OKAT の回答履歴

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  • 平家物語のこの部分の敬語対象は?

    平家物語の 「入道相国、舞にめでたまひて、仏に心を移されけり。」 から始まる部分を勉強しています。 入道が祇王を出て行かそうとしている場面にある部分の、 「祇王とうとうまかりいでよ。」 というセリフがありますが、その時の"まかり"という言葉は誰に対する敬語ですか? 私は祇王への対象と思ったのですが、先生に教えらた答えは入道でした。 なぜですか?

  • 「口を開く」は「口をひらく」あるいは「口をあく」?

    外国人です。「口を開く」の読み方は「口をひらく」なのか、「口をあく」なのか? もし両方が正しかったら、どのような場合に「口をひらく」はもっと適当なのか、どのような場合に「口をあく」はもっと適当なのか? どうもありがとうございます。

  • なからざるべからず~その2~

    まだ閉め切ってなくて寝かしておいた質問の件で新たな側面から疑問が湧いてきました。 その元の質問は下記のものです。 http://okwave.jp/qa/q8757695.html 教えて!gooは古い質問をそのまま再開してもそのカテゴリーで活動している多くの人の目には留まらないシステムだったと思います。←間違っていたらその旨即座に指摘して下さい。間に合うようならこの質問を削除し、元の質問ページで続きを進めたいので。 ですので、新たに質問を立てるという形にしました。 まずこの質問を始めるに先立ち、元の質問ページはまだ解決していない、ということをここで明言しておきます。元のページを解決済みにしなかったのは、いろいろと事情があったからなのですが、6件くらい回答がついた時点で複雑さが増し、私の脳が拒否反応を起こしたほどなのですが、やがて理解が進み、7割方納得しました。その後もありがたいことに追加説明の回答や他の方の便乗質問で深みを増して頂いていましたが、私としては6件くらい回答を頂いた時点で一旦満足したものの、解決したわけではありませんでした。寝かしておいたと書きましたが、無理に解決済みにする必要もなかろうと放っておいたという方が正しいのかもしれません。 さて本題ですが、前ページの続きとなる新たな質問は、 「~なからざるべからず」は、ある点において「ぞっとしない」と類似の構造をとっているのではないでしょうか、ということです。 ここで、「ぞっとしない」について軽く説明書きしておきます。 この表現は、「ぞっとする」の否定表現です。「ぞっとする」には、恐怖で体が震える感じがしたり寒気を感じたりすること、美しいものに出会って身体を駆け抜けるような感動を覚えること、または文字通り寒気で体が震えること、といった意味があります。その否定表現である「ぞっとしない」の昔からの意味は、驚きがない、面白くない、あまり感心しない、いい気持ちがしない、となります。 一方、現代ではその本来の意味ではない意味、つまり「恐ろしくない」という意味で使う、または解釈する人がいるという国語問題があるとのことです。 ここでのポイントは、本来の用法は、「恐ろしい」といった意味の否定だから「恐ろしくない=平気だ」という恐ろしさの対極の意味になるのではなく、「恐ろしくない=恐ろしさはない=とりたてて何もない」というニュートラルの意味になっているという点です。 閑話休題、「~なからざるべからず」について考えてみます。 永井荷風 一夕を例に取ると、「およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。」は、世態人情の観察は細微を極むるものであってしかるべきだ、という意味です。 これを「観察細微を極むるもの」+「なからざる」+「べからず」と分解しますと、問題の 「なからざる」+「べからず」の部分は、「でないことはない」+「なんて曖昧なことではいけない」という感じの解釈が浮き上がってくるわけです。 この解釈はまだあくまで可能性であり、ですから質問を続けている次第だということに注意して下さい。 この解釈は、文脈上の実際の意味も矛盾無く説明できていますし、前ページ(qa/8757695)でkine-oreさんから提示していただいている肯定の強意表現という役割とも大枠で矛盾せずに沿っていますし、前ページのNo7-8で物議を醸している「ぞ+あり」から来た「ざり」という説の信憑性に関してもクリアされます。 再度この解釈を説明します。 「なからざる」を「でないことはない」の二重否定の意味で使うことで部分肯定とでもいいましょうか、つまり完全に肯定せずに可能性を込めたあいまいな表現にします。 そして、「べからず」でそれを否定することで、しかもベシを使った否定をすることで、部分肯定であることを否定して完全肯定へ持ち上げて強意にしている、というのが新たに出てきた解釈の仕方であり、これは私個人が仮定しているだけであり、その是非をここで問わせていただく次第であります。 よろしくお願いします。

  • 若かりし⁇

    この「若かりし」を調べると、ある辞書に 『 形容詞「若い」の連用形である「若かり」に、過去の助動詞「き」の連体形が付いた形 』 のような事が載っており、なるほど!と思いましたが 、 現代語の形容詞「若い」の連用形が「若かり」になるっておかしいですよね??

  • 現代語の意味と文法について

    「着る」「着られる」「着せられる」「着させられる」の意味について、それぞれ品詞分解して、どのような意味なのか教えて下さい。

  • なからざるべからず~その2~

    まだ閉め切ってなくて寝かしておいた質問の件で新たな側面から疑問が湧いてきました。 その元の質問は下記のものです。 http://okwave.jp/qa/q8757695.html 教えて!gooは古い質問をそのまま再開してもそのカテゴリーで活動している多くの人の目には留まらないシステムだったと思います。←間違っていたらその旨即座に指摘して下さい。間に合うようならこの質問を削除し、元の質問ページで続きを進めたいので。 ですので、新たに質問を立てるという形にしました。 まずこの質問を始めるに先立ち、元の質問ページはまだ解決していない、ということをここで明言しておきます。元のページを解決済みにしなかったのは、いろいろと事情があったからなのですが、6件くらい回答がついた時点で複雑さが増し、私の脳が拒否反応を起こしたほどなのですが、やがて理解が進み、7割方納得しました。その後もありがたいことに追加説明の回答や他の方の便乗質問で深みを増して頂いていましたが、私としては6件くらい回答を頂いた時点で一旦満足したものの、解決したわけではありませんでした。寝かしておいたと書きましたが、無理に解決済みにする必要もなかろうと放っておいたという方が正しいのかもしれません。 さて本題ですが、前ページの続きとなる新たな質問は、 「~なからざるべからず」は、ある点において「ぞっとしない」と類似の構造をとっているのではないでしょうか、ということです。 ここで、「ぞっとしない」について軽く説明書きしておきます。 この表現は、「ぞっとする」の否定表現です。「ぞっとする」には、恐怖で体が震える感じがしたり寒気を感じたりすること、美しいものに出会って身体を駆け抜けるような感動を覚えること、または文字通り寒気で体が震えること、といった意味があります。その否定表現である「ぞっとしない」の昔からの意味は、驚きがない、面白くない、あまり感心しない、いい気持ちがしない、となります。 一方、現代ではその本来の意味ではない意味、つまり「恐ろしくない」という意味で使う、または解釈する人がいるという国語問題があるとのことです。 ここでのポイントは、本来の用法は、「恐ろしい」といった意味の否定だから「恐ろしくない=平気だ」という恐ろしさの対極の意味になるのではなく、「恐ろしくない=恐ろしさはない=とりたてて何もない」というニュートラルの意味になっているという点です。 閑話休題、「~なからざるべからず」について考えてみます。 永井荷風 一夕を例に取ると、「およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。」は、世態人情の観察は細微を極むるものであってしかるべきだ、という意味です。 これを「観察細微を極むるもの」+「なからざる」+「べからず」と分解しますと、問題の 「なからざる」+「べからず」の部分は、「でないことはない」+「なんて曖昧なことではいけない」という感じの解釈が浮き上がってくるわけです。 この解釈はまだあくまで可能性であり、ですから質問を続けている次第だということに注意して下さい。 この解釈は、文脈上の実際の意味も矛盾無く説明できていますし、前ページ(qa/8757695)でkine-oreさんから提示していただいている肯定の強意表現という役割とも大枠で矛盾せずに沿っていますし、前ページのNo7-8で物議を醸している「ぞ+あり」から来た「ざり」という説の信憑性に関してもクリアされます。 再度この解釈を説明します。 「なからざる」を「でないことはない」の二重否定の意味で使うことで部分肯定とでもいいましょうか、つまり完全に肯定せずに可能性を込めたあいまいな表現にします。 そして、「べからず」でそれを否定することで、しかもベシを使った否定をすることで、部分肯定であることを否定して完全肯定へ持ち上げて強意にしている、というのが新たに出てきた解釈の仕方であり、これは私個人が仮定しているだけであり、その是非をここで問わせていただく次第であります。 よろしくお願いします。

  • なからざるべからず~その2~

    まだ閉め切ってなくて寝かしておいた質問の件で新たな側面から疑問が湧いてきました。 その元の質問は下記のものです。 http://okwave.jp/qa/q8757695.html 教えて!gooは古い質問をそのまま再開してもそのカテゴリーで活動している多くの人の目には留まらないシステムだったと思います。←間違っていたらその旨即座に指摘して下さい。間に合うようならこの質問を削除し、元の質問ページで続きを進めたいので。 ですので、新たに質問を立てるという形にしました。 まずこの質問を始めるに先立ち、元の質問ページはまだ解決していない、ということをここで明言しておきます。元のページを解決済みにしなかったのは、いろいろと事情があったからなのですが、6件くらい回答がついた時点で複雑さが増し、私の脳が拒否反応を起こしたほどなのですが、やがて理解が進み、7割方納得しました。その後もありがたいことに追加説明の回答や他の方の便乗質問で深みを増して頂いていましたが、私としては6件くらい回答を頂いた時点で一旦満足したものの、解決したわけではありませんでした。寝かしておいたと書きましたが、無理に解決済みにする必要もなかろうと放っておいたという方が正しいのかもしれません。 さて本題ですが、前ページの続きとなる新たな質問は、 「~なからざるべからず」は、ある点において「ぞっとしない」と類似の構造をとっているのではないでしょうか、ということです。 ここで、「ぞっとしない」について軽く説明書きしておきます。 この表現は、「ぞっとする」の否定表現です。「ぞっとする」には、恐怖で体が震える感じがしたり寒気を感じたりすること、美しいものに出会って身体を駆け抜けるような感動を覚えること、または文字通り寒気で体が震えること、といった意味があります。その否定表現である「ぞっとしない」の昔からの意味は、驚きがない、面白くない、あまり感心しない、いい気持ちがしない、となります。 一方、現代ではその本来の意味ではない意味、つまり「恐ろしくない」という意味で使う、または解釈する人がいるという国語問題があるとのことです。 ここでのポイントは、本来の用法は、「恐ろしい」といった意味の否定だから「恐ろしくない=平気だ」という恐ろしさの対極の意味になるのではなく、「恐ろしくない=恐ろしさはない=とりたてて何もない」というニュートラルの意味になっているという点です。 閑話休題、「~なからざるべからず」について考えてみます。 永井荷風 一夕を例に取ると、「およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。」は、世態人情の観察は細微を極むるものであってしかるべきだ、という意味です。 これを「観察細微を極むるもの」+「なからざる」+「べからず」と分解しますと、問題の 「なからざる」+「べからず」の部分は、「でないことはない」+「なんて曖昧なことではいけない」という感じの解釈が浮き上がってくるわけです。 この解釈はまだあくまで可能性であり、ですから質問を続けている次第だということに注意して下さい。 この解釈は、文脈上の実際の意味も矛盾無く説明できていますし、前ページ(qa/8757695)でkine-oreさんから提示していただいている肯定の強意表現という役割とも大枠で矛盾せずに沿っていますし、前ページのNo7-8で物議を醸している「ぞ+あり」から来た「ざり」という説の信憑性に関してもクリアされます。 再度この解釈を説明します。 「なからざる」を「でないことはない」の二重否定の意味で使うことで部分肯定とでもいいましょうか、つまり完全に肯定せずに可能性を込めたあいまいな表現にします。 そして、「べからず」でそれを否定することで、しかもベシを使った否定をすることで、部分肯定であることを否定して完全肯定へ持ち上げて強意にしている、というのが新たに出てきた解釈の仕方であり、これは私個人が仮定しているだけであり、その是非をここで問わせていただく次第であります。 よろしくお願いします。

  • 古文の助動詞の覚え方

    古文の助動詞ってたくさんあるじゃないですか?みなさんはどのようにして覚えましたか?活用はなんとなく口に出したらいけるんですが、意味とか接続になってくると何がなんだかわかりません。 古文の助動詞を身に付ける実践的な方法を教えてください。次のテストやばそうです!! 特に意味とその訳と接続を中心に教えてほしいです。

  • 枕草子で分からない訳があります

    枕草子の宮に初めて参りたるころ、の部分を勉強しているのですが、 その後半にある、 「いかでかは筋かひ御覧~笑ひて帰りぬ」 の部分の訳の意味が分かりません。 なぜ、清少納言は自分の顔を中宮に斜めからでも見られたくないと思うのか。 なぜ、中宮は御格子を開けるなと言ったのか。 なぜ、女官たちは笑って帰ったのか。 こちらの答えを教えて下さい。 宜しくお願いします。

  • 紫式部日記で分からない訳があります

    紫式部日記の女郎花の部分で 「これ、おそくてはわろからむ~硯のもとによりぬ。 ここの部分の訳の意味がイマイチ理解できません。 http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/modern55.html こちらのサイトを参考にしたところ、 殿が言った「具合が悪いことでしょう。」というセリフとはどういう意味ですか? また紫式部の言う「この言葉を言い訳にして」の言い訳とはどういう意味ですか? この2点を踏まえて、この女郎花の訳の解説を教えて下さい。

  • なからざるべからず~その2~

    まだ閉め切ってなくて寝かしておいた質問の件で新たな側面から疑問が湧いてきました。 その元の質問は下記のものです。 http://okwave.jp/qa/q8757695.html 教えて!gooは古い質問をそのまま再開してもそのカテゴリーで活動している多くの人の目には留まらないシステムだったと思います。←間違っていたらその旨即座に指摘して下さい。間に合うようならこの質問を削除し、元の質問ページで続きを進めたいので。 ですので、新たに質問を立てるという形にしました。 まずこの質問を始めるに先立ち、元の質問ページはまだ解決していない、ということをここで明言しておきます。元のページを解決済みにしなかったのは、いろいろと事情があったからなのですが、6件くらい回答がついた時点で複雑さが増し、私の脳が拒否反応を起こしたほどなのですが、やがて理解が進み、7割方納得しました。その後もありがたいことに追加説明の回答や他の方の便乗質問で深みを増して頂いていましたが、私としては6件くらい回答を頂いた時点で一旦満足したものの、解決したわけではありませんでした。寝かしておいたと書きましたが、無理に解決済みにする必要もなかろうと放っておいたという方が正しいのかもしれません。 さて本題ですが、前ページの続きとなる新たな質問は、 「~なからざるべからず」は、ある点において「ぞっとしない」と類似の構造をとっているのではないでしょうか、ということです。 ここで、「ぞっとしない」について軽く説明書きしておきます。 この表現は、「ぞっとする」の否定表現です。「ぞっとする」には、恐怖で体が震える感じがしたり寒気を感じたりすること、美しいものに出会って身体を駆け抜けるような感動を覚えること、または文字通り寒気で体が震えること、といった意味があります。その否定表現である「ぞっとしない」の昔からの意味は、驚きがない、面白くない、あまり感心しない、いい気持ちがしない、となります。 一方、現代ではその本来の意味ではない意味、つまり「恐ろしくない」という意味で使う、または解釈する人がいるという国語問題があるとのことです。 ここでのポイントは、本来の用法は、「恐ろしい」といった意味の否定だから「恐ろしくない=平気だ」という恐ろしさの対極の意味になるのではなく、「恐ろしくない=恐ろしさはない=とりたてて何もない」というニュートラルの意味になっているという点です。 閑話休題、「~なからざるべからず」について考えてみます。 永井荷風 一夕を例に取ると、「およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。」は、世態人情の観察は細微を極むるものであってしかるべきだ、という意味です。 これを「観察細微を極むるもの」+「なからざる」+「べからず」と分解しますと、問題の 「なからざる」+「べからず」の部分は、「でないことはない」+「なんて曖昧なことではいけない」という感じの解釈が浮き上がってくるわけです。 この解釈はまだあくまで可能性であり、ですから質問を続けている次第だということに注意して下さい。 この解釈は、文脈上の実際の意味も矛盾無く説明できていますし、前ページ(qa/8757695)でkine-oreさんから提示していただいている肯定の強意表現という役割とも大枠で矛盾せずに沿っていますし、前ページのNo7-8で物議を醸している「ぞ+あり」から来た「ざり」という説の信憑性に関してもクリアされます。 再度この解釈を説明します。 「なからざる」を「でないことはない」の二重否定の意味で使うことで部分肯定とでもいいましょうか、つまり完全に肯定せずに可能性を込めたあいまいな表現にします。 そして、「べからず」でそれを否定することで、しかもベシを使った否定をすることで、部分肯定であることを否定して完全肯定へ持ち上げて強意にしている、というのが新たに出てきた解釈の仕方であり、これは私個人が仮定しているだけであり、その是非をここで問わせていただく次第であります。 よろしくお願いします。

  • 「一周して潔い」はどういう意味ですか?

    こんにちは。 日本語を勉強している外国人です。 最近読んだ小説のなかに 「その諦めの悪さは一周して潔い」というセリフがあります。 辞書やネットで調べても、やはり意味がよくわからないです。 この「一周して潔い」って何の意味ですか? 知っている方、教えていただけませんでしょうか? よろしくお願いします。

  • 連歌発句の切れ字「や」は句末でなく、上五でもOK?

    連歌の発句では、季語と切れ字を用いると聞きました。切れ字についてですが、例えば、「古池や蛙飛びこむ水の音」のように、上五の「や」でも発句の切れ字としてOKなのでしょうか?それとも、発句の切れ字は座五に付けないと駄目なのでしょうか?

  • なからざるべからず~その2~

    まだ閉め切ってなくて寝かしておいた質問の件で新たな側面から疑問が湧いてきました。 その元の質問は下記のものです。 http://okwave.jp/qa/q8757695.html 教えて!gooは古い質問をそのまま再開してもそのカテゴリーで活動している多くの人の目には留まらないシステムだったと思います。←間違っていたらその旨即座に指摘して下さい。間に合うようならこの質問を削除し、元の質問ページで続きを進めたいので。 ですので、新たに質問を立てるという形にしました。 まずこの質問を始めるに先立ち、元の質問ページはまだ解決していない、ということをここで明言しておきます。元のページを解決済みにしなかったのは、いろいろと事情があったからなのですが、6件くらい回答がついた時点で複雑さが増し、私の脳が拒否反応を起こしたほどなのですが、やがて理解が進み、7割方納得しました。その後もありがたいことに追加説明の回答や他の方の便乗質問で深みを増して頂いていましたが、私としては6件くらい回答を頂いた時点で一旦満足したものの、解決したわけではありませんでした。寝かしておいたと書きましたが、無理に解決済みにする必要もなかろうと放っておいたという方が正しいのかもしれません。 さて本題ですが、前ページの続きとなる新たな質問は、 「~なからざるべからず」は、ある点において「ぞっとしない」と類似の構造をとっているのではないでしょうか、ということです。 ここで、「ぞっとしない」について軽く説明書きしておきます。 この表現は、「ぞっとする」の否定表現です。「ぞっとする」には、恐怖で体が震える感じがしたり寒気を感じたりすること、美しいものに出会って身体を駆け抜けるような感動を覚えること、または文字通り寒気で体が震えること、といった意味があります。その否定表現である「ぞっとしない」の昔からの意味は、驚きがない、面白くない、あまり感心しない、いい気持ちがしない、となります。 一方、現代ではその本来の意味ではない意味、つまり「恐ろしくない」という意味で使う、または解釈する人がいるという国語問題があるとのことです。 ここでのポイントは、本来の用法は、「恐ろしい」といった意味の否定だから「恐ろしくない=平気だ」という恐ろしさの対極の意味になるのではなく、「恐ろしくない=恐ろしさはない=とりたてて何もない」というニュートラルの意味になっているという点です。 閑話休題、「~なからざるべからず」について考えてみます。 永井荷風 一夕を例に取ると、「およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。」は、世態人情の観察は細微を極むるものであってしかるべきだ、という意味です。 これを「観察細微を極むるもの」+「なからざる」+「べからず」と分解しますと、問題の 「なからざる」+「べからず」の部分は、「でないことはない」+「なんて曖昧なことではいけない」という感じの解釈が浮き上がってくるわけです。 この解釈はまだあくまで可能性であり、ですから質問を続けている次第だということに注意して下さい。 この解釈は、文脈上の実際の意味も矛盾無く説明できていますし、前ページ(qa/8757695)でkine-oreさんから提示していただいている肯定の強意表現という役割とも大枠で矛盾せずに沿っていますし、前ページのNo7-8で物議を醸している「ぞ+あり」から来た「ざり」という説の信憑性に関してもクリアされます。 再度この解釈を説明します。 「なからざる」を「でないことはない」の二重否定の意味で使うことで部分肯定とでもいいましょうか、つまり完全に肯定せずに可能性を込めたあいまいな表現にします。 そして、「べからず」でそれを否定することで、しかもベシを使った否定をすることで、部分肯定であることを否定して完全肯定へ持ち上げて強意にしている、というのが新たに出てきた解釈の仕方であり、これは私個人が仮定しているだけであり、その是非をここで問わせていただく次第であります。 よろしくお願いします。

  • なからざるべからず~その2~

    まだ閉め切ってなくて寝かしておいた質問の件で新たな側面から疑問が湧いてきました。 その元の質問は下記のものです。 http://okwave.jp/qa/q8757695.html 教えて!gooは古い質問をそのまま再開してもそのカテゴリーで活動している多くの人の目には留まらないシステムだったと思います。←間違っていたらその旨即座に指摘して下さい。間に合うようならこの質問を削除し、元の質問ページで続きを進めたいので。 ですので、新たに質問を立てるという形にしました。 まずこの質問を始めるに先立ち、元の質問ページはまだ解決していない、ということをここで明言しておきます。元のページを解決済みにしなかったのは、いろいろと事情があったからなのですが、6件くらい回答がついた時点で複雑さが増し、私の脳が拒否反応を起こしたほどなのですが、やがて理解が進み、7割方納得しました。その後もありがたいことに追加説明の回答や他の方の便乗質問で深みを増して頂いていましたが、私としては6件くらい回答を頂いた時点で一旦満足したものの、解決したわけではありませんでした。寝かしておいたと書きましたが、無理に解決済みにする必要もなかろうと放っておいたという方が正しいのかもしれません。 さて本題ですが、前ページの続きとなる新たな質問は、 「~なからざるべからず」は、ある点において「ぞっとしない」と類似の構造をとっているのではないでしょうか、ということです。 ここで、「ぞっとしない」について軽く説明書きしておきます。 この表現は、「ぞっとする」の否定表現です。「ぞっとする」には、恐怖で体が震える感じがしたり寒気を感じたりすること、美しいものに出会って身体を駆け抜けるような感動を覚えること、または文字通り寒気で体が震えること、といった意味があります。その否定表現である「ぞっとしない」の昔からの意味は、驚きがない、面白くない、あまり感心しない、いい気持ちがしない、となります。 一方、現代ではその本来の意味ではない意味、つまり「恐ろしくない」という意味で使う、または解釈する人がいるという国語問題があるとのことです。 ここでのポイントは、本来の用法は、「恐ろしい」といった意味の否定だから「恐ろしくない=平気だ」という恐ろしさの対極の意味になるのではなく、「恐ろしくない=恐ろしさはない=とりたてて何もない」というニュートラルの意味になっているという点です。 閑話休題、「~なからざるべからず」について考えてみます。 永井荷風 一夕を例に取ると、「およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。」は、世態人情の観察は細微を極むるものであってしかるべきだ、という意味です。 これを「観察細微を極むるもの」+「なからざる」+「べからず」と分解しますと、問題の 「なからざる」+「べからず」の部分は、「でないことはない」+「なんて曖昧なことではいけない」という感じの解釈が浮き上がってくるわけです。 この解釈はまだあくまで可能性であり、ですから質問を続けている次第だということに注意して下さい。 この解釈は、文脈上の実際の意味も矛盾無く説明できていますし、前ページ(qa/8757695)でkine-oreさんから提示していただいている肯定の強意表現という役割とも大枠で矛盾せずに沿っていますし、前ページのNo7-8で物議を醸している「ぞ+あり」から来た「ざり」という説の信憑性に関してもクリアされます。 再度この解釈を説明します。 「なからざる」を「でないことはない」の二重否定の意味で使うことで部分肯定とでもいいましょうか、つまり完全に肯定せずに可能性を込めたあいまいな表現にします。 そして、「べからず」でそれを否定することで、しかもベシを使った否定をすることで、部分肯定であることを否定して完全肯定へ持ち上げて強意にしている、というのが新たに出てきた解釈の仕方であり、これは私個人が仮定しているだけであり、その是非をここで問わせていただく次第であります。 よろしくお願いします。

  • 続【「ので」と「ため」の違いについて】

     以前下記のスレッドが立ちました。 【「ので」と「ため」の違いについて】 http://okwave.jp/qa/q8625598.html  何がなんだかわからないうちに話が終わった気がします。  その後いろいろ調べて、わからないなりにいろいろ考えました。  現段階では、下記くらいに考えています。 【「だから」「なので」の違い その2 「~から」「~ので」「~で」「で」「から」「ので」】 http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11932114478.html ==============引用開始  とりあえず、【ので】の制約は5つありそうだ。詳しいことはわかりません(泣)。 1)「~のは~{から/ので/ため}だ(です)」の文型だと「ので」が×になる 例 3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です ※語順を入れかえるとOKになる 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻しました 2)「だろう」の後にはつかない(ほかの推量ならOKのときもある) 例 4 明日は晴れるだろう{から/×ので/×ため}洗濯をした ※前件が推量でもOKの例 明日は晴れそう{だから/なので/なため}洗濯をした 3)後件が命令形(OKのときもある) 例 5 よい子{だから/△なので/×のため}おとなしくしなさい 例 6* お願い{だから/△なので/×のため}静かにしてください ※後件が命令形でもOKの例 あの子はよい子{だから/なので/×のため}仲良くしてあげなさい 4)理由は不明。後件が推量だと×になることがあるのかも。 例 7 あれほど繰り返すの{だから/×なので/×ため}、本当なんだろう ※後件が推量でもOKの例 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻したのだろう 5)デスと相性が悪いのかも 例 9 期限はあしたです{から/△ので/×ため}お忘れなく ==============引用終了  不明な点があまりにも多くて……。   何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。  辞書・サイト・論文など、教えてください。  なお、↑のリンク先に書いたように、下記の3点の説明には、個人的に強い疑問をもっています。ネット上で見られる論文などは、ほとんどがこういう考え方を否定しているように読めます。下記のような考え方をしているサイト・論文などがあるのでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17210/m0u/%E3%81%AE%E3%81%A7/ ==============引用開始 「ので」は、前件と後件との間に客観的な因果関係が認められる場合に用いられやすい。==============引用終了 http://kotobank.jp/word/%E3%81%AE%E3%81%A7?dic=daijisen&oid=14449700 ==============引用開始 デジタル大辞泉の解説 ので 【ので】 (中略) ◆ 近世中ごろから用いられ、明治に入って一般化した。また、前件が理由となって後件のような結果の生じることが、だれの目から見ても当然と思われるような場 合に用いられるとされる。「から」に比べるとあらたまった感じを伴うが、くだけた表現の場合、「あまり暑いんで閉口した」のように「んで」となることもあ る。 ==============引用終了 ==============引用開始 大辞林 第三版の解説 ので (中略) 〔理由・原因を表す接続助詞「から」との相違について。「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推 量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いら れる〕 ==============引用終了

  • 画像にある字と意味教えて下さい。

    画像にある字と意味を教えて頂けませんか。 調べてはいるのですが読めないで困っています。 申し訳ありませんが解られる方教えて下さい。 よろしくお願いします。

  • 続【「ので」と「ため」の違いについて】

     以前下記のスレッドが立ちました。 【「ので」と「ため」の違いについて】 http://okwave.jp/qa/q8625598.html  何がなんだかわからないうちに話が終わった気がします。  その後いろいろ調べて、わからないなりにいろいろ考えました。  現段階では、下記くらいに考えています。 【「だから」「なので」の違い その2 「~から」「~ので」「~で」「で」「から」「ので」】 http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11932114478.html ==============引用開始  とりあえず、【ので】の制約は5つありそうだ。詳しいことはわかりません(泣)。 1)「~のは~{から/ので/ため}だ(です)」の文型だと「ので」が×になる 例 3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です ※語順を入れかえるとOKになる 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻しました 2)「だろう」の後にはつかない(ほかの推量ならOKのときもある) 例 4 明日は晴れるだろう{から/×ので/×ため}洗濯をした ※前件が推量でもOKの例 明日は晴れそう{だから/なので/なため}洗濯をした 3)後件が命令形(OKのときもある) 例 5 よい子{だから/△なので/×のため}おとなしくしなさい 例 6* お願い{だから/△なので/×のため}静かにしてください ※後件が命令形でもOKの例 あの子はよい子{だから/なので/×のため}仲良くしてあげなさい 4)理由は不明。後件が推量だと×になることがあるのかも。 例 7 あれほど繰り返すの{だから/×なので/×ため}、本当なんだろう ※後件が推量でもOKの例 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻したのだろう 5)デスと相性が悪いのかも 例 9 期限はあしたです{から/△ので/×ため}お忘れなく ==============引用終了  不明な点があまりにも多くて……。   何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。  辞書・サイト・論文など、教えてください。  なお、↑のリンク先に書いたように、下記の3点の説明には、個人的に強い疑問をもっています。ネット上で見られる論文などは、ほとんどがこういう考え方を否定しているように読めます。下記のような考え方をしているサイト・論文などがあるのでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17210/m0u/%E3%81%AE%E3%81%A7/ ==============引用開始 「ので」は、前件と後件との間に客観的な因果関係が認められる場合に用いられやすい。==============引用終了 http://kotobank.jp/word/%E3%81%AE%E3%81%A7?dic=daijisen&oid=14449700 ==============引用開始 デジタル大辞泉の解説 ので 【ので】 (中略) ◆ 近世中ごろから用いられ、明治に入って一般化した。また、前件が理由となって後件のような結果の生じることが、だれの目から見ても当然と思われるような場 合に用いられるとされる。「から」に比べるとあらたまった感じを伴うが、くだけた表現の場合、「あまり暑いんで閉口した」のように「んで」となることもあ る。 ==============引用終了 ==============引用開始 大辞林 第三版の解説 ので (中略) 〔理由・原因を表す接続助詞「から」との相違について。「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推 量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いら れる〕 ==============引用終了

  • 続【「ので」と「ため」の違いについて】

     以前下記のスレッドが立ちました。 【「ので」と「ため」の違いについて】 http://okwave.jp/qa/q8625598.html  何がなんだかわからないうちに話が終わった気がします。  その後いろいろ調べて、わからないなりにいろいろ考えました。  現段階では、下記くらいに考えています。 【「だから」「なので」の違い その2 「~から」「~ので」「~で」「で」「から」「ので」】 http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11932114478.html ==============引用開始  とりあえず、【ので】の制約は5つありそうだ。詳しいことはわかりません(泣)。 1)「~のは~{から/ので/ため}だ(です)」の文型だと「ので」が×になる 例 3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です ※語順を入れかえるとOKになる 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻しました 2)「だろう」の後にはつかない(ほかの推量ならOKのときもある) 例 4 明日は晴れるだろう{から/×ので/×ため}洗濯をした ※前件が推量でもOKの例 明日は晴れそう{だから/なので/なため}洗濯をした 3)後件が命令形(OKのときもある) 例 5 よい子{だから/△なので/×のため}おとなしくしなさい 例 6* お願い{だから/△なので/×のため}静かにしてください ※後件が命令形でもOKの例 あの子はよい子{だから/なので/×のため}仲良くしてあげなさい 4)理由は不明。後件が推量だと×になることがあるのかも。 例 7 あれほど繰り返すの{だから/×なので/×ため}、本当なんだろう ※後件が推量でもOKの例 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻したのだろう 5)デスと相性が悪いのかも 例 9 期限はあしたです{から/△ので/×ため}お忘れなく ==============引用終了  不明な点があまりにも多くて……。   何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。  辞書・サイト・論文など、教えてください。  なお、↑のリンク先に書いたように、下記の3点の説明には、個人的に強い疑問をもっています。ネット上で見られる論文などは、ほとんどがこういう考え方を否定しているように読めます。下記のような考え方をしているサイト・論文などがあるのでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17210/m0u/%E3%81%AE%E3%81%A7/ ==============引用開始 「ので」は、前件と後件との間に客観的な因果関係が認められる場合に用いられやすい。==============引用終了 http://kotobank.jp/word/%E3%81%AE%E3%81%A7?dic=daijisen&oid=14449700 ==============引用開始 デジタル大辞泉の解説 ので 【ので】 (中略) ◆ 近世中ごろから用いられ、明治に入って一般化した。また、前件が理由となって後件のような結果の生じることが、だれの目から見ても当然と思われるような場 合に用いられるとされる。「から」に比べるとあらたまった感じを伴うが、くだけた表現の場合、「あまり暑いんで閉口した」のように「んで」となることもあ る。 ==============引用終了 ==============引用開始 大辞林 第三版の解説 ので (中略) 〔理由・原因を表す接続助詞「から」との相違について。「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推 量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いら れる〕 ==============引用終了

  • 続【「ので」と「ため」の違いについて】

     以前下記のスレッドが立ちました。 【「ので」と「ため」の違いについて】 http://okwave.jp/qa/q8625598.html  何がなんだかわからないうちに話が終わった気がします。  その後いろいろ調べて、わからないなりにいろいろ考えました。  現段階では、下記くらいに考えています。 【「だから」「なので」の違い その2 「~から」「~ので」「~で」「で」「から」「ので」】 http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11932114478.html ==============引用開始  とりあえず、【ので】の制約は5つありそうだ。詳しいことはわかりません(泣)。 1)「~のは~{から/ので/ため}だ(です)」の文型だと「ので」が×になる 例 3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です ※語順を入れかえるとOKになる 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻しました 2)「だろう」の後にはつかない(ほかの推量ならOKのときもある) 例 4 明日は晴れるだろう{から/×ので/×ため}洗濯をした ※前件が推量でもOKの例 明日は晴れそう{だから/なので/なため}洗濯をした 3)後件が命令形(OKのときもある) 例 5 よい子{だから/△なので/×のため}おとなしくしなさい 例 6* お願い{だから/△なので/×のため}静かにしてください ※後件が命令形でもOKの例 あの子はよい子{だから/なので/×のため}仲良くしてあげなさい 4)理由は不明。後件が推量だと×になることがあるのかも。 例 7 あれほど繰り返すの{だから/×なので/×ため}、本当なんだろう ※後件が推量でもOKの例 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻したのだろう 5)デスと相性が悪いのかも 例 9 期限はあしたです{から/△ので/×ため}お忘れなく ==============引用終了  不明な点があまりにも多くて……。   何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。  辞書・サイト・論文など、教えてください。  なお、↑のリンク先に書いたように、下記の3点の説明には、個人的に強い疑問をもっています。ネット上で見られる論文などは、ほとんどがこういう考え方を否定しているように読めます。下記のような考え方をしているサイト・論文などがあるのでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17210/m0u/%E3%81%AE%E3%81%A7/ ==============引用開始 「ので」は、前件と後件との間に客観的な因果関係が認められる場合に用いられやすい。==============引用終了 http://kotobank.jp/word/%E3%81%AE%E3%81%A7?dic=daijisen&oid=14449700 ==============引用開始 デジタル大辞泉の解説 ので 【ので】 (中略) ◆ 近世中ごろから用いられ、明治に入って一般化した。また、前件が理由となって後件のような結果の生じることが、だれの目から見ても当然と思われるような場 合に用いられるとされる。「から」に比べるとあらたまった感じを伴うが、くだけた表現の場合、「あまり暑いんで閉口した」のように「んで」となることもあ る。 ==============引用終了 ==============引用開始 大辞林 第三版の解説 ので (中略) 〔理由・原因を表す接続助詞「から」との相違について。「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推 量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いら れる〕 ==============引用終了