• ベストアンサー

謝ってほしくはない

noname#1499の回答

noname#1499
noname#1499
回答No.8

事件当初は刑法改正を望む人が多かったですよね。(参考URLなど)僕はいまでもそうおもっています。被害者の親族などにインタビューをするとかよりも、裁判を公開にしてケーブルテレビで深夜に流せばどうか?とか思っちゃいますよ。あの刑法はおかしいです。鑑定基準やその更新期間も触れていないし。修正が必要なのではないのでしょうか? 解任された理由などは分かりません。別に国選弁護人がつくことも構わないです。ただ言葉だけの謝罪はウンザリだし、自分は精神病とかって言って欲しくないです。病気で本当に困っている人や一生懸命治そうと努力している人もいるのですから。また「精神病→危ない人」っというような誤解を招きやすい報道やそう言う風に思って報道する人はやめて欲しいです。 「極刑」は免れないでしょうね。ただ、日本の裁判制度の悪いところは判決に至るまでに時間が掛かることですが、この場合は彼が自分の犯した過ちに気付く猶予期間を与える意味で逆説的に良いかもしれませんね。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=87302
masatoshi-m
質問者

お礼

 inukoroさん(これはまたかわいらしいお名前ですね)、 ご回答有難うございます。お礼が遅くなりました。 ちょっと仕事が立て込んでおりまして…m(__)m >解任された理由などは分かりません。別に国選弁護人がつくことも構わないです。    いや実は私が知りたかったのは本当に容疑者が自分の意思で 報道されているようなことを言い、弁護士解任に至ったのかということ だったんですよ(警察発表への不信感が根底にあります(笑))。 だのにあの質問をあげた夜、少々お酒が入っておりまして 今ひとつ焦点のボケた質問文になってしまって、 ご回答者の皆さんを戸惑わせてしまったんじゃないかと反省しています。 幼い命の残酷な奪われ方を思っていると何だか無性に悲しくなって 少々おセンチな文章を書いてしまいました(^_^;)。 で、質問の意図は「容疑者があんなこと言ってるけど、 皆さんはどうですか。一部マスコミで報道されていますが、 彼に謝ってほしいですか、謝ってほしくないですか。」 ということだったのですね。 私は断固、犯人に命を奪われた子供たちの前で手を合わせてほしくないのです。 犯人に「謝罪の心」があるとは思いたくないわけです。 世田谷での一家惨殺事件の犯人に対する思いも同じです。 極刑に処されるのは当然ですが、「お詫び」だけはしてほしくない。 …私も少々頑固?(^_^;)。 >また「精神病→危ない人」っというような誤解を招きやすい報道やそう言う風に思って報道する人はやめて欲しいです。 これは仰るとおりですね。安易な報道が偏見を生み、差別を生みます。 ただ、ここのところ、マスコミの勇み足や失態のおかげで 国民も報道機関のいい加減さ、頭の悪さを見抜き始めているようですから、 以前ほどの心配は要らないかもしれませんね。 「お宅らも仕事とは言え、大変ね~」ってなもんじゃないですか(笑)。 >この場合は彼が自分の犯した過ちに気付く猶予期間を与える意味で逆説的に良いかもしれませんね。 inukoroさんに楯突くわけじゃありませんが(笑)、 私は犯人が刑を執行される、その最後の最後の瞬間まで、 自分の犯した過ちに気づいてほしくないのですね。 過ちに気づけば、ひょっとしたら謝罪の言葉が出るかもしれない。 私は犯人から謝罪の言葉など聞きたくないのです。  参考URL、ご親切に有難うございました。 今度ゆっくり時間のある時に見に行ってきますね。 有難うございました。

関連するQ&A

  • 命は命で償える?

    一応、死刑賛成という前提で考えます。 死刑賛成者の多くは 被害者遺族の身になって 奪った命は 自分の命を差し出して償うのが当然という考えがあると思います。 しかし、宅間守や加藤智大なんかは 死刑は当然なのに 喩えようのない やるせなさを感じるのではないでしょうか? 宅間は裁判で 「お前らの子供8人は わしが殺して わしが死刑になるために生まれてきたんや。」とか言ったそうです。 遺族としても 宅間を生かしておくのは 言語道断だけど、死刑にしたら 宅間の思い通りになったようで、特に 宅間が言ったように 自分の大事な子供の命が あんな外道の命の 1/8しかないことを認めるようで 非常に悔しい思いをしたと思います。 それに、遺族たちも いざ 宅間の死刑が執行されてみて、区切りはついただろうけど、虚しさを感じ、宅間の最後のセリフが頭に蘇り、自己嫌悪に苛まれたんではないかと察します。 命は命で償うというは、逆から 考えれば 最初から自分の命を差し出すつもりなら 何人殺して構わないということにも なりかねません。 死刑賛成派の論理だと 命はどれも同じ長さで 数本束ねても長さは変わらないということになるかと思いますが、死刑反対派の人からみて、命は命で償うことの最大の不条理は何だと思いますか?

  • なぜ残虐な刑は禁止されているの?

    現在、江戸時代に行われていた「市中引き回し」のような残虐な刑は禁止されていると聞きました。 それはどのような理由で禁止されているのでしょうか? もしそれが人権に関わるものだとすれば、なぜ命を奪う「死刑」は認められているのでしょうか? 私は個人的な意見として「極刑が死刑」という制度に反対で 現在において死刑に値するようなひどい犯罪者はどうせ死刑にするぐらいなら その犯罪者が「死んだほうが100倍マシだ」と思うような厳しい罰をそいつが寿命を全うするまで与え、心から自分の行った行為を悔いるようにしてもらいたいです。宅間守のように「俺は反省なんかしない。早く殺せ。」といったような態度で望んで死刑を受ける奴もいる事を考えると、必ずしも今の極刑が被害者の方が本当に望むものではないとも思います。 過激な意見だったかもしれないですが、回答の方よろしくお願いします。<m(__)m>

  • 宅間守の捨て台詞

    宅間守は 法廷で遺族に向かって “おい、くそガキの親! おまえらのガキの8人分の命は ワシ一人を殺して終わりの程度の価値やったんやぞ! エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや! ガキどもが死んだ原因はおまえらあるんや! せいぜい一生反省せいよ! あの世でもおまえらの子供しばき倒したるからな! あははははは!あははは!こらおもろい!” と捨て台詞を吐き、遺族たちの感情を逆撫でしました。 そして、宅間は異例の早さで死刑が執行されました。 まあ、宅間を生かしておくのは言語道断だとして、でも、死刑が執行されたことで 遺族たちは 宅間に対する憎しみも緩和され、少しは気が晴れたかもしれませんが、宅間の思い通りになって 却って 虚しさや 屈辱感や 敗北感を感じただろうと思います。 しかし、こういうのって、どう解釈したらいいんでしょうか? 宅間と遺族の思惑が一致してドローなのか、8人の児童が生贄になって 宅間という悪魔を倒したと考えるべきか....

  • 日本の死刑方法は生ぬるくないか?

    日本での最高刑は言うまでもなく 死刑です。これは 人の命は最も大事なものなので、他人の命を奪ったら、自分の命を奪われるということだと思います。 しかし、中には 宅間守や加藤智大のように 死刑になりたくて 殺人を犯したという 実にふざけた奴もおります。これは、死刑方法が手ぬるいからだと思いますが、 そんな気持ちにならないほど過酷な刑にすれば 殺人なんか犯す人はいなくなると思いますが、みなさんは いかがお考えですか?

  • 宅間守や松村恭造を生む社会の問題について

    先日、長岡京主婦殺害で逮捕された松村容疑者も、宅間守と同じく、体格が比較的良いことから、小さいころから周囲に暴力を振るっていたそうです。高校では校内の樹木を勝手に伐採したり女性教師に暴行したりして退学し、ある時は警察官に自転車を投げるなどの傷害事件も起こしていたようです。家族にも暴力をふるっていたようです。しかし後に大検を取り、練馬区の大学に合格したりとしっかりした面も見せますがすぐ辞めたそうです。宅間守も、航空自衛隊や市役所の公務員などちゃんとした仕事に就いた経験がありながらも、事件を繰り返し、社会への逆恨みからあの惨事に至りました。なぜこのような人々が生まれてしまうのでしょうか。これらの人々より恵まれない人もいるのではないでしょうか。

  • 証拠があるのに否認する容疑者

    たまに、被害者の体から犯人のDNAが検出され容疑者とそのDNAが一致してるのに、それでも容疑を否認する容疑者がいたりしますが、そのような容疑者は全員、DNAの一致なども検察や警察の捏造だって苦しい言い訳をしてますが、やはりこういうのって罪を逃れるために弁護士の入れ知恵で言ってるだけでしょうか? あと、DNAで一致してる部分も警察の捏造なんてことはあり得るのでしょうか?

  • このような場合、弁護人というのはどうするのか?

    法曹関係もしくはその世界に詳しい方、教えてください。 ある弁護士がある事件の容疑者の弁護人になったとします。 その容疑者は断固として無実を主張しています。 その弁護士は自分なりに彼の身辺を調査していくうちに、偶然、間違いなく彼が犯人である という物的証拠を掴んだとします。それは捜査機関側は全く気づいていません。 このような状況の場合、一般に弁護士というのは、その証拠を隠し、 自分の弁護している人間の無実であるという主張に沿って裁判を続けていくのでしょうか? それとも、先ほどの証拠を彼または警察に開示し、裁判において、できるだけ罪を軽く することに努力するのでしょうか?

  • 宅間守の最後っ屁

    日本での最高刑は言うまでもなく、死刑です。 これは 万人にとって 命ほど大切なものはないからこそ、他人の いちばん大切なものを奪ったら、自分の いちばん大切なものを差し出す、ごく、当然のことだと思います。だからこそ、死刑は 殺人などの重犯罪の抑止力になっているんだと思います。 ところが、たまに、宅間守や加藤智大のように、死刑になりたいから人を殺したなんて ふざけた人がおりますが、「死刑になりたいから」なんて、そんな最後っ屁みたいな、負け惜しみみたいな事を一々真に受けなくても・・・という気もします。 宅間なんて、威勢の良い事をあれこれ言ってましたが、いざ執行の段になると、顔面蒼白、足はがくがく震えてうまく歩けず、両側から引き摺られる様にして・・・という元刑務官の証言も有ります。そんなもんだと思います。 そこで質問ですが、みなさんは、宅間守の心理のどのように分析しますか?

  • 弁護士について、ひっかかります。

    殺人犯の裁判が起こります。 容疑者側には弁護人がいます。 なぜいるのかと知り合いに聞いたら容疑者側の人権も守るためとかなんとか・・・。 これおかしくないですか? 殺人犯は、人を「被害者」を殺しています。 当然被害者の人権も命も奪ってしまったことになります。 人の人権を奪っておいて自分の裁判に弁護人つけて自分の人権守るって・・・。 正直、人の命奪った側には人権なんかいらない!!と思ってしまいます。 なぜ弁護人を付けるのか教えてください。 頭が悪くてスイマセン。

  • 死刑になりたいから人を殺した人には

    日本での最高刑は言うまでもなく、死刑です。 これは 万人にとって 命ほど大切なものはないからこそ、他人の いちばん大切なものを奪ったら、 自分の いちばん大切なものを差し出す、ごく、当然のことだと思います。だからこそ、死刑は 殺人などの重犯罪の抑止力になっているんだと思います。 ところが、たまに、宅間守や加藤智大のように、死刑になりたいから人を殺したなんて ふざけた人がおりますが、それだったら、そんな気持ちにならないほど過酷な死刑方法を採用すればよいだけの話だと思いますが、何か 問題点はありませんか?