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インターネット時代の人間性

never-nessの回答

回答No.8

>これらの不毛性を生みつつある現代社会は、肯定的に捕らえられるのでしょうか。 そうだと思います。ある一定時間内に取捨できる情報量が、一人の人間の取り扱える限界量を超えている現実に振り回されてる結果、様々な齟齬を生じているのが現状だと思います。 このことについては過去の情報革命を振り返ってみれば容易に首肯できるでしょう。例えば、グーテンベルクの活版印刷、ラジオ・テレビの放送、ITの進捗などが引き起こした混乱とルール作り。それまで一部の特権的な人々が独占していた「情報」が万人(といってもPCを持てる層)に、有用・無用も含めて総て「等価値」なものとして投げ出されています。そのこと自体は多分「いいこと」なのだと思います。 簡単に言えば、万巻の書を収める「バベルの図書館」の開架を前にして、歓喜と絶望を感じるのに似ているのでは。情報を利用できるかどうかは利用者の能力の問題であり、情報リテラシーの熟練度の有無が「有用」「不毛」を画するのでは、ということでしょう。 おそらくあまりの情報量過多のために、Wikipediaのように情報をまとめ交通整理する「情報のための情報」が重宝されるのでしょう。 問題は、そういった「不毛さ」に浸蝕され振り回されて「自分を見失う」あるいは「現実を見失う」ことです。インターネットはあくまで道具的存在です。便利であるか否か、です。 「教えてgoo」では言って期間を過ぎた質問については「早く締めるように」という連絡が来ますね。それはそういったルールを設定しているだけで、もっと時間をかけて回答吟味するといった「本格的な運用→能率の悪さ」を運営者側が嫌っているからに過ぎないのでしょう。曰く、要求する場が違う、です。 質問者さんへの回答にもどります。たとえ話になります。 自動車は便利です。でも自動車事故で毎年何千人も命をなくしています。これは自動車の「不毛」な面です。自動車の「不毛性」について、 「これらの不毛性を生みつつある現代社会は、肯定的に捕らえられるのでしょうか」

noname#32495
質問者

お礼

昔の情報と今の情報の質が違うのではないかと思ってしまいます。Wikipediaにしても、素人が書いているわけですから、やはり拡張とか重みはないでしょう。そういうもんが世の中にあふれる時代になってきたことはどう考えればいいのか。 ある程度格調高いものと付き合えれば、それが誤謬に満ちていても、なにか得るものはあります。しかし、広範囲な民主化(ネット社会)における、重み内容の希薄な量社会はどういう利点があるのだろうかと。 自動車にしても、必要量を超えているのではと思います。ネット社会も何事も調度いい塩梅はあるもので、それが結局統制できないならないほうがいいのではと。

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