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聖人

●どこまでも清らかで 並の人間の届かない高みに棲む「聖人」とは?
 みなさんは どんなイメージの方を連想なさいますか?
 聖人の語彙にとらわれない 自由なお考えを教えてください。


 わたしは
 フランダースの犬の「ネロ」を 聖人とイメージしています。

投稿日時 - 2002-06-18 11:54:34

QNo.294561

暇なときに回答ください

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回答(18件中 1~5件目)

ANo.18

善行の為に命を落とした歴史上の全ての人々だと私は考えます。

祖国を守って亡くなったり、善を貫いて悪の罠にかかって殺されたり、美しすぎて身を滅ぼしたり……。
また、善に生きたがゆえに圧倒的に苦しみ、それでもなお善を捨てられない人々とも言えそうです。

たとえばソクラテス、村山聖さん、太宰治さん、本多信一氏あたりは聖人だと思います。

「いい人は早く死ぬ」と言います。よって「早死に」の人も聖人に近いのではないでしょうか。
逆に「憎まれっ子世にはばかる」と言って「有名な人」は聖人が少ないと感じることもあります。

ちなみに、私は「現世という苦しい世界を一生懸命に生きる人間は全て聖人」だと思います。
誰かが並より極端に立派ではなく、誰もが「同じ位」立派だと私は考えます。
ですので、本当はこの質問は(人間に差をつけて良いのだろうか……)と思ってしまいます。
例えば今は悪人でも、悪に染まったからこそ聖に誰よりも敏感になりえます。
刺青クリスチャンのように。
よって、悪人だから聖人より劣るとは限りません。
逆に聖人でも挫折を知らないと意外と弱者の苦しみを理解できないかもしれません。
そう考えた時、やはり人間には聖も悪も差も無いのでは、と思ってしまいます。

また、善とは「やせ我慢」、悪とは「自分の気持ちに正直」と言えるかも知れません。

聖とは何か。悪とは何か。そのあたりの研究をしてみると意外と面白いものが見えてきます。

悪を否定したら悪。悪になるのは不幸で苦しいから。悪にならないと生きていけなかったから。
善でい続けられるのは幸せで恵まれているから。悪にならざるを得ないほどの苦労をしなかったから。
悪も善になることを望む。本当は誰でも善になりたい。
本当に不幸なのは悪であり、善は幸福なのである。善とは悪を善へと導くもの。善とは悪を癒すもの。
と、いうのが事実だと私は考えております。

質問の前提に異を唱えた上に説教臭くて本当にすみませんが、
こういう考え方もある、位に思ってもらえると嬉しいです。
不快な回答だったかもしれませんが、ここまで読んでくださって有難うございました。

投稿日時 - 2011-08-12 18:53:30

ANo.17

elc

近い時代の聖人はガンジー、マザーテレサ。
彼らは社会そのものを支配して変えることはできなかったけれど目の前で苦しむ人々を見捨てなかった。
だから多くの人に慕われた。

投稿日時 - 2005-08-13 22:24:24

ANo.16

私が考える聖人とは、「本当に人間らしく生きた人」です。
聖人と称えられる人も、その人生のどこかで苦悩した日々があったと思います。煩悩に悩まされ、自己嫌悪に陥った事もあったでしょう。にもかかわらず、自分を超えた存在に従い生きた人…

キリスト教には、「人間は神の似姿である」という考え方がありますが、ここで言われている神とは、正しさ、善さ、慈愛などを象徴するものではないかと思います。
その神に似たものとして、人間は作られている。
ここでポイントなのは「似たもの」であって同じではないという事です。
この欠落は人間を謙虚にしてくれるからです。

「本当の人間らしい生き方」…これについては私もまだ模索中ですが、己を知り、ありのままの自分を受けとめ、謙虚に生きることではないかと、今は思っています。

投稿日時 - 2002-08-21 01:32:13

ANo.15

聖人というのはタロットの魔術師のようなものだと思います。
人々に尊敬され、一目置かれる存在。
でも、それは所詮人間の社会の中での事。
どちらかというと自然と共存する、というより自然を克服する人・・・という感じ。
人間社会の王になれても神にはなれない人だと思います。
すみません。分かりにくいですね・・・。

投稿日時 - 2002-08-05 16:15:22

ANo.14

たいした思想はありませんが、私は『聖人』と言う言葉は特別なものだと思っています。


あまり身近な人に聖人と言うイメージは感じません。
かといって、身近な所に聖人が居ないというわけではありません。
むしろ聖人は身近な所に居るべきものだと思います。
(身近な人や知らない人でも助けてもらったり、その人の生き方に 感動したり、
相手を尊敬する事はありますが、だからと言って相手を聖人と呼ぶのはちょっと…)


私の聖人のイメージは、自己の欲にとらわれず他人(個の単位ではなく人間全体)
の為にどうなったら皆が幸せになるかを考え、人を苦しみから解放し(実際的な
問題から解放するわけではありません、それを全ての人の施すのは無理ですよね)
何と言うか、実際の問題ではなくそこから生まれる心の苦しみから解放する
手伝い・手助けをしたり苦しみから解放されるその方法や思想を伝える人であり、
人が幸せになるのを自らの幸せとし、その生活を常とする人だと思います。



広い範囲の人のことを考え、でも助けるのは身近な人から、そしてその人の
心の生活が豊かになる事を喜び、その人が他の人を幸せにしてくれる事をなお喜ぶ。

尊いし、中々出来るものではないと思います。だからこそ聖人なのだと思います。


本当の聖人は権力などに興味はないのでしょうが、人間は欲の多いものなので、
権力を持つと自分の為に使ってしまいたくなる誘惑があるんですよね。
権力を、与えてくれた人のために使うのが本来の姿では…と思いますが。


権力を持った時に、その人の本当の姿がわかるのかもしれませんね。


自分のための欲なんてほんとに限りがないので、他人を幸せにする事で
幸せになれる人でいられれば、と、切に願います。ほんとに…(==)

長くなってしまいました、何か感じてくだされば幸いです。

投稿日時 - 2002-07-21 19:27:29

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