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ケルト人以前のヨーロッパの先住民族

noname#118466の回答

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noname#118466
noname#118466
回答No.3

質問を絞って頂きましたが、満足な回答は出来そうにありません。ヨーロッパの歴史の専門家の登場までの前座としてとりあえず纏めてみます。 結論からいえばケルト以前の先住民社会は新石器時代の人々であり、ヨーロッパ文明の基礎はギリシャ・ローマ文明にありとする人々は、ケルト以前の社会は先史時代として専門書でもない限り大雑把な解説でおわっています。 エジプトで文字が使われ最初のピラミッドが建造された紀元前3,500年ごろのヨーロッパでは文字も青銅器も鉄器も知らない石器時代が続いていました。紀元前3千年ごろエジプトではじまった青銅器文化が前ヨーロッパに広まるのに2千年を要したといわれます。一方、原始ケルト族は紀元前2千年まで遡るものの歴史の表舞台に登場するのは紀元前千年ごろからです。すでに鉄器を知っておりアルプス以北の中央ヨーロッパ全域に展開していました。従って、歴史に登場するヨーロッパの部族は北部のゲルマン、東部のスラブを除いて、ケルトの支族であり、民族名があってもケルト系という括弧つきがほとんです。唯一の例外はアルプス山中に住むバスク人で 彼らの言語は、どのインド・ヨーロッパ語(現在のヨーロッパ語の共通の祖先)にも所属しない謎の民族・言語とされています。 石器時代にヨーロッパ各地に巨石遺跡を残した人々がいますが、彼らの存在は考古学の世界であり、名前があるとしても遺跡発見の地の名前を便宜上つけるもので、 後の民族とは別のものです。ヨーロッパの歴史上の主な出来事はケルト以降と思ってまず間違いないでしょう。*フン族のヨーロッパ侵略、*民族大移動(フン族に圧迫されたゲルマン族の南下 ケルト人は好戦的で当時のヨーロッパで対抗できる民族はいなかったようですが、帝国をつくることを知らず、族長を中心とする小集団の集まりだったため、後にローマ軍に撃破され(シーザのガリア戦記が有名)、又ローマ人とのたびたびの戦争でローマ人の戦い方を学び取ったゲルマン人にも破れました。英国に住んでいたケルト人は侵入してきたゲルマン人(アングロ、サクソン他の支族)に完敗し、今日ではケルトの末裔と言われる人々が英国のウエールズ地方とアイルランドに残っています。 以上、疑問解消に少しでも役立てれば嬉しく思います。

参考URL:
http://www1.odn.ne.jp/~can36360/i122.htm

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