立川談志と上岡龍太郎の魅力の秘密

このQ&Aのポイント
  • 立川談志と上岡龍太郎の魅力について知りたいです。
  • なぜ立川談志と上岡龍太郎は人気があったのか疑問です。
  • 立川談志と上岡龍太郎の成功の秘訣が知りたいです。
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立川談志と上岡龍太郎の良さが分からん

立川談志って何故かめちゃくちゃ人気がありましたが、私が実際に寄席で聞いた時は呂律まわってないしめちゃくちゃヘタクソでした。 全盛期はすごかったみたいに言う人もいますが、大きな名前を継いでるわけでもないし、何がどうすごかったのか分からないです。 新しい流派を作ったから、といってもそれは落語が上手かったからではなくて起業家みたいなノリの部分ですからね。それも何か違うような気がします。でも未だに人気がありますね。 同じように上岡龍太郎も大して良さが分かりません。 偉そうに大学教授に講釈をたれてるくせに自分は受験で立命館大学にすら合格できていません。芸人のくせにワイドショーばかり出てたと言う印象です。今でいうカズレーザーみたいなものでしょ?めちゃダサいやつですね。でもネットとかだと未だに人気だったりします。 立川談志が笑点の司会してた時代は見てませんし、柳家時代の高座も聞いたことないです。私が寄席で聞いたのは2000年くらいでしたので。 なので私にとって立川談志は落語ヘタクソなくせに偉そうにしてるやつ、という印象です。 上岡龍太郎に関してもマンガトリオ時代なんて映像すら見た事ないし、パペポやってた時も幼少期でしたからほとんど見てません。引退前の数年でマラソン走ったり大学教授に偉そうに講釈たれてるのしか知りません。 なので私の上岡龍太郎への印象は、たかが立命館にも受からないのに高学歴の人に喧嘩売ってるアホ、というものです。 立川談志と上岡龍太郎が全盛期の時に見てた人たちに質問です。 この2人は未だにネットで名前が出るほど人気だったりしますが、何がどうすごかったんですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero4649
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回答No.1

2000年くらいの談志師匠だと、最晩年ですよね。もうその頃にはボロボロではっきりいって聞けたものではなかったですね。でも高座で直接聞いてますものね。私は生で見たことはないですから。 とはいえ私も何度か談志師匠の落語は聞いたことがありますが、上手いと思ったことはないです。そのことを落語マニアの父親にいったら「談志は小ゑんの頃が全盛で、談志になってからは大したことがない」とのことでした。 あの独特の生き方が各方面に影響を与えたということでしょうね。立川談志の魅力とは何かと聞かれたら、生き様だったのではないでしょうか。テレビの使い方が上手な噺家だったと思います。今、メディアを使いこなせる噺家は皆無ですよね。円丈師匠も亡くなられてしまったし。落語が上手な噺家さんは沢山いるんだろうけれど。 談志師匠の弟子である立川志らく師匠も、立川ボーイズと呼ばれて談春師匠とユニットみたいなのをやってたときは若手でトンガってましたけど、落語がヘタなところは談志師匠に似ちゃいましたね。談春師匠は落語には定評がありますが、元お弟子さんの知り合いから談春師匠は弟子への暴力がひどいと聞いたことがあって、どっちもあまり人望がある話は聞かないですねえ。人望がないと業界は背負えない。 上岡龍太郎さんは、忖度しないでズバズバものをいうのが時代にフィットしましたね。90年代って、露悪趣味の時代でした。コーネリアスが例のいじめ自慢をしたのも90年代の雑誌のインタビューでした。あの頃はサブカルっぽい人は「趣味が悪いのがカッコいい」って感じでした。「日本印度化計画」の頃の筋肉少女帯がサブカルの象徴でした。 そんな時代は上岡さんみたいなズバズバいうのが気持ちよかったのです。今なら西村ひろゆきさんなんじゃないですかね。西村さんも上岡さんが作った土台の先でやってるという感じではないでしょうか。 そして時代が変わってきたことに気づいて、スパッと引退したのも見事だったと思います。もしダラダラやっていたら時代とズレていって、今の明石家さんま師匠やビートたけし師匠のように「見苦しい」といわれてしまったのではないかな。 スパッと引退したから、今でも惜しむ声があるのではないでしょうかね。

raiponta0728
質問者

お礼

詳しく記載していただきありがとうございました。 両者とも時代に恵まれた感はありますね。 芸人としての実力や力量よりも時代を読む能力の方が出世には大切だと言うことでしょうかね

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