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江戸時代の墓参

江戸時代に百姓や町人は自領の殿様や将軍様の墓参りはできたのですか?つまり墓の前まで行って手を合わせることはできたのですか。

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.3

藩主の菩提寺が、どのような立場にあったかによって異なります。 先ず、藩主一族が建立した菩提寺だった場合。 参拝は、藩主一族及び直参家臣のみが参拝できました。 次に、既に寺があり藩主が後から菩提寺に定めた場合。 境内に一般庶民立入制限地域を設け、藩主・家臣のみ参拝可能としました。 一般庶民は、遥拝所が存在する場合は遥拝所から参拝しました。 無い場合は、境内の制限地域ぎりぎりまで近寄って参拝したようです。 (今の伊勢神宮と同じですね。神宮に入る事が出来ても、境内の特定地域は「皇族・三権の長」しか入れません) 余談ですが、明治時代「廃仏毀釈」によって廃寺になった寺の多くは、一般庶民の立入を制限した寺院が多いようです。 藩主一族専属の寺で、地元庶民には一切関係の無い寺院でしたから・・・。 特に、藩政時代に圧政をしいた藩では顕著に見られました。

mersess
質問者

お礼

貴重な回答ありがとうございました。参考にさせて頂きます。

その他の回答 (2)

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.2

大名や将軍の多くは自前の寺を持っていたので、一般民が立入ることはとんでもないことでした。しかし例えば井伊家などは豪徳寺の寺領に当主を葬っていましたから、そこに墓地を持つ人は井伊家の墓に参拝できたでしょう。しかし豪徳寺に墓を持てる階級に限られましたから、平民には無理だった筈です。豪徳寺については下記を参照して下さい。

参考URL:
http://bird.zero.ad.jp/~zam77093/goutokuji.htm
mersess
質問者

お礼

ありがとうございました。参考にします。

  • outerlimit
  • ベストアンサー率26% (993/3718)
回答No.1

普通にはできないでしょうね 墓所はそれなりの格式のお寺の、それなりの場所にあるのが普通なので 庶民は  そのお寺に簡単には入れない  お寺に入れても、墓所には近づけない

mersess
質問者

お礼

ありがとうございました。

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