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もしも第一機動艦隊がミッドウェーで勝っていたら?

ify620の回答

  • ify620
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回答No.5

太平洋戦争は、十分な準備の後、始められました。 しかし、工業力の差で、真空管ですら短命の粗悪品ばかりになってしまい、 戦闘機ですら、重い通信機を外して昇ったそうです。 無用の長物、戦艦大和や武蔵、敵前Uターンの迷将のオンパレード。 戦争体制に入っていない米国相手に始めた戦争には優位に立てたが、 sindengen999 様のご指摘の通り、6ヶ月後には、余裕で日本艦隊を撃破しました。 唯一、自爆攻撃は米国に不安を与えたようです。 ✡--------✡ 日本文化では、上意下達で、新しい戦法を行えません。 決断力や体力のある優秀な国民を兵士として、死なせたので、ある意味、優秀な牡馬を淘汰したのです。 農業を成就させようとすると、種苗や種牛・種鶏が重要なことが分かります。 戦争は必ず終わります。終わったときに役立たずの国民では国は滅びます。 学校では、補助教員が付かないと危険な行為をする児童生徒が沢山居ます。 しかし、農業のように間引きや品種改良(見合い結婚)はできません。 ペット業界だけは、間引きや品種改良で成り立っていると聞きます。。 ✡--------✡ 米国艦隊を打ち負かして、米本土に総督府と神社を置いて、日本語を学ばせたでしょうか? 何のために戦ったのか意味が分かりません。 sindengen999様は、どこまで兵(国民)を出して、どこでこの戦争を切り上げるのか謳っている場面をご存じですか? 兵学校では、これを教えていません。 これを知らない爺様どもが優秀な日本健児の将来を摘み取ったのです。 兵士が政権に入るべきではありません。 軍隊は、抑止力となるべきで、不幸にも開戦に至ったら、終戦を決断することが重要なことです。終戦に言い出せない将官は無能としか言えません。 戦争はギャンブルです。想定外に大もうけできることもアルでしょう。 しかし、想定外に負けることもあります。 このときに、帰りの汽車賃(国民の生活力)を使い果たして、破産までギャンブルを続けるお父さんが、立派な日本国民でしょうか? 将官を、海外や国内の大学・施設に送って学ばせるのが必須の要件と思います。 かつて〝三国干渉〟を受け入れた日本は素晴らしと思います。 太平洋戦争の真珠湾攻撃は、攻撃方法は十分研究しても、後の体制の研究は皆無であったと思います。 (レーダーや通信機を積まない戦闘機が舞い上がっても、 雲の陰に隠れた敵の存在は分かりません。 帰還すべき母艦が沈められれば、戦闘機は戻ることすらできません。) ここらからが、大きな間違いに気づくべきであったと思います。 漫談調のお話がみつかりました。 https://www.youtube.com/watch?v=5kft7VvJvv0

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