- ベストアンサー
木曽義仲は本当に狼藉を働きましたか?
歴史の時間に、木曽義仲は田舎者だったので京都で狼藉を働きみんなから嫌われ、朝廷から追討令を出されたと習いました。 しかし日本の歴史上そんなばかげたことで追われた征服者はいません。 組織的なひどい略奪行為をしたのでしょうか? それとも後世のこじつけでしょうか? また木曽義仲という人物はどういう人柄だったのでしょうか? 暴れん坊のイメージがありますが。 よろしくお願いします。
- yoshinobu_09
- お礼率10% (1414/13346)
- 歴史
- 回答数2
- ありがとう数1
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
木曽義仲は敗者のがわですからどうしても分が悪く、悪役にされてしまうことなりますが、配下の兵士たちが略奪や乱暴狼藉を働いたのは間違いないでしょう。 ただ、これは木曽義仲だけではなく地方から都に来た部隊はよほど準備ができていて統制が取れていないと略奪や乱暴狼藉を働くのはあたりまえでした。 特に木曽義仲の部隊は彼の直接の支配下にある部隊はごくわずかで、あとは勝ち戦に乗じて一旗あげようと参加してきた者たちだったので統制も取れず、もちろん補給もなく略奪せざるを得ませんでした。 このため、一度負けてしまうとあっというまに部隊も崩壊してしまったのです。 追討令は、木曽義仲が政治家としては未熟で、狐と狸のばかしあいがわからず、後白河法皇にうまく利用されて、他に利用できる人間ができた(頼朝)ということでもういらないと捨てられたということですね。
その他の回答 (1)
- shigotohima
- ベストアンサー率27% (47/173)
狼藉は事実と思います。ただし軍隊の都会での狼藉は古今東西どこでもあることですから義仲軍が特別だったとは思えません。 義仲軍の狼藉がクローズアップされるのは 1)田舎者で貴族社会のマナーを知らなかった 2)義仲追討を正当化するため誇張された 3)義仲軍が短期間で壊滅したので後日の抗弁ができなかった 4)平氏、頼朝、後白河のすべてを敵にしたため彼らにとっても義仲が悪役であることが都合がよかった ことによると思います。(2)は現代の戦争でも共通して見られる現象ですね。堺屋太一の「鬼と人と」に義仲の軍隊と信長の軍隊の相違が簡単に述べられています。
関連するQ&A
- もし、アーティストの知名度を歴史人物にたとえるなら
もし、アーティストの知名度を歴史人物にたとえるなら、 歴史人物で最も知名度が高いとされる織田信長ですが、この人物に置き換えられることのできるアーティストは、10代であれば、YOASOBIだと思われます。年配の方だとサザンオールスターズになりますが。 そうなった場合、 ずとまよは、木曽義仲ぐらいの知名度しかないのでしょうか。
- ベストアンサー
- 国内アーティスト
- 長野県人の疑問!この動画の人物誰ですか?
信濃の国っ娘sakuです! こんな動画を発見しましたが、 冒頭のあたりに出てくる歴史上の人物の絵。 これは誰を描いた絵ですか? 信濃の国だからおそらく… 木曽義仲? 武田信玄? 真田幸村? その他? 教科書では見たことありません。 わかる方がいたら教えてください。 それから後半近くに現れるゲームキャラ? これもなんというゲームの何ていうキャラですか? 信濃の国と関係あるんですか? どなたか教えてください。
- 締切済み
- 歴史
- 芭蕉はどうして木曽義仲の墓の隣に葬られるのを望んだのですか?
松尾芭蕉の墓は、木曽義仲の墓の隣にあります。 これは本人の希望だそうですが、 芭蕉はどうして木曽義仲の墓の隣に葬られることを望んだのでしょうか? 時代も生き方も全く違う両者ですので不思議です。 また木曽義仲はさほど尊敬されている人物でもありません。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 文学・古典