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人間の定義とは

aoba_chanの回答

  • aoba_chan
  • ベストアンサー率54% (268/492)
回答No.4

答えからいうと、定義されていません。 自然事象は法律で決まられているわけではないでしょ?(ちなみに法律上「人間」ということはほとんどなく、「人」として使われるのが普通です。) 法令の役割は、もともとある自然物(自然人)に、社会的なルールを定めることで、「○○はこういうもの」と定義するのは、それぞれの学問の役割です。 さて、自然人とは何か? これは民法第1編第1章に規定されています。ここでいうまでもなく、ググってみればすぐにわかる話なので、省略しますが、質問者のおっしゃることは、ある人を指して「あれは人間ではない」という主張がまかり通るのではないかということですよね? 通常、一般的法則であるとか通説、常識等に対して真っ向から反論するのであれば、それに対する反証が必要です。 一般的に人として生きている以上、産婦人科医、助産師などの手によってヒトとして出産され、出生届がなされることで、生物学的、社会的に「人間である」という証明を得ているわけですので、これを覆すだけの証拠が無ければ「人間ではない」という立証ができず、法律的に「人間でない」と主張することができないわけです。 映画「ブレードランナー」の世界のような「人間になりすまし」が一般的に可能な世界であれば、またちょっと違うのでしょうけど。 なお、法律上、いつから人になり(出生)、いつまで人であるか(死亡)は学説的な見解の異なるところですが、前者は出生の完了のとき(胎児が母胎から全部露出したとき)が通説で、刑法上は一部完了(胎児が母胎から一部露出したとき)とされ、出生前の胎児である間においても一部人としての権利を認めています(相続など)。 また、後者については、最近では脳死と心臓死(心停止ではない)の両方の状態に至ったときと考えるのが普通なようです。ただし、脳死状態から回復したという事例はない(あまりない?)ので、心臓移植など特殊な場合には、「脳死状態」を死亡として取り扱うようです。この辺は法律というより、医学的な判断でしょうけど。 死亡のほうはちょっと自信ないです。だれか補足できたらお願いします。

nomikomi
質問者

お礼

一生懸命に回答して下さりありがとうございます。 >ある人を指して「あれは人間ではない」という主張がまかり通るのではないかということですよね? これは極端な話でこんなことを主張する人はいないとは思いますが・・・(笑) 人とはなにか? 法律では一般的法則であるとか通説、常識等で解釈されているってことですかね。 考えれば考える程こんがらがってきます。

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