• 締切済み

現代科学について

現代科学はその表現形態として日常言語でわなく数学を使っているのは何故か?また、それは科学に対してどういったプラスをあたえているか? あと、科学的探究の立場と日常の世界における生の立場とでは、そこで追及されるもの、観測のあり方、事象の規律様式とでは同じではない。その違いをまとめて説明せよ。

  • 科学
  • 回答数5
  • ありがとう数3

みんなの回答

  • rei00
  • ベストアンサー率50% (1133/2260)
回答No.5

  何のレポ-トでしょうか。表現は問題ですが,motsuan さんの ANo.#1 の回答も一理あると思います。レポ-トはご自分の意見が1番大事です。 ところで,「現代科学はその表現形態として日常言語でわなく数学を使っているのは何故か?」とありますが,果たして「現代科学」が「表現形態として数学を使っている」のでしょうか。私にはそうは思えません。 簡単に「現代科学」とおっしゃっていますが,中には「社会学」,「文化人類学」,「民俗学」,「心理学」,「言語学」,・・・と,「表現形態として日常言語」を使っているものも多数あります。 確かに,「物理学」などの様に数学を使う分野もあります。しかし,これらは「現象の解析手法(手段)として数学を使っている」のであって,「得られた結果やその意味するところを表現するには日常言語を使って」います。程度の差こそあれ,これは「数学」でも同じだと思います。 この様に,あなたの考えをハッキリ示せばレポ-トになりますよ。いかがですか。  

  • motsuan
  • ベストアンサー率40% (54/135)
回答No.4

どうも酔っ払っていたようで あちこちに謝ってあるいています。 とりあえずここでもお詫び致します。 通常の言語もそうだと思うのですが、 演繹性があって、既知のことから未知のこと (知ってる知らないは人間によるので言語体系としては トートロジーである場合もあるでしょうが) を導く場合にその言語の性質をつかって事象を記述し演繹します。 数学の場合は余分な事柄を排除して言及できる範囲で (従って余分な事柄と必要な事柄を分離できないことに関しては言及できない) 無矛盾な系を構成しているために、 ・普遍性のある性質を記述できる ・演繹を重ねていっても論理的に破綻しない結論を導くことができる ことが大きいと思います。 こういうと自然現象は論理的であるといっているように見えますが そうではなく私たちの理解の様式が論理的であるために 自然現象を論理的にしか把握できないのだと思います。 (論理的でない場合の把握の場合もあると思いますが、  そういう場合は思うとか感じるといっている場合が多いと思います。) したがって、論理的に破綻していることが起きれば 私たちの認識のありようを変える、 現象に記述の仕方を変えるしかないのだと思います。 (だいぶ本論からはなれました) 日常生活との科学的な現象の観測と記述(?)様式の違いは 日常生活を科学的に記述してみればよろしいのではないでしょうか (日記を書くとか)? 少なくとも上記のように現象を捨像して、 限定的に事柄記述するでしょう。 全体を言及したい場合は、それらの複合的な事象として、 個別の事柄の間に「関係」なるものを設けて 記述するのではないでしょうか? それは普通、「数学」と呼ばれているのでは? 以上です。

  • brogie
  • ベストアンサー率33% (131/392)
回答No.3

あの有名なファラデーは数学を知らなかったようです?そのためにからが書いたものには数学は使用されていません。しかし、彼が書いたものは非常に数学的だそうです。もし、彼が数学を知っていたら、数ページに書かれた文章は1行で済んだかもしれません。  電磁気学に、マックスウェルlの方程式があります。クーロンの法則やアンペールの法則などを数学的にまとめたものです。しかし、このマックスウェルの方程式を解くと電場や磁場が波動を持つことが解りました。いわゆる、電磁波の存在です。もし、数学でまとめなかったら、このような導きは出来なかったでしょう。  数学を使うと、予想がたて易くなります。 アインシュタインも、数学者に教えて貰った微分幾何学により一般相対性理論を完成したという話を聞いたことがあります。数学者で有名な矢野健太郎先生は微分幾何学の専門家です、そのためか知りませんが、相対論の論文が沢山あります。 レポートでしたら余り参考にはなりませんネ?

noname#1499
noname#1499
回答No.2

観測と事象の規律様式うんぬんはわからないので、はじめの方を少々。 >現代科学はその表現形態として日常言語でわなく数学を使っているのは何故か? 単純だからです。 >また、それは科学に対してどういったプラスをあたえているか? 論文や教科書にさくページ数や印刷代金が明らかに減ります。買いやすいものは浸透しやすい。など

  • motsuan
  • ベストアンサー率40% (54/135)
回答No.1

露骨なレポートの問題のようですがアドバイスです。 数学を使っているのは何故か? 数学の特質はなにかと聞いているのと同じだと思います。 レポートの内容についてはどうでもいいと思うのですが、 ものごとを考えるための方法論を自分でもっていないのは まずいと思います。 科学的探究の立場と日常の世界における生の立場の違いについては 日常の世界における生の立場はあなた自身の立場ですので 他の誰にも答えられないはずです。 もっと言えば教えて!Gooで訊いてレポートを書いても 実際問題として「全く問題ない」と思いますが 科学的探究の立場としては「全く意味が無い」と思います。 「全く意味が無い」学生生活にならないよう張ってください。 以上、勘違甚だしいということを期待しつつ。

関連するQ&A

  • 「科学」ってなに?・・

    化学とか数学、物理学とかいう範囲はまだ明確な範囲があるきがします。 で・・「科学」ってなんですか??? 僕の思う「科学」は ・「自然の事象を観測し」「分析し」「理由付け」「予測する」手法のことだと思っています。 本当の定義もあるとは思いますが、 あなたの思う「科学」ってなに?ってことで募集。

  • 数学的な歌詞、科学的な歌詞のある曲を探しています。

    数学的な歌詞、科学的な歌詞のある曲を探しています。 厳密に数学的なものでなくても、それっぽい雰囲気さえあればかまいません。 イメージ的には、  『スカイクラッドの観測者』  『COZMIC TRAVEL』  『科学者偉人伝~みんな初めは~』  『シュレディンガー音頭』 のようなものを探しています。 ジャンルや歌いやすさや言語は問いません。 もしそのような曲を知っていましたら、教えていただけませんか?

  • 現代哲学者たちは、ウィトゲンシュタインの私的言語批判をどのようにとらえているのでしょうか

    先日、ウィトゲンシュタインの「哲学探究」とその研究書を読み、深い感銘を受けました。中でも私的言語批判が興味深かったです。 それを読んでいると、最近の脳科学で取り上げられるクオリアが思い浮かばれました。現代の哲学者、科学者たちは、しきりに意識を科学的に描写する用語として、クオリアという用語を取り上げます。しかし、ウィトゲンシュタインからすれば、クオリアという概念は、科学用語と心理学用語の使用範囲の混同によってうまれた、誤解の産物ということになってしまいます。 現代の哲学者たちは、この批判をすでに乗り越えているのでしょうか。それとも、無視しているのでしょうか。ご回答お待ちしています。

  • 現代音楽(クラシック)の魅力とは?

    現代音楽(クラシック)の曲はなぜか無調性のものが多く、聴いたり演奏している時に、気分が良くなるというよりは混沌・殺伐とした乾いた心の空気を受け取ってしまう傾向があると感じてしまいます。  こういった音楽を作曲している人は、なぜにこの様な曲を生み出しているのでしょうか? 爽快感、心地好さ、心の微笑みが伝わって来る感覚の音楽に興味がない人々だということなのでしょうか?  音楽本来のこの世での役割は、人々に生きる喜びを伝え、「心のプラス方向の高揚」を共有することだと自分は解釈しています。音楽にとって、様式、形式や構造は最も重要なものではないと思っています。音楽で最重要なのは、その曲から伝わって来る「心の息吹き」だと思うのです。 ですから、変拍子や無調性であっても何ら構わないのですが、その曲に接した時に、何らかの心地好さを感じられるものであって欲しい、と感じているのです。日常生活の中ではなかなか体験し得ない「心の活力・勇気が湧く空気」を世の人々に伝えるものであって欲しい、と。 現代は社会が複雑・混沌としており、精神的不快感を感じ易いというのはよく分かりますが、作曲家がその不快をそのまま表現しても、それを聴いた人も不快を思い出すだけで、世の人々が何ら人生をプラスに生きて行くのに役立たないのではないか、と思うのです。居心地の悪さ、不安定感を共有する目的なのでしょうか。 しかしながら、こういった曲が現代には多く存在しているのですから、きっと自分では想像し得ない魅力があるのではないか、とも思っています。 現代音楽ファンの方、こういった現代音楽を作曲されている方々、その価値観、魅力、音楽を通じて世の人々に伝えたいと考えている事 について、教えて下さるようお願いします。

  • 最大の自然数mが存在すると仮定した場合どうなりますか?

    すみません、以前から考えていたことがありますので、数学の専門家でお詳しい方がいらしたら教えてください。 数学の自然数の公理で、「どんな自然数pにもその後者p+1が存在する」という公理があったと思いますが、もし、最大の自然数mが存在する、という公理のもとに数学を展開させた場合、どの程度の支障が出ますか? たとえば、われわれの日常生活を送る上ではまったく支障がなく、純粋数学でやっと支障が出る程度のものなのか、それとも根本的に論理展開が進まないような世界になってしまうのでしょうか?(純粋数学で、という意味ではなくてわれわれの現代の日常生活や科学レベルで、の話です。) たとえば最大の自然数mが存在するとするとあらゆる計算が不可能になってきますが、それはわれわれの生活を脅かすほどの問題でしょうか? ちょっと言っていることが意味不明かもしれませんが……(笑)分かる方がいましたらお教えください。

  • 数学教育の実態についての疑問

    なぜ数学教育で論理的思考力というのが世の中の学校教育で蔓延しているのか?論理的思考力とは言語の記述力をもって得られるもので、数式を記述する力では得られないものだと思います。そもそも、数学は古代の歴史で、測量目的や数量計算目的の実用性に重きを置いていたと思います。それが何故か、現代の教育では数学で論理的思考力、数学的思考力といった非実用性に重きが置かれ、意味が分からない論理展開で、教授されています。なぜ、古代の歴史から数学は実用学問とされていたのに、どんどん変な方向に教育では数学が論理的思考力を身につけるといった、非実用性の方向に歪んでしまったのか?その弊害で、数学と物理の融合もされない教育で、工学へのステップアップがしにくい教育形態に変形しているように思います。皆さんはどのように思いますか?

  • 現代科学で・・

    今、アポロ11号の映画を見終わったところです。確かに人類は月に降り立ったのに今では本当に映画の中の世界なんだなぁーと感じました。30年以上前の科学の最先端で月にまで行くことができたんですよねー。そこでフット疑問が湧いたのですが、今の科学技術では実際人類は宇宙のどこまで行くことが可能なのでしょうか?地球に戻ることを想定しなければ、太陽系の外に出ることも出来るのですかね。

  • 金融数学の理解の仕方が今ひとつわかりません。

     学校時代、数学がものすごく苦手でした。唯一まともにできたのは、三角形の合同証明くらいでした。  それに対して、語学や社会科学系は、社会の事象が具体的にイメージされるので頭が動くのです。どこかの中央銀行が金利を上げるというと、その中央銀行から流れ出る水道管のバルブが閉まり水が少なくなるから水の値段が高くなる、そして当該国内では水が貴重品になるので使わなくなり物価が安定するという感じで理解するのです。  いま、社会科学と数学の接点とも言うべき投資の世界に入るべく、数学を再び勉強しています。投資についてはドルコストでの毎月定額投資・分配金再投資、また金融商品の売買を行っていて年利8%くらいなのですが、より深く勉強したいと思い金融数学を勉強しています。  最近やっと、利息の複利計算や、その逆の一定利率を期間内に実現するためには一年間でどのくらいの収益が必要かといった、分数乗の考え方を理解することができました。超低レベルですが、この勉強が金融をより理解できるよすがとなると思うと、うれしくなります。  MBAをとったりするレベルではなく、ただ日常の投資効率を上げるための道楽のようなものなのですが、あえてそういう数学をマスターするにはどうすれば良いか、教えていただければうれしいです。

  • 数学の解答を教えてください(>人<;)

    数学の解答を教えてください(>人<;) https://www.thu.ac.jp/exam/guidance/past_exam.html このURLは東京の某私立高校の問題が乗っているページです(大学名は中に入ればわかりますが、ここで名前をあげて問題になると困るもで伏せさせていただきます) この大学の 「現代ライフ学部、健康メディカル学部(臨床心理学科、言語聴覚学科、医療科学科)、 地域医療学部(医療スポーツ学科)」 と書いてあるところがあるのですが、ここの 「一般入試(1教科)」 と書かれているところの「数学」の解答をできれば全て教えてほしいです。 自分で一回やったのですが、丸つけするために使用します。

  • 早稲田文系→情報科学系大学院進学

    こんにちは。僕は現在、早稲田大学の国際教養学部に通う3年生です。現在留学中で、5月中に終了します。 留学中にコンピュータサイエンスの授業を取り、その分野に興味を持ち、その道に進みたいと思いました。将来的にも、文系に求められるコミュニケーション能力などにプラスして、専門的な技術がなにか欲しいと思いました。そこで、情報科学系の大学院に進学をしようと決意しました。ただ、文系の方が理系大学院に行く前例はあまりありません。 そこで、質問なのですが、文系学生が理系大学院に受かる可能性はあると思いますか? ・目指しているのは、来年(2012年度)の夏の院試です。 ・一年の留学を経ているので、TOEICは900点くらい取れると思います。 ・大学は数学受験で、IAIIBまでは、割とできます。 ・半年ほど授業でプログラミング(DrRacket)を勉強しました。 ・今はC言語のポインターを学習中です。 ・事務所的には、学部卒であれば、文理は問わないそうです。 ・理系の一般的な学生は、院試の対策を、早い人で3ヶ月前、遅い人で2週間前にはじめるそうです。 お忙しいとは思いますが、回答お願いします!(特に理系修士の方など)