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もしも第一機動艦隊がミッドウェーで勝っていたら?

史実では日本の機動部隊は開戦から6ヶ月後のミッドウェー海戦に敗れ、太平洋戦争の主導権を失いました。この時、南雲艦隊が普通に索敵を行っていたら負けることはなかったでしょう。もし仮に米海軍のヨークタウン・エンタープライズ・ホーネットの3隻を沈め、日本側は空母4隻のうち1隻若しくは2隻を失っていたとしても、米側は対日反攻作戦の術を失い、当然ガダルカナルの反攻は不可能になり、エセックス級とインディペンデンス級空母が戦線投入される1943年後半までアメリカの反撃は遅れることになります。その間に日本海軍はミッドウェーとハワイ、パルミラ諸島、フィジー、サモア辺りまでは行けるでしょうが、国力的にそれが限界で散発的に米西海岸の軍事施設に航空攻撃を行う程度で攻勢限界に達します。が、もう少し善戦ができたと思うのですが、どう思いますか?山本五十六司令長官が豪語していた「開戦から2,3年は太平洋で大暴れして見せる。」が実現するのでは? それでもアメリカは、傷ついたサラトガと大西洋からレンジャーを持ってきて反攻に出るかもしれませんね、ミッドウェーに勝利した日本海軍はさらに敵を侮り敗北するかもしれませんがw

  • 歴史
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みんなの回答

  • tak7171
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回答No.7

おっしゃるとおりの条件でMI作戦を成功させたとしても、日本海軍にハワイ攻略の力はありません。そもそもミッドウェイ島を取ったとして、そこを補給の根拠地にするには日本の力ではどれくらいの時間と労力と資源がかかると思いますか?あの当時の日本の国力を考えても、ミッドウェイ島を根拠地にする力はないかと思います。施設・補給等の能力を考慮すれば。恐らくはミッドウェイ島には若干の守備隊を置き、ハワイよりもポートモレスビー攻略に力を割くと思いますよ。アメリカとしてはそこで消耗戦に持ち込み、結果、マリアナ海戦が1~2年遅れるだけで、以降の流れは変わらないと思います。そもそもですが、歴史にIFはありえません。結果になるだけの諸因があれだけあるのであれば、軍事ではなく、それ以外の政治外交の手段に持ち込まない限り、今ある結果以上の結果があるはずはないのです。残念ながら、当時の日本にはその部分が欠落していました。敢えてIFを取り入れるなら、日露戦争当時の政府首脳が太平洋戦争時にいたのなら、少しは違った結果が出たかもしれません。

  • jkpawapuro
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回答No.6

えーともしミッドウェーで勝っていれば、次の日本の打つ手はミッドウェーを根拠地に潜水艦によりハワイに入港する輸送艦を襲いハワイに入る軍需物資と食料を封鎖します。 もちろんガダルカナルをとり米豪遮断も行います。アメリカの庇護を奪いオーストラリアを中立にしてしまいます。 ハワイを無効化しオーストラリアを連合国から脱落させてしまえば、アメリカは太平洋での策源地を失います。 飢餓に苦しむハワイに住むアメリカ人を人質にし有利講和を求める、それが妄想上でも限界でしょう。 そしてミッドウェーに勝てばこの可能性があるか、はっきり言って無理でしょう。 米豪遮断してもオーストラリアは多分脱落しません。そしてハワイ閉塞をしてもアメリカは屈しないでしょう。たとえハワイを落としても白人を脱出させてたとえ西周りからでもアメリカは戦うはずです。そしてこの作戦をやりぬく前におそらくタンカーが不足し前線のどこかで機能不全が起きると思われます。

  • ify620
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回答No.5

太平洋戦争は、十分な準備の後、始められました。 しかし、工業力の差で、真空管ですら短命の粗悪品ばかりになってしまい、 戦闘機ですら、重い通信機を外して昇ったそうです。 無用の長物、戦艦大和や武蔵、敵前Uターンの迷将のオンパレード。 戦争体制に入っていない米国相手に始めた戦争には優位に立てたが、 sindengen999 様のご指摘の通り、6ヶ月後には、余裕で日本艦隊を撃破しました。 唯一、自爆攻撃は米国に不安を与えたようです。 ✡--------✡ 日本文化では、上意下達で、新しい戦法を行えません。 決断力や体力のある優秀な国民を兵士として、死なせたので、ある意味、優秀な牡馬を淘汰したのです。 農業を成就させようとすると、種苗や種牛・種鶏が重要なことが分かります。 戦争は必ず終わります。終わったときに役立たずの国民では国は滅びます。 学校では、補助教員が付かないと危険な行為をする児童生徒が沢山居ます。 しかし、農業のように間引きや品種改良(見合い結婚)はできません。 ペット業界だけは、間引きや品種改良で成り立っていると聞きます。。 ✡--------✡ 米国艦隊を打ち負かして、米本土に総督府と神社を置いて、日本語を学ばせたでしょうか? 何のために戦ったのか意味が分かりません。 sindengen999様は、どこまで兵(国民)を出して、どこでこの戦争を切り上げるのか謳っている場面をご存じですか? 兵学校では、これを教えていません。 これを知らない爺様どもが優秀な日本健児の将来を摘み取ったのです。 兵士が政権に入るべきではありません。 軍隊は、抑止力となるべきで、不幸にも開戦に至ったら、終戦を決断することが重要なことです。終戦に言い出せない将官は無能としか言えません。 戦争はギャンブルです。想定外に大もうけできることもアルでしょう。 しかし、想定外に負けることもあります。 このときに、帰りの汽車賃(国民の生活力)を使い果たして、破産までギャンブルを続けるお父さんが、立派な日本国民でしょうか? 将官を、海外や国内の大学・施設に送って学ばせるのが必須の要件と思います。 かつて〝三国干渉〟を受け入れた日本は素晴らしと思います。 太平洋戦争の真珠湾攻撃は、攻撃方法は十分研究しても、後の体制の研究は皆無であったと思います。 (レーダーや通信機を積まない戦闘機が舞い上がっても、 雲の陰に隠れた敵の存在は分かりません。 帰還すべき母艦が沈められれば、戦闘機は戻ることすらできません。) ここらからが、大きな間違いに気づくべきであったと思います。 漫談調のお話がみつかりました。 https://www.youtube.com/watch?v=5kft7VvJvv0

  • 4237438
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回答No.4

>もしも第一機動艦隊がミッドウェーで勝っていたら? なんと言ってもナチスドイツがソ連侵攻をしていなかったらという条件がつきます。アメリカの本当の脅威はナチスドイツです。 ソ連が東側戦線を担当してくれたけど、西側のイギリスは旗色が悪かった。結局アメリカ頼みだった。 もし 1.独ソ不可侵条約が守られ、 2.ミッドウェーで勝って、 3.ナチスドイツがロンドンを占領できていたら、 アメリカは休戦条約を結んでいたでしょう。 そうなっていれば良かった悪かったはともかくとして歴史は大きく変わっていたことでしょう。 まあ所詮、たらればの話ですが・・・

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10491/32992)
回答No.3

>南雲艦隊が普通に索敵を行っていたら負けることはなかったでしょう。 実は、南雲艦隊が予定通りに索敵をしていたら米艦隊を発見できなかった可能性が高いのです。 米艦隊を発見したのは重巡利根の索敵機です。この索敵機の発進が予定より30分遅れたことは質問者さんもご存知でしょう。 でもさ、よーく考えてください。この索敵機が予定通りに発進していたら、索敵機は現実の飛行より30分ぶん先を飛んでいたことになります。つまり、索敵機は予定より狂ったことによって「偶然」米艦隊とタイミングが合うことになったのです。予定通りに30分ぶん先を飛んでいたら、その地点にはまだ米艦隊は存在せず、そのまま通り過ぎていたことでしょう。 しかもその索敵機が「敵空母ラシキモノ見ユ」と報告をしてきたのに、艦隊側は「え?アメリカは空母を出してこないだろ。誤認じゃないのか?」と判断を間違てしまいます。 ですから仮にどの索敵機が「敵空母見ユ」と報告しても、「それは艦種誤認だろ」と処理された可能性は高いと思います。なにせ先立つ珊瑚海海戦でタンカーを空母と見誤ってしまうということがありましたからね。「またタンカーと見間違えたんじゃないか?」とはなったと思います。 >エセックス級とインディペンデンス級空母が戦線投入される1943年後半までアメリカの反撃は遅れることになります。 その通りですが、元々アメリカの戦略は「まずは対ドイツ戦。それが片付いてから対日戦」という方針でした。それをやいのやいのいって太平洋方面でも反撃をさせたのがあの虚栄心の塊であるマッカーサーとアメリカ海軍で一番嫌なやつであるキング提督でした。キング提督って日本ではほぼ無名の存在ですが、太平洋戦争勝利の立役者の一人であることは間違いないですけどね。でも「嫌なやつエピソード」には事欠かない人物です。軍人版スティーブ・ジョブズみたいな人です。 >その間に日本海軍はミッドウェーとハワイ、パルミラ諸島、フィジー、サモア辺りまでは行けるでしょうが 残念。既に史実で攻勢限界点に達していました。日本本土からミッドウェー島の距離はおおよそ4000キロ。そしてミッドウェー島からハワイ諸島までの距離がおおよそ2000キロなんです。ちなみに東京から約2000キロというと、石垣島くらい。あのラバウルからガダルカナルまでの距離がその半分の約1000キロなんです。日本軍が持つ航空機でミッドウェー島からハワイ諸島まで往復できるのは二式大艇くらいでしょうか。 ちなみに米軍は、もしミッドウェー島が占領されたらB17と潜水艦で補給線を攻撃する計画でした。ミッドウェー島は真水が出ないので、潜水艦で輸送船を攻撃されたらひとたまりもありません。 ミッドウェー作戦に投入される予定だったのが、後にガダルカナルに投入されて全滅するあの一木支隊でした。一木支隊は約900名というせいぜい大隊レベルの部隊でしたが、当時の日本軍が攻勢に投入できる戦力はその程度が限界だったんです。 緒戦の勝利に気を良くして調子に乗った海軍関係者が陸軍との打ち合わせのときに「オーストラリアに上陸しちゃうから、準備しといてねえ」といったら陸軍が「補給が持ちませんから無理です」と冷静に返したという話があります。 史実で、いっぱいいっぱいだったのです。 >山本五十六司令長官が豪語していた「開戦から2,3年は太平洋で大暴れして見せる。」が実現するのでは? 実際は「半年や1年なら大暴れしてみせるが、そこから先はどうなるか分からない」です。ですから、ほぼその言葉通りになったことになりますね。 しかしこの言葉は皮肉的でしてね。実はこの言葉を聞かされた近衛文麿は戦後のインタビューに「ほう。1年くらいだったらアメリカ相手でもなんとかなるんだな」という印象を持ってしまったというんですね。 山本提督は「とても勝てないですよ」というニュアンスでそう言ったのに、聞いた近衛首相は「ある程度まで対等にやれますよ」という自信だと受け取ったようです。 仮に作戦レベルでミッドウェー海戦に勝利できて、仮にミッドウェー海戦のような敗北がなかったとしても、以下のような事実があります。 ・米潜水艦の通商破壊戦により、1944年に日本の補給線は破綻します ・鉄鉱石や石炭は主に中国から輸送していたので、海上輸送ができなくなると日本は鋼鉄も生産できなくなります ・実は鉄よりも重要な金属は銅で、銅も中国大陸からの輸送に頼っていました ・エセックス級空母は、20隻投入されます ・烈風、彗星、天山の投入は史実通りに遅れます ・1945年の夏、原爆が完成します ・1945年の夏、ソ連が対日参戦します ・1946年、後にジェット戦闘機と空中戦をして撃墜するくらいに運動性能に優れ、B17なみの爆弾積載量を持つ艦上戦闘機である「A-1スカイレーダー」が登場します

回答No.2

仮にミッドウェーで勝ってたとしてもその後に どこかの海戦で大敗を喫してたと思いますよ そもそも日本には太平洋の戦略プランが無かった 単に支配地を拡大するだけしてその後の事は全く考えていませんし ミッドウェーに臨む前に日本は有利な状態でアメリカと講和を結ぶべきでした 日本が勝つ道はそれしか無かった気がします まぁ 負けてくれたおかげで今の日本があるわけで もし日本が戦勝国だったら今頃アメリカと並ぶ軍事大国で 今もどこかで日本兵が戦ってたでしょうね

回答No.1

先に補足からその後質問に私個人の意見を言います。 1)太平洋戦争に勝つためには、まず日本は海軍と陸軍の仲たがいがないことが条件 2)陸軍が真珠湾攻撃の時に同時攻撃で占領することでハワイを日本の直下に持って行けた。 3)南雲中将の真珠湾攻撃が荒々しくずさんであった。この時に燃料倉庫・ドックなど軍事補助設備を破壊していれば1年は太平洋で米軍に力をそぐことが可能だった。もう1便飛行機での破壊工作が足りなかった。このことで山本長官も””南雲でなければ””と言葉を発したようです。 4)ハワイを占領してることで、ハワイの返還交渉で戦争を停戦することも可能だった。 5)ハワイ攻撃の時にルーズベルト大統領は攻撃日、攻撃箇所、攻撃方向、空母の位置を的確に把握しており西海岸から大型爆撃機をハワイに輸送すると連絡入れていたことでハワイ基地は日本の飛行機を勘違いして未対応だった。 ここで日本軍のハワイ攻撃がなければ、イギリスの戦争介入要請にこたえることができず秘密事項として日本にハワイを攻撃させた。 日本軍はこの時暗号を解読されておりルーズベルトの手の上で踊っていただけだった。 以上がハワイ攻撃での日本軍の失敗だと思います。 >南雲艦隊が普通に索敵を行っていたら負けることはなかったでしょう 最初から負ける戦いだったと言えます。当時優秀と言われていたゼロ戦の 欠点がこの戦いの時に相手にばれており急降下をすると主翼と尾翼がもう振動することで破壊の恐れ場あることを気付かれていました。 この欠点は、インドでの海戦で南雲中将がさらけ出した日本にとって 手痛い欠点でした。インド戦線では、優秀なパイロットにより勝ちとなりましたが、ミッドウェーではその欠点がすべてでた開戦となります。 そのうえ、破竹の勢いで快進撃をしていたことで南雲中将は、 空母の着艦しやすいように赤い丸を甲板にマーキングしたことで 上空よりそのマーキングに向けて急降下攻撃をされ的となったという事実もあります。空母赤城と加賀の最終プラモデルでは甲板に赤い丸がついています。 質問者さんが書かれているように相手の空母を沈めていたら イ400潜水艦のパナマ運河攻撃で運河の制海権を取れていたと思います。 但しイ400が8層すべて完成していたらと思いますができていなければ、 破壊して西と東海岸を行き来できないようにすることもできたと思います。 このことで、ドイツもソ連戦線に力を注ぎ勝っていたかもしれないですね。 もう少し米国の潜水艦対策をしていれば戦況がかわったでしょう。 追伸ですが、敗戦の8月にはB29対策の砲台とB29対策の1万メートル以上の飛び圧陸軍の戦闘機があり対策はできていました。 米軍の戦後横須賀での言葉に””原爆投入により早期終戦できよかった””と言葉がるそうです。意味はまだ投入できていない兵器が10種類ほどあったそうです。 たらは、言っても仕方ないので参考にしてください。

参考URL:
https://www.youtube.com/watch?v=2HrGoF61JdU

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