• ベストアンサー

「今こそ別れめ」の『め』ってどんな意味?

ちょっと気になったので質問します。 卒業式なんかで歌われる『仰げば尊し』の中に、 「今こそ別れめ・・・」っていう歌詞があります。 そこで質問です。「別れめ」の「め」ってどんな意味ですか? 『こそ』があるので、係り結びになっているらしいので、 どうも助動詞の『む』だと思うのですが、『む』って推量の意味でしたよね。 でも「今こそ別れるだろう」っていう意味ではないと思います。 本当の意味を誰か教えてください。 文法的なスタンスで教えてくださるとありがたいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kann33
  • ベストアンサー率39% (9/23)
回答No.5

 皆さんの回答の通りだと思うのですが、更に次のことを付け加えてもいいかなと思いました。「こそ」の意味として現代語の「は」に似たものが見られる場合があります。「君は頭〈が〉いい」と言われればそのまま受け取れますけど、「君は頭〈は〉いい」と言われたら、「じゃあどこが悪いんだ」といいたくなりますよね。そのような、背後に並行する事態を持つような語感です。「春の夜の闇はあやなし(春の夜の闇は不思議だ)梅の花色こそ見えね 香やはかくるる」も、「梅の花の色は見えない 香りは隠れない」という二つの事態が、文に明示されている例です。(ここから逆接の接続用法が生まれるようです。)  従って「今こそ分かれめ」も、「今〈は〉別れましょう」のように理解する余地があります。だからboo00さんの「将来会える機会があれば、立派な姿になって会いたいものだと言った意味合いが含まれている」という解釈も、ここからも来ているのでしょうか、その通りだと思います。

wyvern2
質問者

お礼

ありがとうございました。 いろいろご回答がある中で、突っ込んだ回答をしてくださいました。 そういえば、「こそ~已然形」には逆接の用法がありましたね。 現代語ではそちらの意味も残っている気がします。 「程度の差こそあれ・・・」というと、「程度の差はあるが・・・」といったように。 kann33さんのおっしゃる、「背後に並行する事態を持つような語感」をあわせて考えてみると この歌詞の言いたいことがなんとなくわかるような気がします。 それにこの歌詞の個所は、曲の一番盛り上がるところですもんね。 この歌が再会を期待する歌だということを皆さんに教えていただきました。 ありがとうございました。

その他の回答 (6)

回答No.7

追伸:このURLには現代語訳があります。やはり、「お別れしましょう。さようなら」となっていますよ。これは仰げば尊しで検索。

参考URL:
http://www.portnet.ne.jp/~nice/aogeba.html
回答No.6

もうご回答にでていると思いますが、古語の「む」には意思(~しよう)がありますね。推量だけではないですね。ですから、ここは「今は(こそ)お別れしましょう」というニュアンスに近いのではないでしょうか。簡単に書いてごめんなさい。古語辞典に「む」は詳しく載っていますよ。この曲は「仰げば尊し」ですよね。下記URLに詳しい解説がありますよ!我が師の恩で検索できます(ヤフーの例) http://www.znet.or.jp/~yawind/21/kaisyaku.shtml

  • boo00
  • ベストアンサー率36% (8/22)
回答No.4

助動詞の『む』には、「推量」の意味のほかに「意思」の意味が含まれます。 で、皆さんのおっしゃるとおり、係り助詞『こそ』は已然形で受けて已然終止します。 ですから、「今こそ別れめ」を現代語に訳せば「今こそ分かれましょう」となります。 少し横にそれますが、将来会える機会があれば、立派な姿になって会いたいものだと言った意味合いが含まれていると解釈できます。

  • asuca
  • ベストアンサー率47% (11786/24626)
回答No.3

「わかれめ」とは「別れ目」の目ではなく「係り結び」で已然形になっているのです。 係り結びを起こす助詞「こそ」がありますことからも。 だから、もし係り結びがないとしたら「いま、別れむ」となりつまり「いま、わかれよう」ということになるんです。

  • quarz
  • ベストアンサー率27% (3/11)
回答No.2

私も「む」が変化して「め」になったと思います。 これは「わかれむ」という意思の助動詞が已然形の「め」に変化して 「今、別れていきましょう」ということではないかと思います。  試しに検索したら、下記のようなサイトにも同じことが書いてありました。

参考URL:
http://www.medias.ne.jp/~keikaz/zatugaku2.htm
  • gimpei
  • ベストアンサー率33% (262/782)
回答No.1

助動詞の「む」には意思の意もあった筈です。 「今こそ別れよう」

関連するQ&A

  • 推定「めり」「らし」について

    宜しくお願いします。 古典文法についてです。 助動詞に推定の「めり」「らし」がありますが、 これは推量とは何が違うのでしょうか? 他の助動詞に推量の「む」というのも載っていますが、推量と推定と何が違うのかよくわかりません。 詳しい方、宜しくご教示下さい。 お願いします。

  • 思えばいととしこの年月とは

    仰げば尊しわが師の恩 教えの庭にもはや幾年 おもえばいととしこの年月 今こそわかれめ いざさらば ♪ この歌詞の中の「思えばいととし」の「いととし」はどういう意味でしょうか 「いとしい」か、「したわしい」という意味でしょうか。 分かれめの「め」は助動詞むの已然形なのでしょうか。 なんだか気になるので、教えていただければありがたいです。

  • 「あらむ」の文法的意味は?

    古文に出てくる「あらむ」の文法的な意味を教えてください。動詞の「あり」+助動詞「む」だと思うのですか、「む」の意味のうち推量・意志・可能・当然・命令・適当・仮定婉曲のどれにあたるのでしょうか。

  • 今こそわかれめ

    辞書の初版に、まちがひはつきものです。 『新明解国語辞典』初版本には、「分かれ目」の例文として 「今こそわかれめ」 が挙げられてゐます。もちろんこれは、「今わかれむ」の末尾が係り結びで已然形「め」になつたものです。 (1)係り結びの誤解の例で、おもしろいものはありますか。 (2)辞書の誤りで笑へる例はありますか。 *** *** *** *** *** [念のため] あおげば尊し   あおげば とうとし、 わが師の恩。 教の庭にも、 はや いくとせ。 おもえば いと疾し、 このとし月。 今こそ わかれめ、 いざさらば。 (『日本唱歌集』岩波文庫 21ページ)

  • 古文「助動詞の意味の判定」

    今まで古典の助動詞「べき」や「む」の文法的意味は、人称で判断することについて質問してきました。 自分が習ってきたのは、例えば「べき」なら 一人称なら意志 二人称なら適当、勧誘 三人称なら推量 というように習ったのですが 今までの質問の回答の中に 「一人称なら意志、三人称なら推量という場合が多いだけであって、必ずしもそうではない」というのがありました。 ということは、結局は本文を訳して文脈から判断しなければいけないということなんでしょうか? 今のところ、動詞、形容詞、形容動詞、助動詞しかやっておらず、単語はほとんど覚えていません。 なので、本文を訳すのはかなり難しいです。 だから学校の先生も「形から判断できるように」と言っているのだと思うのですが、「単語を覚えていないのが問題だ」と 言われるとその通りなんですが、この質問で聞きたいのは 結局は本文を訳して文脈から意味を判断するしかないのでしょうか? ということです。 あと、人称で判定するのに「主語が・・・」とよく書いてあるのですが、この「主語」というのは 文全体の主語ということですか? 最初は、たとえば「べし」なら「べし」の上の動作をする物、人だと思っていたのですが、どうなんでしょうか?

  • 【古典文法】助動詞の活用の一部がなぜないのか?

    よろしくお願いします。 古典文法の助動詞について教えて下さい。 一部の助動詞は一定の活用形が欠けている(存在していない?ほぼ存在してない?)ように活用表に記載されています。 推量系の助動詞は特に、未然・連用・已然・命令が欠けているように感じます。 これには何か訳があるのでしょうか? 係り結びとかと関係があるのかな、とか少し推測しましたが、正直全くわかりません。 どなたか詳しい方、ご教示下さい。 よろしくお願いします。

  • 古典文法

    冬枯れのけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。 「まじけれ」の文法的意味と活用形を答える問題なのですが… 活用形が係り結びの法則により、已然形なのはわかったのですが、どうして意味が打消し推量になるのかわかりません。 回答、よろしくお願いします。

  • 【文法】推量の助動詞の訳、「だろう」と「でしょう」のちがい

    古典文法では、推量の助動詞「む」の訳し方として、「~だろう」のほかに「~でしょう」があったりします。現代の口語文法では、「だろう」と「でしょう」は、どう違うとおさえていたらよいでしょうか。 「だろう」 過去・官僚・存続・確認の助動詞「だ(だろ)」+推量・意志・勧誘の助動詞「う」 ? 「でしょう」 丁寧な断定「です(でしょ)」+推量・意志・勧誘の助動詞「う」 ? 上記のような感じでよいのでしょうか?だとすると、「だろ」と「でしょ」の違いが気になるのですが、確認≒丁寧な断定、と言うことで、「だろう」も「でしょう」も訳として可能、と言うことなのでしょうか。 「です」というのはどうも古文では「丁寧語の訳」のイメージがあり、敬語でないのに「です」を使うのには抵抗もあるのですが。 また、古典文法で、「べし」の推量、「らむ」の現在推量や原因推量の訳でも「でしょう」は許されるのでしょうか(見かけた気がするのですが)。

  • 国語、助動詞(でしょう、じゃない)の用法

    すみません、国語の授業でわからないところがあります。すみませんが教えていただけないでしょうか。(1)そのおもちゃ、かわいい(じゃない)。どこで売っているの? この文章(じゃない)は(では、ない)の転じたものだと思うのですが形は否定、意味的には肯定の意味がありますね。文法的にはどのような説明になるのでしょうか。(2)たくさんある(でしょう)。全部私が作ったのよ。こちらの(でしょう)は断定の助動詞(です、の未然形と推量・意志・勧誘の助動詞、う)だと思うのですが、文法的説明はどのようになるのでしょうか。ややこしくて分からなくなってしまいました。

  • 長唄「勧進帳」の歌詞について(意味と文法の質問)

    こんにちは。 長唄「勧進帳」の歌詞の文法的な構成と意味が分からず困っています。 分からないのは以下の文です。 これやこの 往くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の山隠す 霞ぞ春はゆかしける この中の「霞ぞ春はゆかしける」という部分です。 「ぞ」は「ける」と係り結びの関係で「霞」を強調しているのですが、その間にある「春は」が、どういうことなのかよく分かりません。辞書には「は」は終止形と結びついて係り結びをなし、その語を強調するとあるのですが、「ける」は連体形です。終止形ではありません。そもそも、二重の係り結びなんてあるのでしょうか? また、歌詞の大意として 「逢坂の山は春霞で見えないが、もう一度見たいものだ」 という訳があるのですが、これを見る限りでは「春」は「霞」を修飾しています。「春は」は「ゆかりける」という述語と結びついて「春をもう一度見てみたいものだ」という意味かと思っていたら、「霞」に結びついているではありませんか。もう何がなんだか分かりません。 ご存知の方がおられましたら教えてください。 なお、私は古文を勉強しているわけではなく、古文のことはよく分かりません。ですから何か他の古文を引用されると、それを調べるのにまた多くの時間と労力を費やしてしまいますので、他の引用は一切やめてください。どうかお願いします。