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坂本龍馬の活躍について

坂本龍馬は、薩長同盟や大政奉還には、あまり貢献しておらず別のことで活躍していたという話を聞きましたが、本当ですか?どんなことで活躍したのですか?教えて下さい。

  • 歴史
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回答No.1

【薩長同盟】  いがみあっていた両藩の仲をとりもつために龍馬が奔走し、交渉が進まない中で「西郷さん、なんとかしてくれよ」と頼んで、西郷が「分かった」と応じるような場面が登場するのは小説の世界。 しかしこれは、歴史学の視点からは完全に間違っています。 そもそも西郷はあの当時、流刑地となっていた島から薩摩に戻ったばかりで、藩の決定権など、ありませんでした。  実際には、薩摩藩の家老・小松帯刀(たてわき)が薩長同盟の締結において決定的な役割を果たしたと考えられています。 小松の部下が西郷と大久保利通でした。 【大政奉還】 龍馬が書いたとされた「船中八策」(編集部注:平和的な大政奉還論を進言するために龍馬が起草したとされ、明治政府の基本方針である「五箇条の御誓文」につながったとされていた文)は、師の勝海舟や佐久間象山(しょうざん)、あるいは横井小楠(しょうなん)から教わったことを、まとめただけの話です。 龍馬のオリジナリティーはどこにもありません。  従って、風来坊だった龍馬が幕末の日本を動かして歴史を変えたかのように考えるのは、あまりにも無理があります。 明治維新のみならず、日本の歴史全体に龍馬はたいした影響を与えていません。 『竜馬がゆく』でつくられた物語は、あくまで司馬さんの創作の世界なのです。 坂本龍馬に関していえば、本来評価されるべき部分が評価されていないと感じています。  歴史学においては、「何をしたかではなく、何をしようとしたのか」が重要です。 龍馬について、むしろ目を向けなければいけないのは、彼が持っていた可能性と目指していた未来のほうだ、と私は考えています。 歴史家・作家 加来 耕三 坂本龍馬の実像と彼が目指した世界より一部抜粋

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

その他の回答 (2)

  • sp550uz
  • ベストアンサー率50% (506/1009)
回答No.3

NHK『歴史探偵』で放送されました。「NHK+」で視聴できます。 https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/5NWP857JV7/ 再放送は4/26に予定のようです。 私はマンガやドラマで得た知識しか無いので、「え? そうなの!?」って思いました。歴史的なことなので『らしい』としか言えませんが、とても面白かったです。 往々にして、互いの長と話し合って薩長同盟を取り持ったような描き方をされていますが、「直接には貢献してなかった(同盟締結時には会ってなかった)」らしいです。情報操作的な戦略を立てて、いろいろと動いていたようです。 どんなことで活躍したのか:亀山社中とか勝海舟とか、『人脈形成と商売戦略に長けていた』ということでしょうか。

  • SORA5495
  • ベストアンサー率16% (41/245)
回答No.2

なんか幕末って全体的にいい感じ。みたいな雰囲気を作ってくれたと思います。

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