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存在と認識

noname#2233の回答

noname#2233
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回答No.4

理科系です。 海岸に木製の机があり上にリンゴが乗っていて打ち寄せる波に洗われている場合: 人間曰く:「机の上にリンゴが乗っている。波で濡れている。」 サル曰く:「机の上にリンゴが乗っている。波で濡れている。」 鳥曰く:「木の上にリンゴが乗っている。波で濡れている」 ロボット曰く:「???停止固体(机とリンゴは一体化した物体)と動く液体?」 波曰く:「障害物にぶつかっている(机とリンゴは一体化した存在)」 海水の分子曰く:「???いろいろな物質を濡らしている(机とリンゴの区別なし)」 地球曰く:「分子と原子がゆらめいているようだがそんなことはどうでもいい(机とリンゴと波の区別なし)」 宇宙曰く:「何かエネルギーがゆらめいているようだがどうでもいい(物質とエネルギーの区別なし)」 この考え方は、私には、ブッダが説いた「自分のものと他人のものという区別はない。自我を捨てよ」に通じるように思います。 存在も認識も、脳みそがあってはじめて生まれるものです。 脳みその中の意識は他人と共有できないので、人によって(人の脳みその数だけ)、違う存在と違う認識、つまり違う世界があるという考え方は科学的だと思います。 でも人間同士なら「認識」は違いがいろいろありそうですが、(例えば、自分の布団の柄を知っている人と、そんなの見たことがない人と主張する人。私は後者)、「存在」について意見が分かれることはめったにないですよね。UFO、幽霊が代表的。 量子力学では「月は誰も見ていない時も空に出ているのか?」 という昔の学者が言った有名な質問があります。 潮の満ち干きなどから、月は誰も見なくても毎秒毎秒必ず存在していることはもちろん誰かがやろうと思えば証明できるでしょうが、面白い問題だと思います。 脳神経学では、脳に物理的障害を追った患者が特定のものの存在を、目の前にあるのに認識できないという不思議な症状の臨床から、認識のしくみについて研究しています(そういう患者の治療法を確立するため)。

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