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関所を通らずに旅はできたか。

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  • 質問No.228683
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お礼率 44% (19/43)

江戸時代、どうしても避けられない険要の地点を選んで、53もの関所が設けられていたそうですが、徳川吉宗時代頃に青森から京都まで、それらの関所を通らずに旅をする事は全くの不可能であったのでしょうか。例えどんなに遠回りをしてでも、避けて旅をする事はできないものなのでしょうか。教えて下さい。
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  • 回答No.3
レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

 
  単に「関所を通らずに」ということなら、それは簡単にできたはずです。関所はいわば、破られるためにあるようなもので、関所がある場所では、関所破りを手伝って、金品を手に入れようというやからが大勢いたのです。
 
  ただ、「徳川吉宗時代」という限定が付くと難しくなります。というのは、江戸時代最高の関所破りの達人というのは、他ならぬ、吉宗の陰の手足であった、「お庭番」と呼ばれる忍者の子孫たちだったからです。彼らが関所を守ると、破ることが難しくなります。
 
  (関所破りを金品の代わりに手伝おうという者たちのなかに彼らが紛れ込んでいる可能性があります。彼らには目的と使命があるので、ただの風来坊が関所破りをしたいだけとなれば、そのまま通してくれます。しかし、彼らが判断してヤバイ人間は、途中で暗殺するか、捕捉します)。
 
  もう一つ、関所を破ることができても、関所を通ると普通、よその国(藩)です。その場合、大藩では、公儀お庭番の類を国に入れないため、特別な監視をしていました。この場合、身振りや動作や、何と言っても、「言葉」が問題になります。「藩」同士の地元での公式交流はほとんどなく、よほどその藩の言葉・方言を学んでいても、対公儀隠密のこれも忍者の子孫にかかると、正体がすぐ分かったのです。
 
  しかし、関所は、厳重なようで、迂回すると何のこともありませんし、確かに地元の人には分かるかも知れません。しかし、地元の人こそ、関所破りの常習犯でしょう。関所を破る人間に賞金がかかっているとかいう事情でもない限り、問題は、箱根の関所などになり、数が限られて来ます。ところが、こういう関所ほど抜け道が多いというのが実状です。
 
  公儀隠密だと疑われないようにし、また逆に、藩の隠密だと疑われないようにすれば、金と知識とコネ次第で、全国自由自在に旅ができたのが、江戸時代です。どこかの藩発行の「仇討ちの承認証明」を、どこかから手に入れれば、それらしい姿や所作で、関所は自由に通れたでしょうし、これも「関所破り」の方法だとも云えます。
 
  江戸時代は、前期はまだ戦国の混乱が残り、秩序を立てるのが幕府として難しく、中期の吉宗は綱紀粛正しましたが、ターゲットがありました。そして江戸時代中後期は、商人の擡頭が著しく、諸藩は自己の経済困窮解決のため、特産品を発明して、これを他藩や天領、江戸・大坂などに売りましたから、ますます物資・人間の交流は盛んになります。こういうことを実践し、推奨したのは吉宗自身です。物資や人間の往来が多くなると、諸国を分断するために造った関所は、むしろ邪魔になってきます。関所は有名無実化して行くのです。
 
お礼コメント
kidou-sukune1

お礼率 44% (19/43)

幕府、言葉、時代〃の関所のありかた、などなど。実に広い面での回答、ありがとうございました。吉宗の時代にお庭番が存在したとは、小説などで存じていましたが、そのような職務までは知りませんでした。彼等が動くとすれば、容易にはいきそうにありませんが、一般人になりますと、お金と知識、コネなどがあればどうにかなりそうなものなのですね。大変参考になりました。
投稿日時 - 2002-03-04 23:28:33
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  • 回答No.1
レベル9

ベストアンサー率 18% (17/93)

 関所を通らずに抜け道を通ることを「関所破り」と言ったそうです。  またそういう抜け道には山賊や海賊を黙認して、関所制度を守ったのだと聞いています。ただ本当かどうかはわかりませんが。 ...続きを読む
 関所を通らずに抜け道を通ることを「関所破り」と言ったそうです。
 またそういう抜け道には山賊や海賊を黙認して、関所制度を守ったのだと聞いています。ただ本当かどうかはわかりませんが。
お礼コメント
kidou-sukune1

お礼率 44% (19/43)

山賊や海賊を黙認する事によって制度を守っていたのですね。もともと国内の治安を守る為に設けられたものなのに、矛盾している面も存在したのですね。関所を通らずに旅をするには危険は避けられないものだとわかりました。回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-03-04 22:53:31


  • 回答No.2
レベル14

ベストアンサー率 46% (1678/3631)

 たとえば、現在でしたら国道を通らずに日本を廻ることもできますが、江戸時代ですと、街道でないところを見なれない人が歩いていますと、村役人がいろいろ理由を聞いてきますし、農民も見慣れない人と話したり、交渉しますと後で問題が起こったとき、処罰されますので、役人に知らせます。夜間だけを歩けば可能かもしれません。ただ、食事に苦労します。 ...続きを読む
 たとえば、現在でしたら国道を通らずに日本を廻ることもできますが、江戸時代ですと、街道でないところを見なれない人が歩いていますと、村役人がいろいろ理由を聞いてきますし、農民も見慣れない人と話したり、交渉しますと後で問題が起こったとき、処罰されますので、役人に知らせます。夜間だけを歩けば可能かもしれません。ただ、食事に苦労します。
お礼コメント
kidou-sukune1

お礼率 44% (19/43)

村の角度で考えた事はありませんでした。例え関所を破る為の抜け道を通ったとしても、周囲の状況がそれでは難しいものですね。日本人は特によそ者意識が強いと聞きますし、役人に知らせるきまりがあるときたら、確かに日中では難しそうです。参考になりました。回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-03-04 23:06:46
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