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天皇家が渡来してくる前の古代日本

天皇家や貴族系は日本を乗っ取りに来たユダヤ系といわれ、古墳や神社にはヘブライの文化があるとネットに書いてあるが、それだと神武東征は、東にあった日本古来の王国(邪馬台国の前?後?)を滅ぼし、日本を征服したということになりますか?

みんなの回答

  • ishi_saya
  • ベストアンサー率27% (84/310)
回答No.3

多分に欧米的な考え方での推論ではないかと思います。「弱肉強食」という。その考え方では、なぜ縄文文化が八千年以上続いたのかの説明ができません。そもそも、古墳や神社にヘブライの文化があるからと言って、「日本を乗っ取りに来たユダヤ人」というのは何か根拠があるのか? そもそも古代史で言う「王朝」とか「王国」とかが、今日の人々が思っているな王朝や王国なのかどうかはかなり疑問です。

回答No.2

天皇陵の調査が禁止されてることを考えると、征服民族ではないかと勘繰ってしまいます、また、中国の南部には、新嘗祭があるようです。 北九州辺りに亡命してきて、鹿児島付近に勢力のあったはやて族との抗争から東へと移動し、途中出雲族との抗争を経て大和に移動し、卑弥呼王国を滅ぼした。まぁ、こんな風に考えてるんです。根拠ないですけどね。

  • FattyBear
  • ベストアンサー率32% (1219/3724)
回答No.1

もし、仮にその根拠が正しいとしても、はるか昔にアフリカの女性 (ミトコンドリア・イブ)から生まれた人類が世界に広まったという 学説もあることを考えると特定の人種が日本を征服したという表現は おかしいと思います。人類皆兄弟!

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