• 締切済み

「する」と「やる」の違い

gamasanの回答

  • gamasan
  • ベストアンサー率19% (602/3160)
回答No.2

辞書では http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=10062800&p=%A4%B9%A4%EB&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1 http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=18624400&p=%A4%E4%A4%EB&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1 用法の一部がかぶっていますね確かに する ある事・動作・行為などを行う。意図的にその物事・行為を行う場合から、ある状態や結果になるような動作・行為を行う場合、結果としてある事を行ってしまったり望まないのにそうなったりする場合など、いろいろに用いられる。 やる 漢字からもわかるように 向かわせるという意味あいが 強いみたいですね 宿題をする 宿題をやる こう書いたら意味は同じでしょうが 場合によってどちらかしかない場合もありますよね する の行動を表す用例のなかでも 。「運転をする」「仕事をする」「いたずらをする」「道路を広くする」「負担を軽くする」「女らしくする」「大損をする」「やけどをする」「下痢をする」 状態を表すようなものには「やる」に変えるとおかしいです 道路を広くやる 大損をやる やけどをやる 下痢をやる とは普通言わないですもんね

aknassoiurnij
質問者

お礼

>状態を表すようなものには「やる」に変えるとおかしいです なるほど~ 「する」と「やる」の決定的な違いが分かりました♪ 状態を表す場合は「する」ですね。 回答どうもありがとうございました。

関連するQ&A

  • 談話を用いて能動・受動の違い

    能動と受動の違いを談話を用いて説明しろといわれたのですが「談話を用いて」とはどういうことでしょう??少し専門的な事かもしれませんが、分かる方がいたらよろしくお願いします!

  • 単語一語の持つ性質の違いによる分類

    無学で説明しづらいのですが、例えば「破壊」の一語は、単に「壊れる」という意味ではなく他に働きかける能動的な意味がありますよね。「変化として壊れる」という意味で使って「肩が破壊しそう」とは言わない。 一方で、例えば「全快」の一語は、それ自体の自発的な変化の意味合いがある。「医者のあなたに彼の全快をお願いしたい」とは言わない。 こういう風に、単語の意味における能動・自然変化・受動の違いを分類する考え方や用語はありますか? 「~が破壊しそう」などの間違いを指摘する際に、うまく説明できなくて困っています。

  • 同じような意味の漢字を組み合わせるはなぜ?

    なぜ同じような意味の漢字を組み合わせるのでしょうか? 創造、表現、変換、法則、などがそうですよね。 例えば、思考であれば、思うと考えるは別の言葉なので、 二つをくっつけると別の意味になるように思えます。 これは一文字よりも使い勝手がいいという理由の他に意味があるのでしょうか? ちょっと意味が離れているものだと、教育、信仰、学習などがありますが、 この場合、「教える+育てる」「信じる+仰ぐ」「学ぶ+習う」 で情報が付け足されているようです。 もし漢字の熟語に規則性があるようでしたら、教えてください。 例えば、一方が受動的な意味に、もう一方が能動的な意味になっているということがあるのでしょうか?

  • suit と suited の違い

    皆さん。 辞書で調べてみると suit   ~に適する suited ~ふさわしい 、適した。 と書かれています。能動態、受動態の意味が、ほとんど同じというのは、この単語だけではないでしょうか?さて、suitとsuitedの使い分けの仕方をどなたか、教えていただけないでしょうか?また、なぜ、能と受 同じような意味になってしまったのか、ご存知の方も、ご回答願います。よろしくお願いいたします。

  • 文の意味

    ある経験を踏まえた上でこの事は学ぶべきだと実感しました。 この(学ぶべきだと)は受動の姿勢になっているようにきこえますか?それとも能動的ですか? それとも全く別の感じにきこえますか? 自分は能動の意味で使いたいのですが合っていますか?合っていない場合、意味に合う言葉を教えてください。

  • 受動詞を使った文は、なぜ受動態と呼ばれないのか。

    受動態とは、能動態文の目的語が主語になり、元の主語が助詞「に」などで表される表現だと思います。 (1) 先生が生徒を教える。(能動態文) (2) 生徒が先生に教えられる。(受動態文) ところが、同じように目的語が主語になり、元の主語が「に」などで表される文章でも受動詞による場合は受動態とは呼ばれません。 (1) 先生が生徒を教える。(能動態文) (3) 生徒が先生に教わる。(受動詞による能動態文) 「受身動詞」(教えられる)と「受動詞」(教わる)の違いがなぜ、構文が同じなのに受動態文と能動態文の違いになるのでしょうか。それとも、受動態とは助動詞「られる」によって、目的語が主語になる場合をいうのでしょうか。この場合は、受身動詞の「教えられる」は受動詞の「教わる」とは違って、一つの動詞ではなく、動詞に助動詞「られる」が後置していると考えられます。つまり、「られる」は接尾辞ではなく、あくまでも助動詞として機能していると考えられます。 日本語文法などでは、「られる」を接尾辞とする考え方があります。しかしながら、「られる」は新しい単語を形成する接尾辞ではなく、あくまで助動詞として機能していると思います。

  • ★(으)라고 했어요?

    先生方、どうぞよろしくお願いします。 ★(으)라고 했어요の使い方について 間接話法の命令形で、今使っている参考書には、次のような例文があります: 夫が買いなさいと言いました(사라고 했어요) 新聞を読むよう言われました(읽으라고 했어요) 質問1)2つの文を見ると、 했어요が能動にも受動にも訳されています。主語がある場合は、能動【夫が・・・・言った】で、主語がない場合は受動【言われた】の理解でいいでしょうか? 質問2)言わずもがな、で主語が省略される場合があります。その場合、文章上は主語がなくても文脈上主語が特定できる場合は、能動・受動で訳出に困る場合がありませんか? 質問3)新聞を読むよう、A君が言われました、と受動のまま主語を置きたい場合、どのような表現になりますか? 毎度の細かい質問ですみません。 回答ください。

  • "what happened"と"what's happened"の違い

    以下の文章について質問します。 ======================================= (A) I don't know what happened. (B) I don't know what's happened. ======================================= (A)(B)どちらの表現も使われることがあるようですが、その意味の違いを考えた場合、 (A)は、Whatが主語の能動態なので、「何(What=主語)が起きたか、起こした原因のぬし(主語)を私は知らない」 (B)は、受動態なので「(誰かによって)何(What=目的語)が引き起こされたのか、起った結果の方(目的語)を私は知らない」 というような意味の違いとして解釈すればよろしいでしょうか? それとも、happenは本来自動詞にだけしかなり得ないので、"be happened"は誤った言い方なのでしょうか? つまり、(B)の言い方は正しくない表現と考えるべきですか?

  • 能動態&受動態について

    こんにちは。 能動態の『能』と、受動態の『受』って、どういう意味があるのですか? どうもシックリこなくて・・・ どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら回答お願いいたします。

  • SとM

    カテゴリ違いだったら申し訳ありません。 「自分はSだ」「あの子はMだ」などと言いますが、 自分にされるよりしたい(能動的に尽くす)のがS、 自分がするよりされたい(受動的に尽くされる)のがM、 って認識で合ってますか? 高圧的にあれこれ命令して、自分の為に何かされる事を要求するタイプの人は 一見Sっぽいけど受動的なので実はMですか? それに従う人がいたとしたら、一見Mのようでも能動的に尽くす側なのでSですか? SとMの定義がよくわからないので、質問立てさせて頂きました。 ご回答頂けると嬉しいです。 宜しくお願いします。