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もしも第一機動艦隊がミッドウェーで勝っていたら?

eroero4649の回答

  • eroero4649
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回答No.3

>南雲艦隊が普通に索敵を行っていたら負けることはなかったでしょう。 実は、南雲艦隊が予定通りに索敵をしていたら米艦隊を発見できなかった可能性が高いのです。 米艦隊を発見したのは重巡利根の索敵機です。この索敵機の発進が予定より30分遅れたことは質問者さんもご存知でしょう。 でもさ、よーく考えてください。この索敵機が予定通りに発進していたら、索敵機は現実の飛行より30分ぶん先を飛んでいたことになります。つまり、索敵機は予定より狂ったことによって「偶然」米艦隊とタイミングが合うことになったのです。予定通りに30分ぶん先を飛んでいたら、その地点にはまだ米艦隊は存在せず、そのまま通り過ぎていたことでしょう。 しかもその索敵機が「敵空母ラシキモノ見ユ」と報告をしてきたのに、艦隊側は「え?アメリカは空母を出してこないだろ。誤認じゃないのか?」と判断を間違てしまいます。 ですから仮にどの索敵機が「敵空母見ユ」と報告しても、「それは艦種誤認だろ」と処理された可能性は高いと思います。なにせ先立つ珊瑚海海戦でタンカーを空母と見誤ってしまうということがありましたからね。「またタンカーと見間違えたんじゃないか?」とはなったと思います。 >エセックス級とインディペンデンス級空母が戦線投入される1943年後半までアメリカの反撃は遅れることになります。 その通りですが、元々アメリカの戦略は「まずは対ドイツ戦。それが片付いてから対日戦」という方針でした。それをやいのやいのいって太平洋方面でも反撃をさせたのがあの虚栄心の塊であるマッカーサーとアメリカ海軍で一番嫌なやつであるキング提督でした。キング提督って日本ではほぼ無名の存在ですが、太平洋戦争勝利の立役者の一人であることは間違いないですけどね。でも「嫌なやつエピソード」には事欠かない人物です。軍人版スティーブ・ジョブズみたいな人です。 >その間に日本海軍はミッドウェーとハワイ、パルミラ諸島、フィジー、サモア辺りまでは行けるでしょうが 残念。既に史実で攻勢限界点に達していました。日本本土からミッドウェー島の距離はおおよそ4000キロ。そしてミッドウェー島からハワイ諸島までの距離がおおよそ2000キロなんです。ちなみに東京から約2000キロというと、石垣島くらい。あのラバウルからガダルカナルまでの距離がその半分の約1000キロなんです。日本軍が持つ航空機でミッドウェー島からハワイ諸島まで往復できるのは二式大艇くらいでしょうか。 ちなみに米軍は、もしミッドウェー島が占領されたらB17と潜水艦で補給線を攻撃する計画でした。ミッドウェー島は真水が出ないので、潜水艦で輸送船を攻撃されたらひとたまりもありません。 ミッドウェー作戦に投入される予定だったのが、後にガダルカナルに投入されて全滅するあの一木支隊でした。一木支隊は約900名というせいぜい大隊レベルの部隊でしたが、当時の日本軍が攻勢に投入できる戦力はその程度が限界だったんです。 緒戦の勝利に気を良くして調子に乗った海軍関係者が陸軍との打ち合わせのときに「オーストラリアに上陸しちゃうから、準備しといてねえ」といったら陸軍が「補給が持ちませんから無理です」と冷静に返したという話があります。 史実で、いっぱいいっぱいだったのです。 >山本五十六司令長官が豪語していた「開戦から2,3年は太平洋で大暴れして見せる。」が実現するのでは? 実際は「半年や1年なら大暴れしてみせるが、そこから先はどうなるか分からない」です。ですから、ほぼその言葉通りになったことになりますね。 しかしこの言葉は皮肉的でしてね。実はこの言葉を聞かされた近衛文麿は戦後のインタビューに「ほう。1年くらいだったらアメリカ相手でもなんとかなるんだな」という印象を持ってしまったというんですね。 山本提督は「とても勝てないですよ」というニュアンスでそう言ったのに、聞いた近衛首相は「ある程度まで対等にやれますよ」という自信だと受け取ったようです。 仮に作戦レベルでミッドウェー海戦に勝利できて、仮にミッドウェー海戦のような敗北がなかったとしても、以下のような事実があります。 ・米潜水艦の通商破壊戦により、1944年に日本の補給線は破綻します ・鉄鉱石や石炭は主に中国から輸送していたので、海上輸送ができなくなると日本は鋼鉄も生産できなくなります ・実は鉄よりも重要な金属は銅で、銅も中国大陸からの輸送に頼っていました ・エセックス級空母は、20隻投入されます ・烈風、彗星、天山の投入は史実通りに遅れます ・1945年の夏、原爆が完成します ・1945年の夏、ソ連が対日参戦します ・1946年、後にジェット戦闘機と空中戦をして撃墜するくらいに運動性能に優れ、B17なみの爆弾積載量を持つ艦上戦闘機である「A-1スカイレーダー」が登場します

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