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なぜ、朝廷は生き延びたのか?

織田の時代、豊臣の時代、徳川の時代と、ずーっと安泰で居ます。なぜ朝廷の首をはねなかったのでしょうか?

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  • alpha123
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回答No.1

諸説ありますが,基本的には圧倒的な力で相手を従えさせることができない>朝廷から官位>全国への威光、、を併用したからでしょう。 この3人にかぎらず、朝廷抹殺は技術的には可能だったと思われるが、明智光秀が秀吉に討たれたように(朝廷でも信長にでも)「敵対」はそれで相手側に「優位」(心理的効果)与えてしまいます。謀反人になるより利用したほうが賢明。 徳川時代は経済的には貨幣と米本位制の併用、幕府と藩の並立制度です。 新潟や浦賀や大坂や神戸や長崎は直轄地だが,それ以外は藩体制で徳川になびいたわけではない(西日本は特に。彼らは朝廷公家に寄生協調しまた庇護した)。

その他の回答 (7)

  • sgi1962
  • ベストアンサー率12% (46/367)
回答No.8

ときの権力者にとって 利用価値があったからです。

noname#113190
noname#113190
回答No.7

古代には数回あったようです。 例えば継体天皇、系図では応神天皇5世の孫とされていますが、大和政権とは関係のない人物で、北陸・近江・尾張の諸豪族の力を背景に天皇家を乗っ取ったという説もあります。 天武天皇も天智天皇の実の弟とされていますが、実際には天智天皇より年長で、父親は違うとか全くの他人という説もあり、弘文天皇(大友皇子)を戦で破って皇位を継いでいます。 こういう古代の話はよく分からない部分もありますが、歴史がはっきりしてからでは、足利義満が天皇を廃して自らが皇位を簒奪しようとしたと言われています。 とんち小僧の「一休さん」は一休宗純といって、後小松天皇の皇子になります。 後小松天皇は1412年仁親王(称光天皇)に譲位しますが、称光天皇は虚弱な方で、本来であれば知能明晰身体頑強な一休さんがスペアーとして皇室に残り、皇位を継いでもおかしくないのですが、義満の意向で出家し、皇位継承者候補を消していくという方向になります。 義満は皇位継承者がいなくなった時点で、自分も天皇家の血を引くものとして「女系天皇」として自分か次男の義嗣を皇位に就ける考えもあったと、海音寺潮五郎や井沢元彦などは推察しています。 ただこうした危機を乗り越えてみると、皇位というものは血脈により継承されるもので、天皇家以外のものが継いでも価値がないものとなり、勝者にとって勝利を認定してくれる権威ある機関となりました。 つまり現代で言えば、「博士」という称号を貰っても、実務では何の役にも立たず、発行者によってはちり紙にもなりませんが、東大とか京大などが認定した博士号を持てば、世間では何となく一流の人物のように思われます。 あれと同じで、天皇が認めた人物は正義であり、それに逆らうものは賊軍ということになりますから、実力者たちは自分たちの正当性を権威つけるために天皇を必要としているということです。 またその権威は血によって継承されますから、全くの他人ではありがたみが違ってしまいます。 そういう訳で、時の権力者は藤木のツタが絡まるように、娘を天皇家に嫁がせ、間接的に天皇家を操ってきました。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.6

首をはねようにも朝廷は抵抗勢力ではなかったからです。 宮殿守護の兵力はあってもたかだか数百程度。 でも、皇帝や国王には直属の軍隊がいます。 さらに各地に駐屯してます。 なので、さっさと皇帝やその臣下を殺すか味方につけるかしなければならなかったのです。 朝廷は各地方は全て委任させてます。 薩摩の島津はかなり大昔からの地方豪族です。 千年以上もその地を収めている豪族は世界でも稀です。 それもこれも壬申の乱で天智天皇の後釜、大友皇子が敗北したのが原因です。 天智天皇は天皇の権威を高めるために、中国のように中央集権国家にしようと、まず天皇に税を「全て」収めて地方に富の分配をする法にしました。 軍隊も朝廷直属の軍組織に改革中でした。 しかし、今までに自分たちの取り分から都合のいいように少しだけ朝廷に収めていた豪族は大迷惑。 自分たちの取り分を朝廷に好き放題されたくない!! 朝廷に強力な軍隊が出来れば豪族の力は必要なくなり、自分たちの身が危険だ!! 豪族たちは権益の為に天武天皇側に付き、体制を旧式に戻させたのです。 何よりも天武天皇には固有の武力は無く、豪族を頼るしか大友皇子打倒が出来なかったのです。 ここからずっと朝廷は独自の権力基盤を持たなくなったのです。 天皇が権力拡大を図れば、反発を招き暗殺、幽閉など権力の座から引き摺り下ろされました。 朝廷は豪族の思うがままにされたのです。 それが平家、源氏に代わって行ったのではないかと思います。 朝廷が「NO」と言ったのは後白河天皇くらいでしょうか・・・。 後は開国時くらい。 と、推測してます。

noname#73913
noname#73913
回答No.5

信長は朝廷を統一後なくそうとしていた 秀吉は朝廷からもらった官位で支配しようとした 家康は朝廷を飾り物にしようとした 以上想像です 追加 つぶしたほうがデメリットがある

  • Bird1979
  • ベストアンサー率48% (114/236)
回答No.4

こんばんは 1)明治になって大日本国憲法が制定されるまでは、あくまで大宝律令・養老律令が、日本の基本法ですね。幕府の成立根拠も、朝廷から「征夷大将軍」に任ぜられ政権を「委任」されることによって成り立ちます。したがって、前の回答者の方々のご指摘の通り、任命機関(任命権者)がいなくては、政権として成立し得ません。したがって、時々の「覇権者」は、天皇(朝廷)を「利用」する意外にないでしょう。 2)天皇を排することのデメリット?? 日本人であれば、誰しも神社に「初詣」「お宮参り」に行ったことがあるのでは。あるいは「厄よけ・厄払い・安産祈願・合格祈願etc.」などもありますね。これらは「神道」に属するものでしょう。「延喜式(908)」では、神道の祭祀権は天皇が持つ、と位置づけられます。(神道には現在「皇室神道」「神社神道」「教派神道」など数種類ありますが、大方が皇室の祖先神である天照大神などを祀っているかと思いますが) 神道は「宗教」というより、日本人の日常生活に根付いた、日本人の心性の「基層部分をなす」といわれます。明治以前においても「国学」の成立や「お伊勢参り」などが流行するように、日本人の生活の中に根を張っていたといえるでしょう。 したがって「天皇を廃する(消滅)」ことは、「信仰」を破壊することになりかねず、その反動を抑えるためには、織田や豊臣、あるいは徳川が天皇に代わる祭主としての「資格=神性」を得る、もしくは全く別の宗教を教祖として興し「神道信仰」を駆逐する以外にないでしょう。これは、天下統一よりも難事業ですね。したがって、利用する、ないしは上手に統制する方がトク、ということになります。 なお、敗戦後連合国(GHQ)の一部では、天皇制廃止の主張もありましたが、GHQ(アメリカ)は「廃止によって日本人の反米(反占領)意識を起こさせるより、日本人の皇室崇拝の念(もちろんこれは明治以降の国家神道、臣民教育によるものですが)を占領統治に利用するのが良策」と判断しますね。 したがって、朝廷(皇室)の存在というものは、その時々の政治的な意味と、日本人の心性にねざす部分と、二面性があるということでしょう。この点が、現在の「皇室典範改正」問題においても、天皇(皇室)についての議論を、非常にデリケートなものにしていると思います。

回答No.3

それをするメリットが無いからだと思います。 一応、天皇が国家元首であることはずっと変わっていません。 立場上は、朝廷の家臣と言うことになります。 それが首をはねてしまっては、大義名分は無くなってしまいます。 逆に、自分に敵対するものに大義名分を与えてしまう可能性もあります。

  • suppi-
  • ベストアンサー率14% (24/167)
回答No.2

利用価値があったから。 織田氏は、調停等してもらってますし、 豊臣氏は、太政大臣等 徳川氏は、征夷大将軍等を任命してもらってます。 任命機関として必要だったのではないでしょうか

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