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戦国時代について。
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身体能力について、質問を連投してますが、明治以前には、 体格測定などは、してませんから記録は無いですよ、従って、 識者様でも、詳細な回答出来ません。 --------------------------------------------------------------------------------------- 魏志倭人伝に倭人と記されていますが、これは、小さい人の意味の 蔑称なのです。 戦国時代に槍の使い手の記録は有りますが、最強の武器である、 薙刀や戟の使い手は、三国志では関羽雲長や呂布奉先などの、 豪傑が使っていますが、日本では、その様な使い手の武将の記録は 有りません、武蔵坊弁慶が使用していたらしいですが、確かでは 有りません。 倭人は身体が小さいので、薙刀や戟を振り回せないから、戦場で使う武将の記録がないのです。 ですが、戦闘では体格的に不利な倭人は、軽くて、切れ味鋭い、 日本刀を造りました、これなら、スピードで体格差を補い、充分対抗出来ますよね。 江戸時代では怪力無双の雷電為衛門の記録が残っています。 以上、高見から、知識を引きらかしました・・・。
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