• ベストアンサー

可能動詞、可能形について

?読めたい、泳げたい、ピアノが弾けたい 〇読めるようになりたい、泳げるようになりたい、弾けるようになりたい 「読めたい、泳げたい」などの言い方は正しいのでしょうか。 とても違和感があります。可能動詞は状態を表すと思いますが、「読める状態になりたい(能力が)」外国人に説明したいのでが、よくわかりません。 どなかた、ご教授いただけないでしょうか。 よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.2

希望を表す助動詞「たい」は、主に<動作・作用動詞>について主体自身の願望や欲求などの感情を表す働きがあります。 ですから、次のような動作性動詞にはそのまま使えます。 私は本を読みたい。 私は海で泳ぎたい。 私はピアノを弾きたい。 ところがこのような動作性ではなく、あくまでも可能態での表現の場合は、次のように状態を表す「~ようになりたい」「~ようでありたい」「~ようにしたい」などの条件を加えたやや長い言い方になります。 私は本が読めるようになりたい。 私は海で泳げるようになりたい。 私はピアノが弾けるようになりたい。

mochimochi0501
質問者

お礼

kine-ore様 詳しく、ご回答いただきありがとうございました。 文法の接続について明確に教えてくださったので、 外国人にも簡単に説明できそうです! とても勉強になりました。 この度は、ご回答にお時間をいただき、本当にありがとうございました<m(__)m>

その他の回答 (1)

  • kon555
  • ベストアンサー率52% (1752/3361)
回答No.1

「読めたい、泳げたい」というような言い方は明確に誤りです。違和感ではなく、文章として正しくありません。  文法的に云々は別にしても、極めてわかりにくいので使うべきではないですね。  そもそも可能動詞とは、「◯◯出来る」という、可能の意味を持つ動詞です。  ただこの『出来る、可能である』には、能力と環境の2種の要素があります。  つまり『泳げる』ためには、泳ぎの能力と、プールなどの環境が揃っている必要があります。  逆説的に「◯◯したい」という希望や要望がある時には、このどちらか、あるいは両方が欠けているわけです。  そして「◯◯したい」は「能力はOK、環境がNG」という意味になります。 「(本などを)読みたい」「(プールで)泳ぎたい」などです。  一方で能力の不足を「読めたい」「泳げたい」と表現すると、一文字しか違わない上に『め/み』『げ/ぎ』という極めて近い音での差異になり、文章でも口頭でも勘違いしやすくなります。  よって、日本語として正しいかではなく、実用上の観点から使用すべきではありません。

mochimochi0501
質問者

お礼

kon555様 詳しくご回答いただき、本当にありがとうございました。 とても分かりやすい内容で、特に《◯◯したい」という希望や要望がある時には、このどちらか、あるいは両方が欠けているわけです》この説明のおかげで、理解することができました。 ご回答にお時間をいただき、本当にありがとうございました!

関連するQ&A

  • コントロールに続く動詞

    「コントロール」に続く動詞には何がありますか? 私は「する」「しない」「される」「された」など 具体的な動詞がこない方がしっくり来るのです。 「コントロールを渡す」など、具体的な動詞が 入ると違和感を感じるのはおかしいのでしょうか?

  • 助動詞「らし」の用法

    ある所で「彼岸花咲ける間(あはひ)の道を行きゆき極まれば母に逢ふらし」という短歌を見ました。思いの籠った大変いい歌と思いましたが、ただ結句の「逢ふらし」の「らし」が一般的な文法書の説明の限りでは問題ないかもしれませんが、感じとして何か違和感があります。他の推量の助動詞「む」「らむ」「べし」などなら(意味合いや調べは別として)違和感はないのですが・・。「らし」は自分自身の行動の予見として使うような場合には合わないのかなどとも思うのですが・・。それとも口語の「らしい」に引きずられた、当方の全くの誤った先入観なのでしょうか?ご教示ください。

  • 「好く」の動詞活用方法について

    外国人の友達から「好く」という動詞の活用を 「好かない/好きます/好く/好ける/好こう」で合っているかと尋ねられました。 好きます、好こうが私のなかではしっくりきません。 どう説明すればいいですか。 好くは動詞で、好きは名詞ですか。 ご存知のかたがいらっしゃいましたら、教えてください。 宜しくお願いします。

  • 一般動詞の直後にくるbe動詞について

    一般動詞の直後にくるbe動詞について 初めて質問させて頂きます。 "the visible light that we see is a small subset of the electromagnetic spectrum shown at the right." の訳として「私たちが見ている可視光は、右に示された電磁スペクトルの小さな一部分です。」とさせて頂きますが、この中で「... we see is ... shown」という文形で理解するのかな、と思うのですが、一般動詞の後にbe動詞がくるのは違和感があるのです。 もし理解しやすい説明・解釈がありましたら、お願いします。 参考URL: http://pvcdrom.pveducation.org/SUNLIGHT/POFLIGHT.HTM

  • 「状態動詞」の進行形は普通にありますか?

    次のような例文は、僕としてはあまり違和感がありませんが、正式な文法としてはどうなのでしょうか? The girl who is standing over there is my sister. 動詞standは動作動詞とは違って、ふつう進行形を作らない「状態動詞」と一般にはされていますが、上の例文での、「立っている」standの進行形は不自然なのでしょうか? お教えいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

  • 「静寂」は形容動詞(語幹)か?

    Yahoo answers で外国人の方が「せいじゃくなまち」 と表現しているのに違和感をおぼえました。 「静寂」は名詞でしかなく,「形容動詞(の語幹)」などではないから, 「静寂な町」とは言わない(と思いました)。 しかし,辞書を見ますと,「静寂」で「名・形動」とあります。 「静寂な森」「静寂な夜」と言われるとなんとなくそうかな,とも感じます。 「静寂な町」はいいんでしょうか。 「とても静寂だ」はいいんでしょうか。 そもそも,こういう形容動詞というのは名詞から拡張したように思うのですが, 「静寂」はどの程度,形容動詞として定着しているのでしょう。 最近は昔ほど使われないということはあるでしょうか。

  • 動詞、助動詞の省略について

    I would appreciate that you not call us to find out about the interview process. 上記の文がありました。 that以下のyou とnotの間にdoやwillがあれば私は違和感がないのですが、上記は正式な文章でした。doやwillなどの動詞、助動詞の省略可能なルールがあるのでしょか?教えて頂ければ幸いです。

  • 句動詞と動詞の使い分けはどうするのでしょう?

    例えば、"延期する"という意味で"put off"と"postpone"がありますが、外国人にメールをする場合には、どのような状況、場合で句動詞、動詞を使い分けるのでしょうか? これに限らず、一般的には句動詞は気さくな会話をするときに使うのかなとも思いますが、どうでしょうか? 外国人はどのように使い分けているのか疑問に思いました。

  • 「しておる」が続くと違和感が感じる動詞

     いつもお世話になっております。  「している」の謙譲語「しておる」についてお伺いします。「しておる」は「お待ちしております」や「楽しみにしております」などの文には使うと、自然なんですが、すべての動詞には適用するわけではないでしょうね。「しておる」を使うと、違和感が覚える動詞もありますね。どんな動詞は「しておる」が続くと不自然なのか、教えていただけないでしょうか。  日本語を何年間も勉強していますが、まだまだ文章がうまく書けません。質問文の中で不自然な表現がありましたら、それも併せて指摘していただければ助かります。  宜しくお願い致します。

  • 「だ」の識別-断定の助動詞、過去/完了の助動詞、形容動詞-

    中2で学習する、「だ」の識別(断定の助動詞、過去/完了の助動詞、形容動詞)についてです。 (1)曖昧だ。→形容動詞 (2)遊んだ。→過去/完了の助動詞 (3)走るのだ。→断定の助動詞 (4)鳥だ。→同 この識別を(芳しくない)中学生に説明するのに、どう言えば、図式化すれば、分かりやすいでしょうか。 今のところ、断定の助動詞の識別は、 手順1 「~な」と言えるのは形容動詞である。 (例)曖昧な      (「とても」をつけるやり方はどうも分かりづらいらしい。) 手順2 手順1で残ったモノのうち、「だ」を「です」に言い換えられるのが、      断定の助動詞である。      (例)○走るのです、鳥です ×遊んです の2段階ですよーと説明をしているのですが、ブーイングが起こります。 これが分からないのは能力の限界が原因だよね、と言いたい。 一部の撥音便またはイ音便のときに過去/完了の助動詞「た」は濁る・・・というのも分かりづらいみたいだし・・・ 「遊んだのはいつのこと?」と訊くと、「過去」と答えられる子がほとんどです。 文脈で判断できるなら、それが本来あるべき識別の仕方なのですが、この判断は、机間巡視中に寄せ寄せ問答しないと出てこない。 日本語が変わってきている、適当になってきているので、判断しづらい、というのもあるようです。 (例)私の好きな色は緑だ。    「緑な」とは言えないので、これは形容動詞ではありません。    「え~言うし!!」    ・・・となります。 よろしくお願いします。