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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:同郷と一語なのに、同じ家と二語で言うのは?)

日本語の文法での「同郷」と「同じ家」の表現はなぜ異なるのか?

このQ&Aのポイント
  • 日本語の文法では、「同郷」と「同じ家」という表現が異なる理由について説明します。
  • 日本語の文法では、「同郷」という表現は故郷を同じくすることを指し、音読みの「ドウ」という音を前綴として使います。一方、「同じ家」という表現では、「同家」とは言いません。訓読みの形容詞を使います。
  • 日本語では合成語や形容詞附きの表現があり、いつどのような表現を使うべきか分かりにくい場合があります。また、「同人」という言葉も別の意味を持ちます。

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回答No.10

明けましておめでとうございます。 だいぶ日にちが経ちましたが、「答」を求めてまだ探求なさっているでしょうか。 >日本語を母国語としない人が問題に直面したときに、判断基準があれば便利だという程度のことです。 それでしたらよくわかります。しかしこれは、私たちが外国語を学ぶ場合も同じで、「判断基準」があればよいと思って探しても見つからないことがしばしばあります。ネイティブに尋ねても、一括して把握できるようになる規則や文法を説明できないのが普通で、言葉というのはそういうものですので、落ち込む必要は全くないと存じます。確かに、基準のようなものがあれば学習を合理化でき、短期間に修得できるでしょう。規則化できる事項に関してはどんどんやるべきだと思います。 私は芸術系で、理系と文系の中間にいます。音楽に関しても、作曲や楽器の演奏法に関する理論書はいくらでもあり、音楽学者が書いた特殊な理論も存在します。理論の知識は非常に大事ですが、そういうものを山ほど勉強しても、ついに上達せずじまいに終わる人が多勢を占めます。感覚的に直接捉え、体感による経験を積み重ねない限りわからないことがあります。これらは言葉では表現不可能で、世界の超一流の音楽家たちも、人に教えなければならなくなったとき、どう説明すればよいのかわからないことがたくさんある、と語っています。 文法書を読むこと自体は決して嫌いではありません。おもしろいです。ただわたしの場合、文法書は辞書のように使ってきました。実践を先行させて、どうしてもわからなくなったときにちょっと見る、という方法です。ドイツ語で書かれた数百ページの文法書もありますが、あまり細かくなると、語学習得のためというよりは、言語の本質を分析追求することを主目的とする独立した学問分野になっていきます。おもしろいですが、初期の語学習得には直接的効果がありません。 前の回答をお送りした直後、gutefrageの質問者には最低限こんなことを書いたらどうか、ということを少し考え、ドイツ語で書いてお送りしてみようかとも思ったのですが、一行書いてやめました。それからいままで、いろいろな複合語のケースと、「同」から「同じ」への言い換えを異なる文脈の中で検討してみましたが、私の結論は、gutefrageの質問の出発点そのものが間違っているのではないかということです。向こうのサイトへの回答はもう必要なさそうですが、もう一度まとめ直しということでおつきあいください。前の回答と、内容が一部重複します。 現代中国の文法について書いている方がいらっしゃいましたが、文法の根幹は昔も同じです。中国から日本に入ってきた漢語の組み立ては中国の文法に基づくもので、日本語の文法に基づくものではありません。確かに、漢文の読み下しの方法で推測できることもありますが、中国語文法として感覚的に理解しているわけではありません。「同〇」の形の複合語の「同」を接頭辞と考えるとわかりにくくなるのは、「同」が、gutefrageの質問者が想像しているような単に後置の名詞を修飾する形容詞ではなく、動詞的にも副詞的にもなるからです(こういう感覚が、われわれ日本人が必ずしもはっきり意識できていない部分だと思います)。さらに、「同家」をdasselbe Hausと訳して考えていますので、必然的にderselbe / dieselbe / dasselbeのドイツ語での用法に引きずられています。ドイツ語のこの語は、直前に挙げた名詞を指す言葉としてほとんどの名詞の前に置くことができ、「同一の(=前掲の)」という意味に限定されます。漢語中の「同」は意味に広がりがあるので、単純にdasselbeの発想で考えること自体が前提として誤りです。「同」と「同じ」の言い換えの質問もそこからきていて、さらなる混乱の元となります。gutefrageへの回答はもう遅すぎるようですが、本来、この点を明らかにするべきでした。 漢語の中には、「構造」とか「限界」のように、書き言葉、話し言葉の別なく常に使われるものがたくさんあります。「同」を含むものにも、「同僚」「同感」「同量」「同時」などいくらでもあり、「同じ僚」「同じ感」とは言いません(「同じ量」はもちろんあります)。その一方、漢語は硬いもので、書き言葉では使っても話し言葉ではまず使わないケースというのがあります。「同家」「同者」などがこれに属します。書き言葉の場合は文字で区別できるので、同音異義語は必ずしも決定因子にはなりません。「同社」、「同者」、ともに問題ありません。話し言葉でも、文脈上誤解が生じないなら使っても問題ないとは思いますが、あまり使わないのは、単に固い表現になり、日本語らしくなくなるからだと思います。 組み合わせの問題からいうと、単純に形容詞的な「同じ」という意味で「同〇」という複合語でも、結び付けられない語というのがあります。例えば、色の名前の前には置けません。「同赤」「同白」「同黒」という言い方はしないわけです。漠然とした概念を表す名詞の中にも、結び付けられないものがあります。「同在」「同無」「同思」は使用されません。ドイツ語のdasselbe類なら問題ないのです。直前に言及されたものと同一のものを示すのであれば、dasslebe Nichts、dasselbe Weißと言えるのです。体の部分を表す言葉も、原則としては結び付けにくいです。「同頭」「同首」とは言いません。たまに、医療関係で「同足」などが出てくるようで、また、楽器の演奏法の本ならば、「同指で弾く」という表現が出てくる可能性はあります。ただしこのような場合、「どうあし」「どうゆび」と読みたくなるのが自然かと思います。「同腹」の場合は慣用語として存在しますので、これはまた別の事例として扱わなければなりません。こういう例をできるだけたくさん集めていけば、ひょっとすると、どういう種類の名詞には「同」が合わないという規則性をある程度まとめることができるかもしれませんが、果たしてどうでしょうか。ドイツ語の名詞の性についても、部分的には規則として説明はできますが、結局のところ、たくさんの単語を覚えていくうちになんとなく見当がつくようになっていきます。名詞の性の決まり方のみを徹底的に研究説明した書物というのを一度見かけましたが、研究として読む分には面白いかもしれませんが、そういう法則を山のように叩き込んでから単語を覚えていくということには意義を感じませんでしたので、そのときは買わずに帰りました。 「同〇」という複合語が、どういう場合に書き言葉、話し言葉の両方で使え、どういう場合に書き言葉に限定されるかの分類も容易ではないように思います。これは、コンピュータでも使ってデータを集め、解析してみるしかないのかもしれません。また、話し言葉で使いにくい「同〇」の代わりに「同じ〇」と言えるかどうかという問題になるとさらに複雑で、「同」が動詞的、副詞的な場合は不可能、形容詞的な場合も、文脈によって使える場合と使えない場合が出てきます。 書き言葉 △ 事件は閑静な住宅地の一軒家で起きた。同家(「同宅」「同所」の方が自然)に居住するAが犯人として疑われ・・・ × 事件は閑静な住宅地の一軒家で起きた。同じ家に居住するAが犯人として疑われ・・・ 話し言葉 × 事件があったのは静かな住宅地の一軒家だったそうだ。同じ家に住んでいたAという男が犯人らしいんだけれど・・・ 〇 事件があったのは静かな住宅地の一軒家だったそうだ。その家(そこ)に住んでいたAという男なんだけれど・・・ 〇 犯人と疑われているAは静かな一軒家に住んでいたそうだが、同じ家に住む弟と言い争いになったあげく・・・ 上の例を見た場合、同じ家を複数の者が共有していることを示すときには「同じ家」が使える、と言うことができるようですが、「家族・一族」を指す言葉として使う場合も、同じ家に属する複数の人物に関して使うときは「同じ家」が使えるので、こういうことを検証していけば、なにがしかの法則は立てられる可能性があります。 〇 田中家とは昔から懇意である。近々同家の息子が結婚するというので、式に出席することになった。 × 田中家とは昔から懇意である。近々同じ家の息子が結婚するというので、式に出席することになった。 △ 田中さんの家族は昔からよく知っているんだけれど、今度同家の息子さんが結婚するので・・・ × 田中さんの家族は昔からよく知っているんだけれど、今度同じ家の息子さんが結婚するので・・・ 〇 田中さんの家の人は何人か顔見知りだけれど、あの人も同じ家の人なの? 私が一週間で考えられたのはここまでで、全部を包括的に説明するのは無理だとしても、ある程度の法則性を見い出せる可能性はあるような気がします。しかし、これはもはや文法研究家に頼みたい仕事ですし、結局のところ、法則で覚えるよりも、長年の積み重ねで身につけた方がよいのではないか、と私などは感じます。 gutefrageでは「未」も出ているので余計にややこしいのですが、こちらの方はほぼ「未だ~ならず」の意味に限定されるので、「同」が前置される複合語とちがって、接頭辞のようにもっとシンプルに考えられそうです。ただ、中国語文法に即した本来の漢語のつくりとは違う「未登山」のような新しい造語は除外した方がよいでしょう。これは、「未だ山に登らず」ということになるのではないですか。 (続きます)

BASKETMM
質問者

お礼

夜中まで時間を使っていただき恐縮です。 一言で言えば、自然科学的発想で答えていただき、感謝しております。 何か私なりの意見を書こうとしても、とてもまとまりそうにないので、 今回は一応、質問を閉じることにいたしました。 というよりも、意見がまとまれば、別の質問で再投稿いたします。 Gute Frage にはこれ以上かき込まないつもりです。 余計なことですが、この質疑応答サイトが年々寂しくなり残念です。

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その他の回答 (11)

回答No.12

お忙しいなか有難うございます。せっかくコメントをいただいたので、少しだけ。 >あれは和声学でいう、平行8度で始まるので、違反だと数十年信じておりました。 そこまで専門的な概念を御存知ですか。驚きです。恥ずかしながらその楽曲を知りませんでしたので、ネットで確認しました。ベートーヴェン自身の作品は独唱曲で、合唱版はJoseph Dantonelloにょる編曲のはずです。ただ、曲の冒頭は、和声学で禁則とする並行8度には該当しません。全員が同じ音を歌っているので、様式としては「単声音楽」と同じで、「和声」が存在しない状態なのです。和声ではない状態では、そもそも並行8度という概念そのものが成り立ちません。作曲学習者が学ぶ和声学は、あくまでも和声を学ぶためのものなので、このようなユニゾンの動きは最初から想定しておらず、出てくることはありません。むしろ、禁則を指摘するならば、ほかの2カ所にあります。1番の歌詞で「ihrem Zelt?」の個所は、ソプラノ、アルト間が並行5度です。あと、終わりから3小節目より2小節目にかけて、ソプラノとバスの間に直行(平達)5度という禁則に当たる箇所があります。しかし、これらの禁則は、あくまでも学習段階に厳格な様式の中だけで技術を磨くためのもので、実作中で守られているのはルネッサンスまでです。何が禁則になるかは、それぞれの時代の音楽の様式で変わるので、この2か所も音楽的に問題ありません。 >それでも本職の理工系の雑用で、語学や音楽には時間が取れないときがあるのです。 はい、実を申しますと、これも全くの気まぐれの偶然からなのですが、どういうお方か存じ上げております。お忙しいはずです。コメントはいつでも結構で、御覧になったことがわかればそれで十分です。私が以前お送りした回答のいくつかが、大変な偉い方たちの眼に入っていたのではないかと思うと、まさに冷や汗ものです。 お話しする機会が減っていますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

BASKETMM
質問者

お礼

お答えの中から、変なところを引用いたします。 >>文法書を読むこと自体は決して嫌いではありません。おもしろいです。 >>ただわたしの場合、文法書は辞書のように使ってきました。 >>実践を先行させて、どうしてもわからなくなったときにちょっと見る、という方法です。 とても共感できますね。 私の場合、書物を並べておくのも、楽しいですね。一年に一回役に立てば、どんなものだっという気持ちです。 ==== 和声学、対位法 全く分かっておりません。しかし、どの学問もそうですが、規則の裏側/根本理由を 理解しなければ駄目ですね。語学も、音楽学も【自然科学】であると しばしば再認識するこの頃です。 あまり脱線すると叱られるので、この辺で。

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回答No.11

(続きです) gutefrageの質問を最初に見た時点で、回答が2件ついていたと思います。そのときは、この回答では説明にならないなと思ったのですが、いま改めてみてみると、質問者のレベルを考えたとき、あの回答でとりあえず十分なのではないでしょうか。すでにhilfreichste Antwortに選ばれてもいるようです。母語話者としては、もっと正確に教えてやりたいという気持ちになりますが、過ぎたるは及ばざるがごとしかな、と思いました。 私はもうQ&Aの回答はほとんどやっておりません。このサイトに関しては、ドイツ語の新着質問が来た時だけメールで通知してもらう設定にしてあります。日本語カテゴリは見たことがなかったのですが、昨年の暮れに全くの気まぐれでクリックしたところ、一番上にこの御質問がありました。御縁でしょうか? 海外のQ&Aに出て行く気もなかったのですが、今回gutefrageの中身をいろいろ見てみて、ここで回答したらどういう反応があるのだろうかと思い、正月の時間を使って少しだけ投稿してみました。しかし、サイトの仕様のせいもあると思いますが、やはり気質の違いでしょうね、スレッドがたてられて3~4日も過ぎると、質問者もほかの回答者も全く見ません。一つの回答はhilfreisteになりましたがコメントはなく、あとの二つは放置されています。ちょっと張り合いがありませんね。私が回答したのは、「林檎」「泰の意味」「Dreck am Stecken(脛に疵持つ)」の三つです。これから仕事に戻るので、gutefrageの回答はまず滅多にやることはないと思いますが、あそこにはFreundeという機能があって連絡を取り合えるようですので、御希望でしたらリクエストしてください。日本語が書ける仕様になっているかどうかは不明です。

BASKETMM
質問者

お礼

いつも、有益なご回答をいただき有り難うございます。 私、後期高齢者ですが、それでも本職の理工系の雑用で、語学や音楽には時間が取れないときがあるのです。 ドイツの質問に対しては、これ以上、詳しい説明を送る予定はありません。 一方に於いて、Tastenkasten さんのご回答には、「少しは気の利いた」コメントを差し上げなければ、 ミットモナイと考えているところです。 ==== 時間がないと云いながら、嬉しいことがありました。 ベートーベンのDie Ehre Gottes aus der Natur という合唱曲があります。あれは和声学でいう、平行8度で 始まるので、違反だと数十年信じておりました。カフェでたまたま会った方が、平行8度禁止の理由を知らずに悩むな。 例えば、男性2声が平行8度で、女音が別の音を出すと、男声が目立ちすぎるからいけないのだ。 斉唱を禁止しているのではない。規則には意味があると言われました。 叱られても悩みが解消して、やれやれです。 近日中に再度お話しいたします。

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回答No.9

続きです。 >ただ、何か文法というか、規則性がないと、外国人は困るのです。 なぜそう思われるのか、そのきっかけはわかりませんが、それは誤解だと思います。私はヨーロッパ生活が長かったので、西洋人が何ごとも論理で考え、規則性を見い出そうとし、言語化による記述を徹底し、頭で理解しなければ気が済まない、という習性であることは重々承知しています。しかし、言語というのは、自然的に発生し、何千年もの間に様々な原因で、決して論理的とは言えない変遷を経た結果としてそこにあり、先に規則や文法を考えてから作ったものではありません。文法は、あとからなんとかつじつまの合う理論を考え出そうという試みに過ぎません。それは何語でも同じです。gutefrageの質問者のように、「規則性を知りたい」という欲求は、日本、西洋に関係なく、語学の初心者の多くが持つものです。日本のQ&Aにしても、ドイツ語を始めてしばらくたった人が、名詞の性を覚えるのが面倒だとか、なぜこういう語順になるのかわからない、冠詞の付け方がわからない、といった問題に直面すると、「文法的な説明をお願いします」という投稿をしてきます。子供のころから何十年もかけて自然に習得する母語とは違い、一定の年齢に達したあとに学習を始める外国語の場合は、限られた期間にある程度上達しなければなりませんから、学習の効率化という意味でも、法則があるならそれを知りたいと思うのが人情でしょう。私も随分回答してきましたが、基本的なことならその辺の文法書の引き写しでも事足りますが、少し難しいことになると、複数のドイツの文法書を見ても、すんなりわかる解説が見つからない場合もよくあります。私自身は長年の経験で、どの言い方が正しいかという判断が感覚的にできるので、文法的説明を確認するということはそれほどしないのですが、他人から改めて説明を求められると困りますね。 しかし、言語がどういうものかをよく理解している人ならば、西洋人であっても規則や文法の限界は知っているのが当たり前です。私が時々拾い読みをする書物に、Wolf Schneiderという人が書いた『Deutsch für Profis(プロのためのドイツ語)』というものがあります。これは、ジャーナリストを目指す人を対象に、良いドイツ語の書き方を指南しようという内容ですが、第1章からしてショッキングで、『Dudenは降参した』という題のもと、1975年頃のアンケートの結果として、テレビのニュースなどのドイツ語が「ある程度」理解できるのは、ドイツ国民のわずか20%である、と紹介されています。 そして第2章の題は、『言語というのは怪しげな道具である』となっており、その内容をかいつまんで紹介します。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「本を作る人(書く人、印刷する人、製本する人;einer, der Bücher macht)」のことをBuchmacherとは呼べない。なぜなら、Buchmacherとは「賭博ブローカー、ノミ屋」のことだからである(注:これは、英語のbookmakerをそのまま直訳した借用語)。ラテン語のaltusは「高い」と「低い」の両方の意味があり、フランス語のpersonneは、「誰かある人」と「誰も~ない」の両方の意味で使われる。ドイツ語のalleも、Die Äpfel sind alle da.ならば「リンゴはすべてそこにある」という意味になるが、Die Äpfel sind alle.なら、「リンゴはもうみな無くなった」という意味になる。Untiefeという語は、「深くない」だから「浅瀬」の意味だが、一方、Unmenge(非常に多くの)などの語との関連で、「非常に深いところ」という心理的な意味での用法がある。erstは、「まず最初に」と「それからやっと」の両方の意味がある。Erst ist Fritz daran, dann erst bist du an der Reihe.「まずフリッツがやって、そのあとが君の番だよ。」 まだ誰か「論理」について言いたい者はいるか? 言語というのは論理から生まれたものではないし、論理的に構築されたものでもない。論理のみでそれに近づこうとする者は、それを花咲かせることはできないのだ。 Tomatensaftは「トマトから作られたジュース」だが、Hustensaft(咳止め)はなぜ「咳から作られていない」か(注:複合語としての組み立ては同じ)。Schoßhund(愛玩犬)は「膝(Schoß)の上に座る」が、Schäferhund(羊の番犬)はなぜ「羊の上に」座らない? Feuerwehr(消防)は「火と闘う」ものだが、Bundeswehr(連邦国防軍)は「Bund(連邦)と闘わない」ことを願う。Arbeitspause(仕事の休み時間)は「仕事をしないための休み」だが、Atempause(息継ぎ)は「呼吸をしない」ための休みではなく「するため」の休みだ。ならばDenkpauseは?  1.(会議の途中などでの)「熟考のための休憩」 2. 頭を休めるための休憩 の両方。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 上に挙げられているようなドイツ語の複合語について、どういう場合にどうなるのか、その規則や文法を教えてほしいと尋ねても、答えられるドイツ人はいないはずです。そういうものがあるのではないかというのは、ある言語に外国語として対したときに抱く錯覚です。この場合にはこういう言い方はできるが別の場合にはそう言えないのはなぜか、という理由を探求するのであれば、規則や文法だけでなく、その言語の成立史と変遷、社会史、風俗史、言語心理学などあらゆる視点から考察しなければ解き明かせないのではないでしょうか。昔は使われていたのに、あるいは違う意味だったのに、時代とともに淘汰され消滅した語も多くあるわけで、今現在使われていないからといって規則に合わないから、文法的に不可能だから、ということにはならないのです。 ネット上には、Q&Aのようなサイトを含め、ドイツ語のネイティヴたちがドイツ語の疑問について投稿しているのをよく見かけます。回答者の意見は割れることが多いですが、中には、一方的にそれはまちがいだと言って聞かない者もいます。 最近、スイスの文法サイトで、接続法の使い方についての質問に文法学者が回答しているのを見ました。 「標準ドイツ語の文法としては、このように書くのが正しいです。しかし、口語ではそういう言い方もされており、それを愚かな間違いと決めつけることはできません。なぜなら、口語には、正格文法とは異なる論理や微妙な心理が働いていることを否定できないからです」とありました。言葉の達人ならこういう回答になります。 まとまっていませんが、長くなったのでこの辺で失礼いたします。

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回答No.8

闖入失礼いたします。 gutefrageの質問を見てみましたが、あれにドイツ語で回答するのは大変、というか、無理ではないですか? 説明しなければならないことが多すぎます。 まず、「同家」のような語の「同」の部分をPräfixe/(Suffixe)と捉えることには疑問があります。このケースは、ドイツ語に即して考えるならば、接頭辞というよりは、「2語を組み合わせた複合語(Komposition)もしくは合成(Zusammensetzung)に当たると考えるのが妥当だと思います。ドイツ語で「同」に当たる「gleich」を含む語には、「gleichwertig」や「Gleichgewicht」などがあり、これらは、「gleich + wertig」、「Gleich + Gewicht」という2語の合成であって、「gleich」は接頭辞ではありません。ドイツ語の接頭辞とは、be- ver-のように単独で意味を持てないもの、もしくは、mit-やauf-のように、前置詞として機能できるものが付加されたものをいいます。接頭辞とするか、複合語とするかで説明の仕方も変わるので、この点を整理する必要があります。 ドイツ語という言語は、御存知の通り、複合語をかなり自由に造ることができる言語です。そして、この点は接頭辞の場合もある程度同じことが言えるので、独和辞典に載っていない語はたくさんあります。 mitessenはDudenには掲載されており、「一緒に食べる」という意味です。mitschlafenも、聞いた印象が不自然ではないので、当然使うはずだと思って調べてみると、やはり普通に使われています。「男女の同衾」に限らず、「赤ん坊を両親のベッドに一緒に寝かせてもよいか」などという場合にも使っていますね。 さらに複合語の例として、「大都市」を意味する「Großstadt」という複合語がありますが、これから連想して、「大皿」を「Großteller」、「大きなパン」を「Großbrot」などと言えるのだろうかと思って調べてみると、やはりそういう言葉も実際に使っているんですね。ドイツ語というのはそういう言語なので、「同」をどんな語の前にも置けるのだろうか、という疑問を持つのはドイツ人ならではないかと思います。 さて、「同家」という語は、文脈によっては「同じ家」という意味でも使えなくはないですが、一般的には、「同じ家」という意味で「同家」という語は使いにくいという印象を持つのが普通でしょう。 「家(いえ)」は「家屋という建物」の意味で日常的に使いますが、一方、社会を構成する要素としての「いえ」には重い意味を担ってきた歴史があります。「一族」、「家族」の意味で、「山田家」、「田中家」のように慣用するので、複合語で「家」があとに置かれ、「け」と読まれる場合は、当然こちらを連想します。具体的に何の家かという叙述が先行するはずですから、「山田家は古くからの知り合いである。同家の息子は・・・」という文脈なら、「同家」は「山田家」という、「いま名前を挙げたのと同じ家族」を指すことになります。 しかし、「事件は閑静な住宅地の一軒家で起きた。同家の住人Aは・・・」という文脈ならば「同じ家屋」で、この文中で「同じ家の」と書くのは無理です。もしここで、「いっけん・や」という読みと「どう・け」という読みが並ぶことにも不自然さを感じる、というのであれば、「同宅」とか「同所」と言い換えざるを得ません。 ちなみに余談ですが、「本家」「分家」などということを言った時代には、分家の一つがほかの分家を呼ぶときに「同家」という言葉を使ったということです。文脈だけでなく、時代それぞれの用法もあるわけで、そういうすべての用例を包括的に説明できる規則、文法などはないでしょう。 なお、念のために付け加えておきますが、ドイツ語の「Haus」にも「会社」や「家族」の意味はありますので、「dasselbe Haus」は、文脈次第では、「同じ一族の」という意味の「同家」の訳語として使用可能です。 それから、意味は少し違いますが、「同家」と「同じ家」から、ドイツ語でもやや似た状況があることにも気づきます。「同年齢の」という形容詞なら、「gleichaltrig」という複合語一語で言えますが、「同年齢」と名詞で書きたい場合、「Gleichalter」とは言えず、「das gleiche Alter」と言わなければなりません。 漢字2文字の複合語で問題になるのは、組み合わされている2語のどちらか、または双方が、複数の意味を持つ場合です。「家」に「家屋」と「家族・一族」の両方の意味があるのと同様、「同」ならば、「同一」という意味にもなれば、「~を同じくする」(「同郷」)や「共に、一緒に」(「同行」)という意味にもなり得ます。どういう場合にどの意味になるかは、規則や文法で決められるものではなく、組み合わされるそれぞれの字の意味によって、二つが合成されたときにどの意味が前に出てくるか、ということになるのだと思います。 「同車」という語も、状況と文脈によって誤解が生じないならば、「同じ車」と理解され得ます。「前方に容疑者の車を発見。同車追跡中です」、「当社が本日発表いたします新車、XXXでございます。同車には最新のシステムが装備されており・・・」など。しかし、「同じ車」の意味での「同車」は、こういう文脈以外では使いにくいでしょう。その理由は、同音異義語があるからと言うよりも、「同じ車に乗る、もしくは乗っている状況」を意味する語としての「同車」がもともと慣用語としてあるからだと思います。ここまでの回答中に、「同車」という言葉、言い方は無い、という話があって不思議に思うのですが、「同車する」という動詞、「同車の人びと」のような名詞としての用法は古くからあります。「同席」と同じ種類の複合語で、私には全く違和感がありませんが、すでに消滅の運命にあるのでしょうか? 春雨や同車の君がさざめ言(与謝蕪村) こんなことを思って、涙のこぼれるのを、同車する人々に見られることを御息所は恥じながらも(與謝野晶子訳『源氏物語』) 若し同車の人が無かつたら僕は地段駄を踏んだらう、帽子を投げつけたゞらう。(国木田独歩『湯河原より』) その夕方、頭の君は再び道綱と同車して帰って来られた。(堀辰夫『ほととぎす』) 三時五十分小宮君上野着(…)木下杢太郎君と同車で来る(寺田寅彦『日記』) 「同車」の「同」は、「(乗る)車を同じくする」、つまり「乗っているのが同じ車であること」に焦点が合います。「同乗」の「同」は「同行」の「同」のように「共に、一緒に」という意味であり、結果的には「同じ車に乗る」という事実は変わらないものの、「共に乗るという行為」に焦点が合い、「同車」とはニュアンスが異なります。 「同郷」という語にしても、「同一の郷里」の意味ではなく、「郷里が同じであること」ですよ。 また、同音異義語を問題にするのであれば、日本語には、読みが同じ漢字で書き換えてしまうという習慣もあります。「同者」「同社」の両語は、「神社・仏閣、霊場などを連れ立って参詣する人、巡礼、道衆」を意味する「道者」の異表記としての使用例もあります。 漢字はもともと中国のものです。しかし、我々が使っている漢語には、中国由来の古いものと、日本で独自に造られた和製漢語があります。特に、明治維新前後に欧米の書物を翻訳する必要に迫られてから、急いで考案された漢語も多いわけです。四書五経の暗記が当たり前だった時代ならともかく、現代では、日本語の感覚で自由に漢字を組み合わせるようになっていますから、漢語本来の組み立てになっているかどうかは疑問です。そうなると、中国語の文法に基づく古い漢語と日本の新しい和製漢語の両方を包括的に説明できる規則など作りようがありません。 「同人雑誌」の「同人」という語も和製漢語です。そしてこれは、最近また別の意味で使われるようにもなっています。「ファンによる二次創作物」などを意味する言葉として「同人〇〇」という言い方が出てきているのです。また、「どうじん」と「どうにん」という読みである程度区別していることは感じますが、複数の国語辞典を引いてみると、一応そのことに関する示唆はあるものの、意味に関係なく、どちらの場合にも「どうじん」「どうにん」の読み方を認める記述になっているので、決定的とは言えないようです。 「未登山」などという言葉は、ネットで検索してみて、初めてそういう言葉を使っている人がいることを知りましたが、「未だ登られていない山」という意味なら正しくないと思います。こういう造語は、中国からは出ないでしょうが、日本ではいずれ慣用になってしまう可能性もあります。例えば、「就職活動」を略した「就活」という語が使われるようになり、それに便乗して「婚活」「妊活」などという異様な漢語が出てきました。「終活」という語にいたっては、その意味するところから言って「活」の字はとても使えるものではなく、個人的にはふざけた造語だと思いますが、すでに広まってしまっています。日本人の漢語の作り方は、もはや説明不可能ではないでしょうか。 長い回答になっていますが、むしろここからが本質的な部分です。 字数オーバーなので、ここで切ります。

BASKETMM
質問者

補足

Tastenkastenさん お久しぶり。(インド人から友人は、懐かしぶりというので、感覚的にはいい言葉だなと思っております。) とても、短時間でお礼を書いたり、意見を述べたり出来ませんので、補足欄に、メモ程度を。 本日は、質問対象へのコメントではありません。 ==== >ただ、何か文法というか、規則性がないと、外国人は困るのです。 特定の外国人の性格を考えているのではありません。日本語を母国語としない人が問題に直面したときに、判断基準があれば便利だという程度のことです。 >>文法は後から附けた理屈です。 数学も、物理学も、生物学も、自然科学は全て後から附けた理屈だと私は思います。言語学も素晴らしい自然科学と私は捕らえます。第一に面白い。第二に実用性が大きい。(第一、第二の順序が大切。) 注: 全ての言語を総括する、チョムスキーの理論を死ぬまでに理解したいと、夢想しております。チョムスキー理論の数学的表現など、数回生まれ変わったら、分かるでしょうか。 >>gutefrageの質問にドイツ語で回答するのは無理ではないですか?  何かヒントは出せないかと、私は考えました。過去においても、誤解を解く程度のHilfe を出しております。その上、私自身も【答が】欲しいと思いました。 >>「同」の部分をPräfixe/(Suffixe)と捉える。 はい、最初に質問を見たとき、何のことが分かりませんでした。 >>学習の効率化という意味でも。 耳から覚える学習と文法から攻める学習を比べる気はありませんが、耳から覚えられる人を羨ましく思い、焼き餅を焼いております。(耳からだけでは駄目ですね。口から出すのも大切。) 変な言い方ですが、文法説明なら誰でも分かるからいいですね。いずれにせよ、上手なヒントをくれる友人は貴重です。よい本、よい辞書、よい資料、置き場が大変。(私が死んでも、素人の蔵書など誰も引き取ってくれないでしょう。) >>『Deutsch für Profis(プロのためのドイツ語)』というものがあります 『Japanisch für Profis』はありませんかね。私は一般人の日本語に文句を付けません。しかし新聞記事、有名作家の文章で、語順が悪かったり、句読点がでたらめであったりすると、とても悲しいのです。ベストセラー作家の小説を買い、あまりのひどさに、読まずに捨てたことがあります。 少し見方は変わりますが、否定文/否定語を略語にしないで欲しいのです。空気を読めない。→→KY。空気を読める人をなんと呼びましょう。(突然思い出しました。某官庁の外郭団体に海洋汚染防止協会というのがあります。みんなが、中の人も、外の人も汚染協会と呼んでいます。)

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noname#232424
noname#232424
回答No.7

>時々、変な質問を出しますのでよろしく。 いえいえ,ぼけ防止のためのアイドリングや,「えっ,そりゃあ盲点だったなあ」という覚醒の楽しみがあるので,出没しているのです。ぼくも(過去の回答履歴をご覧になればわかるように)むちゃくちゃしつこいですからね。 しつこいところで,前の反論への加筆。「名詞の性を,合理的に説明してみろ。ドイツ語もフランス語もそんな区別をごちゃごちゃやってっから,海賊の俗語である英語みたいに世界言語になれなかったんだ。」 なお,現代中国語では,「同 tong」の1字だけで,形容詞(おなじ),動詞(おなじである,おなじくする),副詞(おなじく,いっしょに),前置詞(~とともに)のいずれの意味でも使えます。だから,留学生が「私たちは同車で来ました」と言っても,ぼくはぜんぜん驚きません。そんな面白い日本語の答案やレポートは山ほど読んでいます(笑)。

BASKETMM
質問者

お礼

有り難うございます。 多言語の世界で悠々自適の生活をしておられると推察いたします。 有益な質問や、気の利いた回答や、楽しく行きましょう。

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9742/12126)
回答No.6

再度の「お礼コメント」をありがとうございました。 >この分野には、完全な回答はないのでしょう。 ⇒そうですね。(特に浅学の小生などにとってはむずかしいです…。) >時々、変な質問を出しますので、気が向いたら助けて下さい。 ⇒「変な質問」大歓迎です。楽しいです。 >当方 リケロ(理系老人)です。 ⇒これを拝見して、再度、回答、いや、「怪答」したくなりました。 当方は、ブンケロ(文系老人)です。ただし、ドイツ語はダメです。 その昔、ベルリンでひどい目に会いました。時計を忘れて外出、うら若いお嬢さんに、Haben Sie Zeit? と言ったらジロリと睨まれたのです! 「お嬢さん、おひま?」と聞こえたに違いありません。そうか、冠詞を忘れたからだ。Haben Sie die Zeit? と言うべきだったんだ、と気づきましたが、後の祭りでした。 ただ、楽しいこともありました。面白い笑い話を聞きました。 ハンバーガー作りの名人がパーティを開いて、自慢のハンバーガーを人数分用意しました。ところが、1名欠席があったので、1個残っていました。 ちょうどその時停電になりました。暗闇の中で悲鳴があがりました。どうして? 電気がつくと、1人がハンバーガーの上に手を置いて、その手の甲に3本ものフォークが突きささっていたのです! もし、ドイツにも「残り物に福がある」と同じような格言があったら、きっとこんな悲劇は起こらなかったのではないか、と思いました。

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9742/12126)
回答No.5

「お礼コメント」を拝見しました。 >おっしゃりことは、全て同感でございます。(同感!!!) >ただ、何か文法というか、規則性がないと、外国人は困るのです。 ⇒なるほど、了解しました。つまり、「同家」「同車」「同人」などが用いられないことの共通理由というか、その「法則性」ですね。 それを一語で言うなら、「他の同音異義語があるから」というのが最も簡単な説明でしょうね。しかも「他の同音異義語」の方がより一般的で多用されるので、やむなく「こちら」の方が迂言する(複数語を組み合わせて言う)ことになった、そういうことの結果と言えるでしょう。なお、この「同音異義語」は、「同音同綴異義語」(同家や同人)と「同音異綴異義語」(同車と同社)とに分かれますね。 とはいえ、もちろん、すべてが「同音異義語」で説明できるわけではなく、このコメントで例示なさった「未完成」と「未登山」の場合などはまた別の説明が必要になるでしょうね。ただ、その区分の「判断基準」は、「簡易性」「利便性」「経済性」「論理性」「慣習」などが関わってくるに違いありません。

BASKETMM
質問者

お礼

何回もお付き合いいただき有り難うございます。 この分野には、完全な回答はないのでしょう。 時々、変な質問を出しますので、気が向いたら助けて下さい。 当方 リケロ(理系老人)です。

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noname#232424
noname#232424
回答No.4

ご返事ありがとうございます。 >ただ、何か文法というか、規則性がないと、外国人は困るのです。 そんなこと言われたって(笑)。「じゃあ,ドイツ語の werden だの sein だのの不規則変化を,あまえ,説明してみろ。おれたち日本人は変化を丸暗記するんだ」こう言っておやんなさい。言語とはそういうものであり,学習態度をはきちがえています。 >試したら、mitessen はありました あらら。ぼくもいちおうは辞書で調べてついていなかったので,「たぶん存在しないんだろう」と思って書いたのです。謹んで訂正いたします。

BASKETMM
質問者

お礼

何回もお付き合いいただき有り難うございます。 完全に当てはまる回答などある訳はありません。いつまでもしつこく 食い下がることはございませんからご安心下さい。 時々、変な質問を出しますのでよろしく。

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  • chie65535
  • ベストアンサー率43% (8536/19409)
回答No.3

>しかし、【同家】とは云えず、【同じ家】と訓読みの形容詞を使います。 同じ家に住んでいる場合は「同居」と言います。どうしても「家」と言う表現を使いたいなら「同じ家」と表現するしかありません(「同家」と言う単語は無く、代わりに「同居」と言う単語を使う) >同じ車、同じ人などと形容詞附きで言わなくてはいけないのか分かりません。 同じ車に乗る場合は「同乗」と言います。どうしても「車」と言う表現を使いたいなら「同じ車」と表現するしかありません(「同車」と言う単語は無く、代わりに「同乗」と言う単語を使う) 同じ人を表す場合は、一般的に「同一人物」と言います。「同人」については、ちょっと事情が違い「どう読むかで意味が変わる」ので、混乱を避ける意味で「同人」を使わず「同一人物」を使います。 「読みで意味が変わる」と言うのは「どうじん」と読むか「どうにん」と読むかで意味が変わり、「どうじん」と読んだ場合「同じ趣味や志をもった人、仲間、集団ないし共同体のこと」を意味し、「どうにん」と読んだ場合は「同じ人」を意味します。 「同人」にフリガナを付ければ意味を間違う事はありませんが、フリガナを振るより「同一人物」や「同じ人」と表記した方が誤解が少ないので、そういう表記にするのが一般的です。

BASKETMM
質問者

お礼

素早いご回答有り難うございます。 おっしゃりことは、全て同感でございます。(同感!!!) ただ、何か文法というか、規則性がないと、外国人は困るのです。 未完成と言います。未登山は通じますが、チョット抵抗がありますね。未踏峰という言葉もあります。 ただ、何か文法というか、規則性がないと、外国人は困るのです。 言えるか言えないかの判断基準はないものでしょうか。 ==== 私が質問を書いたときには、【同人=ドウジン】しか頭にありませんでした。確かに【同人=ドウニン】という言葉もありますね。 私は韓国語を知りません。聞いたところでは、韓国語では漢字は音読みのみ。漢字の訓読みをせず、固有語の時にはハングルで書くそうですね。 フリガナで誤解を避けられるのと、同じですね。

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noname#232424
noname#232424
回答No.2

「慣習で『同』と親和性のある語・ない語がある」としか答えようがないんじゃないですか。ドイツ語だって,分離動詞の mitkommen(いっしょに行く)や mitgehen (ついて行く)はあるけど,mitessen (会食する/この説明のためのうその造語)や mitschlafen (同衾する/同)はねえじゃんか。こう言っておやんなさい(笑)。

BASKETMM
質問者

お礼

素早いご回答有り難うございます。 おっしゃりことは、全て同感でございます。(同感!!!) ただ、何か文法というか、規則性がないと、外国人は困るのです。 未完成と言います。未登山は通じますが、チョット抵抗がありますね。 言えるか言えないかの判断基準はないものでしょうか。 ==== 外国語で、ドイツ語でもイタリア語でもよいのですが、言い回しがあるかどうか、見当を付けたいときには、 オンライン辞書 Linguee https://www.linguee.de/deutsch-englisch/search?source=auto&query=  を私は使います。別にドイツ語を英語に訳したいわけではありません。文例が沢山表示されるからです。 試したら、mitessen はありましたが、mitschlafen は見つかりませんでした。

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