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謝ってほしくはない

naechinの回答

  • naechin
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回答No.18

masatoshi-mさんにもご同意をいただきましたので、私の方もこれで心置きなく(笑)、お話させていただきますね。 >「くさいものに蓋」と「モノを規制する事」は、全く異質の事だと思います。 例えば、「くさいものに蓋」は、子供たちを人として扱わないような偏差値教育であり、「モノを規制する事」は、営利目的で節操のないモノを生産し続ける隠れたる犯罪者達への規制という事です。 この辺は、私の「垂れ流しがいいこととは思わない」ということと同じだと思います。ただ、全てが「営利目的」なのか?そして、垂れ流されている以上、そこを規制するのは難しいです。下手をすると「情報保護法」や「言葉狩り」と同じレベルになってしまう危惧もあることもある以上、抑止することは、かなり難しい作業ですし、感情論にも成りかねません。その上で、対処法の検討を私は考える方が前向きだと思います。 >そして、やがて剥がれ落ちるメッキではなく、ゴールドやプラチナのハートを持つ人間に成長するには、人それぞれの成長時期があり、必要な過程もあります。 確かにそうかもしれません。ですが、必要な過程というのは一体、いつどこで発生するのかは、誰にも分かりえないことです。このたとえ話にしても、おばあちゃんのお孫さんに対する愛情の一環だと思いますし、行為自体を責める気もさらさらありません。ですが、そこで見えなかったものはどうなるのでしょうか?極端な例え話で恐縮ですが(子供が恐怖でひきつけを起こすと仮定しますね。)、おばあちゃんのお見舞いに行って、おばあちゃんではひきつけを起こさずとも、他の治療中の方を見てしまった場合はどうなるのでしょうか?もちろん、「自分のおばあちゃんである」というのも理由の一つになるでしょうが、そこで見なくても、何かの拍子で見てしまった場合はどうなるのでしょう?「嫌な顔をしちゃダメよ」というのもおかしな話で、そこにあるのは「おばあちゃんが一生懸命ガンと戦っている」というのがおきざりにされてしまっているような気がします。 変な話、いいタイミングな訳です。そこできちんと説明することによって、受け取るものもあるはずです。皆、大人になると忘れてしまいがちですが、子供はそんなにバカじゃありません。表現方法を知らないだけで、色んな事を考えています。「子供だから」ではないです。「子供だからこそ」です。ハンセン病・エイズ・身体障害者。。。諸々、結局すべて「無知からきている偏見」です。発育過程においてと言っても、小学生は小学生なりに色んな事を考えているし、それこそ強者ではなく、私にすれば子供を見くびりすぎだと思います。 あえて真実を告げないことも優しさかもしれません。もちろん、がん告知の問題とも通じることがあると思いますしね。でも、実際に起こってしまっていることに関しては、なるべく前向きに真実を見つめつづけなければ、結局曲解してしまう結果にもつながってしまうと思います。 後、vitamin-powerさんのご意見に関して。。。 確かに、抑止力としてのものでしかないように思います。それすら、怪しいですが。。。ただ、死刑囚に関しては、そうとも言えないかもしれないです。実際、罪に対しての懺悔などをする人もいるようですね。そうでない人ももちろんいますが。そういう意味では、罪に対する刑というのでは、一番、本来(?)の役割を果たしているのかもしれませんね。 >遺族の代弁者ではあっても被害者当人の感情を代弁しているのかどうかはわからない、と感じます。 当人の気持ちをそっちのけで、大事な人を失った残された人たちの気持ちばかりを考えていると、亡くなった人は彼等の所有物のようで主体性が認められていないようにも思います。 被害者当人の感情と言うのが分からない限り、ここはどうにもこうにもしようがないと思います。所有物と言う感情ではないと思いますが、「自己満足」でしか、もしかしたらないのかもしれませんね。そこは、何とも言える所ではないと思います。ですが、そこは「遺族」というのが一番「被害者に近しい存在」と言うところでとらなければ、「遺族の感情を考慮して」と言うのも生まれなくなってしまいますので、本人の気持ちを聞けない以上は正解かどうかの答えはでないですよね。 改心・謝罪と言ったものが、心の問題である以上、本人以外、どうしようもないことです。手助けは出来ても、変えることは、本人以外の誰にもできない。当たり前のことなんですが、ロボトミー手術をする訳にもいかない以上、更正施設での「心の対処」を、牧師さんとかだけじゃなくて、もうちょっと具体的にやらないと意味がないんですよね。それでも、無理かも。。。こればっかりは、法も宗教も哲学も何にも意味がないんですよね。だとしたら、刑罰って無意味になっちゃうんでしょうかねぇ。。。

masatoshi-m
質問者

お礼

 naechinさんのご意見は今のところほとんどadelaideさんとの《意見交換》のような形になっていますので、私の方からのコメントは敢えて差し控えさせていただきますね。両者なかなか鋭いところでの意見交換だと感心しながら読ませて戴いています。これはどちらが正解ということではありませんね。真摯に人生の真実を求めようとして取った人生へのスタンスの相違に過ぎない。そしてお二人ともそのことを充分理解していらっしゃるから、意見の交換が実りある豊かなものとなっている。どの辺りに話が落ち着くのか、実は私も楽しみにしているのです。どうぞこのまま意見の交換をお続けになってください。私も話の展開をじっと見守りたいと思います。 で、ひとつだけよろしいでしょうか? >こればっかりは、法も宗教も哲学も何にも意味がないんですよね。だとしたら、刑罰って無意味になっちゃうんでしょうかねぇ。。。 実はこのつぶやきがどういう文脈から発せられたものかよく分からないのですよ。 まぁ、それ以前の文章にその答があるのだとは思うのですが、私には今ひとつ読み取れないのです。表現は悪いのですが、何だか非常にアナ-キーなニヒリズムが漂っているようで、どうにも腑に落ちないのです。まことに申し訳ありませんが、どういう文脈からのつぶやきなのかご教示ください。或いはこれはnaechinさんの「犯罪」というものに対する「悲しみの表現」かとも思ったりするのですが、憶測の域を出ません。よろしくお願いします。 お付き合いに感謝いたします。有難うございました。

masatoshi-m
質問者

補足

>masatoshi-mさんにもご同意をいただきましたので、私の方もこれで心置きなく(笑)、お話させていただきますね。 ええ、ええ、どうぞ心置きなくお話し下さい。 で、今私、お話に加わる時間やお礼を書く時間がないのですね。(し、し、仕事が(^_^;)・・・) 後日改めてゆっくりとお礼を書かせていただきます。 申し訳ありません。m(__)m ではでは。(あ、adelaideさんとのご意見の交換、なかなか鋭い切り口になっているようですね。)

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