お礼

丁寧なご回答ありがとうございます。 >天皇や皇族のめんどうを見る機関は幕府にはあった なるほど。 幕府にとって天皇は面倒な存在なのかなと思っていたのですが 国民の天皇への侵されぬ絶対的イメージや反幕府勢力への切り札として 上手に利用していたのですね。 それにしても、一般民は天皇の存在を知らなかったというのはおもしろいです。 幕末-明治のどたばたの要因は色んなところに転がっていますね。

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