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現代文わかる人助けてください!💦

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな これは、前田 夕暮の『収穫』なのですが これの ▫この詩を読まれた時 ▫この詩を読まれた場所 ▫作者は何に感動したのか。(どんなことを思って心が動いたか) この3つが分からないです!💦 教えてくれると助かります🙏🙇‍♀️

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10555/33172)
回答No.3

>この詩を読まれた時 >この詩を読まれた場所 この二つはこの短歌を読んだだけでは分からないです。「君と結婚できる四月が待ち遠しいなあ」とはありますが「あと半年もあるなんて」みたいな言葉は一言もないので、一月かもしれないし、前年の秋かもしれないし、一年前かもしれません。 また場所についてもこの短歌には一言も「今日定食屋でご飯を食べてるときに思ったんだけどさ」みたいな言葉もないので、どこで詠んだのかも分からないです。 おそらくその問題は、文章があって「この詩を読まれた場所はどこか」という問題があったんじゃないかなと思います。 だとしたら、その問題の「以下の文を読んで質問に答えなさい」の文章の中に答えが書いてあると思います。 現代文の「以下の文を読んで質問に答えなさい」の問題って、一番簡単な科目だと思うのです。なぜなら、その文の中に答えが全部書いてあるから。 数学なんかは問題をいくら読んでもそこに答えの公式は書いてありません。でも現代文は答えが問題文の中に書いてあるんですよ。それを探せばいいだけなのです。 >作者は何に感動したのか。(どんなことを思って心が動いたか) そしてこの問題。この問題は、最も核となる部分です。この句の現代語訳を調べてください。それを読めば、どんな気持ちなのかが分かるはずです。

momomo30807
質問者

お礼

ありがとうございます!! どうしても分からなくて調べてみたのですが中々出てこなくて…💦 参考にさせていただきます!🙇‍♀️

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その他の回答 (2)

  • aeromakki
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回答No.2
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  • aeromakki
  • ベストアンサー率36% (870/2374)
回答No.1

滅茶苦茶適当に言ってます。 >木に花咲き 咲いた木は多分桜。花と言えば日本では桜がお約束。桜の樹の見えるところでしょう。 >君わが妻とならむ日の四月 君が妻となろうとしていた頃の、あの四月 >なかなか遠くもあるかな あれから、随分と時間が経ったものだ。 前田夕暮という人を知らんのですが、四月に何かあって、結婚しなかったのかもしれません。 別れたのかもしれないし、亡くなったのかもしれない。 あるいは、その頃に特別な思い出があって、それを思い出しているのかもしれないです。 つまり、結婚はしている。 が、多分、今、彼女はもう生きてはいないんじゃないかな……。 死別か引き裂かれるかして別れた人を、春が来るたびに思い出しているのでは? どんな気持ちでしょうね?

momomo30807
質問者

お礼

ありがとうございます!! 参考にさせていただきます😭🙇‍♀️

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