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日本の読み方で、"ひのもと"と“にほんもしくは、にっぽん”の違い
日本の国名の読み方は、古来“ひのもと”“にほん、にっぽん”とありますが、意味と、使われ方、その出典を教えてください。その、読み方の背景は、なんでしょうか? どのような時代背景のもとに、そういった、呼ばれ方がされたのか興味があります。天皇と道教とのかかわりに、関係があるのでしょうか?
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