• ベストアンサー

秋来ぬと

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる (藤原敏行)・・・の歌の中で、助動詞はいくつあるんですか?  また、「秋来ぬ」を文法的に説明⇒「秋が来た」これでいいのですか?  また、「音にぞおどろかれぬる」の「れ」と係り結びについて文法的に説明のしかたをおしえてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yuduki93
  • ベストアンサー率65% (95/144)
回答No.1

まず品詞分解してみると、 秋/来/ぬ/と/目/に/は/さやかに/見え/ね/ども/風/の/音/に/ぞ/ おどろか/れ/ぬる  となります。 ちょっと分かりにくいところを説明すると、「さやかに」は形容動詞のナリ活用「さやか」の連用形。 「見え/ね/ども」は「見ゆ」の未然形+打ち消しの助動詞「ず」の已然形+接続助詞の「ども」で構成されてます。 そしてその後の、「おどろか/れ/ぬる」は「驚く」の未然形+自発の助動詞「る」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の連体形で構成されてます。 >助動詞はいくつ? 「来ぬ」の「ぬ」 「見えね」の「ね」 「おどろかれぬる」の「れ」・「ぬる」の4つだと思います。 「来ぬ」の「ぬ」はこの後詳しく説明しますが、完了の助動詞「ぬ」の終止形になります。 また、「ね」・「れ」・「ぬる」については最初に説明したので省きます。 >「秋来ぬ」について 「秋来ぬ」は「あきこぬ」と「あききぬ」どちらとも読めます。 なので意味的にみてどちらの読み方で読むべきか考えます。 まず、「秋来ぬ」の意味を考えます。 「来ぬ」の「ぬ」を打ち消しの「ず」の連体形とすると、上にくるのは未然形となり、「あきこぬ」(=秋が来ない)となります。 反対に、「来ぬ」の「ぬ」を完了の「ぬ」の終止形とすると、上にくるのは連用形となり、「あききぬ」(=秋が来た)となります。 そして、「秋来ぬ」の後に続く意味は、「目にははっきりと見えないけれども」です。 (1)「秋が来ないと目にははっきり見えないけれども」 (2)「秋が来たと目にははっきり見えないけれども」 どちらが良いでしょう?答えは質問者さんの言うように「秋が来た」と意味をとるのが正解です。 >「音にぞおどろかれぬる」の「れ」と係り結びについて 「れ」については最初に説明したとおり、自発の助動詞「る」の連用形となります。 「る」は受身・尊敬・自発・可能の意味がありますが、前に「驚く」という語がきているのを考えると、自発で意味をとるのが一番いいかと思います。 係り結びは、「風の音に『ぞ』 おどろかれ『ぬる』」と「ぞ」が「ぬる」にかかっています。 「ぞ」は強意の係助詞、「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形です。本来、文の終わりは終止形になりますが、「ぞ」の結びが連体形になるので「ぬ」は連体形の「ぬる」になっています。 …こんな感じでしょうか?以上長々と失礼しましたm(_ _)m

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 古今集の藤原敏行の和歌で

    「秋立ちぬ……」で始まる、藤原敏行の和歌って、古今集にありますか。

  • 秋の歌といえば??

    春夏秋冬のなかで一番歌われない季節秋。 今、秋の歌のアルバムを作っているんですが、思うように曲が集まりません。 そこで、皆さんが秋で連想する歌はなんですか?? なるべく邦楽の、最近のものでお願いします。 ここぞとばかりの秋、でなくても、秋っぽい歌なら結構です。 秋の歌は失恋系が多いので、秋の歌でなくても、失恋タッチの歌ならかまいません。 よろしくお願いします<(__)>

  • しら露の色は.....

    藤原敏行さんの 「しら露の色はひとつをいかにして秋の木の葉をちぢにそむらむ」 を、他の皆さんがどう感じてるのか知りたいので、 この詩の感想を教えていただきたいです。

  • 「今こそ別れめ」の『め』ってどんな意味?

    ちょっと気になったので質問します。 卒業式なんかで歌われる『仰げば尊し』の中に、 「今こそ別れめ・・・」っていう歌詞があります。 そこで質問です。「別れめ」の「め」ってどんな意味ですか? 『こそ』があるので、係り結びになっているらしいので、 どうも助動詞の『む』だと思うのですが、『む』って推量の意味でしたよね。 でも「今こそ別れるだろう」っていう意味ではないと思います。 本当の意味を誰か教えてください。 文法的なスタンスで教えてくださるとありがたいです。

  • 古典文法 助動詞

    次の( )の中を例のように文法的に説明せよ 例)完了の助動詞「たり」の終止形 北には青山峨々として、松吹く風索々(たり)。 南には蒼海漫々として、岸うつ波も茫々(たり)。 一応口語訳を... 索々たり=物寂しい 茫々たり=茫々と音をたてている さっぱりわかりません... お願いします。教えてください!!!!!!

  • 古典文法

    冬枯れのけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。 「まじけれ」の文法的意味と活用形を答える問題なのですが… 活用形が係り結びの法則により、已然形なのはわかったのですが、どうして意味が打消し推量になるのかわかりません。 回答、よろしくお願いします。

  • 【古典文法】助動詞の活用の一部がなぜないのか?

    よろしくお願いします。 古典文法の助動詞について教えて下さい。 一部の助動詞は一定の活用形が欠けている(存在していない?ほぼ存在してない?)ように活用表に記載されています。 推量系の助動詞は特に、未然・連用・已然・命令が欠けているように感じます。 これには何か訳があるのでしょうか? 係り結びとかと関係があるのかな、とか少し推測しましたが、正直全くわかりません。 どなたか詳しい方、ご教示下さい。 よろしくお願いします。

  • 「ちいさい秋みつけた」の歌詞の謎 

    「ちいさい秋みつけた」の歌詞(2番)に、「お部屋は北向き曇りのガラス うつろな目の色溶かしたミルク 僅かな隙から秋の風」とありますが、なんだか貧乏長屋の様子かな、と思えてしまいます。サトウハチローは、この歌詞によってどのような状景を描写して、秋の到来を詩にしたのでしょうか。また、「うつろな目」は、誰の目なのでしょうか。

  • 英文の解釈をおねがいします。

    ある歌の歌詞なのですが、一部変えています。 it does begin to go.... という風にあるのですが、この場合、 doesとbeginと動詞が続きますが、 これはどういった文法なのでしょうか。

  • 夏と秋と行きかふ空の通ひ路は…の歌の解釈

    お世話になっています 古今和歌集、大河内躬恒の 「夏と秋と行きかふ空の通ひ路は かたへ涼しき風やふくらむ」について 季節の変わり目を読んだ歌ということなのですが、なぜだか私には「現実逃避」の 意味合いもあるように思えてなりません… この「人」は、生きづらくままならない現実(蒸し暑い夏でイメージ)の中で身動きがとれずにいるけれど、空には秋(涼しい風が吹いていて楽になれる境地)との境目があり、その境目の向こうに行けるものなら行ってしまいたい…という思いで、その人はその境目の向こう側を眺めている、というような^^; 立原正秋氏の「残りの雪」という小説にこの歌を引用した箇所があり、 そんな風に感じました。 まったく見当違いでしたらすみません。いかがでしょうか…??