neil_2112 の回答履歴

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  • 仏教の「慈悲」について

    仏陀はどうやって慈悲というものが大事だと導いたのでしょうか。 彼は認識したものから論理的に答えを導くタイプの人だと思うのですが、いまいち論理の筋道がわかりません。

  • 身なりについて

    先ほど、若者が浮浪者に見られて落胆したという質問を見ました。 仏教の十戒では不塗飾香鬘、 つまり見かけを気にしてはいけないとの教えがあります。 しかし、品格は人相や身なりに出ます。 人前でそれなりの格好をすることはエチケットとして求められます。 宗教的にはこういう考え方は誤りなのでしょうか? 以前から疑問に思っていたことですが、この機会にお尋ねします。

  • 釈尊とマハーヴィーラは話した事があるんでしょうか?

    仏教の開祖の釈尊(ブッダ・ゴータマ)と、ジャイナ教の事実上の開祖のマハービーラは同時代で、さらには同じ地域に生きていたらしいですが、それならば実際に2人が会ったり、話したり、接触、遭遇、したことはあるんでしょうか?

  • 仏教の十戒について

    色々と聞きたいことがあるのですが、 大分長くなってしまったので十戒のうち、 出家したら+される5戒についてお聞きします。   出家した場合に十戒が義務づけられます。 整髪料を使うなとか、映画鑑賞をするなとか、 間食をするなとかがあります。 蓄財以外の戒律が仏への帰依とどう関係するのか分かりません。 間食も整髪も全然関係ないような気がしています。 僧侶はこうあるべきであるという見本を示しただけで、 いわゆる後付された世間体というものの気がしています。 間食をしても、映画鑑賞しても良いのではないでしょうか。 間食しないでお腹を減らしたら、煩悩にならないのでしょうか。 ご意見をお待ちしています。

  • 柄谷行人 NAM

    柄谷行人のNAM(New Associationist Movement ) とはいったいどのような運動だったのでしょうか。 作家の佐藤優さんの本には、ヴァーチャルなところで貨幣が成立すると考えて、このような運動を行ったいう内容を書いてあったのですが、(国家論、NHKブックス122ページより) どのようなことをしたのか、よくわかりません。 (ホームページをみると、一層よくわかりません。。) 2000年6月に立ち上げ、2003年1月に解散 通貨には、保証をするものがいらないのかどうか気になったのです。 調べるのが面倒であるという理由もあるので、甘えていますが、 どなたか教えていただければ嬉しいです。 ホームページより抜粋 http://nam21.sakura.ne.jp/nams/index.html 「D-3  NAMは次の三つの領域からなる。関心系、地域系、階層系。それらはそれぞれ複数の部門をユニット(単位)としてもつ。各人は、同時に、これら三領域に属する。関心系の場合、各人は複数の単位に所属してよい。各ユニットは、それぞれ自律的なアソシエーションであり、代表および事務局をもつ。これらのユニットから選ばれた代表がセンター評議会を構成する。また、そこで代表が選ばれる。代表は、どのレベルでも、互選とくじ引きによって選出される。規約改正などの重要な議題に関しては、全会員による討議と投票がなされる。(略) NAMは、プルードンが指摘したアンチノミーを踏まえて出発している。そして、このfederationにないものをNAMの「憲法」に加えている。地域系と関心系の区別、多重所属によるセミラティス型組織、くじ引き(プルードンは反対であった)、さらに、multi-LETSである。最後に、くりかえすが、NAMは対抗ガンとしての運動である。NAMの「原理」はいわば遺伝子であって、資本=ネーション=ステートというガンのなかに、対抗ガンを作り出す。したがって、NAMが組織として拡大するかどうかは重要ではない。「NAM的なもの」が対抗ガン細胞として現実に定着するかどうかだけが重要である。 NAMは、現実の社会がNAM的になったとき、消滅する。しかし、それまでは潜勢力virtualityとして存続するだろう。」

  • 人はなぜ化粧をするのか

    女は白粉などを塗って化粧をします。 男にもアデランス等のカツラをかぶって、自分をよく見せようとする人がいます。 人はなぜ化粧をするのでしょうか。

  • アマテラスとスサノヲの関係に

    やれ公民圏だの市民だのと、なんだか対立的な権力関係を読み取っちゃったみたいな見解があるようですが、古事記をいくら読んでも、優等生アマテラスに対してはスサノヲはどこまでもやんちゃな暴れん坊。全然そういう政治的な読み方はできないと思うんですが、さてどうなんでしょうか。神話研究的にはどういう解釈なんですか。教えてください。

  • 中観派の運動論

    未だ運動を開始しないものに運動はなく 既に運動を終えたものにも運動はない 現に運動しつつあるものにとって「運動」は必要ではない もし、別に「運動」があるとしたならば 運動しつつあるものが無くとも「運動」は起きるであろう 現象における変化の自発的な能動性の否定のように解釈できるこの一節は 一元論的な「空」の能動性を逆に表しているようにも取れるのですがいかがでしょうか。

  • ミシェル・フーコーの思想とドンキホーテ

    文学を専攻しているのですが、授業で「ミシェル・フーコーの思想をもとに、ドンキホーテはなぜ現代文学のはしりといわれているのか述べよ」という宿題が出されました。 (自分で調べてみて、ミシェル・フーコーの思想というのは「言葉と物」「表象」などをさしているのかと思いましたが、今ひとつよくわかりません。) ミシェル・フーコーがドンキホーテについて述べた記述など、両者に関連性があることでしたら、どんなことでも構いませんので教えていただけるとありがたいです。 よろしくお願いいたします。

  • 五戒を守ったらどうなる

    仏教には守るべき五戒というものがあるそうです。(1)不殺生戒(2)不偸盗戒(3)不邪淫戒(4)不妄語戒(5)不飲酒戒というものです。これらをしっかりと守ることでどんな社会を出現させたいと仏教は考えているのでしょうか?あるいはこれら戒めを破りつつも、そのたびに悔悟するようにせよとしておられるのでしょうか?

  • 哲学することでは、悟りの世界には到達できないか?

    哲学することでは、悟りの世界には到達できないか? 言語活動で、目に見えない世界の真実に迫ろうとする哲学。 非言語活動の、瞑想や等で心の真実に迫ろうとする座禅。 西洋で生まれた哲学。 東洋で生まれた瞑想、禅 アプローチの違う二つ。 哲学は、瞑想、禅が到達する悟りの世界には、決して到達できないのか? 主張とその理由を述べてください。  

  • 哲学することでは、悟りの世界には到達できないか?

    哲学することでは、悟りの世界には到達できないか? 言語活動で、目に見えない世界の真実に迫ろうとする哲学。 非言語活動の、瞑想や等で心の真実に迫ろうとする座禅。 西洋で生まれた哲学。 東洋で生まれた瞑想、禅 アプローチの違う二つ。 哲学は、瞑想、禅が到達する悟りの世界には、決して到達できないのか? 主張とその理由を述べてください。  

  • 鈴木大拙さんはどうして禅についての著書を書いたのか?

    鈴木大拙さんはどうして禅についての著書を書いたのか? 確か鈴木大拙さんて禅の思想を言語化した著書を書きましたよね。 でもそれって禅の思想である不立文字、教外別伝という考え方からしてみると 何か矛盾しているように感じるのです。 どうして鈴木さんは禅の思想に関する本をかいたのかお教えできないでしょうか? そのあたりの事情について書かれた本などもご紹介していただけるとうれしいです。 回答よろしくお願いします。

  • イギリス人の友人から禅に関する質問を受けました。私は禅に関する知識がほ

    イギリス人の友人から禅に関する質問を受けました。私は禅に関する知識がほとんどなく、その上現在海外駐在中のため、日本語の文献が手近になく困っております。 以下、『正法眼蔵』の禅問答の一つだそうです: Zen master Daowu visited the assembly of master Shitou. Daowu asked, "What is the fundamental meaning of Buddha-dharma?" Shitou said, "Not to attain, not to know". Daowu said, "Is there some turning point in going beyond, or not? Shitou said, "The vast sky does not hinder the white clouds from flying” 友人が知りたがっているのは、最終行の"The vast sky does not hinder the white clouds from flying" の日本語です。(もし、漢文でもわかればそちらもご教示頂きたいです。) 私自身の知識不足のため、上記内容にもおかしな箇所があるかも知れませんが、どうぞお許し下さい。 ご存じの方、どうかよろしくお願い申し上げます。

  • 阿毘達磨倶舎論の賢聖品の一節

    以下の文の読み方と意味をお教え下さい 阿毘達磨倶舎論の賢聖品から 若彼物覺彼破便無彼物應知名世俗諦如瓶被破爲碎凡時瓶覺則無衣等亦爾又若以慧析餘彼覺便無亦是世俗如水被慧析色等時水覺則無火等亦然

  • 阿毘達磨倶舎論の賢聖品の一節

    以下の文の読み方と意味をお教え下さい 阿毘達磨倶舎論の賢聖品から 若彼物覺彼破便無彼物應知名世俗諦如瓶被破爲碎凡時瓶覺則無衣等亦爾又若以慧析餘彼覺便無亦是世俗如水被慧析色等時水覺則無火等亦然

  • なぜ日本人にとってお金は下品なのか

    日本人はお金を下品だと感じる国民性のようなものがあります。 レストランの伝票は裏返しておきますし、初対面の人と年収の話をするのはあまり好ましくありません。明治時代に金銭的に成功した人々は成金と呼ばれてあまりよい印象を人々に持たれなかったようです。投資家や証券業者などにも良い印象を持たない人は少なくないです。 必要以上にお金を露骨に話題に上げたり、お金に関して詮索することは避けられます。 ではなぜ日本人にとってお金は下品なものなのでしょう。 私は日本人の古来からの平等主義によって、格差を生み出す貨幣を必要悪と認識しているのかと考えました。歴史上には、市場・貨幣は平等の敵として現れます。成功者と失敗者を生むからです。 しかし今一つ説得力に欠けるような気もします。日頃貨幣自体が不平等を生んでいることを認識することはあまりないですから。(運、才能や努力量が不平等を生んでいると考えることが多い) 皆さんはどう考えますか?またそういうことを研究しておられる方の書物などありましたら、ご紹介願います。

  • 龍樹が「中論」で説いている縁起とは、因果関係と相依相関関係のどちらなのでしょうか

    私は仏教の縁起思想に興味を持ち、さまざまな書物を読んできました。 その中で私は、龍樹の「中論」で説かれている縁起思想というのは、相依相関関係を指していると理解してきました。 ところが、縁起とは因果関係のみを説いているという学説があるというではありませんか。 私が龍樹の「中論」を読んでいる限りでは、相依相関関係を説いているとしか思えない記述があり、とても因果関係に限定できるとは思えません。 いったいどういうことなのでしょうか。私はすっかり混乱してしまいました。 どなたか仏教哲学にお詳しい方がいらっしゃれば解説よろしくお願いします。

  • 仏教用語で「ダーツバーダー」とはなんですか

    某掲示板を見ていたところ、駒大の仏教学者の松本史朗氏が「どうも自分はダーツバーダーみたいだ」とおっしゃっていたという書き込みがありました。 いったいダーツバーダーとは何のことでしょうか。これは氏の批判仏教と何か関係があるのでしょうか。ご回答お待ちしています。

  • 夏目漱石の悟り

    『漱石先生ぞなもし・続』のなかで、ある者が『先生にとって悟りとは何ですか』と問うたところ、 漱石は『彼も人なり、われも人なり』と答えたとあります。 解釈は様々でしょうが、悟りの境地には至らないが、悟った先人達もまた、人なのであるから、 自分も又いつかその境地になることも可であると言ったのではないかと私は思うのです。 が、ある本で、悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことであると 漱石が語ったのだと解釈されていたのがどうも腑に落ちません。 漱石の禅とのかかわりから考えて、明治38,9年頃の漱石が悟った人として自分を捉え、 弟子にかくかくと言うとは思えないのですが ご意見伺いたくお願い致します。