• 締切済み

江戸時代の庶民の名前

江戸時代に実在した庶民(商人、農民など)の名前を教えてください。特に女性の名前をおねがいします。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数23

みんなの回答

  • carwing
  • ベストアンサー率31% (24/76)
回答No.4

明和(18世紀)の三美人に笠森おせん・蔦屋およし・柳屋お藤なんてのがいたそうですよ。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.3

江戸時代の女の名が残るのは事件簿、裁判記録が多いのです。 例えば ちくま学芸文庫「藤岡屋ばなし」 には  藤代村 かよ、よの、とや、  盛岡一戸村 さん、せき、ふじ、はな、さま、  紀州海屋瀬村 きよ、さく、  阿波永井村 ふゆ、さ多、た美、た津、  上州小川新田 とみ、ゆき、たつ  など他の本にも多数あります。現在も普通にある名前も多いです。  

  • hazu01_01
  • ベストアンサー率31% (341/1067)
回答No.2

以前、教育社から『日本の女性名』(角田文衛著)が出ています。上中下の3巻で上代から現代までの女性の名前の研究です。 江戸時代前期の庶民の女性の名前は中巻の209ページから227ページまでに載っています。 江戸時代後期の庶民の女性の名前は下巻の117ページから236ページまでに載っています。 やはり最も重要な史料は#1さんがいうように「宗門改人別帳」のようです。秋田、青森、鹿児島県以外では全国的に相当数残っているようです。活字本で刊行されたものでは『大阪菊屋町宗旨人別帳』全7巻(阪本平一郎・宮本又次編纂)、『越前国宗門人別御改帳』全6巻(佐久高士編纂)などが有名です。 他に阿戸氏文書、茶道家元の千家(表千家、裏千家、武者小路千家)の家伝史料、金物卸商の湯浅家の家伝史料、豪商三井家の家伝史料なども重要だそうです。

noname#49020
noname#49020
回答No.1

 江戸時代の庶民、とくに女性の名前というのは歴史に残りにくいものです。  しかし、当時宗門改帳という住民台帳のようなものがあって、現在それを復元している研究者さんがいます。↓ http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_14/no14_e01.html  やゑ、きぬ、うの、きく、はる、つる、・・・と読めます。  もっと沢山知りたいということであれば、この先生に教えを乞うか、ご自分で宗門改帳を調べる、または図書館で適当な本を探すということになるでしょう。  現在の長寿者名(明治生まれの人)を見てみても、江戸時代の匂いのする名前は結構あります。↓ http://www.kenkou.gifu-net.jp/ikigai/ogenki/29-30.pdf  

関連するQ&A

  • 江戸時代に名字(姓)を持っていた農民、商人はいましたか?

    江戸時代まで名字(姓)が許されたのは、貴族、武士だけだと学校では習いました。一般庶民が名字を持つようになったのは、明治時代からだと思いますが、本当に江戸時代に名字を持っていた農民、商人はいなかったのでしょうか? 一部の有力な農民、商人の中に名字を持つ者はいなかったのでしょうか?もしいたら、それはどういう理由から持つことを許されたのでしょうか? ご教授願えませんか?よろしくお願いします。

  • 江戸時代の税金について

    江戸時代では庶民からどのような方法、名目で税を徴収していたのでしょうか? 農民から収穫した米を年貢として納めさせるシーンは時代劇などで馴染みがありますが、江戸に住む普通の町民や商人からはどのように徴収していたのか、あまりイメージが湧きません。 江戸時代でも所得税や住民税などが存在していたのでしょうか? ご回答よろしくお願いいたします。

  • 江戸時代の庶民は

    江戸時代の庶民は天皇家をどれくらい知っていたので しょうか。江戸城松廊下の事件は天皇家の勅使、院使 を迎い入れる儀式の最中に起きた事件ですよね。 すると庶民は浅野氏が何故吉良氏を襲ったのか、そして その理由は何なのかをかなりの線まで知っていたのでは ないでしょうか。 また勅使、院使の行列も江戸庶民は目の当たりにしてい たとみるべきでしょう。すると天皇家というのは京都に ある幕府とは違う権力機構だということぐらいは知ってい たと思うのですが。

  • 江戸時代、庶民はメガネをかけていた?

    江戸時代、文化・文政期の頃のことを調べています。 江戸時代には眼鏡屋なる商売があったようですが、文化・文政期、メガネは庶民にも手が届くものだったのでしょうか? 商家の主はメガネをかけていても、手代や丁稚がかけていたらおかしいようなイメージがあります。 値段的にも、ステータスとしても、庶民には手が届かないものだったのでしょうか? また目上の人の前ではメガネをかけるのは失礼にあたると書いてあるサイトもありました。そうだとしたら身分の低い庶民はメガネなどかけられなかったのでしょうか。 江戸時代、庶民はメガネをかけていたのか、ご存知の方いらっしゃいましたらご教授ください。一例として、商家の手代はどうだったか教えていただけましたら幸いです。 よろしくお願いいたします。

  • 江戸時代の税制

    ある問題に「江戸期の税は商人より農民の方が重かった」というくだりがあるのですが、具体的な数字が分からなくて困っています。農民は五公五民や四公六民50%から60%だと分かるのですが、それが金貨にすると何両になるのか分かりません。商人の冥加金も職種によっては2両ぐらいから25両ぐらいと幅広いので比べ方が難しいのですが。

  • 江戸時代の大阪の北平野について

    江戸時代の大阪北平野とはどういう場所だったのでしょうか?(ちょっと調べましたが、江戸時代に入ってから、町人達は何処かに行ったみたいな記事が出てきたりしてよくわからなくなりました) またこの場所に住む人は、どのような身分(武士とか商人とか農民とか)の方が多かったのでしょうか?

  • 江戸時代の服装について

    江戸時代の商人、町人、武士、農民、役者、遊女などの格好について調べています。 旅装束や、夏服、冬服の違いや、まげの種類など、ありとあらゆる江戸時代の人々の格好が載った参考文献(できれば図解的なもの)を探しています。 何か良い資料がございましたら、ぜひ教えて下さい。 全てを網羅していなくてもよいのでお願いします。

  • 江戸時代における身分による名前の特徴

    江戸時代の人名などを見ていると、大名などは今でもそこそこ使えそうな名前をしているのに対し、 町人などの名前は今では見ることのできないような変わった名前をしている気がします 別の質問で、町人のような変わった名前のつけ方の理由はわかったのですが、そこで新たな疑問が湧いてきました 落語では名前でその人物のキャラ付けがわかったりしますし、インドでは名前を名乗ればカーストがわかるなどと言いますが 日本でも、武士や農民や商人や工人 更にその中でも八百屋や魚屋や大工など職業ごとの名前の特徴などはあるのでしょうか 回答お願いします

  • 江戸時代、人気のあった名前・名乗りは?

    江戸時代、武士・町人・農民・女性で、それぞれ多かった(人気のあった)名前・名乗りは何だったのでしょうか? 武士だと「○○左(右)衛門」という名乗り?が多い気がしますが人気だったのでしょうか? 今だと皇室や有名人の名前にあやかって名付けをする事もありますが、江戸時代は歴代の由緒があるか、偏諱を許された者でなければ将軍の名にあやかる事は出来なかったんじゃないかと思いますが、どういった名前が人気だったのでしょうか。

  • 江戸時代の職業選択

    江戸時代に限定した 質問です。 この時代、人々の職業は固定されたという印象があります。 実際はどうだったのでしょうか。 農民の子が、職人の弟子入りして職人になったり、商家で丁稚として働いたりするようなことはあったのでしょうか。 職人の子供は、商人になった可能性はありますか。 他の時代も気になるのですが、まずは、江戸時代限定でお尋ねします。