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仏教の難解さ

実在した釈尊が始めた仏教なのに、法華経などは後の人の創作で あると断言する人がいるし、逆に釈尊しか思いつかない事が記さ れているから創作ではないと断言する人もいるのですが、事実は 学術的に明らかになってないのでしょうか。 考古学などは先に進むにつれて過去のことが明らかになってくる ように思いますが、どちらかの言い分が嘘を言っているのに何故 はっきりしないのでしょうか。 教えてください

質問者が選んだベストアンサー

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noname#50219
noname#50219
回答No.6

仏教には枠がないから、理解しようとすると難しいのでしょう。 破門で始まる仏の道ですから、今なお仏教と言われるのは宗教組織や学術研究の組織の事であり、仏教を理解するならば、そういった組織を理解することになると私は考えます。 どれが釈迦の直伝か?真実は如何と、砕けちりぢりに海に投じられたガラス瓶の破片を、浜辺で一つ一つ集めるその所作が、人間精神の在り方を深く示唆しているように思います。

nannde-86
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました 聖書のように仏教の教典も種類が少なければと思っていました。 >どれが釈迦の直伝か?真実は如何と、砕けちりぢりに海に投じられたガラス瓶の破片を、浜辺で一つ一つ集めるその所作が、人間精神の在り方を深く示唆しているように思います。 ダイヤモンド瓶であったならとも思いました。

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  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.5

 いまどき「大乗非仏説」ですか。江戸末期から明治にかけて流行した論争ですね。  歴史学で見ると大乗経典はすべて仏(釈尊)が一代で説いたものではない、という富永仲基の論説が発端ですね。この説は仲基の意図に反して廃仏論に利用されたり、明治以降の原始仏教回帰運動の原動力になりましたね。しかし現在では、原始経典も釈尊の直説ではないことや、歴史的には大乗経典は釈尊の直説ではないにしろ、それは釈尊の教えが発展したものであるという考えが主流ですから、いまさら“大乗経典を釈尊が説いたか否か”を発言すること自体が時代遅れの発想ですね。  それと、仏教は自覚宗教(自らが悟ることを目的とする)であり、ユダヤ教やその系譜であるキリスト教・イスラムのような啓示宗教(神より示された教えを説く)ではないのですからね。

nannde-86
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました >“大乗経典を釈尊が説いたか否か”を発言すること自体が時代遅れの発想ですね。 時代の最先端の宗教の話ができればいいですね。

  • ZeroFight
  • ベストアンサー率15% (30/189)
回答No.4

〈実は創価学会の方から、具体的に釈尊は30歳から何年間は何経を説き 次に何年間は何経を説き生涯をかけて法華経とか無量義経を説くのが 仏の本懐であった。大事なことは釈尊は法華経が最大事の教典であると 釈尊が言い残した事であると力説してました。〉 この説明は、創価学会の独創ではなく、中国の天台智というお坊さんの考え出した、教相判釈という理論で、近代仏教学が確立するまでは、ずっとそう信じられてきました。 法華経は、釈迦が入滅してから、600年から700年後に、差別カーストに関係した僧侶グループによって、書かれたというのが、定説のようです。 しかし、近代的な著作権の考え方を持ち込んで、〈嘘を言っている〉と捉えるのは、違うと思います。 中世までは、東洋だけでなく、西洋でも、自分の書いた本を、過去の偉人の書いたものだと称して、発表することが、よくありました。中世や古代の人は、現代の私たちとは、本に対する考え方が違うのです。

nannde-86
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました 嘘を言っているとの発言は過激でした。反省します

noname#115004
noname#115004
回答No.3

釈尊成道30歳から方便権経を説き、72歳鷲の霊山の絶頂に法座を移し、「無量義経」「法華経」を説き、80歳涅槃の直前に涅槃経を説き、2月15日入滅されたと聞いています。 その後、漢訳され中国に渡ります。仏教は、中国より奈良時代より日本に渡り、平安時代、鎌倉時代に現在の日本仏教の基本的な確立を見ます。 各宗派には、宗祖の研鑽された、仏典や釈疏が残っています。それらを元に、協議、研鑽がなされ現在の宗派があるのではないでしょうか。 もし仮に、数々の仏典・釈疏が根拠の無い、造られた物だったとしたら、日本天台宗はおろか、そこから出ている、浄土宗、臨済宗、日蓮宗などは、まったくのでたらめ宗教と言わざるを得なくなります。 しかし、私は日本の仏教の歴史、またそこに携わった先師の数々の研鑽の事実は、全てがいい加減な物ではないと思います。少なからずや、千年近い時の流れのなかで、現在している宗派があるのですし、日本の生活文化の中にも深く係わっているのですから。 宗教は思い込みではありません。キチンとした、教儀が体系化され、修行として実践されているのです。それは、仏教だけでなく、他の宗教にも言えることです。逆に、無いものは何なのでしょうか?

nannde-86
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました >宗教は思い込みではありません。 処女懐胎とか、過去世の因果とか、○ラーの神とか 思い込みとしか考えられません。

  • QES
  • ベストアンサー率29% (758/2561)
回答No.2

釈迦が死後400年以上経って起こった大乗仏教の経典である華厳経、法華経、般若経、浄土経などは全て創作といえば言えます。 しかし仏教であれキリスト教であれ、どの宗教も教祖自身が自分の理論を文字で残しているわけでなく、教祖の説法を聞いた弟子達が後世に口で伝承していったものです。 教祖の言った言葉の真意は教祖にしかわからないため、弟子や後世の人間によってその解釈が異なるのは仕方が無いことです。 日本でも昔は余り評価されなかったりむしろ悪く言われていた歴史上の人物が、数百年経って業績が見直され脚光を浴びる例がありますが、時代によってまた見る人によって解釈が違っても、どちらかが間違っているとはいえません。 直系の弟子の流れをひく人々の解釈に異を唱えて起こった大乗仏教運動の中で、釈尊の教えを見直し新たに解釈しいろんな角度からまとめられたものと考えればいいと思います。

nannde-86
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました >教えを見直し新たに解釈しいろんな角度からまとめられたもの なるほど、そういう考え方があるのですね。 今後何百年先には新たな見直しもあり得る事なのかなと思いました。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

ほんとうに釈尊が語った言葉というのはいまではわかりません。初期仏教では釈尊の言葉はあまりにも尊く言葉にはできないという考え方で文書に記録されずに口伝えでつたえられてきたからです。 ただ、大乗仏教の経典についてはすくなくとも直接釈尊が説いたないようではないことは間違いありませんが、釈尊の考え方を発展させればこういう考え方になるという意味ではまったくのうそっぱちだとは言いかねますが。

nannde-86
質問者

お礼

回答ありがとうございます 大乗仏教の教典は直接釈尊が説いてないのは間違いないとのお教えに やはりそうなんだと思いました 実は創価学会の方から、具体的に釈尊は30歳から何年間は何経を説き 次に何年間は何経を説き生涯をかけて法華経とか無量義経を説くのが 仏の本懐であった。大事なことは釈尊は法華経が最大事の教典であると 釈尊が言い残した事であると力説してました。 ぼくは仏教に詳しくありませんが、釈尊存命の時と法華経などが出た時の 時間の差があまりにも大きいので疑問に思っていました。 宗教は思い込みなのは仕方ないにしても、思い込みをもって史実を曲げる ことは、嘘をつくことになると考えます。

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