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古地図に描かれた北海道の向き

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お礼率 82% (43/52)

とある古地図の展覧会で、東北北部から北海道を描いた江戸時代の図をいくつか見ました。それらは、北海道の形も見分けがつかないような稚拙なものでしたが、3~4点あったいずれもが、日本海側が下、太平洋側が上、東北が右、北海道が左、という向きで描かれていました。

これはどういう理由によるのでしょうか? 当時は日本海側(本州なら秋田、北海道なら小樽あたり?)が太平洋側より栄えていたので、そのことと関係があるのかとも思いますが、いかがでしょうか? お分かりの方がいらっしゃったらご教示ください。
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回答 (全2件)

  • 回答No.1
レベル14

ベストアンサー率 15% (594/3954)

稚拙な地図であるなら、「自分中心」に描いてあるのだと思います。 いまでも「○○にいく地図描いてくれ」というと、自分中心に向きを決める人は多いですよ。 ...続きを読む
稚拙な地図であるなら、「自分中心」に描いてあるのだと思います。
いまでも「○○にいく地図描いてくれ」というと、自分中心に向きを決める人は多いですよ。
お礼コメント
Alias

お礼率 82% (43/52)

さっそくの回答、ありがとうございます。

> いまでも「○○にいく地図描いてくれ」というと、自分中心に向きを決める人は多いですよ。

基本的にはそういうことなのでしょうね。ただ疑問なのは、「自分中心」といった場合に「自分を中心としてどちらを向くか」ということです。自分が東北にいて北海道メインの地図を描くなら、東北が下、北海道が上にくる図を描くのではないか、ということです。
投稿日時 - 2002-03-14 10:39:39

  • 回答No.2
レベル11

ベストアンサー率 73% (196/268)

私も詳しくないのですが、私見を書かせてもらいますと… 経緯線が入る以前の地図は、基本的にいろいろな向きがあるのではないでしょうか。 有名な行基図(もともとは7世紀頃のものでしょうか)を見ると、解説や奥付にあたる文章は西を上にした状態で書かれていて、逆に丹波や安房といった国の名は東を上にした状態で書かれています。(向きの概念もちょっと今と違うのでしょうか) 時代が下って、17世紀後半に幕府がまとめ ...続きを読む
私も詳しくないのですが、私見を書かせてもらいますと…

経緯線が入る以前の地図は、基本的にいろいろな向きがあるのではないでしょうか。
有名な行基図(もともとは7世紀頃のものでしょうか)を見ると、解説や奥付にあたる文章は西を上にした状態で書かれていて、逆に丹波や安房といった国の名は東を上にした状態で書かれています。(向きの概念もちょっと今と違うのでしょうか)
時代が下って、17世紀後半に幕府がまとめたという日本図は西を上にした地図で、その向きで国名も読めるようになっています。実際のところ、この頃の地図は大抵図のなかに東西南北が記してあって、それに従って見るという感じのようで、特に定まった書き方がなかったのではないかと思えます。
さらに下って18世紀後半、水戸藩の長久保赤水が編さんした日本輿地路程全図になるともう経緯線が入っていますから、今の地図にほぼ近い感じですね。
今のように北を上にして書くのが一般化したのは、そもそも磁石を使った時に針が北を向いたことが理由だそうですが、それが一般化したのは印刷技術が広まってから、というのが通説だそうです。
Aliasさんのご覧になった地図がいつ頃のものかわかりませんが、間宮林蔵の時代にはもう稚拙なレベルではなかったわけですから、恐らくそれよりも結構前のものなのでしょう。そうすると当然恣意的な向きが選択されていたのでしょうし、そうであれば利用者の側である本土から蝦夷地をながめた向きに地図を描くのは自然なことにも思えます。
補足コメント
Alias

お礼率 82% (43/52)

ご回答ありがとうございます。

> 経緯線が入る以前の地図は、基本的にいろいろな向きがあるのではないでしょうか。

そうですね。手許に、昔見た古地図の展覧会(古地図がけっこう好きなんですよ)の図録があるのですが、それを見ると、17世紀に描かれた日本全図には、北、南、西、東それぞれを上にしたもの、すべてのパターンの図が存在するようです。

また、年代の明らかな現存最古の日本図としては14世紀のものが2点あるようですが、それらはどちらも、現在と上下逆で、南を上にしています(『絵地図の世界像』岩波新書)。

> 間宮林蔵の時代にはもう稚拙なレベルではなかったわけですから、恐らくそれよりも結構前のものなのでしょう。

北海道の地図が関心を持たれる時代ということから考えると、間宮林蔵からそれほどさかのぼらないんじゃないかとも思うのです。それに、巧拙はあまり時代の目安にならないようです。今回の展覧会(@東京九段の千秋文庫)でも、18世紀初めのものとして、きわめて正確な地図とともに、行基図に毛の生えたくらいのいわゆる「流宣図」が出展されていました。

> 利用者の側である本土から蝦夷地をながめた向きに地図を描くのは自然なことにも思えます。

私の書き方がわかりにくかったかもしれませんが、くだんの地図は「日本海側が下、太平洋側が上、真ん中に東北から北海道の陸地が横たわっている」という形でした。

今思いつきましたが、東北から北海道までを描くにはどうしても細長い長方形の図にならざるを得ない。そうすると、当時の地図の見方として、壁に貼るのではなく机か床に広げたのでしょうから、縦長よりも横長のほうが見やすいということになります。あとは、日本海側と太平洋側のどちらを上にするかですが、太平洋側よりも開けていた日本海側に視点を置いて(作者自身そちらにいたのかも?)日本海側を下にした、と考えれば、いちおう筋は通りそうですね。

なんか自己完結してしまいましたが、この考えが的を外しているかもしれないので、まだ締め切らずに置いておくことにします。
投稿日時 - 2002-03-14 10:39:56
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