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守護は源氏、守護代は平氏?
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No1に追加して 武家政権の元祖は、源頼朝、鎌倉殿である。 という認識があります。 島津家は、自称頼朝の遺児というやつです。 守護代に平氏が多いのは、鎌倉時代の前の段階で、関東が平氏の天下で、それらの氏族が鎌倉御家人として組み込まれ、有力武家として承久の変後の新補地頭など、地頭クラスとして西日本にも拡がったためです。 室町期には、鎌倉時代に北条徳宗家が守護をしていた場所を中心に、足利家の分家が取って代わったので、守護は源氏だらけになりました。 守護代は、地頭クラスから成長した武家がなりますので、出現比率としては、平家(関東平家)が多くなります。 単なる偶然といえば偶然です。 遊佐氏などは、藤原家ですが、畠山氏にくっついて いろんなところで守護代をしています http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/020/02020e1.htm これなどは、関東から全国に、拡がった例になるかと。
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- hazu01_01
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室町幕府が足利氏であるので、一門等が守護になっている例が多く、守護は確かに源氏が多いですね。ただ、同じ源氏でも京極氏、六角氏などは清和源氏ではなく、宇多源氏である等源氏だから守護大名となったわけではなく、室町幕府の成立に多くの源氏一門が関った結果だと思います。 源氏以外の守護大名では上杉氏、宇都宮氏、小田氏、結城氏、少弐氏、富樫氏、菊池氏(以上藤原氏)、千葉氏、、宗氏(以上平氏)、大内氏(多々良)、河野氏(越智氏)があります。 守護代となるとこれらの守護大名の重臣ですので、もっと複雑です。 あなたのお話の尼子氏は守護の京極氏の一族ですので源氏です。三好氏は源氏、浦上氏は紀氏を名乗っていました。 織田氏も元々は藤原氏を名乗っていました。
お礼
回答ありがとうございます。清和源氏がやはり多数派なのでしょうか。 上杉氏は長尾氏(平氏?)では無く関東管領の両上杉氏のことでしょうか?守護について回答されている部分なので後者のことと思いますが。 尼子氏は源氏でしたか。 かなり誤った知識でした。勉強になりました。ありがとうございます。
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回答ありがとうございました。平氏が関東から広がること、地頭上がりのため成長してから守護代になった。なるほど良く理解出来ました。 URL参考になりました。ありがとうございました。