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世界は私を中心に回っている。

Nakay702の回答

  • Nakay702
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回答No.5

お礼と補足をありがとう。 ―― 写真ですか。いい趣味・裏技を持ってはりますね。(キャノンですか。いいメーカーさんだね。ボクは、カメラは「バカチョン」だけど、キャノン製プリンターで重宝してるよ。) そうそう、「カメラと写真」といえば、以前はこのサイトに時々質問に写真載せていましたね。思い出した、思い出した。それと、「以前」は、あの頃は人も画面も賑々しかったね。今は亡きブラジェロンヌさんがいたころの哲学論や、SPSさんとかlived_in_room13さんらと古典の解釈をめぐって交わした議論や共感。みんな楽しかったなあ…。(年のせいか、この頃やたら昔がなつかしいんだ。想いは、しばしば幼年時代までさかのぼる。家の前のせせらぎとそれを縁取って咲いていたマーガレットや花しょうぶのことまで。) *忘れかけていたけど、本題に少し近づけて、「天文学と宗教」の関係などについて触れておきたい。題して、「天文学と宗教」。 「天文学と宗教」 天文学で言う「始まりの特異点」に関する問題は、東西の一流の科学者たちがこぞって頭を痛めている難題である。アインシュタインの一番弟子と言われるデビッド・ボーム(理論物理学)は次のように言っている。「存在は人間の理解を超えて広がっている。我々の知っている時空は存在のごく一部である。時空は人間の生み出した秩序に過ぎない。異次元の隠された秩序があって、そこから我々の知る時空が出てくると考えられる。これすなわち、現代科学を超えた領域があるということで、科学者はもはや宗教的な問いに踏み込んでいる」と。また、バチカンの教皇庁科学アカデミーでは、「(宇宙の)存在の第一原因は何か」について、超一流の学者を集めて情報を収集していると聞く。「宗教の真理を科学に持ち込んではならない。でないと、科学は空想になる。また、科学の真理を宗教に持ち込んではならない。でないと、宗教は異端になる。」と言ったニュートンの言葉以来、科学と宗教は互いに住み分けをしてきた。ところが、今や科学が、実験したり証明したりできる範囲を超えて、哲学の世界に踏み込んできたので、科学と宗教の境界線が不十分になったのだと言われる。 さて、ボームの「科学はもはや宗教的な問いに踏み込んでいる」とするのが妥当な見方かどうかは、意見の分かれるところではないだろうか。確かに、「科学の力で認識できるものには限界がある」ということに、最先端の現代科学が気づかされ、当惑さえしていることは事実であろう。しかし、それだからといって、科学が宗教的な問いに「踏み込んでいる」とは限らないだろうし、「踏み込んではならない」というか、「踏み込むべきではない」のかも知れない。なぜならそれは、そこへ踏み込むということは、いわば「不可知論」に陥ることを意味し、「神に救いを求める」手法と大差がないことになるからである。方法の再検討、発想の転換、所説の比較やすり合わせ、学際的研究、観察機器等の精緻化などなど…、神に頼る前に、人間科学が試みることのできる事柄は、まだまだあるはずである。 教皇庁の「アカデミックな振舞が、科学と宗教の境界線が不分明になったことによる」とするのも奇妙な解釈のように思える。二つの事柄 ―科学者が宗教的な問いに足を踏み入れかかっていることと、教皇庁科学アカデミーが「存在の第一原因は何か」について超一流の学者を集めて情報を収集し始めたこと― との間には何らかの関係はあるかも知れないが、それだけに留まらないような「モヤモヤがある」ように思えてならない。科学が宗教に近づくのは、おそらく先端を行く者の感じる「行き詰まり」を打開するためであろう。では、宗教から科学へ近づくのは何のためか。教皇庁みずから、とりわけ「存在の第一原因は何か」についてのみ積極的に情報を得ようと努めるのは、そこに何らかの仔細が関わるからではないのか。つまりそれは、科学と宗教の探求する真理が同一であるという、いわば「共同研究」の一端を担わんがための営為などではなく、むしろ、科学によって《「宇宙の創造=神の御業」という図式が崩されたときの予防的準備作業にとりかかっている》ことを示しているように見える。そのときには、神の台座をもっと遠くへ移設し直さなければならなくなるからであろう、とも推測される。 以上述べたことをまとめると、個人レベルのお家事情は別として、現在のところ、科学そのものが宗教的な問いに足を踏み入れ「かかっている」とは言えても、すでに踏み込んでいるわけではないし、踏み込んではならないかも知れないし、その必要もない。また、たとえ科学と宗教の追求する真理に共通するところがあるとしても、それは共通目的を目指して協力し合うためというよりは、むしろ相手の到達点を確認し、参照し、利用するためであり、個々の立場の前進やレゾンデートルの維持のためであろう。その意味で、現代の科学と宗教は、互いに利用し合いまた互いに張り合う、《外面如共生、内面如敵軍》関係のように思えてならない。

Flareon
質問者

お礼

この話がこんなに盛り上がるとは思わなかったよ。 夜空の星々と言えば、くっきり見えた子供時代は、畏怖と憧憬を感じた気もするなあ。 そういう気持ちというのは、知っていることが増えただけでは失わないだろうさ。 まあ、神秘を象徴するような働きがあるね。

Flareon
質問者

補足

NO8番に何の返答もしなかったので、ここに代わりに書くよ。 科学的な神がかりに関して説明してくれたけども、私なりの言い方で、「観念世界というのは、現在、過去、未来という時間軸がその場に立つ刹那に同時に存在している。特に手に取れる未来記憶をその場で創造して、可能な限りそれを忠実に地上に持ち込むのが予言能力だ」こう言う形容がある。 これが何を意味するかというと、地上には時間が無いとか、時間の流れが単純化されているという意味ではないんだ。人間には時空などについて、そもそも正しく認識する知性にまで到達していないと了解したほうが正解なのだろう。 したがって、天空を仰ぐだけでなく、人類がさらに成長したならば、目に見えている今の世界の景色さえも現代人とは違う認識になるという事だよ。 そのカギになるのは、各個人が内包する自我存在以外の資質であり、要するに超自我の働きであり、私の場合は世麗美だよ。 その資質によって科学者も神がかりな着想をするのだろう。 それって資質のない人には、「何言っているのかさっぱりわからない」とか「いかなる思考回路なのか一切不明」とか言われるんだ。 私は直観を可能な限り先鋭化と顕在化をするという課題を掲げているけども、あまりにも原型に近い生々しい直観の発露とは、実は「名状しがたい何か」でもあるんだ。したがって言葉として形に整えるには徹底した長考を繰り返さないとむやみにテキスト化できない。 そして普段の対話の中で、とっさに直観的なことを口にすると「日本語を利用して話してはいるが、日本語として成立していない」と、おおむねそんな薄気味悪いこともやらかしてしまうんだ。 これに関することに、「地上の条理は常に天界が司る」という言い回しがあって、要するに天界とは人と接点のある観念世界なのだが、新たにもたらされる英知の成果で人類がさらに成長しても、まだその先にも新たな英知をもたらす準備を続けるんだ。 そしてそうした天界で、天界そのものの条理を司るのが神格免許保持者だ。 自称実在する妖精と自称本物の宇宙人というのはライバル意識があるから、世麗美の魔法学校でもUFO研究部会というのを立ち上げて、主に観測手法などとかかわる検証手法についてだが、ライバルにふさわしい独自の成果を上げたことがあるけども、人間である私とは関連性が薄いので、その英知を成果として地上で受け取る人物とは、私以外だ。

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