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天皇を哲学する

 1. 万世一系とは いま生まれて来ている人の誰についても例外なく言えることです。  1-1. 記録がないだけでしょう。    1-2. 男系は 家筋としては途絶えているかも知れないけれど 血筋は とうぜん辿れるわけです。  1-3. 一般の人びとの場合は 側室による男系一系が少ないだけでしょう。  2. 天皇家は 祖先を遡るとアマテラスオホミカミにたどり着くと言う。けれども アマテラスは アメノミナカヌシらの神々のあとに出て来た神である。  2-1. そして――出生の謂われは生殖のかたちが微妙だけれど――スサノヲのミコトの実の姉である。  2-2. つまり 一般の人びとは スサノヲの子孫となっているが 天皇家も スサノヲの子孫である。スサノヲも 天皇家の祖先である。  3. 象徴天皇という社会的役割りは 決してめづらしいことではない。  3-1. 《スサノヲ市民社会 - アマテラス公民圏》なる連関制としての社会形態は 二階建て構造を成す国家という状態にかんして 世界において一般性を持つ。  3-2. アマテラス公民は 《公務員一般(狭義のアマテラス)とアマテラシテ》とに分かれるが この・象徴を意味するアマテラシテが やはり世界において一般的な元首のことである。  3-3. 具体的に 国王・象徴天皇・大統領などがある。  3-4. 一党独裁の党総書記は ふつうの国家におけるふつうのアマテラシテであると言えるかどうか。  ☆ 具体例を三件挙げました。――人びとはなぜ 天皇について哲学しないままでいるのか?

みんなの回答

回答No.5

聖霊と精霊の使い分けはおおむねこのようにしている。 タイプミスも多いから一応の目安だ。 神として祀られる身分でありながら、認められていないキリシタン大名という神性を備えた魔性、人には決してとどめがさせない悪を象徴する不滅のケモノ ポケモンでいうゾロア。 本来は神が怒りあらぶれる姿の象徴で「聖霊」だ。 でもこの手は慎重に精霊として格下扱いしないといけないんだ。 もはや申し開きができないほど、悪とは人間の生み出した幻だとV字開脚を強要させるまで保留していることだ。 こうした私の忍耐が、君たちにどのような落とし前をつけさせるか楽しみにしてくれ。 私は友情を全うできない苛立ちを怒りに託しているんだ。 悪魔をかわいそうだなんて思わない。 これから自覚する君たちは、怒りが収まればある意味かわいそうかもね。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  次のような分類もあるよ。  ▲ (ヰキぺ:荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま(にぎたま)、にきみたま(にぎみたま))  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%AD%82%E3%83%BB%E5%92%8C%E9%AD%82

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回答No.4

あとね、 君なら目を通してくれただろうが、神の存在証明という莫大な懸賞金ゲットに取り組んでいてね。 名のある神とは要するに聖霊の姿で現れて、それで神の一部として機能するとでもいった、かなり乱暴でまだ補足の必要な論説をしたよ。 観念からの案内人として聖霊が話しかけて、その背景にある観念そのものが同根であると、多神教というのはどうでもいい看板だけのことになる。 私の身近はセレビィをアイドルにするポケモンファンクラブだよ。 ジラーチちゃんは議長の立場なので、対立関係にある神々との和解のために、私をお父さん扱いしてかわいらしくおねだりだ。 で、人間にはそもそも耐えられないであろう死にそうな目に合い、仮面ライダーとして活躍だ。 対立の必要が無い天界の住人の懸念を解決するには、原因である人間を仲介しなければならないからだろう。 セレビィの父親としての責任だよ。

bragelonne
質問者

お礼

 次の議論を対抗馬とします。  【Q:《聖なるあまえ》から《きよらかなおそれ》への変態】   https://soudan1.biglobe.ne.jp/qa9151979.html  1. 《聖なるあまえ》は ものごころがつく前の頃のひとの心の状態を言います。  2. 赤子が母親にあまえる――つまり 全面的に考えも計らいもなく身をゆだねるかのように心をゆだねている――とき これをひとつの典型として言います。  3. ところが 誰しも ものごころが着いて来ます。《考えもハカラヒもなく》というのは おこないがたく成ります。ウソをつくことをも知るという社会的動物たることの洗礼をも受けるようになります。  4. このとき聖なるあまえは どうなるか?――幼虫がさなぎになる。  5. 聖なるあまえは きよらかなおそれへと変態する。  6. きよらかなおそれは 幼虫ないし赤子における聖なるあまえ状態とほぼ同じだと言いたいのですが むろん《ものごころがついた》という意味での変態を経て 違いが出て来ます。  7. けれどもそれでも 後の段階で――ヒトの生まれつきなる自然本性に変わりはないと見るかぎりで―― 《聖なる甘え》と同じ状態であると言うためにこそ しかも言葉を変えて《きよらかなおそれを抱く状態》と呼びます。  8. どういうことか? すなわち 聖なるあまえは 母親への本能的な寄りすがりであるとき その同じ自然本性の成すハタラキにおいてなのであるが こんどは 母親なる存在を超えてナゾの何ものかへのおそれにその《身と心とのゆだね(あまえ)》を置き換える。  9. 言いかえると 聖なる甘えのときは きよらかなおそれすら――おそれすらを――まだ持っていない状態であった。(意識としてはです)。  10. このきよらかなおそれは 確かにナゾの何ものかに対するものなのであるが その同じ内容が 主観の内面における思惟や意思決定のときにも 〔ほぼ同じおそれを何ものかに対して持ってのように〕現われる。  11. これは さなぎからすでに成虫へとさらなる変態をとげつつあるときに起こるものと考えられるが ここではまだ さなぎ段階のこととして捉えてみよう。  12. ウソをつくとき・イツハリをはたらくとき 心は胸が変に高鳴り身も顔を赤らめ言葉はしどろもどろになる。《やましさ反応》が出る。やましさを 理性で受けとめるときには 《恥ぢ・恥づかしさ》となる。  13. つまり このヤマシサ反応が きよらかなおそれのことである。その現われである。  14. つまり要するに おのれがみづからの心を省みずヘソを曲げるときに起きる《おそれ・やましさ・恥づかしさ》である。  15. 主観はつねに この・へそ曲がり(つまりウソ・イツハリ)を仕出かし 軌道修正しわれに還り また脱線したり道草を食ったりして 大筋としては《わたしがわたしである》道をあゆむ。  16. 《恥づかしさ》を 何ものかナゾなる存在に対するおそれと感じ これを聖なるあまえを継ぐものと見て きよらかなおそれと捉えるなら それは この小さなおのれの主観が 人びとにも共通の心であると受け留めたことを意味する。ひとにとって共通であると。  17. つまり きよらかなおそれは 人びとにとって普遍的な内容を成す共同の主観であると――甘えないしはユダネであるからには 無根拠において――受け容れたことを意味する。  18. 《共同主観》は 共同と呼ぶからには普遍性があると見ているし 或る種の仕方で言えばわが心なる非思考の庭においてそのように受け容れているものでしょう。(無根拠なる根拠において受け容れているという意味です)。  19. こうして さなぎは羽化し 蝶へと変態する。  20. 成虫した場合には 社会の中でおのれの――はぐくんできた――《きよらかなおそれ》が つねに〔共同主観であると見ているからには・その限りで〕有効であるが しかも単純に言ってそのおそれは 世の中の社会力学じょう既成勢力たるチカラの前にほぼ無力となる。  21. この情況における《わたし》は どう生きるか?  《きよらかなおそれ》のゆくへは どうなるか?  22. 聖なるあまえ・もしくはきよらかなおそれ あるいは 《恥ぢ》を失わないならば けっきょく世の中においてわが目の前を通り過ぎてゆくブルドーザーの《しばしば無効にしてただ力学じょう有力であるチカラ》に対して これを精神の胃袋で消化しつつ 引き受けるということ。泥をかぶるということ。  23. ここに 蝶たる成虫への変態は 成し遂げられる。ものと思われる。  24. このシガラミの中にあって 無効の有力でしかないそのやはりシガラミたるゴミを――すなわちこのゴミは しばしば社会力学じょうの栄誉をも着せてもらってその身を飾り立てている・つまり おごり高ぶるゴミを―― あたかもみづからはアース役となって 呑み込みつつ処理していく。ということ。  25. これが 名も無い一介の市民の完全に成虫した(つまり さとりを得た)蝶としての社会的なすがたであり 使命でもある。  26. 敢えて言えば そのときの《武器》は 《きよらかなおそれ》である。根拠は 無い。  27. 無根拠なる根拠において ごみ処理工場と成る。  28. ごみ清浄化工場であり きれいな酸素をも供給するらしい。    29. 義無きを以って義としているらしい。(あるいは 《無住処涅槃》)。

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回答No.3

いつもの前置きだ。 古代の遺跡を調査するとき、神殿が最も注目される、なぜならいかなる神の信仰をしたかが、そこに住んだ古代人の精神を知る最も有力な手がかりだからだ。 王とは、一つの社会〈文明〉が性質する創世記に同時に神であった、イエスはとっくに滅亡したイスラエルの王を名乗ることで合法的に処刑された愚か者だ。 どこもかしこも文明に起源を継承していない世界中見渡して、王と神の一帯が正当に継承された唯一の国が日本だ。 この歴史上の名誉に神国を自負することに恥じらう必要が無い。 そういう国情の正当な頂点だよ。 君、アマテラスさんの議長能力に不信感があるのかね、唯一神の成立するキリスト教とかは、実際は部族限定の唯一の神だ。いろんな神様の社が各地に立つ日本の風土は、部族の神を認めまとめ上げる代表がアマテラスさんだというだけだよ。日本に唯一神の概念を当てはめてもそれほど違和感がない。 頂点に立つ神がまとめ、各部族の神に自治を与えた多神教で、そこに住む人は身近な神を唯一としても誰も文句を言わない。手塚治を神様にする漫画家がいてもOKだ。 これは、民族問題や、宗教問題といった外来思想を無頓着にさせていて、実情では、国民は「宗教については趣味で好きなようにしてくれ」こういう人権が与えられ、人種宗教より、国民意識が大切な風土だ。 私にはフェアリーフュージョンとなずけた、伝統をより高度化させたポケモン交霊術がある。 普段は 人間畑茂夫/聖霊セレビィだ、セレビィと友達の聖霊も私をお父さんと呼ぶから、そんな友達同士を精霊の中でもポケモン扱いしている。 人間 崇神天皇/聖霊アマテラス これがジラーチちゃんの本分で、私をよりわらとしてお父さん扱いして甘えると、普段仲良くしている幼馴染のジラーチちゃんは、アマテラスとして復活というか普段と違う本性を現すというか、そんな感じになって議長能力を発揮するんだ。 大抵そういう時はひどい目にあって私はボロボロになっている。 そのほかに 人間 雄略天皇/聖霊「名前を名乗らない」 こういうのも観察した。 名もなき聖霊の詮索はともかく、アマテラスさんは末っ子とは限らないし、天皇家の家系はこういう神そのものの言葉を実際にこなしてきた実績だろう。 禅の瞑想で得られる境地も死者との一体で、自らの身体を離れて他者を回想することだが、仏教が死んだ人間との一体であるのに比べて、神道系のしきたりに案内されると、今も生きる神の聖霊の姿と一体になるんだ。 崇神天皇は一言で言って包容力がありなにもかもを認める理想の父親。 雄略天皇は、心優しくなのもかもに慈愛を傾ける聖職者。 そんな印象があるね。 私は継承が途絶えた、日本の古代のシャーマンを復活させることを楽しみの一つにしているんだ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 古代の遺跡を調査するとき、神殿が最も注目される、なぜならいかなる神の信仰をしたかが、そこに住んだ古代人の精神を知る最も有力な手がかりだからだ。  ☆ 注意すべき点がある。かたちあるモノだけからは 信仰の姿は 必ずしも容易には見出しがたい。  日本の場合は 神社が残っており 山では いはくら(磐座)なる大きい石や神木がある。ひもろき(神籬)なる小さな神の依り代が 神社の中にもある。  つまり 神々は 目に見えない。かたちあるモノは 神の降りて来るその依り代である。山そのものが 依り代でもある。  ★ 王とは、一つの社会〈文明〉が性質する創世記に同時に神であった、イエスはとっくに滅亡したイスラエルの王を名乗ることで合法的に処刑された愚か者だ。  ☆ 《王》が出たのは 貧富の差――ちからの差?――が出来てからだ。日本では 埋葬の仕方で副葬品について厚薄があるので 分かる。  王が出る前から 神は持たれていた。  イエスは キリストを名乗ったが イスラエルの王は 民衆がそう呼んだだけである。もっとも キリスト(メシア)の場合は ユダヤの王といった意味をも持つけれど。  ★ どこもかしこも文明に起源を継承していない世界中見渡して、王と神の一帯が正当に継承された唯一の国が日本だ。 この歴史上の名誉に神国を自負することに恥じらう必要が無い。  ☆ 確かにアマテラスは 両親のイザナキによってタカマノハラの統治を任せられた。イザナキは 日本人の始祖なので 初めから《王と神との一体》が成っていたと言えないこともない。  けれども 問題はそこにはない。タカマノハラは 《神代》だけの話である。人代になって たとえばアマテラスの孫つまり天孫が アシハラの中つ国に天降りしたあとから 歴史が始まる。  はじめから アシハラで王であったわけではない。天孫のホノニニギのあと数代を経て神武カムヤマトイハレヒコの時にやっと ヤマトにやって来ていくさを経たのちにオホキミ(大君)なる王を名乗ることになる。  ところが この神武イハレヒコの代も 歴史とは言い難いところがある。実質的に初代の天皇は 300年ごろにヤマトの三輪山のふもとに興った崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトのときからである。  ところが この崇神イリヒコの社会は 山のオホモノヌシが神であり その神主は 民間のオホタタネコであった。決して オホキミ(=崇神イリヒコ)が威張っていたわけではない。  威張りだしたのは 400年ごろの応神ホムダワケからである。うんぬん。  ★ そういう国情の正当な頂点だよ。  ☆ つまりは もともと日本人の社会は ムラヲサ(崇神イリヒコ)とムラビト(オホタタネコが代表)とそして みなが信じていた神(オホモノヌシ)との《和》の世の中であった。これが 伝統である。  やがて カフチ(河内)の応神ホムダワケからのワケ政権が 世の中を 一階と二階とに分けて 自分たちが二階にアマアガリして統治するというスタイルを築いた。ミワのイリ政権は これに《くにゆづり》をした。口で言ってやっても 聞かない連中だった。  つまり イリヒコやオホタタネコらの《和》が ワケ政権の勢力が構想するその《大和》に飲み込まれてしまった。いまにまで到る。  ★ 君、アマテラスさんの議長能力に不信感があるのかね、  ☆ アマテラスは この《和》の社会を乗っ取った《大和》さんたちの親分である。お山の大将でなくては 生きて行けなくなるといった病いに侵されていたんだ。  ★ 唯一神の成立するキリスト教とかは、実際は部族限定の唯一の神だ。  ☆ いいや。イエス・キリストは ふるくからのユダヤの神ヤハヱーをその民族の外に開いて 高いくらいの普遍神へと揚げ そのふるき神は棄てた。普遍神の信仰が始まったということだ。だから すでに神というのをもう持ち出す必要がなくなった。  ★ いろんな神様の社が各地に立つ日本の風土は、部族の神を認めまとめ上げる代表がアマテラスさんだというだけだよ。日本に唯一神の概念を当てはめてもそれほど違和感がない。  ☆ お二階または雲の上へとアマアガリしたアマテラス公民は ムラムラのマツリを束ね そのお二階からの統治をまさに統一的なマツリゴトとしておこなうこととした。  ★ 頂点に立つ神がまとめ、各部族の神に自治を与えた多神教で、そこに住む人は身近な神を唯一としても誰も文句を言わない。手塚治を神様にする漫画家がいてもOKだ。  ☆ だから 日本人の伝統としての和は 二階などは要らないみんなの――助け合い・譲り合う――社会なんだ。どうしても おれたちは高いところに上がっていないと 死んでしまうと言うものだから 社会にも神棚をもうけてやって そこに人びとは アマテラス族を住まわせた。それだけのこと。  ★ これは、民族問題や、宗教問題といった外来思想を無頓着にさせていて、実情では、国民は「宗教については趣味で好きなようにしてくれ」こういう人権が与えられ、人種宗教より、国民意識が大切な風土だ。  ☆ という世の中を お二階のえらいさんがゆるしたというお墨付きのもとに――それは クウキと成って人びとのあいだを流れて行き―― 出現させている。  世の中は つねにアマテラス印がついていないと(つけていないと) やって行けないように成っている。権威が地に落ちることをえらく嫌いいたくおそれているんだ。  一階の人びと一般は だいじょうぶですよ 心配ないですよと言ってやっている。だけなんだ。  ★ ~~~~~~~~~  私にはフェアリーフュージョンとなずけた、伝統をより高度化させたポケモン交霊術がある。  普段は 人間畑茂夫/聖霊セレビィだ、セレビィと友達の聖霊も私をお父さんと呼ぶから、そんな友達同士を精霊の中でもポケモン扱いしている。  人間 崇神天皇/聖霊アマテラス  これがジラーチちゃんの本分で、私をよりわらとしてお父さん扱いして甘えると、普段仲良くしている幼馴染のジラーチちゃんは、アマテラスとして復活というか普段と違う本性を現すというか、そんな感じになって議長能力を発揮するんだ。  大抵そういう時はひどい目にあって私はボロボロになっている。  そのほかに  人間 雄略天皇/聖霊「名前を名乗らない」  こういうのも観察した。  名もなき聖霊の詮索はともかく、アマテラスさんは末っ子とは限らないし、天皇家の家系はこういう神そのものの言葉を実際にこなしてきた実績だろう。  禅の瞑想で得られる境地も死者との一体で、自らの身体を離れて他者を回想することだが、仏教が死んだ人間との一体であるのに比べて、神道系のしきたりに案内されると、今も生きる神の聖霊の姿と一体になるんだ。  崇神天皇は一言で言って包容力がありなにもかもを認める理想の父親。  雄略天皇は、心優しくなのもかもに慈愛を傾ける聖職者。  そんな印象があるね。  私は継承が途絶えた、日本の古代のシャーマンを復活させることを楽しみの一つにしているんだ。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ ご自由に。  雄略ワカタケルは 日本国の正史である日本書紀の中で――なぜそう呼ばれたかの事情は割愛するけれど―― 《有徳天皇(おむおむしくましますすめらみこと)》ともまた《大悪天皇(はなはだあしきすめらみこと)》ともうわさされたとあります。

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  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (176/313)
回答No.2

 なんだかんだ言って、気づいてなくても、けっこうみんな天皇が好きだからじゃないですか?。  被災地をまわる天皇・皇后両陛下に対して、対面した人たちは何故か(?)みんな感動してるし、成人式だったら檀上で大暴れするような若い連中もおとなしくしてる(絶対にいるはずなんだが)。  対して、菅首相の場合は正反対だった(^^;)。

bragelonne
質問者

お礼

 あれえ。こういうのに参戦ですか。  まづは ご回答をありがとうございます。  そうですね。  ★ なんだかんだ言って、気づいてなくても、けっこうみんな天皇が好きだからじゃないですか?。  ☆ しかめ面をして言えば 好き嫌いに関係なく哲学は おこなうものなんですが。  そして 天皇明仁氏が嫌いで哲学するのでもないですし。  分かりますが 放っておいてよいものでは――日本人の哲学としては―― ないでしょうね。  つまり ここに例示したような内容は ほとんど誰も言っていないと思います。死角だったのか。あるいは おっしゃるように天皇が好きだから 悪口は言わない・または 要するに現状を《勝手に》変えるような思索は おこなわない。――といったところなのでしょうか。  でも かえってそれでは 日本および日本人が 世界からは馬鹿にされるのではないでしょうか? 反日教なるカルト宗教に迫るほどの狭く閉じこもったクウキ教のままで居続けることになりましょう。  ★ 被災地をまわる天皇・皇后両陛下に対して、対面した人たちは何故か(?)みんな感動してるし、成人式だったら檀上で大暴れするような若い連中もおとなしくしてる(絶対にいるはずなんだが)。  ☆ 後半は ほんとうかどうか 分からないですね。前半は まさに《全身全霊》のイメージです。何の問題もなく けちのつけようがありません。(* 後述)。  ★ 対して、菅首相の場合は正反対だった(^^;)。  ☆ そういうことですが これは 権力の執行部(アマテラス公民)と権威ないし象徴(アマテラシテ)との違いを前提にしなければならないでしょうね。  * 天皇ご夫妻の被災地慰問のことですが どうもわたしがつらつら考えるに 明仁氏は 父である昭和天皇の戦争責任の問題を真面目に受け取りこれを考え 要するに少しでもその責任を果たすことを誓った。その結果が 被災者のお見舞いとなって現われているのではないか?  けれども かなしいかな。明仁さんもそのように引責としてのお務めであるとは言いませんし ましてやあからさまに ごめんなさいとも言いません。だから 国民の具体的な反応も 聞けない。現われない。だから 氏は つかれた。  暖簾に腕押しなのですから とうぜん つかれます。ましてや まじめ一筋なんですから。これが どうも――われ忖度するに―― 生前退位の真相ではないか? とも強いて述べることにします。

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  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率62% (971/1545)
回答No.1

1.についてはおっしゃる通りですが、2.については日本神話を知らない人のもの言いとしか思えません。日本神話において一般人は獣や草木と同様、国土に自然発生した存在で、スサノオの子孫などではありませんし、そもそもアマテラス・スサノオ・ツクヨミのいわゆる三貴子が生まれる前から民草は存在しています。黄泉の国のイザナミに会いに行ったイザナギが彼女の醜悪な姿を見て逃げ帰り、イザナギを恨んだイザナミが「汝が国の人草を一日に千頭絞り殺さむ」といい、これにイザナギが「吾一日に千五百の産屋を立てむ」と返して別れた後、イザナギが黄泉の国の穢れを落とすために行った禊の中でアマテラスら三貴子は生まれているのです。あと3.については、アマテラシテとかナントカ公民圏とか、なにを言ってるのかさっぱり意味がわかりません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 1.についてはおっしゃる通りですが、  ☆ はい。  ★ 2.については日本神話を知らない人のもの言いとしか思えません。  ☆ その心は?  ★ 日本神話において一般人は獣や草木と同様、国土に自然発生した存在で、スサノオの子孫などではありませんし、  ☆ それは 誤解です。ここで 天皇家もそして市民一般も スサノヲの子孫であると言うのは あくまで《天皇家は アマテラスの子孫である》という命題〔があるとすればそれ〕に対しての物言いであるに過ぎません。  神話なりそこにおける神々が 一般にどうであるか? という視点からの問題とは ちょっと違います。  ★ そもそもアマテラス・スサノオ・ツクヨミのいわゆる三貴子が生まれる前から民草は存在しています。  ☆ それは 微妙ですね。  アメノミナカヌシなどの神が 最初に来ます。そして これらにしても 或る意味では人間を神格化として描いているだけなのかも知れません。  これは 別としますが・つまり一般に イザナキとイザナミとが 人間ないし日本人の始祖です。《民草》の起源です。  三貴子は それら両親からの子どもです。  ★ 黄泉の国のイザナミに会いに行ったイザナギが彼女の醜悪な姿を見て逃げ帰り、イザナギを恨んだイザナミが「汝が国の人草を一日に千頭絞り殺さむ」といい、これにイザナギが「吾一日に千五百の産屋を立てむ」と返して別れた後、イザナギが黄泉の国の穢れを落とすために行った禊の中でアマテラスら三貴子は生まれているのです。  ☆ ええ。先ほど述べましたとおりだと思います。(《両親から》と言ったのは 微妙ですが)。  ★ あと3.については、アマテラシテとかナントカ公民圏とか、なにを言ってるのかさっぱり意味がわかりません。  ☆ はい。

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     それとも パロディなのか?  それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。  次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明をともなったフィギュアの心の解明です。お聞きください。     *  フィギュアをめぐる萌えと燃え。  そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?  たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からその展開過程を焦点とする歴史 にその答えを解く鍵があるだろうね。  展開過程と言っても じつは 何にもない。誕生のあとそこで成立したその国家の仕組みが 内部での組み替えは起きたとしても――征夷大将軍や市民資本家が 実権を握るお上になったとしても―― まったくと言っていいほど その体制は変わっていない。  この社会の成り立ちとしては    スサノヲ( S )市民‐アマテラス( A )公民   この連関制である。これは 二階建て構造を有する。そして A 圏における権力と権威の分離をも考慮に入れるなら こうである。   市民社会圏( S )‐〈政府公民圏 ・ アマテラシテ(象徴)〉( A )     * アマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität ):     アマテラス( amaterasu )公民ないし天皇の抽象名詞化。  アマテラス圏のアマテラス政府は じつはすでにスサノヲ市民政府である。主権者スサノヲによって権力が構成されている。ただし 国家として成り立った《 A - S 連関制》じたいは いささかも変わっていない。  そして アマテラス圏なるお二階さんが スサノヲ市民らによって形成されているにもかかわらず 一般的なクウキないし社会通念としては 相変わらずその第二階なるあたまで立っているかのごとく 逆立ちした連関制である。  けっきょくことは――問題は―― アマテラス圏における象徴アマテラシテを どうするかにある。  そもそも――神話としての伝承によるとは言え―― スサノヲ市民らが もともと平屋建ての社会にあって生活しており そこから第二階をこしらえて アマテラス族をそこに住まわせたのは そのように《くにゆづり》をしたことからだったからである。  どうしてもアマテラス族が――かれらは それはそれは品行方正・学力優秀だったからのようだが―― この世の中を 自分たちにまかせて欲しいと頼みに頼んで拝みに拝んで それにとうとう根負けしたスサノヲらは 社会にも やしろを作ってそこにかれらをまつりあげた。これが くにゆづりだったことに起因する。    スサノヲらにしてみれば あまりにも駄々をこねるゆえに しばらくは特別の場所をあたえたという程度に過ぎなかったかも知れない。ところが 一たん第二階ないしあたかも 雲の上のスーパー・ヤシロなる神棚に腰を据えたが早いか あとは そのまれにみる能力をほしいままに使い切るまでに使いこなすほどに 国家経営にはげんだことになる。権力と権威との分離がなされたあとも このお二階さんとしてのまとまりは びくともしなかった。  結論である。  要するに 駄々をこねる子供から早く人びとと自由に対等に話し合いができるおとなに成って欲しい。千五百年経ったが どれだけ経ってもまだまだ待っているんだぞというメッセージを送り続けていることになる。これが フィギュアのねらいだという読みである。  その思いを大枠として――その解決がなされなけれ人間存在の話としては何ごとも始まらないほどの枠組みとして―― あとはその時代時代のなかでさまざまに文化的・経済的な進展に応じて そのメッセージの具体的な中身が変遷して来ている。反抗と言っても せいぜいが 一揆ていどである。  つまりは現代としては フィギュアもオタクも萌えも――そして 燃えは A-S 連関制におけるむしろ A 圏の側からの応答としてのごとくであるようなのだが―― このメッセージをそれとして体現していると考えられる。  むすび:  アマテラス圏は 社会のどう考えても主役であるしかないスサノヲ圏のスサノヲ市民らに その大政を奉還すべきである。はやくおとなにならねばならない。  権力をただちにスサノヲ圏に返すと 国際関係において チカラの均衡がくづれるおそれがあるとするなら その安全保障のことをも考慮しつつ 大政奉還していけばよい。  おまけ:  だから フィギュアに自分の時間を割く人びとは いわゆる階級関係における権力闘争をしようとしているのではない。日本においては それは 筋がちがう。  逆立してしまった連関制なる二階建ての成り立ちを 風通しのよい・おとなの話し合いができる自由な仕組みに作り直そうと言うのみ。  だから けっきょく自己満足でしかない世界において自己満足でしかない手段によって 心の内なる心の奥の心にうったえている。もともと くにゆづりをしたからには 返せとか下りて来いとか なかなか直接には言いづらい。まして 引きずりおろそうとは していない。心への呼びかけにおさまる。

  • 男系による万世一系は 神武天皇以前は別となるのか

     ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第五章 多神教は その一まとめとして一神教である   趣旨説明の(3)から:    § 5 ‐ a 《国体》についての補論: 男系による万世一系は 神武天皇以前は別となるのか  たとえば 次のように受け取られています。  ▲(ヰキぺ:万世一系) ~~~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%B8%96%E4%B8%80%E7%B3%BB  § 2 起源と正統性  §2.2 日本神話  日本神話に登場する初代の天皇・神武天皇から現在まで、天皇の王朝が断絶せずに皇室が日本を一貫して統治してきたとする史観を形成し、万世一系は国体において不可欠なものとされていた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  1. 神武カムヤマトイハレヒコの遺伝子で男系を引き継ぐY染色体が受け継がれているのは 日本人としていくらでも・どこにでもいるということだそうですが この観点はいま別とします。(さらに詳しくおしえていただけるなら さいわいです)。  ▼ (遺伝子から見た男系天皇論)   http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/111.html  2. ここでは 神武天皇から百二十幾代にわたって現代にまで 男系の同じひとつの血筋がつづいて来ているとしてみて そのほかに 神武イハレヒコより前の世代については どう扱うのか? これを問います。  3. それより前は 神代だから問題にしないのか? 神代と人代とで切れていると見るのか?  4. それでも 神武イハレヒコの父のアマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズをさかのぼり マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミに到ると その親は アマテラスである。    ▲ (アマテラスからの系譜)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Emperor_family_tree0.png  5. このアマテラスは ひとつに女性であり もうひとつにタカマノハラの主宰神であって天皇家の祖であるとされている。では いまの主題としての男系の万世一系は このアマテラスにまで行き着くか? 行き着いても別の話なのか?  6. アマテラスの息子――神代の話ではあるが そういうふうに見てみます――のオシホミミは では その父親は誰なのか?  ▲ (アマテラスとスサノヲのウケヒ)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Challenge_of_Amaterashu_and_Susanoo.svg  7. すなわち 姉アマテラスと弟スサノヲとは スサノヲがその心の清きをアマテラスに疑われたので ウケヒという裁判をおこなった。  アマテラスがスサノヲの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧からは 女(三神)が生まれた。  しかるに スサノヲが アマテラスの《八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠》を受け取って噛み砕き 吹き出した息の霧からは 男(五神)が生まれた。そのひとりが オシホミミである。――オシホミミの父親は誰か?   8. オシホミミは 誰の子でもないのか? ツルギをかみ砕いたりしており 勾玉をかみ砕いて吹き出した霧から生まれたのだから 母も父もいず ただアマテラスの子であると見なされただけなのか?  9. それとも スサノヲもアマテラスも――その誕生は 必ずしも尋常のものではないが(母イザナミがすでに死んでから生まれている?)―― 父親は ともにイザナキとされているから けっきょく神武イハレヒコの Y 染色体は このイザナキから来ていると見るのだろうか?  10. ただし だとすれば その同じ遺伝子を 末っ子のスサノヲも受け継いでいるからには スサノヲの子孫も 同じく天皇家と同じ血筋になる。ということか?  11. 神武イハレヒコの以前は 万世一系にとって問題とはしないのか?  ☆ よろしくご教授ください。  (うっかりしていたけれど こういう問題があったのでした。やっと気づきました)。

  • 村上隆のフィギュアは 天皇へのオマージュか?

     それとも パロディなのか?  それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。  次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明を添えた・フィギュアの心の解明です。     *  フィギュアをめぐる萌えと燃え。  そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?  たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からその展開過程を焦点とする歴史 にその答えを解く鍵があるだろうね。  展開過程と言っても じつは 何にもない。誕生のあとそこで成立したその国家の仕組みが 内部での組み替えは起きたとしても――征夷大将軍や市民資本家が 実権を握るお上になったとしても―― まったくと言っていいほど その体制は変わっていない。  この社会の成り立ちとしては    スサノヲ( S )市民‐アマテラス( A )公民   この連関制である。これは 二階建て構造を有する。そして A 圏における権力と権威の分離をも考慮に入れるなら こうである。   市民社会圏( S )‐〈政府公民圏 ・ アマテラシテ(象徴)〉( A )     * アマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität ):     アマテラス( amaterasu )公民ないし天皇の抽象名詞化。  アマテラス圏のアマテラス政府は じつはすでにスサノヲ市民政府である。主権者スサノヲによって権力が構成されている。ただし 国家として成り立った《 A - S 連関制》じたいは いささかも変わっていない。  そして アマテラス圏なるお二階さんが スサノヲ市民らによって形成されているにもかかわらず 一般的なクウキないし社会通念としては 相変わらずその第二階なるあたまで立っているかのごとく 逆立ちした連関制である。  けっきょくことは――問題は―― アマテラス圏における象徴アマテラシテを どうするかにある。  そもそも――神話としての伝承によるとは言え―― スサノヲ市民らが もともと平屋建ての社会にあって生活しており そこから第二階をこしらえて アマテラス族をそこに住まわせたのは そのように《くにゆづり》をしたことからだったからである。  どうしてもアマテラス族が――かれらは それはそれは品行方正・学力優秀だったからのようだが―― この世の中を 自分たちにまかせて欲しいと頼みに頼んで拝みに拝んで それにとうとう根負けしたスサノヲらは 社会にも やしろを作ってそこにかれらをまつりあげた。これが くにゆづりだったことに起因する。    スサノヲらにしてみれば あまりにも駄々をこねるゆえに しばらくは特別の場所をあたえたという程度に過ぎなかったかも知れない。ところが 一たん第二階ないしあたかも 雲の上のスーパー・ヤシロなる神棚に腰を据えたが早いか あとは そのまれにみる能力をほしいままに使い切るまでに使いこなすほどに 国家経営にはげんだことになる。権力と権威との分離がなされたあとも このお二階さんとしてのまとまりは びくともしなかった。  結論である。  要するに 駄々をこねる子供から早く人びとと自由に対等に話し合いができるおとなに成って欲しい。千五百年経ったが どれだけ経ってもまだまだ待っているんだぞというメッセージを送り続けていることになる。これが フィギュアのねらいだという読みである。  その思いを大枠として――その解決がなされなけれ人間存在の話としては何ごとも始まらないほどの枠組みとして―― あとはその時代時代のなかでさまざまに文化的・経済的な進展に応じて そのメッセージの具体的な中身が変遷して来ている。反抗と言っても せいぜいが 一揆ていどである。  つまりは現代としては フィギュアもオタクも萌えも――そして 燃えは A-S 連関制におけるむしろ A 圏の側からの応答としてのごとくであるようなのだが―― このメッセージをそれとして体現していると考えられる。  むすび:  アマテラス圏は 社会のどう考えても主役であるしかないスサノヲ圏のスサノヲ市民らに その大政を奉還すべきである。はやくおとなにならねばならない。  権力をただちにスサノヲ圏に返すと 国際関係において チカラの均衡がくづれるおそれがあるとするなら その安全保障のことをも考慮しつつ 大政奉還していけばよい。  おまけ:  だから フィギュアに自分の時間を割く人びとは いわゆる階級関係における権力闘争をしようとしているのではない。日本においては それは 筋がちがう。  逆立してしまった連関制なる二階建ての成り立ちを 風通しのよい・おとなの話し合いができる自由な仕組みに作り直そうと言うのみ。  だから けっきょく自己満足でしかない世界において自己満足でしかない手段によって 心の内なる心の奥の心にうったえている。もともと くにゆづりをしたからには 返せとか下りて来いとか なかなか直接には言いづらい。まして 引きずりおろそうとは していない。心への呼びかけにおさまる。    *  天皇が存在することによって ほかの人びとはすべて平等であって そのぶん社会の風通しがよいから 皇室(その制度)はたとえ自己満足であったとしても(*1) 存続している。それゆえ オマージュをささげている。というのか?  それとも このようなそれぞれの立ち場でのそれぞれの自己満足は起きていると思われるが これではやはり風通しはわるいのだ いつまで経ってもよくならないのではないかというパロディなのか?    *1 《皇室(その制度)はたとえ自己満足であったとしても》:これ    は ほかのすべての人びとが平等であると言っても ひとり(ひと    つの家系)は 特別な存在とされている。したがって その設定が    特別視の根拠や理由などについて 社会的な虚構を構成すると    いうような意味において 民族にとっての自己満足でたといあった    としても の意です。 

  • 万世一系は アマテラスからなら 女系ではないか

     1. 初代の天皇とされている神武カムヤマトイハレヒコからに限って 男系の血筋を捉えるのでしょうか?  2. けれども その父には アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズがいると書かれており その血筋をたどれば マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミにまでさかのぼれる。つまり その子のアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギが タカマノハラからこの地上なるタカチホの峰に降り来たったというとき このホノニニギは 天孫であり その親の親は アマテラスということになる。  3. アマテラスが みなもとであるなら 万世一系は 女系であるのではないか?  4. それとも アマテラスの夫は 誰か? つまり オシホミミの父親は誰か?  5. オシホミミは アマテラスとスサノヲとがウケヒなる勝負をしたときに生まれたのだから 父親は スサノヲであろうか? それとも 別の血筋の――ツクヨミとも違った――或る男が 父親であったか?  6. スサノヲが父親であったのなら けっきょく男系の一系というのは このスサノヲ(およびその父イザナキ)の血筋であるとなる。  ☆ よろしくご教授ください。

  • 《人間を国家的に》から《国家を人間的に》へ

     1. われわれのしゃべる日常の言葉は あやまちうるスサノヲ人間語です。(あやまつは人のつね)。    2. そこから普遍的な要素を抽出し 抽象的になったかたちではあるが あやまたない内容を表わそうとするのが アマテラス科学語です。(主観内容を共有しうる普遍概念の抽出)。  3. 抽象した要素としての言葉は 概念となりますが この概念を用いてさらに良し悪しの価値判断をおこなうと 科学語はアマテラス人格語として――ということは 道徳や倫理規範の問題として――捉えられて来ます。  4. スサノヲ市民たる人間が これら科学語および人格語たるアマテラス普遍語を使いこなすようになること。これが 《人間化》だと考えられます。(口先だけではダメでしょうが そこは誰しもおんなじ)。    5. さてこの人間の人間化をめぐっては 社会として・その形態としては 《国家にあってこそ初めて成し遂げられる》といった見解が出されています。  6. それは A (アマテラス)語をもっぱら駆使することが出来るアマテラス公民を 言わば社会の第二階に住まわせてそこから いまの S (スサノヲ)語にアマテラス語を採り入れるようにさせるという人間化を政策的にも実現させようとするいとなみであるようです。  7. それは スサノヲ市民のアマテラス公民化 または 《 S 語 ‐ A 語 》の二層構造のしかるべき有効な使いこなし これを実現しようとする人間の志向性であるように考えられます。  8. 《ひとは国家において―― A 語公民性の幅と深さを持ってこそ――人間である。それが 人間の自由である》のだとか。  9. けれども 現代の課題は――昔からの志向性をさらに伸ばして行くかたちとしての歴史的な課題は―― この国家をこんどは人間化すること ではないでしょうか?  10. お二階のアマテラス公民をして その人間存在としていかに土臭きスサノヲ人間語をも回復せしめるか?  ではないだろうか。  11. なぜなら アマテラス普遍語は いかに社会秩序を保つという統治のためとは言え お二階さんたちが その《我が家》であるアマテラストゥーム( das Amaterasutum )の名誉や面子を重んじるあまり 《あやまちの無さ》だけを強く声高く言い張るようになっていると見られるから。あやまちをまぬかれる人間はいないのに。アマテラス的な あまりにもアマテラス的な姿を呈するようになってしまたのではないか?  12. 人間は しょせん スサノヲシャフト( die Susanowoschaft )なる大地の住民である。なぜここから飛翔し人びとを措いて単独にアマアガリして その抽象性の世界に閉じ籠るのか?  13. 二階建て構造のかたちは のこったとしても実質的に 国家をそして A 圏公民をしてスサノヲ人間語の回復を得さしめること。《国家を人間的に》 ではないか いまの課題は。インタムライズム。  14. それとも 究極のアマアガリとしての《アマテラス公民からさらに抽象化をおこなった象徴たるアマテラシテ( das Amaterasität; amatérasité; amaterasity )をになう人》のすがた これが 《人間化》のあり方であると言えましょうか どうでしょうか?  15. 天皇 安倍晋三 シーチンピン パククネ バラクオバマ ・・・が 究極の《スサノヲ市民 - アマテラス公民》のしかるべき秩序構造化した《にんげん》でしょうか?   17. 人間の人間化の道は まだ終わっていないでしょうか? お考えをお寄せください。

  • 事大主義(アマテラス予備軍症候群)とその後遺症

     1. ひとの言葉は あやまち得るスサノヲ人間語とあやまたざる〔と見なされる〕アマテラス普遍語とに分かれる。   《スサノヲ人間語 - アマテラス普遍語(科学語および人格語)》なる構造的な成り立ち  2. アマテラス語をよく使いこなすひとは 社会の中で一般に指導的な地位に上がることが多い。言いかえると スサノヲ市民が《あまあがり》すると アマテラス公民となる。   《スサノヲ市民社会 - アマテラス公民圏》から成る社会のかたち   3. このかたちは 二階建ての構造であるように思われる。お二階さんの中でさらにアマアガリが起きると いわゆる国家元首としてのアマテラシテが出来る。   《 S 圏 - A 圏(アマテラス公民 / アマテラシテ)》連関制    ・アマテラス公民:官僚・政治家その他もっぱらの公民と見なされる職務    ・アマテラシテ:国王・皇帝・象徴  4. ここに第三次のアマアガリがあり得る。それは特に 《皇帝なるアマテラシテ》の場合であり 《帝国》というのは なおほかの国家をも自分の支配下に置こうとする動きである。  5. 韓国は 大いなる帝国主義アマテラシテに事(つか)えるという事大主義なる行動をしばしばおこなって来た。これを アマテラス予備軍と呼び得る。そのクセを アマテラス予備軍症候群と言えるのではないか?  6. 大日本帝国に仕えた朝鮮は 日本が敗けたあと いろいろ協力を求めて来たように思われるが 敗戦国は叩けということになる。反日である。国是のごとく。  7. ジャパン・バッシングそのものは 自分の責任でそういう表現をするかぎりで 仕方ないことですが 問題は 《反日》が 自己表現の大前提になっていることにある。  8. ▼ (ヰキぺ:反日主義) ~~~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E6%97%A5%E4%B8%BB%E7%BE%A9  ▽ 鄭大均:「反日は韓国のアイデンティティと不可分な関係があり、反日と無縁な韓国人はいない」  ▽ 崔碩栄:「韓国の過激な反日感情は自然に発生した感情ではない。『反日国家』韓国では、日本は『悪い国』だという情報だけが与えられ、人々が自然に『反日型人間』になるように仕組まれた『反日システム』という社会構造が形成されている。・・・  ▽ 黒田勝弘:「韓国は世界で最も日本非難論が活発で、韓国マスコミは日本非難なら何でもありで、極端な比喩による感情的論評を書き、反日報道ではデッチ上げなど内容が誤報と分かっても訂正はほとんどない。これは『反日病』だ」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  9. もしこのようにおのれの行動方針が 真っ先に《反日・蔑日》を掲げているのならば 言葉としての《スサノヲ人間語 - アマテラス普遍語(科学語および人格語)》なる成り立ちよりも先に 日本叩きという頭が来ることになります。  10. すなわち 《統一方針なるアマテラス方言》が すべての言葉を凌駕してしまう。それは 子どもの頃から 頭に叩きつけられる。  11. これでは いくら思考能力を伸ばそうとしても 民族としての統一アマテラス語がつねに立ちはだかる。  12. これでは 気が狂わないほうが おかしい。のではあるまいか?  13. なお 中国の行動は アマアガリ・シンドロームに罹っていると見ます。最初のボタンをかけるときに そうなのである。

  • 《人間を国家的に》から《国家を人間的に》へ

     1. われわれのしゃべる日常の言葉は あやまちうるスサノヲ人間語です。    2. そこから普遍的な要素を抽出し 抽象的になったかたちではあるが あやまたない内容を表わそうとするのが アマテラス科学語です。  3. 抽象した要素としての言葉は 概念となりますが この概念を用いてさらに価値判断すると アマテラス人格語として――ということは 倫理学として・また倫理規範として――捉えられて来ます。  4. スサノヲ市民たる人間が これら科学語および人格語たるアマテラス普遍語を使いこなすようになること。これが 《人間化》だと考えられます。    5. さてこの人間の人間化をめぐっては 社会として・その形態としては 《国家にあってこそ初めて成し遂げられる》といった見解が出されています。  6. それは A (アマテラス)語をもっぱら駆使することが出来るアマテラス公民を 言わば社会の第二階に住まわせてそこから いまの S (スサノヲ)語にアマテラス語を採り入れるという人間化を政策的にも実現させようとするいとなみであるようです。  7. そこでは スサノヲ市民のアマテラス公民化 または 《 S 語 ‐ A 語》のしかるべき有効な二層構造化 これを果たそうとする人間の志向性であるように考えられます。  8. 《ひとは国家において人間である。自由である》のだとか。  9. けれども 現代の課題は――昔からの志向性をさらに伸ばして行くかたちとしての歴史的な課題は―― この国家の人間化 ではないでしょうか?  10. お二階のアマテラス公民をして その人間存在としていかに土臭きスサノヲ人間語を回復させるか?  ではないだろうか。  11. なぜなら アマテラス普遍語は いかに社会秩序を保つという統治のためとは言え お二階さんたちは その《我が家》であるアマテラストゥーム( das Amaterasutum )の名誉や面子を重んじるあまり 《あやまちの無さ》だけを強く声高く言い張るようになっているのではないか? あやまちをまぬかれる人間はいないのに。  12. 人間は しょせん スサノヲシャフト( die Susanowoschaft )なる大地の住民である。なぜここからアマアガリして 抽象性の世界に閉じ籠るのか?  13. 二階建て構造のかたちは のこったとしても実質的に 国家をそして A 圏公民をしてスサノヲ人間語の回復を得さしめること。《国家を人間的に》 ではないか。  14. それとも 究極のアマアガリとしての《アマテラス公民からさらに抽象化をおこなった象徴たるアマテラシテ( das Amaterasität; amatérasité; amaterasity )をになう人》のすがた これが 《人間化》のあり方であると言えましょうか どうでしょうか?

  • 《人間を国家(公)的に》から《国家を人間的に》へ

     姉妹質問です。互いが互いにとって分かりやすくなれば さいわいです。  ここの主題は 《人間化》です。  1. われわれのしゃべる日常の言葉は あやまちうるスサノヲ人間語です。(あやまつは人のつね)。    2. そこから普遍的な要素を抽出し 抽象的になったかたちではあるが あやまたない内容を表わそうとするのが アマテラス科学語です。(主観内容を共有しうる普遍概念の抽出)。  3. 抽象した要素としての言葉は 概念となりますが この概念を用いてさらに良し悪しの価値判断をおこなうと 科学語はアマテラス人格語として――ということは 道徳や倫理規範の問題として――捉えられて来ます。  4. スサノヲ市民たる人間が これら科学語および人格語たるアマテラス普遍語を使いこなすようになること。これが 《人間化》だと考えられます。(口先だけではダメでしょうが そこは誰しもおんなじ)。    5. さてこの人間の人間化をめぐっては 社会として・その形態としては 《国家にあってこそ初めて成し遂げられる》といった見解が出されています。  6. それは A (アマテラス)語をもっぱら駆使することが出来るアマテラス公民を 言わば社会の第二階に住まわせてそこから いまの S (スサノヲ)語にアマテラス語を採り入れるようにさせるという人間化を政策的にも実現させようとするいとなみであるようです。  7. それは スサノヲ市民のアマテラス公民化 または 《 S 語 ‐ A 語 》の二層構造のしかるべき有効な使いこなし これを実現しようとする人間の志向性であるように考えられます。  8. 《ひとは国家において―― A 語公民性の幅と深さを持ってこそ――人間である。それが 人間の自由である》のだとか。  9. けれども 現代の課題は――昔からの志向性をさらに伸ばして行くかたちとしての歴史的な課題は―― この国家をこんどは人間化すること ではないでしょうか?  10. お二階のアマテラス公民をして その人間存在としていかに土臭きスサノヲ人間語をも回復せしめるか?  ではないだろうか。  11. なぜなら アマテラス普遍語は いかに社会秩序を保つという統治のためとは言え お二階さんたちが その《我が家》であるアマテラストゥーム( das Amaterasutum )の名誉や面子を重んじるあまり 《あやまちの無さ》だけを強く声高く言い張るようになっていると見られるから。あやまちをまぬかれる人間はいないのに。アマテラス的な あまりにもアマテラス的な姿を呈するようになってしまたのではないか?  12. 人間は しょせん スサノヲシャフト( die Susanowoschaft )なる大地の住民である。なぜここから飛翔し人びとを措いて単独にアマアガリして その抽象性の世界に閉じ籠るのか?  13. 二階建て構造のかたちはのこったとしても実質的な内容としては 国家をして・そして A 圏公民をしてスサノヲ人間語の回復を得さしめること。《国家を人間的に》 ではないか いまの課題は。  13-1. インタムライズム。公(A語)は 私(S語)の内に自然なかたちでおさめられてこそ 生きる。ムラ(市町村=S圏)が 主権をすでに理論的に持つのだからこれを実践して行くこと。  14. それとも 究極のアマアガリとしての《アマテラス公民からさらに抽象化をおこなった象徴たるアマテラシテ( das Amaterasität; amatérasité; amaterasity )をになう人》のすがた これが 《人間化》のあり方であると言えましょうか どうでしょうか?  15. 天皇 安倍晋三 シーチンピン パククネ バラクオバマ ・・・が 究極の《スサノヲ市民 - アマテラス公民》のしかるべき秩序構造化した《にんげん》でしょうか?   17. 人間の人間化の道は まだ終わっていないでしょうか? お考えをお寄せください。

  • ホノ二ニギ(天孫)は アマテラスとスサノヲの子孫か

     非論理的な話です。  いわゆる伝承上の第一代天皇である神武カムヤマトイハレヒコは アマテラスにとって来孫(らいそん)または耳孫(じそん)という五代目の孫です。まご ひまご やしゃご。そしてその子の きしゃご というのだそうです。    高千穂の峰に降臨したのは二代前のホノ二ニギです。これは 孫です。アメニキシクニニキシアマツヒコホノニニギのミコト。    さて このホノ二ニギの父・すなわちアマテラスの子は マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミのミコトです。  ところがこのオシホミミは 例のアマテラスとスサノヲとの賭けのようなウケヒにおいて生まれた子です。  アマテラスの髪飾りの珠を取ってスサノヲが噛み 吹き捨てた息吹きの霧に生まれたと言います。  ならば   【Q‐1】 神武天皇とそしてそれからの歴代天皇は アマテラスの子孫であると同時に スサノヲの子孫でもある。  こう言えるか?    ところで むろんアマテラスとスサノヲは じつの姉と弟です。と考えるにつけても  【Q‐2】 この国は あまりにもアマテラス系をとうとび過ぎて来たのではあるまいか?  一般にアマテラス公民が スサノヲ市民に対して デカい顔をし過ぎて来たのではあるまいか?   【Q‐3】 スサノヲ市民たちをもとうとんだ時代は 栄えたのではないか?  いまは あまりにもその格差が――感覚的に言って―― ひどすぎるのではあるまいか?  これでは 先行き とうてい明るいとは言えまい。  【Q‐4】 このような単純な問題なのではないか? いまのわが国の状態は。  あまりにも幻想的な議論であるが そもそも人びとが 幻想的なクウキにしたがって考えたり振る舞ったりしているのではないか?  【Q‐5】 まだなお共同の観念にしたがうとすれば まづ世の中の主役であるスサノヲ市民らを大切にするしか道はないのではないか?  さもなければ これまでのクウキとして君臨してきた共同観念を打ちこわすことが もとめられなければならない。  こうではないか?