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我思う、故に我有り(デカルト)への根本的疑問

kayako2の回答

  • kayako2
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回答No.4

これは経験論の立場でしょうか。 アプリオリな思惟は成立し得るかという段階の問題であって それはコギトを出す以前の問題になってしまい 難解な認識論に突入します(苦笑) 過去から現在に至るまでこういう立場の哲学は沢山あります。 有名どころをあげるならロックでしょうか。 ちなみに大脳生理学的な反則を使うと例のような人間の場合でも 思考しているかどうかは判別可能ではないか、と思います。 思考している時点で[cogito ergo sum]は証明可能になるので(デカルトに立って言うなら) まあ成り立つと言えてしまうのですが。 余談としてデカルトの生得観念というと 方法的懐疑は神の存在証明と関わり、神概念の問題が出てくるので(批判されてますが) その辺を念頭に置いた方が、デカルトに優しくなれるかもしれません^^; あ、ちなみに何で思考かと言うと人間が本性的に思考するものだからです^^

robking
質問者

補足

有難う御座います。うれしい限りです。 私もまだまだ不勉強ですが、必ずしもロック的な解釈を信じているのではありません。むしろデカルトの考えに惹かれてこの世界に興味を持ったくらいです。そして二元論は素晴らしいと感じました。そこでこれを擁護するにはどうしたら良いか考えるのと同時に、もし批判する(される)ならどのような問題があるか思い、このような質問を生んだ次第です。 大脳生理学を用いるのならば、「外部から大脳を刺激する」ことになるのでやはり反則ですよね?なぜなら「思考」を判別するには何らかの検知によります。検知するには最低限の外部刺激(電気刺激)が必要です。この様な体系は「子供と刺激」のセットとして想定させるものですので、「思考が検知された」のか「刺激を与えたから思考した」のか区別不可能です。よって証明にはなり得ないだろうと考えられます。お風呂のお湯は何度か?というのにも似ています。本当の温度は「温度計を入れる前のお湯の温度」ですが、温度計を挿入するとわずかながらお湯の温度が下がるので、厳密には「温度計とお湯」セットの温度を測るということなります。余談ですのでこれは軽く流してください。 しかし、次の様な反論もあるでしょう。 「血液の循環やホルモンの移行は脳への(一応外部の)刺激といえるのではないか?」 しかし,このような刺激が思考を促すかはともかく、「我」概念を知るほどのものか?と疑います。 例えば私などは深い睡眠時に、その自覚はありません。覚醒後「寝ていた」ことは自覚されますが、「寝ている」ことを知りません。まして「自分」の存在や、世界の存在も意識されません。例の子供はこのような状態にあると思えます。また、物心つく前の子供は自分自身と外の世界との境界が曖昧で、「確固たる我」は無いのだろうと想像します。 そのようなことから、「我」「自分自身」といった概念はある関連事象に基づいた複次的概念だと思うのです。 私の考え方のルーツはロック的伝統とは違います。質問では一切触れていませんが、数理哲学的な影響を強く受けています。まだ勉強も知恵も足りませんが、実はロックらと異なり、心や精神、神といったものを見届けたいといったクチです。 デカルトの神存在証明は、その茶目っ気ぶり(こう言ったら失礼?)が大好きです。 今回の質問の参考になっているものは「自閉症の症状群」他「精神病理」と、「ゲーデルの不完全性定理」、「量子力学」などです。 いずれの研究はどれも「自己」に対しての示唆を与えています。特に数理では「自己無矛盾性」など「自己」というものの論理的なありかたについて非常に深いテーマを与えます。ですがここでそれを問題にするつもりは有りません。 質問のタイトルがまさに「デカルトへの挑戦状」てな感じで誤解を招きやすいのですが、目を引きやすい題にしようという姑息な動機がいけなかったのでしょうね。 要するに「自己」や「意識」が形而上学的な問題かどうかを扱いたいのです。 kayako2さんは私よりも断然詳しそうですね。宜しくお願いします。

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