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守護は源氏、守護代は平氏?

戦国初期には幕府任命の守護は源氏出身(武田氏など)、守護代には平氏出身(織田氏・長尾氏・尼子氏など)が多かったような気がします。 源氏、平氏の解釈や守護、守護代の氏など私が間違って覚えこんでしまっているのなら正しい知識をお教え願えませんでしょうか?

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

No1に追加して 武家政権の元祖は、源頼朝、鎌倉殿である。 という認識があります。 島津家は、自称頼朝の遺児というやつです。 守護代に平氏が多いのは、鎌倉時代の前の段階で、関東が平氏の天下で、それらの氏族が鎌倉御家人として組み込まれ、有力武家として承久の変後の新補地頭など、地頭クラスとして西日本にも拡がったためです。 室町期には、鎌倉時代に北条徳宗家が守護をしていた場所を中心に、足利家の分家が取って代わったので、守護は源氏だらけになりました。 守護代は、地頭クラスから成長した武家がなりますので、出現比率としては、平家(関東平家)が多くなります。 単なる偶然といえば偶然です。 遊佐氏などは、藤原家ですが、畠山氏にくっついて いろんなところで守護代をしています http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/020/02020e1.htm これなどは、関東から全国に、拡がった例になるかと。

hirarno36
質問者

お礼

回答ありがとうございました。平氏が関東から広がること、地頭上がりのため成長してから守護代になった。なるほど良く理解出来ました。 URL参考になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • hazu01_01
  • ベストアンサー率31% (341/1067)
回答No.1

室町幕府が足利氏であるので、一門等が守護になっている例が多く、守護は確かに源氏が多いですね。ただ、同じ源氏でも京極氏、六角氏などは清和源氏ではなく、宇多源氏である等源氏だから守護大名となったわけではなく、室町幕府の成立に多くの源氏一門が関った結果だと思います。 源氏以外の守護大名では上杉氏、宇都宮氏、小田氏、結城氏、少弐氏、富樫氏、菊池氏(以上藤原氏)、千葉氏、、宗氏(以上平氏)、大内氏(多々良)、河野氏(越智氏)があります。 守護代となるとこれらの守護大名の重臣ですので、もっと複雑です。 あなたのお話の尼子氏は守護の京極氏の一族ですので源氏です。三好氏は源氏、浦上氏は紀氏を名乗っていました。 織田氏も元々は藤原氏を名乗っていました。

hirarno36
質問者

お礼

回答ありがとうございます。清和源氏がやはり多数派なのでしょうか。 上杉氏は長尾氏(平氏?)では無く関東管領の両上杉氏のことでしょうか?守護について回答されている部分なので後者のことと思いますが。 尼子氏は源氏でしたか。 かなり誤った知識でした。勉強になりました。ありがとうございます。

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