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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:時間と空間、カント&ベルクソン)

時間と空間、カント&ベルクソン

ghostbusterの回答

回答No.3

総合判断と分析判断 これは、主語と述語です。 西洋哲学ではギリシャ時代、アリストテレスが「実体とは文の主語となって述語とならないもの」と規定して以来、主語と述語というのは、哲学では大きな意味を持つようになってきました。 で、カントです。 そもそも判断は主語と述語のふたつの概念を含まなければ成り立たない。 「これは××だ」というふうに。 そうして、この判断における主語と述語の関係からみて、判断を「分析判断」と「総合判断」に分類します。 分析判断とは、すでに述語の概念が主語の概念の中に含まれている判断。 わたしが教わったときは「独身者は未婚である」という例文でした。 そうだな、ほかには何があるだろう。「白衣は白い」もそうだし、「琵琶湖は湖である」もそうですね。 カントは「すべての物体は延長している」という例をあげていますが、これはデカルトに拠っています。デカルトは、その存在のためにほかのなにものをも必要としない「実体」には三種類ある、それは神・精神・物体である、そうして物体の属性は「延長」にある、と言ったんです。つまり、物体とは幅・奥行き・高さを持つものである。こうした属性はすでに「物体」という主語に含まれているために(ちょうど「独身者」という言葉が、結婚していない、という意味を含んでいるように)分析判断である。 逆に、総合判断とは述語の概念が主語に含まれていないもの。 その結果、「カントは生涯独身であった」というように、主語「カント」に新しい性質を付け加えている。 カント自身は「すべての物体は重さを有する」という例をあげていますね。 「重さを有する」というのは「物体」という主語にあらかじめ含意されていない。 わたしたちは分析判断をくだすためには、経験の助けを借りる必要はない。というのも、主語概念を分析すれば、そこから述語が導かれるから。 分析判断は経験に拠らない、という意味で、すべてア・プリオリな認識でもあります。 そのため分析判断はア・プリオリな判断として普遍性と必然性を持っているけれど、わたしたちの認識を拡張し増大させるものではない。 確実ではあるけれど、学問的には大きな意義を持つものではない。 一方、総合判断は、主語概念をそのなかに含まれない概念と結びつけていくために、わたしたちの認識を増大させ、拡張していくものである。それゆえに総合判断こそ、学問的に意義がある判断である、とカントはいいます。 あらゆる経験的認識は総合判断です。 「琵琶湖は湖である」というのは、文字面を眺めていれば誰にでできる判断ですが、「琵琶湖は大きい」というのは、行ってみるか、話で聞くか、本で読むか、写真とか絵とかTVとかの像を見るかしなければできない判断です。 わたしたちは新しい経験によって、知識を広げていく。 けれども、経験は、真に確実であるかどうか、そこに依拠できるほど厳密なものであるかは問えない。 そこで、先天的総合判断、両者の欠陥を免れた判断である、この先天的総合判断こそが真に学問的意義を持ちうる。 で、もうちょっと先に行くと、数学では先天的総合判断がすでに成り立っている。 7+5=12 という判断がそれである。 12という述語概念は、7+5に含まれていないから。 経験的な世界を対象とする自然科学においてもそれは成り立っている。 「物体のあらゆる変化において物質の量は一定不変である」という判断は、総合的であり、なおかつ必然性を有するために先天的でもある。 つまり、先天的総合判断は実際に成立していることはあきらかである。 だから「いかにして先天的総合判断は可能であるか」を自分は考えた、それが『純粋理性批判である』、という脈絡に沿って、話は進んでいくのです。 話は見えてきたかな? で、ですね。 「物自体」。 わたしはハイデッガーは断片的にしか読んでないんでわかりませんが、いろんな人がいろんなふうに批判しています。 カント自身も二種類の使い方をしていて、わたしは昔はごくせまい方の使われ方(自由、霊魂、神の存在)をしているのがほんとうの「物自体」を指しているんだろうと思ってたんですが(大昔、その内容の回答をしちゃってるんだよね。あーコマッタ)、じゃ、広い方の意味はどうなのか、ってことになる。 ここらへんの包摂関係はわたしはよくわかんないです。 何かうまくまとめたのはないかなと思って探してみたら、メチエの『純粋理性批判入門』(黒崎政男)にはこうやってまとめてありました。この本、わたしは今回見たのが初めてなんだけど、入門書としては相当わかりやすいかも。わたしのころはなかったよ(涙)。 「つまり、物自体とは、認識主観から独立した、それ固有の存在のあり方をさすのに対して、その反対は、我々にとっての物、つまり認識可能な現象であること」(p.96) で、時間と空間は、人間の認識が成立するための条件である、とカントは考えた、っていうことを下の方の回答でしました。 黒崎さんはこんなふうに書いています。 「つまり、カントによれば、世界についての人間の認識が成立するためには空間・時間は不可欠であるが、世界そのものが成立するためにそれらが不可欠であるとは言えない、ということになる。客観的存在としての時間・空間ではなく、世界を時間・空間という人間認識の枠を通して見る、ということなのである。  では、時間・空間という枠を通さない世界そのものはどんなようすなのであろうか? それこそが物自体であって、そんなもの自体がどんな様子をしているか、などということは、我々人間には知りえないのである。我々人間が正当に知り得るものは、時間と空間という枠内にある存在、つまり「現象」だけなのである。」(p.104) まあ質問が変わってっても、大丈夫でしょう(笑)。こんなこむずかしい質問を見に来てくださるような人は、「ナカーマ」(笑)ですから、たぶん、管理部にはチクったりはしないかと。 わからないところがあれば、ドゾ。

ken-deleuz
質問者

お礼

ありがとうございました、それとまたまたお返事が遅れてすみません。なにぶん最近、大学が始まるのでその手続きなどが込みってまして(言い訳、言い訳。。汗)たしかに『ナカーマ』はチクったりしませんよね(笑)また今回新しい質問をしちゃいます。ありがとうございました。

ken-deleuz
質問者

補足

今回、空間と物質について質問があります。まずカントはこのように述べています。 "Space is nothing but the form of all appearances of outer sense. It is the subjective condition of sensibility, under which alone outer intuition is possible for us." この中でカントは”the subjective condition of sensibility(客観的な感性の性質)”といっていますが、この客観というのはどういうことなのでようか?外的にという意味で捉えればいいのでしょうか?それと空間と時間は任実に備わった先天的に備わった(a priori)だと解釈していましたが、"Space is nothing but the form of all appearances of outer sense" この一文を読む限り外的に認識と解釈できますが....  更にカントの空間と物質の関係、時間と物質の関係についてですが、彼はまず命題を提示して説明しています。 "The proposition, that all things are side by side in space, is valid under the limitation that these things are viewed as objects of our sensible intuition. If, now, I add the condition to the concept, and say that all things, as outer appearances, are side by side in space, the rule is valid universally and without limitation". まず、”all things are side by side in space(全ての物体は互いに空間の中で存在する)”という命題と”all things, as outer appearances, are side by side in space(全ての物体は互いに外的現象として空間の中で存在する)”という命題について、前者は制限下に置かれるが後者は制限はないと説明しています。これがよくわからないんです。どうして現象として物体を捉えることが命題として優れているのか ... 更にカントは続けます、 "Our exposition therefore establishes the reality, that is, the objective validity, of space in respect of whatever can be presented to us outwardly as object, but also at the same time the ideality of space in respect of things when they are considered in themselves through reason, that is, without regard to the constitution of our sensibility. We assert, then, the empirical reality of space, as regards all possible outer experience; and yet at the same time we assert its transcendental ideality -- in other words, that it is nothing at all, immediately we withdraw the above condition, namely, its limitation to possible experience, and so look upon it as something that underlies things in themselves. With the sole exception of space there is no subjective representation, referring to something outer, which could be entitled [at once] objective [and] a priori". まず、カントのいうobjective subjectiveというの日本語で主観、客観的という意味だと思いますがこれが結構不鮮明なんです。主観→内在的、客観→外在的という認識でよろしいんでしょうか?それとここでおそらく物自体と現象的実在についてカントは述べていると思われるのですが、”the reality, that is, the objective validity, of space in respect of whatever can be presented to us outwardly as object, but also at the same time the ideality of space in respect of things when they are considered in themselves through reason, that is, without regard to the constitution of our sensibility.”この部分の理性とそれらの関係をうまく把握できません。まず、人間は物体を感性と悟性(カテゴライズ)によって認識し、理性がこれを統括するとghostbusterさんは何処かで説明されていたかと記憶していますが、今回この物自体(おそらく)との関係はいかなるものなのでしょうか?最後の”there is no subjective representation, referring to something outer, which could be entitled [at once] objective [and] a priori”も結構意味不明です。主観的a priori と呼称できるような、また外的な何かを言及する客観的表象は存在しないと言っていますが、これはどういうことなのでようか? 長々と英語まじり文章で毎回毎回申し訳ありません、それと総合判断と分析判断について分りやすく説明していただいてありがとうございました。自分なりに理解できたとおもいます....本当か!(笑)ありがとうございました。

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