• 締切済み

志士の収入源

幕末の志士たちはどうやって生計を立てていたんですか.藩のお金を流用(?)していたのかなとも思うけど重役クラスの人間じゃないと無理ですよね.まして坂本竜馬みたいに脱藩したら・・・まさか親からの仕送りで生活していたんでしょうか?

  • 歴史
  • 回答数6
  • ありがとう数0

みんなの回答

  • yp-mittu
  • ベストアンサー率35% (133/377)
回答No.6

No3です。 歴史を端的に見ないようにしてください。 鳥羽伏見の戦い前後から、勢力は幕府よりも新政府軍に傾いてます。 「錦の御旗」が薩長に立った瞬間に一気に商人たちは幕府軍を見放します。 昔からそうですが、商人は負ける方に加担しません。 当然、三井も流れに乗るわけです。それが商人の生き方ですからね。 また、この質問の意味は強き思想を持って生き抜いた志士に対しての質問ですよね。 なので、食い詰め浪人とかを取り上げていたらキリがありません。 確かに、生活に困った浪人が、食い凌ぐために新撰組に参加したり、 強盗まがいなことをしていたと思いますが、自らの思想のために生きた志士は それなりの自分達の正義の下、恐喝をしたと思いますが、それが全てでは無いです。 末端の志士は、桂や久坂、竜馬などの大物について生活を凌いでいたはずです。

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.5

トーマス・ブレーク・グラバー 1859年、上海に渡りジャーディン・マセソン商会に入社。その後、開港後まもない長崎に移り、2年後にジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会を設立。貿易業を営むことに。 薩摩、長州、土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売。薩摩藩の五代友厚・森有礼・寺島宗則、長沢鼎らの海外留学の手引きもしている。彼が幕末の倒幕の志士の経済的なサポーターであったのは有名である。 トーマス・グラバー ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%BC

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.4

よほど有能だったり、太い人脈を持っていたりすれば、薩摩や長州に養ってもらえるでしょうが、基本的にはゆすりたかり、あるいは強盗などで食べるしかないでしょう。 志士と自称していても、やることはテロリストです。ただ、金持ちの様々な思惑が絡み、スポンサーが付く可能性もありました。 以下に事実関係の整理を ・長州:馬関攘夷戦争を仕掛け、四ヶ国連合艦隊に叩かれた前科があり、欧米からの武器輸入ができませんでした。この苦境を坂本竜馬が助けようと動いた結果、薩長同盟が結ばれました。 ・薩摩:薩英戦争後、イギリスと結ぶ。イギリスに対抗しようとしたフランスが、幕府を全面支援することにもなります。 ・越後屋(三井):幕府からの無茶苦茶な上納金要求に苦しめられ、倒幕派を密かに支援する。鳥羽伏見以降は公式スポンサーに。 ・鴻池:大坂が本拠であるため、京の治安悪化を食い止めようと、新撰組などを支援。

  • yp-mittu
  • ベストアンサー率35% (133/377)
回答No.3

仕送りをもらえるほど、裕福なら脱藩もしませんし、 現行の幕藩体制に不満を感じることも少ないかと… 確かに明治維新直前になれば、時代の動きを察知した裕福な家の若者も 参加してますが、幕府の勢力があった頃にそんなことは無いと思います。 長州藩などは当初より倒幕運動を掲げてましたので、 藩が志士に援助してましたが、ほんの僅かです。 ほとんどが、桂派・高杉派ってなれば、そのボスが部下に渡してたってことです。 例えば、土佐の武市派も半平太から部下に金が渡されていました。 岡田以蔵の資金源も半平太ですし。 そうやって金を部下に渡す事で、自分の活動を皆、行ってきたわけです。 要は桂小五郎も西郷隆盛も歴史に名を残した人物の下には、無名の志士たちの 名前が一杯あるわけです。 では桂や高杉、西郷、坂本などの資金源になっているのは、 バックアップする有力商人や、富山藩、会津藩などの対立している諸藩です。 坂本竜馬は越前藩主・松平春嶽から資金を借り、神戸に海軍訓練所を作り、 それを元に亀山社中を作りました。 芹沢鴨、近藤勇も会津藩の援助の元、新撰組を結成。 記憶が定かではありませんが、薩摩藩士にはイギリス商人、 長州藩士にはフランス商人が援助していました。 ※薩英戦争後、イギリスは薩摩に接近した。イギリスが薩摩ならフランスは長州についたはず。 佐幕派の志士には、三井が投資していたとも言われている。 で、志士でも親玉を持たずに単独で動いていた志士は強盗や 用心棒まがいなことで収入を得ていたのが現状です。 それを竜馬がかつての仲間が苦しんでいるのを見て集めて、作ったのが海援隊です。 戦国時代もそうですが、「金」の動くところに商人がやはり絡んでいます。

回答No.2

 志士とは、多くが脱藩浪士なので、藩が援助することはありません。  もちろん親のスネもかじれません。竜馬の姉も、伝家の宝刀を渡した 疑いで詮議され、自害したという、誤まった伝説があるほどです。    一方、幕府方の私設軍隊も、もっぱら自己調達していたようです。 ── 新撰組隊士の服装が大丸を通して調達されたという話が伝わって いる。 ── 《朝日日本歴史人物事典 19941130 朝日新聞社》P0817    現代史におきかえると、市民運動や学生運動が、すべて街頭カンパで 支えられているとは、誰も信じないでしょう。松本清張によれば、安保 闘争の資金が、日経連あたりから出ていた可能性があるそうです。    二・二六事件で処刑された北 一輝などは、大邸宅に女中数人、お抱え 人力車で妾宅に通い、食客たちも連日連夜、芸者屋に入りびたっていて、 これらの資金は、仇敵のはずの三井財閥からまきあげたのだそうです。    いわゆる右翼の街宣車も、軍歌や演説を通行人に聞かせるのが目的で なくて、資金源は大企業や官庁、地方自治体であり、定期刊行物などの 購読契約や、広告費の名目に偽装された“ヤミ供与”を得ています。    その他の“ヤミ献金”は、株主や県民・市民にバレないよう、脱税に よって捻出された“ウラ金”であり、二重三重のトリックで隠蔽されて います。一般に(賄賂は)受けとる者より出す者が悪いとみなされます。

  • caesar-x2
  • ベストアンサー率46% (251/542)
回答No.1

長州が京都を追われるまでの いわゆる志士運動の最盛期には ”志士”の数が爆発的に増加しましたが 彼らの多くは強盗・脅迫まがいの行為を 収入源としていたことは有名です。 商人などから活動資金を強訴していたのです。 だからこそ新撰組などの治安機関が 京都に新設されたのです。 志士の多くはただのゴロツキで こういった犯罪者を取り締まる必要があったわけです。

関連するQ&A

  • 脱藩って?

    この前幕末ドラマを見て脱藩というのを見ましたが、脱藩とはなんですか? 藩というのは、あくまで通称や今の世界で言ってる呼称ですよね。 てことは、たとえば薩摩藩を脱藩というと島津家に離縁状みたいなのを提出するということですか? それとも藩外に出て命令をいっさい聞かないとか? あと、脱藩した主な志士をおしえてください。

  • なぜ脱藩する?

    幕末の志士によく、○○藩を脱藩し各地を流浪、とありますが脱藩の罪は死刑がたいがいでは? 脱藩しなくても各地へは行けたのでは?彼らはなぜそのようなリスクをおかしてまで脱藩をしたのでしょう?

  • こんな本を探しています(志士の筆跡)

    以前図書館で見た本なのですがタイトル、出版社等控えていなくてわからなくなっしまいました。西郷隆盛、坂本竜馬ら幕末の志士の直筆の書や手紙の写真と書き下し文(?)、現代語訳、解説が載っています。書名等、ご存知の方がおられましたら教えて下さい。

  • 龍馬が脱藩後に薩摩や長州、兵庫、大阪、京都、越前と行き来していた事に疑

    龍馬が脱藩後に薩摩や長州、兵庫、大阪、京都、越前と行き来していた事に疑問を持ちました。 幕末期土佐の坂本龍馬達が脱藩していく際に県境にある関所を避けたり、関所の人間を酒で酔わせて不意を付いたとかして脱藩したと聞いています。 彼らは藩から許可された正式な通行手形が無いからそういう形を採っていたんだと思うのですが、同じような関所は他の藩には無かったのでしょうか? 他の藩の者や他の藩から入ってくる者の通行手形等は検閲しなかったのでしょうか?

  • 坂本竜馬が好きって人は犯罪者ですよね?

    坂本竜馬は確かに明治維新の立役者ですが ちょっと待ってください! 彼は土佐藩を脱藩した人ですよね? 当時脱藩は死罪になる重罪 竜馬は今で言う指名手配犯です そんな人をリスペクトする現代のファンは犯罪予備軍ならびに犯罪者崇拝の持ち主ですよね?

  • 何故薩長同盟を結べたのでしょう

    対立していた薩摩と長州は坂本竜馬の仲介で同盟を結んで倒幕に動き出しました… しかし…藩主同士(薩摩の島津公と長州の毛利公)で話し合って締結 と言うなら分かりますが 同盟交渉に当たったのは1薩摩藩士の西郷と1長州藩士の桂(木戸)です まして 土佐を脱藩してお尋ね者だった坂本竜馬が仲介に入って ですから余計に不思議です 西郷と桂は藩から藩主の名代みたいな形で交渉に出たのでしょうか? もしそうじゃないとしたら この2人が勝手に交渉して同盟結んだ事にもなります お互いの藩主は納得と言うか受け入れたのでしょうか? そして坂本竜馬の仲介は信用できたのでしょうか?

  • 明治維新で活躍した人達・・・・・・。

    お世話になります。 歴史音痴で歴史の本も一切読まない者です。 教えてください。 明治維新になるまでの経緯が知りたいです。 ペルー来航で「これ以上鎖国は無理??」で「開国意識」が全国的に 広まり熱く若き志士達が同盟を作り「革命」を起こし明治維新に 繋がったのでしょうか? その熱く若き志士達が 坂本竜馬  (土佐藩) 高杉晋作  (長州藩) 西郷隆盛  (薩摩藩)   その他 沢山の人達。 解かり易く教えて頂けないでしょうか。 宜しくお願いします。

  • 坂本龍馬の生家は、藩の重役が年始の挨拶に訪れるほどの豪商だそうですが、

    坂本龍馬の生家は、藩の重役が年始の挨拶に訪れるほどの豪商だそうですが、 何を、どのくらいの規模で商っていたのですか。 また、どれくらいの財産があったのでしょうか。 龍馬が脱藩しても生家には、なんの「お咎め」もなかったはずですが、 どのような理由によるものでしょうか。 龍馬を「郷士」としてみるよりは、商家の恵まれた次男坊とみる方がよいのではないか、 と思って質問しました。 よろしくお願いします。

  • 幕末の攘夷派と開国派について

    幕末の思想には、大きく分けて尊王攘夷派と佐幕開国派があったと理解しています。 以下の疑問について、大まかにご教授いただければ幸いです。 1.薩摩藩や坂本竜馬は尊王攘夷から尊王開国派に変わったと理解して良いか? 2.長州藩はどんな思想だったのか? 3.朝廷はひたすら攘夷だったのか? 4.「佐幕攘夷」などの思想を持つ藩や人物は存在したのか? 以上、よろしくお願いします。

  • 脱藩浪士たちの日々の生活について

    脱藩浪士たちの日々の生活について 当方、「龍馬伝」で盛り上がってるおっさんです。 龍馬伝はドラマなので、細かいところまでは一々撮影しないのでしょうけど、 どうも不思議に思うのは、脱藩浪士たちの日々の生活についてです。 お金は持っているのでしょうか? 無いなら、どうやって暮らしてるのでしょうか? 武士だからといって、無銭飲食無銭宿泊という訳にはいかないでしょうし。 坂本龍馬は、実家の本家が裕福だから・・・お金には困ってないかもしれませんが それとて、毎度毎度何処に居るのかまではわからないでしょうし、 そうそう仕送りも出来ないでしょうし。 他の沢村惣之丞とかは裕福とは思えません。 脱藩浪士は日々どうやってお金を得ているのでしょうか?