• ベストアンサー

イエスとは人間存在として実在していた。

siyahqalamの回答

回答No.3

聖書を読まずにイエスについて語るなら、 それは全て空理空論にならざるを得ません。 キリストを信じないのはあなたの自由ですが、 本当に自分が正しいと信じているのなら、 余計な言い訳をする必要はないと思いますよ。

Flareon
質問者

お礼

いや~、ありがとう。 いやさ、キリスト教の思想というのは中二病に罹患する疫病だから、ワクチンを作成したかったんだよ。 その精神破壊効果というのは西洋の覇権で最も効果が高い兵器だった。 その歴史は今も続いている。 重大な関心事じゃないか。 この哲学カテゴリーの長い住人だから、キリスト教について語る方々にも実に尊敬できる方もいて、そういう人物の哲学的論考やイエスの話は実によかったよ。 聖書は読んだことがないけども、授業の読み聞かせ見たいなことは、要するに学ばせてはもらったし指導も受けたよ。 これが信じる信じないの話だと逃げるよ。 なぜなら、尊敬できる一部の人の話以外は、大抵の方が布教に熱心で疫病の病原体だ。 備忘録(気にしなくていいよ) 新約聖書編纂前の原始キリスト教の成立はおそらくはこう。 人が人らしく生きる事すらも、無下に蹂躙したイエスの処刑は、古代ローマとその周辺をローマの横暴として震撼させた。 そしてイエスを英雄のように祭る素朴な畏敬から、イエスの故事はユダヤ教徒以外に拡散していく。もしもそうした現象が無ければ、イエスの処刑は単なるユダヤ人弾圧だ。 そうした集団のイエスの意志の継承は「奴隷解放」「信仰心に守られた人間の謳歌」そして「反ローマ」だ。 ユダヤ人を離れて、広域の各部族社会に拡散したイエスの志は、改めて意思統一するために唯一神の概念を必要とする。 反ローマや革命的な意図のある反社会的な集団だから当然弾圧を受けるし、結束が強い半面で排他的だ。 そして治安維持対策をしたいローマの思惑と地位安定を図りたい原始キリスト教の思惑が一致して、編纂されたのが新約聖書。 それはイエスに背を向ける契約書だ。それ以降は言わば、新約キリスト教だろう。 私は単に考察してみただけだけども、イエスの処刑されたいきさつにねじれがあるという前提でそこを組み立てなおすと、人として生きたイエスの人生と、その功績というのが浮き彫りになるからだ。 キリストというのは、今のところ彼らに安寧をもたらすように寡作した、パウロキリストでないか? 私の論考は、イエスがキリストだという前提をいったん外して彼の人生を浮き彫りにしようとする検証だ。 キリスト否定と言われて、趣旨説明に聞く耳を持たない事だろう。 私は考えるんだ、彼らば集い祈る教会で、「我々の元にイエスを返してくれ」そういえばいい。 そして、イエスが彼らの元に戻ったならば、イエスはキリストだと、私も(自分の信仰ではないが)称賛しよう。 イエスが唯一のキリストで、これからキリストになるのだ。 古文書にイエスの姿からは彼を見る者は、彼の姿の背後に神の存在を感じ、成したことに他に多くの人を彼が生きたというだけで救いもしたのだろう。 それは了解している、だから偉大な人物だと承知しているよ。

Flareon
質問者

補足

いや~、 私はイエスに古代の偉人として尊敬を示して、自分なりに理解しようと努めているから、彼を信じる人みたいに心臓をえぐり取って食べることで苦しみを和らげたりしないよ。 信じている人より姿勢がマシじゃないか。 原罪の苦しみというのは禁断の果実の話以外に、新約キリスト教という過程では、ローマとの契約書にいしたためたイエスへの裏切りが、より大きな現在でないかなあ。 繰り返しイエスを処刑し続ける祈りで苦しみを和らげているのだ。 偽りの予言書の結実は最後の審判。 これはパウロの偽証が暴露された場合を仮定すると、「キリスト教崩壊」「ローマの滅亡」の二つを同時に成し遂げることだよ。 最後の審判とは、人類滅亡ではなかった。 よかった、よかった。 それも私が作成する疫病へのワクチンの効能だよ。 でも、 そのままだと、キリスト教徒さんたちに、信仰を全うしたければ集団自決白と挑発しているようなことだから、「我々の元にイエスを返してくれ」という文言を添えて結んでいるんだ。 ご安心ください。 私はキリスト教徒でないから、布教活動なんて一切しない。 哲学趣味だよ。

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