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謝ってほしくはない

crimsonの回答

  • crimson
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回答No.9

ちょっと余談から。 >善が悪に勝つのは日本映画やテレビドラマは、 >せいぜい水戸黄門や必殺○○シリーズ程度 >でしょうかね? …うーん、時代劇マニアの目から見ると、この両シリーズ を同列に語るのは無理があるんですね(^^;)。 「必殺」の本来のコンセプトは、 「正義じゃ悪は裁けない。それをできるのは悪の上を行く “極悪”だけだ」 というものなんです。 “仕○人”たちの戦法も結局は非合法なものゆえ、中には 悲しい結末を迎えた者もいます(ちなみに、そのうちの一 人である「仕留人」の糸井貢を演じたのは、現・水戸光圀 役の石坂浩二氏だったりするのですが…)。 さて、TVの話題が出たところで、ちょっとご紹介したい 話があります。故・岸田森氏が主演した『怪奇大作戦』の 第24話「狂気人間」。 ここでは詳しく書きませんが、いわゆる「39条」の矛盾 に焦点を当てた話で、こういう時期だからこそ注目される べきなのですが…ご多分に漏れず、「人権に配慮して」 欠番となってしまったのです。 しかし、同話を紹介したサイトは数多く存在しますので、 ぜひ探して情報を得て、そしてご自身の頭で考えて頂き たいのです。

masatoshi-m
質問者

お礼

 うわ~っ、crimsonさんて、時代劇マニアですねー。詳しい詳しい…。 私など殆ど時代劇を見ないものですから、何が何だかサッパリ…(^_^;)。 >「必殺」の本来のコンセプトは、 「正義じゃ悪は裁けない。それをできるのは悪の上を行く “極悪”だけだ」 というものなんです。 …一体どこからこういう情報を入手されるのですか?  番組のコンセプトを紹介したようなものがあるんですか? どうでしょう。正義と言い悪と言い、その根拠、拠り所となるものは 近代法治国家にあっては「法」そのものですよね。 >「正義じゃ悪は裁けない。それをできるのは悪の上を行く “極悪”だけだ」 と言っても、「必殺」の視聴者って仕掛け人(?)の悪人退治に 喝采していたのでしょ? 悪い事をするヤツがいて、それを お役人の手に拠らず、いわば殺し屋集団のような仕掛け人たちの手で 葬り去ることで視聴者の人気を得ていたのではないのですか? 私、1話も番組を見たことがないので、 憶測でしかものが言えないのですが…(^_^;) まぁその憶測を前提にしての話ですが、仕掛け人たちは つまりは法による制裁を加えているわけではないから、「悪人」 となるわけですね。というか、その、《極悪》を装わざるを得なくなる訳ですね。 法が仕掛け人たちに味方していないから、その結果単に《極悪》の衣装を 纏わされているだけに過ぎないんじゃないですか? (ウ~ン、番組を知らないからもどかしい(笑)) 仮にここで話を健さんのヤクザ映画に置き換えて話しますと、 健さんの最後の敵地への殴り込みは明らかに違法ですね。 違法ですが、鑑賞者は健さんを悪人、極悪人とは思いません。 法は犯しているが、《とびきりの正義漢》《男の中の男》だと感動しながら 映画に見入っているのです。 法治国家においては《法》が唯一の《正義の砦》です。 これを破れば《悪》だしこれを守れば《正義》なのです。 その意味では  >正義じゃ悪は裁けない。それをできるのは悪の上を行く “極悪”だけだ   というのも一つの衣装に過ぎない。 何故なら、本当の意味での《極悪》に、人は喝采しないだろうからです。 >故・岸田森氏が主演した『怪奇大作戦』の 第24話「狂気人間」。 うわっ、これまたなつかし~っ!!  見てましたねー、リアルタイムで。岸田森さんが何となく不気味な味を出していて 番組自体が何となくおどろおどろしい雰囲気を漂わせていました。 でも内容はまるで覚えていません(^_^;)。妙に怖かくて 何とも言えない滑稽感があったことだけはボンヤリ思い出すのですが…。 「狂気人間」ですか。こういう番組を改めてテレビで見てみたいものです。 何でもかんでも蓋をすればそれでよいというものではありませんね。 真実を正面から見据える勇気。 そこからしか物事を正しく判断できる知恵は生まれてきません。 何だかあれやこれやと書き込んでしまいました。(^_^;)…m(__)m crimsonさん、2度もお越し戴き、まことに有難うございました。

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