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犬に私の主観をコピー?

anaguma99の回答

  • anaguma99
  • ベストアンサー率59% (1620/2727)
回答No.7

犬の話は身体に意識が制限される可能性があるので省き、 コピー人間について書きます。 意識や記憶も含めた自分の完全なコピー(自分B)を作成するとします。 ここでもとの自分を区別するために自分Aとします。 自分Aは、自分自身がオリジナルだという意識がありますが、 一方で自分Bも、コピー以前の記憶が同じですから同じことを考えます。 しかし、この場合は、自分Aがオリジナルで自分Bはコピーです。 ただ、それは客観的にそういう前提だから そうだと言えるというだけのことです。 自分が寝ている間にデータコピー作業をして、 起きたときには2体いるのだとしたら、 外部からはどちらが本物だとも言えないでしょう。 仮にコピーではなくて「移動」する場合は 複数化しないので問題は簡単かもしれませんが、 「実は移動ではなくてコピーであり 自分Aが自分Bへのコピー直後に死亡している場合」 と区別がつきません。 などと考えると、 コピー後の「現在」からコピー前の「過去」(これを語っている現時点) に向かって考える場合は問題ありませんが、 今これを考えているのはコピー前の自分ですから、 「移動」にせよ「コピー」にせよ、 別の個体に「乗り移る」ことができるとは言えないでしょう。 今考えている自分の意識は一旦断絶して、 別の自分(しかし全く同じ意識と記憶)が生きていくことになると思います。 ただ、外部から見れば同一人物に見えるので、 客観的には何の問題もありません。 あくまでも、世界を見る「唯一無二の」主観としての自己が消滅したのであって、 客観世界において位置づけられた主観(世界に並列に存在する主観の一つ) としての自己は継続していると言ってもいいかもしれません。 余談ですが、この質問を見て、 スタニスワフ・レムの『泰平ヨンの航星日記』の中の短篇 (隕石がふりそそぐ惑星なのだが、隕石が人にぶつかっても 即座にコピーで置き換えられるシステムがあるので問題ない という概念を提示している)を思い出しました。 また、一昨年に製作された鉄人28号の13話『光る物体』も思い出しました。 永井均の『翔太と猫のインサイトの夏休み』なども関連テーマを扱っていますね。

torauma
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 回答内容では無いのですが、少し疑問を感じた事がありまして、この機会に「補足」しました。 宜しくお願いします。

torauma
質問者

補足

>客観世界において位置づけられた主観 >(世界に並列に存在する主観の一つ) >としての自己は継続していると言って >もいいかもしれません。 「誰にでも当てはまる基準」道徳律というものについて考えました。 当然カントが独身であった事は(多分)知っています。 「自分と暮らす犬」あるいは「自分と暮らす子供達」の中に自分の主観(コピー)を見出して反省してしまったり、道徳的喪失感というものを得たりすることが有ればですが。 本能的に自己継続性に対して道徳的であることを要求している気がするという意味です。 その結果、身近に(自分が)宿る者が有れば、要求する自分自身も道徳的でなければなりません。 その行いは、子に食べさせる必要もあって理性的(別の意味、破壊的・冷酷的残虐)である程に道徳的だと思います。 (尤も他人や世の中に対しては余計に道徳的で有る事を要求する場合もあるようです。) この意味で、犬や猫でも道徳が有ると感じるんですよね。 ただし人間の場合、貯えを作りさらに手に余る程の道徳を作り出そうとする。 すると「誰にでも当てはまる基準」である道徳律の内容とは、あくまでも連帯間で相関的な別物であって、生活環境を共にしない品種の数だけ多様に有る。 と言えないでしょうか? これは無理な考えなのでしょうか? 皆さんに、お教え願いたく思います。

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    • ベストアンサー
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