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玉音放送のあとも……
終戦の詔勅が出たあとも、厚木飛行場にあった海軍の戦闘隊は、東京上空から「あれは赤魔の謀略である。天皇は絶対のお方なり、絶対に降伏なし!」のビラをまいたり、接収される前に零戦を飛び立たせて持ち去ったりと、頑強に徹底抗戦を訴えていたそうですが、「大空のサムライ」の坂井三郎さんもその中のひとりだったのですか?氏が終戦後も米軍機を撃墜してしまったという話を聞きました。
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お礼
たいへん詳しい参考記事の紹介ありがとうございます。 負け知らず坂井さんですから、敗戦と決まっても一矢を報いずにはいられなかったのかもしれませんね。 ありがとうございました。