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in the past / the future
past とfutureになぜtheがつくのかについて質問します。私の説明を述べていきます。おかしいところがあればご指摘下さい。 まず、時間の枠組みを2種類提示します。一つは{past, present, future}という概念の枠組みです(枠組Aと呼んでおきます)。言語主体によって客対物として設定されたもので、それぞれが独自の時間領域を持ちます。 past, present, futureのそれぞれは、枠組みを構成するデフォルト要素(もともと存在するはずの要素)として組み込まれたわけですから、文中で使用される際は定冠詞がつきます。この時間領域においては、具体的な行為や出来事が表現されることはありません。3つの時間領域について抽象的な言明が行われるだけです。--Don't think of the past. Mind the present and the future. もう1つの枠組みは、現実に何かが存在したり起こったりすることが表現される場です。これを枠組B {past, present, future}と呼んでおきます。---She's busy at present, but will be free in the future. 枠組Bは生活者(言語使用者)によって日常常識的に把握されるべきものです。ところが、そこに、物理学的な時間の考えが混入してくると混乱を招くので、物理学的な時間の考えを排除しようと思います。 例えば、物理学では、無限にのびる時間直線tを引き、線上の任意の点を現在と定めます。ここでは現在が瞬間の時間とされます。(我々の日常常識的な考えでは、現実の現在の時間は瞬間ではありません。それは比較的短めの時間であって、その時間幅は言語主体の思惑に応じてよって伸び縮み可能なものです)。それだと、現在は人が生きる時間ではなくなってしまうので、物理学的な時間は今回の考察から一切排除するものとします。 なお、過去が現在より以前のことであり、未来が以後のことであるとすることは、第一義的に日常常識的な時間の考えだと思われるので、この考えは残します。 これから日常のありのままの時間について考察を進めたいと思います。 さて、人間は時間というものを考える時、まず「今」を基準に考えようとします。「今」が唯一、現実に生きられる時間だからです。「今」より以後の時間を未来とし、「今」より以前の時間を過去としました。 では、未来は永久に存在し続けるかということですが、厳密に言うと、未来という概念を作ってその定義に沿って理解を行うしかない人間にとって、未来は言語共同体が存続する(人類が生存し続ける)かぎりでの永久的な存在物です。でも、実際は、人々は何となく無限の彼方の未来(および過去)というふうにとらえられているのではないかと思います。 Aの枠組みにおける{past, present, future}という概念要素はそれぞれがつながりを持たない抽象的なものととらえられていますが、言語主体とのあいだにも隔たりができていて、主体によって客体的にとらえられています。 一方、Bの枠組みにおいてはそれぞれの概念はつながりを持ちます。生きられる時間(人が生きたり、何かが起きたりする時間)なので人間(言語主体)との間にもつながりがあります。ここでは言語主体は時間を客体的にとらえることはできません。 言語主体は今の瞬間にも言語を使っているわけだから、現在という時間と直接のつながりを持っています。言語主体が概念と直接のつながりと持つ時、概念は客体化されないので冠詞はつきません。よって、現在は冠詞のつかないpresntで表します。 pastもfutureも同様です。なぜなら、我々の実感として現在の体験はやがて過去の体験と見なされるようになり、未来の体験はやがて現在の体験と見なされるようになります。3者を区切る境界線はありません。先ほども言ったようにそれぞれの時間概念はつながりを持ちます。 だから、pastとfutureにも冠詞はつきません。これが枠組B{past, present, future] です。ところで、これらの表現は、誰かが何かをした、何かが起きる、といったようなことを表す背景として使われるものなので副詞句として使います。(過去・現在・未来自体が主題として扱われるのは枠組Aにおいてです)。すなわち、定冠詞登場以前では、{in past, at present, in future}という実践的な枠組として使われたはずです。 過去と現在はその境目付近において非常に流動的です。だとすれば、過去に起きたことが 現在とつながっていてもおかしくはないと言えます。それゆえ、過去に始まって現在も続く表現(現在完了)が可能だということになります。過去の表現は「現在より以前のある時(時期)、および過去から始まって今に続く時間」を表すことが可能です。よって(定冠詞登場以前の時点では)現在完了の文中でin pastという語句の使用が可能です。 ところが、ある時期に定冠詞が登場しました。結果から言うと、現在ではこの2番目の枠組みは文中で使われるときは、{in the past, at present, in the future}となりますが、では、なぜ{in past, at present, in future}ではないのか、これが2つ目の論点です。 よく言われることですが、過去のことは確定しているから定冠詞がつくと。本当にそうなのでしょうか。未来はというと不確定のことばかりなのにどういうわけか定冠詞がついています。このことからして<過去のことは確定しているから定冠詞がつく>という言い方は怪しそうだという気がします。 過去の出来事について語る話し手にしてみれば<その過去の出来事が確かに過去に起きたことだと聞き手に確認可能なのでなければ>定冠詞の使用は許されないはずです。確認および検証が不可能な場合、その出来事がたしかに過去の出来事だと聞き手が同意するはずだという確信が話し手の側になければなりません。ただし、そうした確信が得られないことはいくらでもあります。 現実には、多くの場合において、過去の出来事が聞き手によって確認されようがされまいが、また、聞き手の同意の有無に関わりなく、過去をあらわすpastにはtheがつきます。というわけで、<過去のことは確定しているから定冠詞がつく>と言う言い方に根拠がないことは明白です。 pastにtheがつくことには別の根拠があるはずです。 そもそも、過去の出来事を確定していると聞き手が確認することはいかなる体験なのでしょうか。当然のことですが、過去は厳然たる過去なのであって、それは人間の思惑と無関係に存在するので確認など不要だとする考え(素朴実在論)は成り立ちません。確定したはずの過去を確認しようとする人間は確認のための作業を行わなければなりません。聞き手がある過去の出来事について聞くか読むかするとき、聞き手は過去を間接的に体験するにすぎません。ところが、その出来事を心の中で想起するとき、後悔や嘆きや懐かしさなどを感じます。少なくとも何らかの関心を抱くはずです。その瞬間に、聞き手は過去を直接的に体験していると言えます。 未来についても同じことが言えます。予想行為においてわくわくしたり、ゆううつになったり、ここでも直接的な体験がなされます。 すなわち、聞き手は想起や予想において、過去に対しても未来に対しても直接のつながりを持ちます。言語使用者と概念とのつながりは言うまでもなく心の働きとしてのつながりです。よって、presentだけでなくpastとfutureにも冠詞はつきません。たとえ、過去の確定した出来事(歴史的に評価が定まっているとか)であっても同じことです。theがつくことはありません。 ここで話が振り出しに戻りました。なぜpastとfutureにtheがつくのでしょうか? pastとpresentおよびpresentとfutureは明確な切れ目を持ちませんが、pastとfutureは離れていますから対立関係をなしていると見なせます。なぜそう言えるのかを考察します。 我々が未来を予想する時、我々の意識は未来の方に向きます。逆に、我々が過去を想起する時、我々の意識は過去の方に向きます。意識の方向性は<今>を境にしてちょうど互いに逆向きのベクトルをなしています。つまり、我々にとって(生きられる時間として)存在する時間は<今>と、想起の対象となる<過去>と、予想や意志の働きの対象となる<未来>で構成されているわけです。時間が過去から未来へと流れてゆくという発想は(おそらく何かのメタファーから生まれた)思いこみにすぎません。 この時、<人間の意識→過去>と<人間の意識→未来>はちょうど正反対のベクトルを持っていて対称形をなしています。明白な二項対立です。この場合のpastとfutureが文中で使われる時定冠詞が使われるのは当然のことと思われます。ちょうど、{right, left}や{front, back}のような概念集合枠組みの各要素が文中での使用時において定冠詞が使われるのと同じことだと思います。 定冠詞の登場以降、枠組Bの実践バージョンは{in the past, at present, in the future}というふうになったと考えられます。いかがでしょうか。
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One should read history not to learn what really happened at a particular time end place in the past but also to lean the way men act in all times and places, especially now. History is the story of the events that led to the present. It is the present that interests us-that and the future. The future will be partly determined by the present. Thus, you can lean something about the future, too, from a historian, even from one who lived thousands of years ago. この文章をエキサイト翻訳で訳すと以下のようになりました。 「1つは、何が過去に本当に特定の時間端の場所で起こったかを学ぶのではなく、男性がすべての回行動する方法を傾かせもするように歴史を読むべきであり、今、特に入賞します。 歴史は、プレゼントに通じた出来事の話です。 それが興味を持っているプレゼントである、私たち、-それ、そして、未来。 未来はプレゼントで一部断固とするでしょう。 したがって、また、あなたは、未来頃に歴史家から何かを傾かせることができます、何千年も前に生きた人からさえ。」 あなたならどのように訳しますか?参考にさせてください。よろしくお願いします。
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But if thinking people are to have any part in shaping the literature of the present and the future, they should have a fuller understanding of it as a whole and of its past. 「しかし、もし思慮深い人々が、現在と未来の文学を形成する という点において、いくつかの部分を持っているのなら、 彼らは全体的に、ほぼその部分とその過去を理解しているはずだ。」 they should have~の訳が特にいまいちでした。 このandが結んでいるのはunderstanding of it and of its pastと いった形だと思うのですが、as a wholeは後ろのpastとは 無関係なのですか? 宜しくお願いします。
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再度の回答ありがとうございました。 ●<定冠詞の登場によって、枠組Aは{the past, the present, the future}となっていくが、その際、まず最も身近なpresent にtheがついてthe presentとなり、短い時間差をもってthe past→the futureの順にtheがついたと考えられます。枠組Bでは、定冠詞の登場があってもpresentはそのままで、最初限定の感覚に最も似つかわしいpastにtheがついたと見るのが穏当で、futureの場合は揺れていただろうと想像されます。詳細を考えると、体系性を重視する者はいち早くfutureにもtheをつけたかも知れませんが、伝統や慣習を重んじる者は、futureはそのまま保持したのではないかと推測します。その習いが現代英語(I'll try to do better in future.のような表現)に残っている、ということではないでしょうか。> -たしかにこの考え方の方が自然だし合理的でもありますね。納得です。 ●---- in the yesterday, at today, in the tomorrowという風に使われた可能性が高いのではないか。 ⇒面白い発想ですね。内容的に反論はできませんが、それぞれが同じ大きさの単位で区切られた意味を表す語であることを考え合わせれば、前置詞は(選択を間違えているかも知れませんとの仰せでしたが、確かに)すべて同じ(at?)でよいのかも知れませんね。> -前置詞はinじゃないかと言う気がしますが、ともあれ、基本的な考えは正しいわけですね。 ● ⇒「in the futureとin futureが共存することになり、棲み分けを図るために意味的な差異を作らなければならない」とのことですが、後半については、差異を作ってまで棲み分けを図ることが必要だったかどうか私には疑問です。すでに述べたように、並存を許す状況があったものと考えるのが実態に即した見方ではないかと思います。 -その通りだと思います。英語の歴史を見ても、体系の構築やルールの変更においては必ずしも直線的に進行するわけではなく、揺れ戻しもあることですから。 ●米語成立の過程を振り返るに、メイフラワー号以来、ヨーロッパ各地からその地に集まっていったわけですよね。不特定の地域から人が集まると、一部の人の慣習より、「普遍性・体系性」が優先されるという集団的習性が関係しているかも知れない、と考えます。 -お説に大賛成です。 今回もありがとうございました。おかげで、the pastとthe futureにtheがつくことを自信を持って指導できます。ただし、今回の議論は少し難しいので、詳しいことを教室で話すことはないと思います。彼らは、二項対立だぞと言われただけでたぶん納得してくれると思います。 次回の質問のテーマは<不可視の冠詞について>です。 以前、<無冠詞とゼロ冠詞について>という質問投稿した時に、ゼロ冠詞とナル冠詞の議論をしたことがありました。その時の議論やその後の議論-<固有名詞にはなぜ冠詞がつかないのか>-における2つの無冠詞の考察を検討し直したところ、一つ疑問点が出てきたので、次回の投稿であらためてスレッドを立ち上げて質問してみたいと思います。 なお、<無冠詞とゼロ冠詞について>においては、性質の異なる2種類の無冠詞(ゼロ冠詞とナル冠詞)が登場しましたが、一応の定義が(Nakayさんによる)確定しました。でも、定義を入れ替えれば一方はもう一方と同じものになるし、また、学者の世界でもゼロ冠詞とナル冠詞について意見が分かれていたり、そもそもナル冠詞を認めていなかったりします。そこで、次回の質問ではゼロ冠詞とナル冠詞という名称の使用をいったんキャンセルし、あらためて最初から考察し直すことにします。よろしければおつきあい下さい。