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体罰で教師が辞職??

  • 暇なときにでも
  • 質問No.167052
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お礼率 45% (61/133)

今日、「ガッコの先生」というドラマを見てて、ちょっと疑問に思いました。このドラマに限らず、最近の学校関係のドラマで生徒に体罰をした先生が辞職に追い込まれています。そういうとき、PTAや教育委員会が「こんな先生はやめさせるべきだ!」と言っているシーンを見ます。こんなことはやっぱり、ドラマの中の世界だけの話なんのでしょうか?それとも、現実の学校でも似たようなことがあるのでしょうか?教師の個人的な都合で体罰を加えた場合、辞職に追い込まれるのは仕方がないと思います。ドラマの中の体罰は子供が間違った方向に進むのをとめるための体罰だと思います。あれでやめさせるのはどうなのかなと思います。
 もうひとつ質問をさせてください。体罰という言葉の定義はどういう意味なのでしょうか。生徒に暴力をふるうような直接的なものはどこまでが体罰なのでしょうか。「グランドを走って来い」や「長い髪の毛(茶髪)を無理やり切る」というような間接的なものは体罰ということになるのでしょうか?
 先生も人間なのでその日の感情で行き過ぎた体罰が存在することもあると思います。そこで、教師への懲罰の基準はどのような感じなのでしょうか。学校関係者の方や私のこの疑問に対して意見をお持ちの方からの返答を待ってます。どうか広いご意見や回答をお願いします。私は体罰を見たことはありますが、されたことがないので先生をかばうような意見になっているかもしれません。この質問内容を読んで気を害した方がいらしゃったら、すいませんでした。
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レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

 
  わたしは、No.1 の回答で、次のように記しました:
 
  >> しかし、日本の教員には、子供の人権に対する配慮や自覚が少なく、
  >> すぐに体罰に走る傾向があるようです。また、それを是認しかつ
  >> 要請する父兄などがおり、社会的には、体罰教師を容認する傾向があるようです。
 
  ここで、主に二つのことを述べているのです。
  1)教師に子供・生徒の「人権」に対する意識・自覚が希薄である。そのような教師が存在している。
  2)父兄のなかに、体罰を容認し、あまつさえ、これを歓迎し教師に要請する者があり、また社会的風潮として、体罰教師を容認する意見が少なからずある。
  
  問題を細かく論じていると込み入って行くので、簡略に要点を述べると、
    % 「学校乃至学校教育とは何のためにあるのか?」
  
  ここに問題の要点があるのです。
  学校教育は、社会の一員として健全な生活が行えるにように児童・生徒を指導すると共に、社会人として必要な、様々な基本的な知識や教養を身につけるためにある……というのが妥当なはずです。
 
  ところで、集団一斉公教育制度、特に近代教育制度には、上に述べたのとは少し異なる学校の機能が要請されていました。
  近代社会、それを支える近代生産のための生産機構においては、労働者集団は、「ゲゼルシャフト的」集団であり、規律と統制により、定められた目的に向かい、「没個性的」に、集団・機構の目的に下属せねばならない、という特性があります。
  近代ゲゼルシャフト的集団・社会の典型的なものは、軍隊・生産工場であるとされます。
  そして近代公教育は、その目的の一つとして、近代社会を支える国民、ゲゼルシャフト的生産組織等を維持する要員としての国民を要請したのです。
 
  このようなゲゼルシャフト的集団・組織の成員としての個人の養成という視点からは、学校教育においては、他者との協調性、共同作業を行える心身様式、集団・機構の規則を遵守し、個人的な要求・必要による、集団の目的・規則に反する言動は行わない、というようなことが、とりわけ児童・生徒に要求されたのだと言えます。
 
  現代の日本の社会においても、多くの企業や、公的機関等において、ゲゼルシャフト的な準拠規範で、社員や構成員が言動し、規則を遵守して、集団・機関の目的のために尽くすことが求められています。
 
  しかし、学校教育は、人格の陶冶と、自主的に自己の判断が行え、必要な知識や教養を持って、社会を、人類的いや地球的視点から眺めることのできる、冷静な独立した成人への成長を促進するために、その存在意味が置かれているのが本来なのです。
 
  企業や、現にある社会にとって都合のよい、規則に従う、没主体判断的な、「道具」的成人を育成するのが、学校教育の目的ではないのです。児童・生徒が主体的・自主的な判断を行い、自己の社会人としての責任を自覚し、社会の成員として、他者の権利を尊重して、共に生きることのできるような成人へと、人格陶冶を行うことが、学校教育の目指す処なのです。
 
  日本の学校では、「集団の規律を乱す者」をきわめて非難します。しかし、体育祭の時に、行進して整然と進むことは、一体、個人の人格の陶冶において、どういう意味を持つのか、という疑問が起こります。そのように「集団の規律」に従う者は、では、人間として実際にどうであるのかと言えば、戦前の日本の軍隊や、現代の企業のなかの個々人の行動を見ればよく分かるでしょうが、没個人的に、軍隊で万歳などと叫んでいる者は、真っ先に戦地で戦死したでしょうし、愛社精神とかに凝り固まった人は、自己の会社さえよければよく、自社がどんな公害を発生させようが、会社は「善」だという集団利己主義に陥っていたというのが、歴史の示した事実です。また、「集団の規律」を守る優等生は、多くの場合、狡猾な「機会主義者」で、二重基準など平気だという人が多いということも、あるのです。典型的なゲゼルシャフト的組織である軍隊において、幾らでも利己的な立ち回りが可能で、軍隊に適応した者ほど、この立ち回りが巧妙だったこと。また、現代の警察機構や企業組織でも、公共の利益に反しても、身内を守るとか、その「小組織」のなかでは、忠実であっても、もっと大きな社会全体の公共においては、利己的としか言えないことが公然肯定されているというような事態が普通にあります。
 
  ここで、長々とした話になったのですが、述べたことは、学校教育は、児童・子供の心身の陶冶を目的とし、民主主義国家の成員として、公共の利益を重んじ、法を守り、主体的判断が行える、主体性の訓練と、それを支える必要な知識・教養を持った国民を育成するのが目的だということです。
 
  体罰を課すことで、このような人格の陶冶や、主体的判断を持つ国民の育成が可能かと言えば、それは、反対の結果を生む可能性が高いのです。そもそも、児童・生徒は、経験が未熟で、知識も未熟で、年齢が低いのですが、しかし、それで「児童の人権」を侵害してよいという理由にはならないのです。体力的精神的に対抗できない児童であれば、体罰・精神的体罰を与えることができるでしょうが、大人に対し、言うことをきかないからと言ってビンタを食らわせていれば、教師の方が逆にピンタを食らわし返されるでしょう。
 
  子供は、自主判断ができないので、言って分からないので、身体でものを覚えさせるのだというなら、馬や犬や羊の訓練をしているのかということになります。幼児の場合、まだ言語が十分に発達しておらず、自分を危険にするようなことは、身体で覚えさせねばならないというようなことがあるかも知れませんが、それでも、実は、そういう例はあまりないのです。幼児が言うことをきかない時は、体罰を加えても根本的に解決しないことが多く、別の理由があることが多いのです。
 
  ましてや幼児でない、小学・中学・高校の児童や生徒が、話して理解できない訳はないので、児童・生徒の人格を尊重すれば、体罰など、そもそも、最悪の教育手法だということは自明なのです。
 
  体罰を行わなければ、教師の権限が低下するとか、体罰を加えないと分からない生徒がいると、いうのは、体罰合理化の屁理屈で、何の実証的根拠もないというべきでしょう(無論、実戦に臨む兵隊の訓練において、体罰を課さねばまともな兵士にならない、というのはあるかも知れません。しかし、それは、無理に兵士に仕立て上げているのであり、兵士は自己判断するのではなく、上巻の命令に従うのが第一です。しかし民主主義社会の成員は、自己の主体的意見を持ち、判断が行えることが第一に重要なことで、「お上」や「偉い人」のいうことは盲目的に従うような国民を育成するのが、学校教育の目的ではないのです)。
 
  学級崩壊とか、いじめとかの問題で、教師の威信が落ちていることは事実でしょうが、「威信」によって、そもそも教育というものは行うものなのか、という疑問があるでしょう。現代の学級崩壊・教育の荒廃・いじめ問題などは、元々、社会が古くから抱え込んでいた問題で、それがいま激しく現象として表に出ているのは、教育のありようの問題というより、むしろ、社会全体、文明全体の荒廃の兆候であり、それが児童・生徒の言動に露呈されているというのが事実でしょう。
 
  この問題に対するに、「体罰」を強化せねばならないとか「教師の威信の回復」などは、ナンセンスとも言えるでしょう。あるいは、最近は体罰を行わないので、生徒が荒れ、勝手なことをするのだというのも、はなはだ合理的根拠に欠けた理屈というべきでしょう。
 
  体罰をふるった教師の責任については、前例主義で、この学校では従来から、その程度の体罰は普通であったとかいう感覚でいるのが体罰教師の言い分で、校長なども、都合が悪いと、そういうことを述べるでしょう。
 
  教師の体罰をに対する罰則は、「辞職」あるいは「免職」などはきわめて異例のことでしょう。生徒の頭部を平手で殴って、鼓膜を破った教師がいても、軽く触れただけで、鼓膜が破れたのは、別の理由でしょうとか言って、体罰行使の責任を普通認めません。たまたま一人ぐらい鼓膜が破れたぐらいで、体罰をやめていては、教師など務まらないという傲慢があるとも言えるでしょう。あるいは、バットとか棒で生徒を殴り、骨折を負わせても、軽く触れただけで、骨折は別の原因だ、多分、本人が無茶なことをしたので、折れたのだろうなどと平気で言う体罰教師がいるようです(これは、実際にあった話で、どの事件か思い出せませんが、軽く触れたぐらいで、骨が折れる訳がないので、裁判になったはずです)。
 
  生徒が傷害を受け、場合によっては、死亡しても、体罰が原因だとは、教師も学校側も普通には認めないものです。生徒から証言を集め、病院での検査で何が原因かを調べ、どうにも逃れようがなくなると、それでも、「教育熱心のあまり、つい、力が入りすぎてしまったようで云々」などと言います。
 
  教師が、何かの訓告や懲戒、罰則が科されるのは、思うに、負傷させた生徒が実力者の息子・娘などの場合でしょう。傷害を与え、死亡させても、体罰が原因だと認めない体罰教師や校長、教育委員会も、こういう世俗的な力の脅しには簡単に屈してしまうのです。
 
  傷害・死亡の場合でも、親が民事・刑事裁判を起こすことはかなり難しく(学校は一種の密室で、教師同士は庇い合いますし、校長・教頭は責任問題なので、「善処します」とかいって放置するからです)、裁判で有罪が出れば、刑事事件なら、辞職・免職でしょうが、民事の場合、懲戒とかで済む可能性が高いです。
  ましてや、一般的な体罰など、体罰教師のし放題でしょう。また、それを支持する父兄や一般市民もいるのですから、社会的認知を得ているという錯覚になるのでしょう。
 
  学校教育法の規定は、形式であのような条文を作っているのではないのです。「人権」は、子供も大人も等しく有するもので、体罰は、子供の人権を著しく損なうものなのです。大人の社会では、人権侵害の企業など幾らでもあり、労働基準法は我が社の社訓には載っていないという企業も無数にあるでしょうが、しかし、無力で、十分な自己権利主張ができない子供であれば、一層に「人権」保護に慎重であらねばならないのです。
 
  追記:上で述べましたが、最近の学級崩壊などの問題は、教育をスパルタ式にすれば何とかなるというような話ではないのです。また、教育的措置として、体罰を行うというのも、わたし自身の経験では、「不条理」を感じたということを述べましょう。わたしは体罰を受けた経験はあまりありませんが、言葉で述べれば説明できることを、いきなりビンタをくらわすとか、生徒を床に正座させ、自分は椅子にあぐらをかいて、説教する教師などは、生徒を「対等な人間」と考えていないように思えます。教師は指導者として、自己の人格に一層磨きをかけ、この人格によって、生徒の心を陶冶するのであって、生徒より、位が高いのが教師などではないのです。「シュタイナー学校」というものがあります。この学校あるいは教育のシステムについて、知れば、体罰が教育に不可欠などとは、体罰教師やそれを肯定する人たちの勝手な理屈だということが分かるでしょう。(以下のURLはシュタイナー学校の紹介ページですが、もう少し詳しいのがいいのですが、とりあえず)。
 
お礼コメント
freeman

お礼率 45% (61/133)

回答をして頂きありがとうございます。
 学校において、生徒の自己は無視されてると印象をうける場面や話は確かに聞くことがあります。子供に対して、体罰を加えることで教師の威厳を保つのは確かにおかしいと思います。教師の人格によって、生徒の心を陶冶するのがいい教育ですよね。
 私の疑問としては、今までに教師に対して魅力というものを感じたことがないので、教師の人格というものは何でしょうか。単純に「怒らないという優しさ」は魅力なのでしょうか。生意気なことを言っているようで申し訳ございません。
 今までの意見を拝見させて戴き、体罰は難しい問題のように感じます。学校が閉鎖的なのは悲しいです。マスコミからの学校情報はごくわずかなのでしょうか。
 
投稿日時 - 2001-11-19 23:52:29
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  • 回答No.2
レベル11

ベストアンサー率 51% (165/322)

 学校教育法の第11条の但書に体罰を禁止する規定があることは有名です。しかし、学校教育法は「体罰」は禁止していますが、「懲戒」は認めています。つまり、問題は、この「体罰」の定義をどのように捉えるかです。「体罰」の解釈の範囲をかなり拡大して解釈してしまうと実質的に教師の「懲戒」権は無くなってしまいます。最近では、教師の体罰が問題となり、「体罰」の範囲がかなり拡大されているように思います。軽く叩いただけで「体 ...続きを読む
 学校教育法の第11条の但書に体罰を禁止する規定があることは有名です。しかし、学校教育法は「体罰」は禁止していますが、「懲戒」は認めています。つまり、問題は、この「体罰」の定義をどのように捉えるかです。「体罰」の解釈の範囲をかなり拡大して解釈してしまうと実質的に教師の「懲戒」権は無くなってしまいます。最近では、教師の体罰が問題となり、「体罰」の範囲がかなり拡大されているように思います。軽く叩いただけで「体罰」とみなされ、非難されてしまいます。学校教育法第11条はこのような些細な懲戒まで禁止しているのでしょうか。

 学校教育法は戦後まもなく成立し、広く教育現場に普及しました。その際、当然第11条も遵守されていたわけですが、戦後から最近にかけて、教師の行う、軽く叩くなどの些細な程度の体罰は「懲戒」として容認されていたと思います。その状況が、ここ最近で急に変化したような気がします。今まで「懲戒」として容認されていたような行為まで「体罰」として禁止されるようになりました。個人的には、私はこの風潮は行き過ぎのように思っています。体罰を肯定するわけではなく、懲戒というものをきっちり認めないといけないのではないかと考えています(東京高裁の判決でも、外形的な力の行使がすべて禁止されているわけではないと述べています)。近年、教師の権限が低下し、学級崩壊等の問題が相次ぎました。この事は時期的に、懲戒を必要以上に禁止する風潮と平行して発生した問題のように思います。教師の懲戒権が認められなくなれば生徒はつけ上がります。教師は体罰禁止の風潮を恐れて注意をすることができません。これでは誰も、生徒のことを注意し、教育し、正しい方向に導いてやることができなくなってしまいます。

 もちろん、教育の名のもとに、生徒に対して不当な体罰を加える教師が数多くいる事も事実です。ただ単純に「体罰」を認めてしまえば、それこそ不合理であることは言うまでもありません。重要なのは、何が懲戒で、何が体罰なのか、きちんと見定めることです。生徒に対して教師が行った行為が、専ら指導のために行われたのか、それとも教師のうっぷん晴らしのために不当に行われたのか、それを判断することが重要だと思います。それは、教師の自覚や社会の監視等によって十分に成されることができるはずです。

 余談になりますが、私も小学校・中学校くらいの時は、よく教師に叩かれたりしました。ケガをするほどではありませんが、痛みを感じたのは事実です。運が悪かったとか、今度から気を付けようとは思いましたが、そのことで教師を恨んだことは一度もありません。未熟な子供たちを親に代わって教育することが教師の務めであり、そのために辛いながらも心を鬼にして愛の鞭を行使することは生徒に対する教師の愛情の表れだと思っています。

 以上、あまり質問の回答になっていないような、読みにくい文章を長々と書かせていただきましたて、失礼しました。教師と生徒が良い関係を築けることを願っている、一学生の意見でした。m(__)m

 
お礼コメント
freeman

お礼率 45% (61/133)

回答をして戴きありがとうございました。
法律で体罰を禁止していることはおぼろげながら、知っていました。今回、正しく知ることができてよかったです。懲戒と体罰とを見定めることは確かに必要だと思います。私の個人的な意見では、同様の行動であっても、先生と生徒の認識が異なっていることが少なからずあると思います。先生は懲戒と認識し、生徒は暴力だと認識する。そして、生徒は親に対して、注意された原因をあまり話さず、体罰をされた部分を誇張して言っているのではないかと思います。その結果として、親と学校側で思い違いをしている部分があるのではないと感じます。このような中には親に話さない生徒や実際よりも優しく話す生徒もいると思います。
 不当な体罰をする先生がいなくなれば、体罰に対する見解も変わってくると思います。私も生徒と教師が良い関係を築けるたらいいと思います。
投稿日時 - 2001-11-19 11:06:02


  • 回答No.1
レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

    記憶があやふやで申し訳ありませんが、学校教育法第11条に、「懲戒は可であるが、体罰は不可」という規定があります。教師の個人的感情であろうと、教育目的であろうと、法律は「体罰」を禁じています。しかし、日本の教員には、子供の人権に対する配慮や自覚が少なく、すぐに体罰に走る傾向があるようです。また、それを是認しかつ要請する父兄などがおり、社会的には、体罰教師を容認する傾向があるようです。しかし、いかな ...続きを読む
 
  記憶があやふやで申し訳ありませんが、学校教育法第11条に、「懲戒は可であるが、体罰は不可」という規定があります。教師の個人的感情であろうと、教育目的であろうと、法律は「体罰」を禁じています。しかし、日本の教員には、子供の人権に対する配慮や自覚が少なく、すぐに体罰に走る傾向があるようです。また、それを是認しかつ要請する父兄などがおり、社会的には、体罰教師を容認する傾向があるようです。しかし、いかなる形であろうと、いかなる理由であろうと、体罰は許容されないというのが、法律上での規定です。
 
  体罰の具体的定義・例については、以下のページを参考にしてください。(以下のURLのページでは、体罰を、次の四種類に分けています:(1)手や足を使う体罰。(2)器物を使う体罰。(3)教員が命令して行わせる体罰。(4)精神的虐待の体罰。……グラウンド10周とか、髪を切るとかも無論体罰です。具体的に以下のページに例示されています)。
 
  • 回答No.3
レベル10

ベストアンサー率 15% (15/94)

体罰の定義などについては既に回答してあるので、私の経験を少し話します 体罰が行われても辞職になるケースはほんの一部です 私の出身校ではこんなことがありました ”成績の悪い児童を誰もいない所に呼び出し、児童を振り回す” ”イライラしていきなり生徒を殴る(後になって「お前のためにもこのことは人に言うなよ」などと言って生徒を黙らせていたそうです)” ”竹刀やバットを持ってクラスの児童全員を正座させて授 ...続きを読む
体罰の定義などについては既に回答してあるので、私の経験を少し話します
体罰が行われても辞職になるケースはほんの一部です
私の出身校ではこんなことがありました
”成績の悪い児童を誰もいない所に呼び出し、児童を振り回す”
”イライラしていきなり生徒を殴る(後になって「お前のためにもこのことは人に言うなよ」などと言って生徒を黙らせていたそうです)”
”竹刀やバットを持ってクラスの児童全員を正座させて授業をする”
”体罰あってもしらをきる”
”体罰などの問題が起きても外部にもれないように工作する”
こんなのは一部です
ちなみに、今では私の出身校はもっとひどい状況になっているようです
近隣の学校にもこのような事件があったようなので、私の住んでる地域だけの話ではないはずです

ドラマの中の話は視聴率がとれるように作った世界なので、極めて非現実的です
現実には体罰先生を辞めさせることはほぼ不可能です
日本の教育は病んでますね
お礼コメント
freeman

お礼率 45% (61/133)

回答をして戴きありがとうございました。
frankさんが回答をしているようなことをしている先生が辞職しないのは間違っていると思います。frankさんの回答の中で
"成績の悪い児童を誰もいない所に呼び出し、児童を振り回す"
とありますが、成績が悪いのに対して体罰(懲戒)をするのは「なぜ」と疑問を持ちます。学力は個人差があると思います(まわりは「努力だ」と言いますが)。勉強して成績をあげたのにテストの点が低かったばかりに叩かれている人を見て、このひとの努力を認めてあげてほしいと思ったことがあります。これは成績をあげたことをほめるのではなく、学校(クラス)全体に比べて点数が低いことを注意していると思います。生徒個人ではなく学校(クラス)と集団を重視しているように感じられ、自己を無視されているようで悲しいです。
不当な体罰はやめてほしいものです。運悪く体罰がひどい学校に通うことになっても、簡単に転校できるとは考えにくいので、悪質な体罰をする人達の処置を考えてほしいものです。
投稿日時 - 2001-11-19 11:52:21
  • 回答No.4
レベル13

ベストアンサー率 29% (424/1462)

20代半ばの者です。 今から十数年前になりますが、私が小学校の頃に体罰らしきことはありました。 私のクラスの担任(男)は生徒がちょっとした忘れ物でもすると教室の前に立たせてみんなの前で定規(黒板で使用する1mの大きい定規)で太ももをたたきました。 男女とも1日中学校指定の半ズボン(体操着)を着用することになっていたので、素足の状態でたたかれます。女の子にだって容赦しません。足が真っ赤になるくらい ...続きを読む
20代半ばの者です。

今から十数年前になりますが、私が小学校の頃に体罰らしきことはありました。
私のクラスの担任(男)は生徒がちょっとした忘れ物でもすると教室の前に立たせてみんなの前で定規(黒板で使用する1mの大きい定規)で太ももをたたきました。
男女とも1日中学校指定の半ズボン(体操着)を着用することになっていたので、素足の状態でたたかれます。女の子にだって容赦しません。足が真っ赤になるくらいにたたかれるのです。(時にはミミズ腫れになることも)
私は宿題忘れの常習犯だったのでほぼ毎日たたかれていました。(^^;
ひどいときにはクラスの半分以上が一斉にたたかれていました。1年を通してたたかれなかった生徒は2人程度だったと思います。(ほぼ全員がたたかれている)
しかし私や同じクラスメートはこれを体罰だとは全然思っていませんでした。多少キツイやりかたですが、自分が忘れ物をしたのだからしかたのないことだ思っていました。
ちなみに2学期に入ってから担任はたたかなくなりました。たぶん校長等に指導されたのでしょう。でも懲戒免職などにはなりませんでしたよ。

中学時代は男は丸刈りでした。髪が伸びてきたり髪を染めたり剃りこみを入れてくると教師に注意されるのですが、それを無視しつづけると丸刈り強制執行されます。
職員室でバリカンで切られるのです。まったくもって日常的におこなわれていました。

上記2つの体罰?は、今となっては良い(?)思い出です。(^^;

さてここからは個人的な意見です。
最近は体罰を騒ぎ過ぎです。ちょっとしたことでも体罰だと騒ぎ立てます。
個人的なイジメのような体罰はダメなことだと思いますが、生徒が悪いことをして、何度言っても改めない場合には廊下に立たせたり、ちょっとたたくくらいは全然問題ないと思います。(怪我をするような体罰は禁止するべきですが)

はっきり言って、最近は子供のしつけもできない(バカな)親と、その親に育てられたな(わがままな)子供が増えているように思いますよ。

家庭でしっかりシツケがなされているなら、学校で体罰を振るう必要もなくなると思います。
お礼コメント
freeman

お礼率 45% (61/133)

貴重な体験を教えていただきありがとうございました。
 確かに大人になって、良い思い出になる体罰は正当な体罰なのでしょう。懲戒ということになるのだと思います。他の方の回答を読んでいると、学校ごとで体罰の捕らえ方が違うように感じます。自分の子供が学校から帰ってきたときに、体にあざがあれば、心配する親がいてもおかしくないと思います。
 子供のしつけは難しいと思いますが、やらなければならない問題だと感じます。
 私も大人になって、良い思い出になる体罰は問題ではないと思います。大人になって、理解できる体罰のみが学校法人で行われることを願っています。
投稿日時 - 2001-11-19 12:59:36
  • 回答No.6
レベル11

ベストアンサー率 29% (52/176)

 私は現役の中学校教師です。難しい法律論や規定については分かりませんが、体罰の実際については分かります。私自身、15年くらい前までは積極的に暴力を振るうことがありましたが、今は少なくとも怪我をさせるような体罰は皆無です。また私の周囲を見ても体罰を振るう教師はほとんどいなくなったように思います。  ところが最近は軽度なものまで「体罰」と認識するようになり(法律論ではないですよ)言うことを聞かない生徒の胸ぐ ...続きを読む
 私は現役の中学校教師です。難しい法律論や規定については分かりませんが、体罰の実際については分かります。私自身、15年くらい前までは積極的に暴力を振るうことがありましたが、今は少なくとも怪我をさせるような体罰は皆無です。また私の周囲を見ても体罰を振るう教師はほとんどいなくなったように思います。
 ところが最近は軽度なものまで「体罰」と認識するようになり(法律論ではないですよ)言うことを聞かない生徒の胸ぐらを掴んで振り回したりすると、怪我はしなくても「体罰だ」と言って学校に苦情が持ち込まれます。
 でもそれはケースバイケースで、先日は授業中にいすを2つ並べてごろ寝していた生徒を蹴飛ばしましたが、電話して事情を説明したところ、「うちの子の態度が悪かったのでしょう」と理解してくださいました。
 教員の認識として、積極的に体罰をするべきだなどと考えている人は1人もいないと思います。しかしながら、小中学生くらいの年齢の子供は未熟であり、動物的な部分も残しています。力で押すべき場面がかなりあるのも事実です。それはちょうど、母親が叱っても言うことを聞かないが、「お父さんに言うよ」のひとことで子供の態度が変わるのと同じです。
 ところで、ドラマで教育委員会が教師に対して高圧的な態度をとる場面が放映されますが、あれは全くのでたらめです。あり得ません。というのも、教育委員会で働く人(指導主事といいます)は教員OBであり、教頭予備軍ですから、一般教員に高圧的な説教をたれるほどえらくはありません。「学校教育課長」だとか「部長」といった肩書きの人ですら教頭・校長待遇ですから静かに諭すくらいが限度で、体罰の教員に怒鳴りながら指導するということは考えられません。
 最後に、今のこの時代、体罰は大きな問題ですから、教員もかなり神経質になっています。めったなことでは手は出しません。しかし、いったん体罰となると、それに至る経緯は無視され、その生徒は無罪放免となってしまいます。怖いのはここで、以後の指導が一層難しくなり、生徒が好き放題の行動に出たりするといっぺんに学校は荒れます。
 
補足コメント
freeman

お礼率 45% (61/133)

教師の方から意見を聞けてよかったと感じています。回答して戴き、誠にありがとうございます。patapata1さんの回答を読ませて戴き、もう少しお聞きしたいと思い、補足を投稿させて戴きました。よければ次の3つの質問に回答して戴ければ幸いです。
(1)なぜ、積極的に暴力を振るうをやめたのですか。怪我をさせるような体罰は皆無ということは手加減をしているということですか。このようになった理由を教えて戴きたいです。
(2)授業中にいすを並べてごろ寝しているような生徒を蹴飛ばすのは当然だと思います。でも、通学路で病人に会って遅刻した人(こんな人は少ないと思いますが)のような生徒に責任がない可能性がある場合、生徒から事情を聞いて罰を与えますか(経験上から言うと聞いてくれると感じています)。
(3)どのような体罰が不当な体罰と思いますか。教師の立場から聞いてみたいと思いました。

 私自身の自己満足というわがままで質問をしているところもあるかと思いますが、暇な時間の合間に回答して戴ければ、本当に嬉しいです。
 体罰というのは本当に難しい問題だと、今回実感させられました。体罰も仕方がないのかなと思うところもあります。
 本当に回答して戴きありがとうございました。
投稿日時 - 2001-11-19 23:52:54
  • 回答No.7
レベル10

ベストアンサー率 4% (6/140)

体罰とは、刑法としては、傷害、暴行、名誉毀損、侮辱などをさします。 ...続きを読む
体罰とは、刑法としては、傷害、暴行、名誉毀損、侮辱などをさします。
お礼コメント
freeman

お礼率 45% (61/133)

教えて戴きありがとうございます。
名誉毀損や侮辱が体罰になるですね。
投稿日時 - 2001-11-19 23:52:39
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