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南京事件とは別に満州に攻めたのはなぜ?

南京虐殺について知り合いと話したときに、虐殺については諸説あるということで納得したんですが、日本は満州に攻めて侵略しただろ?そもそもなぜ日本軍が南京にいたんだ?と言われ、 南京虐殺がもしも歴史的に嘘だったとしても、満州に日本人がいた事 南京に日本軍がいたことを言われると、中国側からすると日本が中国を侵略しようとしたことには変わりないから日本はひどいみたいなことを言われ、うまく反論できませんでした。 日本が中国(確かに当時中国ではないが)人の地域を侵略したんだから、悪いみたいなことを言われるとそうなのかなって思ってしまいますが、やはり悪いことをしたんですかね日本は?

  • 歴史
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  • ベストアンサー
  • teppou
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回答No.10

 teppou です。もう一度回答してみます。  >1,中国語を話す地域は世界の誰から見ても中国と認識されてしまう  そのようなことはありません。  現在、中国語を話せない中国人はたくさんいます。中国語で会話はできるが、漢字で文章を書くことのできない人はもっとたくさんいます。  国家の領土というのは、周辺諸国や、いわゆる列強が、その国の領土と認めた範囲です。他の国がその国の国境線として明確に認めると宣言しなくても、認めないという宣言をしなければ、国境は容認されたと考えられます。  >2,侵略ではなく、同盟という形はとれなかったのか?  当時の中華民国にとって、日本との同盟は何のメリットもありませんでした。  中華民国としては、全ての外国の利権(日本を含め欧米列強がさまざまな利権を持っていました)を白紙にも出してほしいと思っていたでしょう。  >世界と日本ではなんかずれがあってこの部分が日本の弱点のような気がします。  そんなことはありません。日本の一部の人が、世界の認識とずれたことを言っているだけでです。日中の歴史を素直に見れば、そのような考えは出てこないと思います。  >世界の人は、満州に日本人がいる時点でそれは日本からの侵略だと思いますよね(私もそう感じる)。  これも当時、世界はそのように考えてはいませんでした。  満州やその他の地域に、日本やロシア(ソ連)、その他の列強が利権を持っていること自体は、その地域の発展のためにも良いことだと思われていたようです。  ただし、中華民国政府と軋轢を極力小さくするようにすべきとも思われていたようです。  >日本側は、ロシアや西欧人がアジアを殖民地にしようとしてたから、満州や中国本土への侵略はやむを得なかった。と言っていますが  こういう言い方をする日本人は、かなり少数だと思いますよ。特に発言はしなくても多くの日本人はそれほど自国中心の考え方をしてはいないと思います。  >日本本土を守るために、傀儡政権をおいたりして謀略しかけていれば日本が悪いとなりませんかね?なんで日本はいつもこっちから攻撃をしちゃうんでしょうか?  軍事的に日本本土を守る意味は当時はかなり薄れていたようです。日露戦争後は、日露間は緊張状態ではなかったようです。  日本の軍部は、もっぱら経済的理由で、満州経営に乗り出したのです。  その時の考え方は、満州を形式的にせよ、清王朝が本来の国土である満州に国家を再建したと言う形にすれば、諸外国の批判は抑えられると考えていたようです。  根本問題は、後の日米開戦もそうですが、ほとんどを陸軍が行ったということです。  陸軍は世界情勢判断や外交感覚が劣っていたようです。いざとなれば軍事力で、という思いもあったのかもしれません。  相当独善的であったようです。  軍部という、政治や外交の専門家ではない者が、実権を握っていたのです。  軍部は、巧妙なやり方で実権を握るにいたったのですが、当時の日本の政治の仕組みとして、そのような状況を覆す方法がなかったのです。  >なんか良いところはよい、悪いところは悪いと分けて考えないと良い情報も悪い情報も日本が正しかったように肯定してしまうと、世界の誰も聞き入れてもらえなくなってしまうような気がします。  全くその通りだと思います。  そのためには、きちんと歴史を勉強して自分で判断してください。  歴史を勉強すると言っても、市販の本はいろいろな立場の人が書いていますので、いろいろな本を読んでみてください。  >これは結局武力で侵略したということですよね?これだと世界の人が日本を悪いと思いますよね?なぜ侵略したんでしょうか?同盟関係をむすべなかったんですかね?条約とか?学校で学ぶ歴史は日本が悪いというのが多いのでそれは間違っていると思っていましたが、やはり日本も悪いじゃんって思いませんか?  日本の評判は、現在でこそ、相当良くなりましたが、戦争が終わってかなりの間、ナチスドイツと同様に最悪だったのです。  実は、終戦時の中国は、犯罪的であったのは日本軍部、特に陸軍の指導部であって、日本国内の日本人や、徴兵で中国に来た兵士に大きな罪はないとし、国民党総統の蒋介石は「怨みに報いるに徳を持ってす」といって、大部分の将兵は無事に速やかに引き上げることができました。(ここはソ連と大違いです。)  せっかく中国側がこういう態度を示してくれたのに、日本の軍部にも正義はあったというようは論調の本がたくさん出版されているのは、残念なことだと思います。むろん、言論・出版の自由がありますので、いけないわけではありませんが。  最後に、こういう問題に対するときに重要なことは、日本は侵略したのか、そうでないのかという二者択一的な判断を求めるのではなく、複雑な歴史を時間をかけてしっかり勉強する態度だと思います。  少ない歴史的知識で、あれこれ考えても、あまりよい結果は得られないと思います。  私は、まぎれもなく武力侵略だと思っています。  最初の御質問とは少しずれてきましたので、これで回答は打ち切ります。  新た質問を立ててください。

20100913
質問者

お礼

確かに質問の趣旨がずてきているので新たに質問をたてさせていただきます ありがとうございました!

その他の回答 (9)

  • kuni-chan
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回答No.9

 戦争で勝ったら勝った方の主張が正しくなり、負けた方が間違いとなります。  どんな極悪な行為をしても勝てば責任を問われる事はありません。負ければ全て否定されて極悪にされます。  日本は負けましたから何を言っても無駄です。    中国共産党の徹底した反日教育を受けた者に何を言っても無駄です。  小さな子どもに「悪い日本と戦う覚悟ができている」と言わせるのですからどのように言われ続けているか簡単に想像できます。  中国共産党に洗脳された者に反論しようなんて思わない方が良いでしょう。  可能ならこう問えばよいでしょう。「中国は何をしてきてこれから何をしようとしていますか?」「非武装の一般市民や学生を皆殺しにして『それは無かった』という者を信じるのか?」と。  

20100913
質問者

お礼

新たに質問をたてさせていただきます ありがとうございました!

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.8

 teppou です。再度回答します。  当時の日中問題は、日本政府、日本軍部、中華民国政府、中国共産党(後の中華人民共和国)を含む中華民国諸勢力、満州諸勢力が絡み合い、こういう質問サイトで十分の理解を得ようとするのは無理があります。  以下に満州国成立までの背景をごく短くまとめてみました。  まず、中国と満州の関係を説明します。  清国成立以前の中国の版図は万里の長城で区切られていました。満州は長城の外で、そういう意味ではそれまでの中国の版図ではありません。  清国は満州と中国を合併して統一国家としました。  辛亥革命によって清王朝が滅亡した後、中華民国は清王朝を革命で倒したのだから、清王朝の領土は中華民国の領土であると主張しました。諸外国はこれを認めました。これ以後満州は中華民国の一地方であると諸外国は認識していたのでしょう。  日本は、江戸時代から第二次世界大戦後しばらくの間まで、基本的に農業国でした。  農業国というのは、農地から生産される農作物の収穫量で収益が決まるわけですので、一定の農地面積で生活していける人口には限りがあります。  しかし、世の中が安定すると人口は増加傾向を示し、農地面積に対する余剰人口が生まれてきます。  余剰人口対策としては、土地生産性の向上、農地の新規開拓等をやらなければなりませんが、これには限界があります。  農業以外で余剰人口を養うには、商工業の発展が必要になってきます。  明治後期から昭和初年という時期はこういう状況でした。  商工業の発展のためには、資源の確保と、購買層が必要になってきます。  日本は、この両方を満州に求めようとしたのです。  辛亥革命によって清王朝が倒れた時、論理的には満州族である清王朝は中国から撤退し満州に新たな王朝をたて、新国家を建設するという選択肢があったと考えられますが、現実には到底不可能でした。  満州はそれなりに安定した状況でしたが、中華民国の統治とロシア・日本の権益がせめぎ合っていました。(日露間は良好な状態であったようです)  日本は日露戦争の勝利によって、それまでロシアが持っていた満州における権益を手にすることができました。  南満州鉄道(いわゆる満鉄)の駅周辺と線路の両側のある程度は、日本の主権が及んでいました。  こういう状況に応じて日本から多くの日本人が満州に渡っており、生活基盤を築いておりました。  しかし、当時満州に派遣されていた軍部(関東軍と言います)の中には、この満州を事実上日本の植民地にしようと考える一派がおり、表面上は満州に清国を再建設するという体裁をとって、内実は日本の傀儡国家を作ろうとしたのです。  この計画を実行に移したのが満州事変であり、満州を制圧した関東軍により、満州国は成立しました。  この満州国を何とか維持することの全力を傾けていれば、歴史はかなり違ったものになっていたかもしれませんが、無理に無理を重ねたインチキ国家ではそういうわけにもいかなかったのでしょう。  満州国は、当時の国際連盟の調査により傀儡国家と認定され、日本は糾弾されましたし、中国の反発は大変なもので、正規軍以外の軍事組織による攻撃を受けたり、前の回答で示したようなことがいろいろ起こり、結局日本と中華民国の戦争状態になりました。  これ以上はご自身でネットを漁るなり本を買うなりして、勉強してください。  以前に提示したサイトをしっかり読みこむだけでも、相当のことが分かるとは思います。

20100913
質問者

お礼

ありがとうございます ポイントを整理させていただきます 1,中国語を話す地域は世界の誰から見ても中国と認識されてしまう 2,侵略ではなく、同盟という形はとれなかったのか? 世界と日本ではなんかずれがあってこの部分が日本の弱点のような気がします。 世界の人は、満州に日本人がいる時点でそれは日本からの侵略だと思いますよね(私もそう感じる)。 日本側は、ロシアや西欧人がアジアを殖民地にしようとしてたから、満州や中国本土への侵略 はやむを得なかった。と言っていますが、それはさすがに日本に都合が良すぎる解釈で世界標準でみると日本が悪いと思います。 逆の立場で考えてみれば、日本が先に西洋から殖民地にされそうになっていたとして、清や満州が日本に同じことをしてきたら許せないですもんね。 パールハーバーもそうですよね、たしかに日本側は、ハル・ノート、ABCD包囲網、くず鉄資源の輸出禁輸等兵糧攻めをされてたので日本は追い込まれていました。でも、奇襲攻撃してしまいましたよね? 宣戦布告が少し遅れたとか宣戦布告する担当者がスパイだったとかの疑惑は確かにありますが、そのツメの甘さが過去も今現在も問題を引き起こしてるように感じます。 結局攻撃を先にしかけてるじゃんって。アメリカが先に日本に攻撃をしかけていて、それに反撃したが負けてしまったとなっていたら、まだましだったんですが、日本から宣戦布告して、攻撃している時点で、奇襲であろうが、正式にだろうが、攻撃を先に仕掛けている時点で、アメリカ側に何をされても世界的に見ればそれは日本が悪いと思います。事情は色々あるにせよね。 日中間の問題も、例えば、先に満州が日本に攻撃を仕掛けてきた、もしくは、清が日本に攻撃を仕掛けてきていて、その反撃のときに、日本が追撃して満州を占領していたら世界の人も納得するのに、日本本土を守るために、傀儡政権をおいたりして謀略しかけていれば日本が悪いとなりませんかね?なんで日本はいつもこっちから攻撃をしちゃうんでしょうか? なんか良いところはよい、悪いところは悪いと分けて考えないと良い情報も悪い情報も日本が正しかったように肯定してしまうと、世界の誰も聞き入れてもらえなくなってしまうような気がします。 >しかし、当時満州に派遣されていた軍部(関東軍と言います)の中には、この満州を事実上日本の植民地にしようと考える一派がおり、表面上は満州に清国を再建設するという体裁をとって、内実は日本の傀儡国家を作ろうとしたのです> この計画を実行に移したのが満州事変であり、満州を制圧した関東軍により、 >満州国は成立しました。 ↑これは結局武力で侵略したということですよね?これだと世界の人が日本を悪いと思いますよね? なぜ侵略したんでしょうか?同盟関係をむすべなかったんですかね?条約とか? 学校で学ぶ歴史は日本が悪いというのが多いのでそれは間違っていると思っていましたが、やはり日本も悪いじゃんって思いませんか?

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.7

結論ありきの話なら簡単です。 当時は侵略は正義です。 日本は満州中国侵略しました。 それを教えたのは中国です。 中国は1950年にチベット国や東トルキスタン共和国を侵略し、自国領土にしています。 国内問題では決してありません。 国内問題と言うなら、その中国人と話す値打ちありません。 中国人の期待通りの回答になります。

20100913
質問者

お礼

ありがとうございます >当時は侵略は正義です。 日本は満州中国侵略しました。 >それを教えたのは中国です。 これを言ってしまうと、開き直っているようでもうこちらが完全に悪いということを認めたようにかんじます。 そうすると、様々な戦争犯罪も、日本がひどいことをされたこともすべて受け入れないといけなくなると思います。

  • teppou
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回答No.6

 No.3,5 teppou です。  「お礼コメント」の内容に回答します。  質問者さんは、おいくつくらいの方なのでしょうか、現在は歴史の授業で中国史はあまりやらないのでしょうか。  中国最後の王朝である清国は満州で成立した満州族の王朝で、後に中国とモンゴルを侵略し統一王朝を作りました。  中国のいわゆる漢民族は、長い間満州族に支配されていたのです。満州族は統治能力に優れていたようで、比較的少数の満州族が多数民族である漢民族を統治していました。  満州はもともと満州族の国土で、この意味では中国領ではありませんでした。  清による統一により、満州と中国は一体となり清王朝滅亡の後も満州は中国の一部と考えられ現在に至っています。  現在満州(中国東北部)には、満州族が多数いると言うことですが、中国は大多数が漢族(漢民族)ですが、50以上の民族からなる多民族国家ですので、満州族であるが、中国人であると思っているのではないでしょうか。  漢族とは少し違う文化を持っているのでしょうが、外見で分かるほどではないと思います。  中国の漢族以外の民族は、固有の文化を持っている民族意識と、中国という国に属していると言う国籍意識の両方を持っているようです。  満州語と言うものもあり、現在も使われているそうですが、満州族は皆満州語を話すのか、と言ったことはよく知りません。  この辺は面倒なのです。  北京語に関しては下記のサイトが見事です。  https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1287315462  満州  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E  中国東北部  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%9D%B1%E5%8C%97%E9%83%A8  満州民族  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E6%B0%91%E6%97%8F  漢民族  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B0%91%E6%97%8F  清  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85  元(げん)はモンゴル人による征服王朝です。中国は何度も外部民族による侵略を受けましたが、統一王朝を作ったのは、元と清の二王朝だけだと思います。 元王朝は盛大に侵略を行いました。日本は何とか侵略を免れ、ベトナムは一度は武力で撃退しました。ベトナム戦争でアメリカに勝った背景には、この歴史的記憶があったからだと言う説もあります。  清王朝は満州族ではあるが、中国の正統な王朝を受け継いでいるという建前であったので、中華思想を受け継いでいたようです。 朝鮮との関係などは、以前どおりのようでしたが、侵略もかなり行いました。本質は侵略的民族だったのでしょうか。  満州の朝鮮に近い地域には朝鮮族がかなり多く住んでいるそうです。  別に北朝鮮系と言うわけではないでしょうが、中国人であり政治的にも地理的にも北朝鮮に近いので、北朝鮮との交流が多いようです。  現在満州族が漢族の中国にどのような感情を持っているかは、全く知りません。

20100913
質問者

お礼

ありがとうございます >満州はもともと満州族の国土で、この意味では中国領ではありませんでした。 なんかこの辺がややこしいはなしで、中国語を話しているから中国人と彼らは思っているし、アメリカ人も他の国のひとたちも、満州を侵略したんだから日本は中国を侵略したとかなり思っています。そこを論理的に反論できません。 中国ではなく、モンゴル語?とかだったらおそらく少しは平気だったかもしれません。 しかし、日本が他国を侵略したことには変わりないので、日本人は悪いひとたちみたいな考えを持っているような気がします。 中国国内での争いはいいみたいによく言われますし、アメリカ人の人もそんなことを言っていました。 日本人もアジアを開放するために戦ったという人がいますが、でも、満州を攻めたとしたらそれは開放じゃなくない?って私も少し思います。なんか言ってることがちょっと違いませんかね? もしも満州や中国清?と同盟を組んでヨーロッパ人と戦えば良かったんでしょうが、満州に侵略していることは事実ですよね?では日本はやはり侵略したんですよね? 満州国を作るのではなく、中国や朝鮮の人たちと同盟関係みたいのはだめだったんですかね?侵略しちゃったのかあってちょっと残念な気がして強く自分たちが正しいと言えません。

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.5

 No.3 teppou です。  「お礼コメント」中の  >私がちらっときいたことがあるのが、中国はアジア人を裏切ってヨーロッパ側についてアジア人を攻撃しようとしたような事をきいたことありますがどうなんでしょうか?  についてですが、  1911年の辛亥革命で清王朝が倒れてから、国共内戦に勝利した中国共産党が 1949年に中華人民共和国の成立を宣言するまで、対外的には列強諸国の干渉や日中戦争、国内は軍閥間の抗争と国民党と共産党の内戦という混乱の連続でとても近隣諸国へ出兵する余裕などありませんでしたし、そうでなくても、そんなことを考える政府はできなかったでしょう。  中国は歴史的に見ても、清国は近隣を侵略しましたが(清国は満州族で漢民族ではありません)、それ以外は攻略して勝利しても自国に併合することはほとんどなかったのです。  長い歴史を持ち、かつては世界的な大国であったにもかかわらず、侵略戦争はほとんど行っておりません。(だから長い歴史を保ちえたのかもしれません)  人類史上、希有な国なのです。  中華思想の根本は軍事的征服をせずに、高い文化によって心服させると言うところにあります。  日中間に関して、中国側の落ち度をさがすと、国内を安定させる統一政府ができず、そのために国内が混乱し、中国に在留していた日本人に被害が出たということでしょうか。  しかしこれは、そういう状況を承知の上で在留しており、日本軍も駐留していたのですから、中国の責任を問うのは言いすぎと思います。  辛亥革命  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E4%BA%A5%E9%9D%A9%E5%91%BD  軍閥時代  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%96%A5%E6%99%82%E4%BB%A3  国共内戦  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%85%B1%E5%86%85%E6%88%A6

20100913
質問者

お礼

ありがとうございます >中国は歴史的に見ても、清国は近隣を侵略しましたが(清国は満州族で漢民族ではありません)、それ以外は攻略して勝利しても自国に併合することはほとんどなかったのです。 満州は清国であり、漢民族ではないんですか? 今満州のあった地域に住んでいるひとたちは自分たちのことを中国人とはおもってないんですかね? でも、満州の人たちも中国語(マンダリン北京語?)を話していましたよね? 清≒満州? 清と北京とかの人たちは違うんですか? なんかその辺ややこしいです > 長い歴史を持ち、かつては世界的な大国であったにもかかわらず、侵略戦争はほとんど行っておりません。(だから長い歴史を保ちえたのかもしれません)  人類史上、希有な国なのです。  中華思想の根本は軍事的征服をせずに、高い文化によって心服させると言うところにあります。 > 元寇は中国ではないんですか?モンゴル? 清が満州? 満州の人たちも中華思想をもっていたんですか? 余談ですが、満州の地域は今北朝鮮系の人たちが住んでるんですか? それとも、中国の中でどんな人達が住んでいるんですか? ハワイでもパールハーバーの地域の人は日本軍に複雑な思いを持っているときいたことがありますが、満州地域の人はどうなんですかね?

  • 4237438
  • ベストアンサー率28% (278/974)
回答No.4

韓国と中国。 この二つの反日国家は似ているようで違います。 韓国→詐欺師です。日本から莫大な利益を得ました。列挙すると書ききれないので割愛しますが、とにかく韓国が近代国家になれたのは日本のお陰です。日本が賠償金を払うのではなくてもらいたいくらいです。 中国→反日になる理由がある。攻め込まれて多くの民が殺されたのは事実です。日本は謝罪し、多額の援助をしました。いつかは仲良くなれる日が来ると思います。

20100913
質問者

お礼

ありがとうございます 今回は韓国の質問ではないですがありがとうございます 韓国の方は、豊臣秀吉のことをいわれたことがあります。あと、韓国併合もやはり日本が攻めてきたのには変わりないみたいなことを言われたことがあります鉄の資源が必要だったんだろうとかなんとか 中国はやはり攻めてはいけなかったんですかね、謝らないといけないのでしょうかね

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.3

 日本の明治維新以来の日中間は複雑なのです。  大きなことでは、まず日清戦争があります。当時中国は革命以前で、国号は清(しん)でした。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89  この後、義和団の乱がおこりました。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1  上記サイト内にある、北京議定書が結ばれ、日本を含む列国は、中国にある程度の利権を得ました。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E8%AD%B0%E5%AE%9A%E6%9B%B8  次に日露戦争が起こりました。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89  この戦争により、日本は満州に権益を得ました。  次に最初の南京事件が起きます。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1927%E5%B9%B4)  これからいよいよ日本軍は本格的に中国に仕掛けます。  ます満州事変を起こします。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89  次に上海事変と言うものが起こります。この第二次上海事変以降のいろいろな日中の戦闘を支那事変(日中戦争)と言います。  上海事変  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89  支那事変  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3%E4%BA%8B%E5%A4%89  このシナ事変の最初期にいわゆる南京事件と言うものが起こります。南京を攻めたのは歴史的事実です。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)  以上ウィキペディアを年代順に並べただけですが、全部読むだけでも大変ですね。  歴史的判断はご自身でお願いします。

20100913
質問者

お礼

ありがとうございます やはり日本から中国に先に攻撃をしかけて、中国を侵略したことにはかわりなさそうですね。 その点で責められるとこちらが悪いことをしたと感じてしまうのですが、 中国に落ち度はないのでしょうか? 私がちらっときいたことがあるのが、中国はアジア人を裏切ってヨーロッパ側についてアジア人を攻撃しようとしたような事をきいたことありますがどうなんでしょうか?

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2800/7250)
回答No.2

歴史的に、中国と朝鮮の関係が非常にあいまいで好ましくなかったのです。 つまり、中国にしてみると朝鮮は最初から属国であって、自分らより低い階層の人間だみたいに思い、自分の政治の道具として使ったのです。 これはチンギスハンの蒙古時代も同じで、あの元寇というのがありましたけど、実際には元が日本に攻めてきたのではなく、朝鮮人がモンゴルの兵隊としてやってきたわけです。だから勇気千倍の強い軍隊のはずはなく傭兵なので最初から戦う元気がなく、海が荒れたらそれきりで引き返したのです。どうも文化的には非常に洗練されている割に戦争とかの発想が浮かばない民族のようで、蹂躙されつづけていたのです。 18世紀になりますが、朝鮮と接しているのが中国は東北部であり、満州族の地域でした。中国全体は清国という名前でいました。 ところが辛亥革命で孫文に破られ、中華民国になった。このとき逃げたのが例のラストエンペラー愛新覚羅溥儀です。 日本の政治家は、東南アジアなんかがフランスやイギリスの植民地であって、ほとんど人種差別的に搾取されている状態をなんとかしないといけないと考えた。 これは同じイエローの人種としては共感できる悩みであり、極力独立させ、その代り日本グループの中に入ってもらい世界の発言力を得たいと思ったわけです。 その考えの中で中国も入っているんですが、あそこは民族としては朝鮮族、モンゴル族がいてそれらも吸収しないとうまくいかない。まさにその2つの民族の間に位置しているのが東北部つまり満州でした。 日本としては、革命勢力はおもしろくないので、清国の王だった満州族の溥儀をでっち上げて満州国というのをつくらせそこの王にしたらいいと考えたわけです。そうすると朝鮮族もモンゴルもなんとか制御できるんじゃないか。 日本全員が同じ感覚で同じ考えじゃないんで、軍部は力で独立させてやるんだからどうしても俺たちは恩人だという意識がある。そうすると、満州にも日本国旗を掲げるという考えになっていくわけです。 で、満州事変をおこし、どんどん独立国の体裁を整えようとしているときに、南のほうで騒ぎがおこりそうだ、だったら、南に国際注目を集めておいて、そのすきに満州の仕事をさっさと終わらせようと考えたのが南京事件の発端です。 南京は別に政治的にどうしようという地域ではないから、単に派手な戦闘をするだけでおこうとしたため、むやみに爆撃銃撃をしたわけです。 その結果、そこに住んでいたはずのない人口まで虐殺されたということになり、人口よりはるかに多い10万人が死んだことになるのです。全然殺された人間がいないという話は極端なので置くとしても、白髪三千丈という表現をする国を相手に派手なことをしたために、南京大虐殺という歴史が作られてしまったわけです。 日本人全員が虐殺をしようとしたわけはないんですが、政治的には、植民地にされている国家を独立させようというのが芯にはあった目的でしょう。 それが、独立させたんだからおれが恩人だ、恩人の靴をなめろみたいな動きを軍がしたから、独立させた国民からの反発も受けたわけです。 日本は悪くないなんていう単純な議論は成り立ちませんが、日本があらゆる悪の集合だと考えるのはいかがなものかと思います。 戦後に日本がワルモノにされたのは、かれらの植民地を奪い独立されたくやしさがある国が法廷側に回ったからです。 日本人以外でこれをはっきり指摘し、日本には恩をうけたじゃないか、なぜそんなに責めるのか、そもそも責める資格なんてあるのか、と東京裁判で述べてくれたのがインドのパル判事でした。 あの人が一人いてくれたおかげで日本人の顔がたった。やったことは悪いことだったろうけど、あの人がいてくれたことにもって瞑すべしだとおもいますよ。

20100913
質問者

お礼

ありがとうございます 日本から中国に攻撃して侵略したでしょ?と言われたときにどう反論すればいいですかね? 侵略したんだから日本はひどいと言われると、罪悪感を感じて自分たちが悪いような気がしてしまいます。

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.1

当時の事を現在の価値観で判断するのが間違いです。 50年前までは、力が正義です。 中国は今でもそうです。 毛沢東の「銃口の元、政権が生まれる」 を実行しています。 シナ海侵略、チベット、東トルキスタン枚挙に暇ありません。 通州事件などの日本人虐殺元に、日本人保護の自衛戦争を名目とした自衛戦争です。 対米戦線布告はABCD包囲下での自衛戦争でもあります。 東南アジアへは資源確保目的に、白人支配からの解放謳い侵略しました。 物事2面性あり、評価もそうです。 日本軍人も、白人支配からの解放を信じ死んだ人、 武装放棄せずに、ベトナム、インドネシアに残り独立運動に命掛けた人も多くいます。 逆に虐殺強姦に明け暮れた日本人もいます。 で何故、日本軍が南京にいるのか? 「日本は共産党の敵、国民党を攻撃し、その首都南京を陥落させたのです。だから毛沢東は日本軍のお蔭で国民党に勝てたと感謝しています」 中国人にはそう言えば良いです。

20100913
質問者

お礼

ありがとうございます 私も似たような事を伝えたのですがこう言われました 中国で起きている事件は内戦だから日本には関係ない 日本が満州や南京に攻めてきたのは侵略だと言われました。 どうやら、中国国内で起きている事共産党と国民党の話をしても無駄でした。 日本が中国に攻撃したことは事実で、それはやはり日本のために中国を利用したということになりますか?

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    【南京大虐殺の不思議】南京大虐殺の時の中国の総書記は蒋介石だったが蒋介石は日本軍の日本側のスパイだったはず。 なぜ日本軍側の蒋介石が制圧している中国で日本軍は南京大虐殺を実行しなければならなかったのか? 蒋介石は現在の中国共産党に追いやられ台湾に逃げ込んだ。 そして中国は蒋介石を戦犯者で裏切り者で売国奴だと言っている。 蒋介石が日本側に願えった日本側のスパイで売国奴なのは間違いないが、当時、日本側の蒋介石がいる中国で日本軍が大虐殺をする必要性が分からない。 なぜ日本は南京大虐殺を実施せざる負えなかったのでしょうか? 殺す必要がなぜあったのか教えてください。 殺したのは現在の蒋介石を追いやった中国共産党なのでは? それだと辻褄が合う。 蒋介石を追い出すためにゲリラ戦をやって南京大虐殺によって南京を奪還した。 で勢力を拡大させて蒋介石を台湾に追いやって中国人が中国の主権を取り戻した。 ハッピーエンド。 このハッピーエンドだと何が悪いのでしょう? 南京にいる日本人か中国人か分からないので中国共産党が南京にいる人間を全員中国人日本人関係なく抹殺した。 で、中国共産党が中国人によって中国の政権を取り戻すまでに中国共産党がゲリラで抹殺した総数がいま言っている南京大虐殺の人数なのでは? 当時はゲリラで何十万人も殺したので殺した数がゲリラの中国共産党の誇りだったが、政権を持ったところでその殺害した人数の多さが誇りではないと気付いたがその数字はカウントしていたので捨てることが出来ずにその殺害者数のカウントを日本軍が殺した数にすり替えた。 で南京で日本軍が中国人を殺した数として歴史に残そうと決まったが月日が経って外国が再検証する者が現れて当時の南京にはそれほど人口が居らず南京大虐殺の殺害人数と辻褄が合わなくなっている。 だが中国共産党は発表してしまった手間、当時は中国共産党がゲリラで殺した日本人と中国人と合算した総数が歴史に載せるときはカッコ良くしようとして日本軍が殺した数字にすり替えたが歴史検証されてボロが出ている状態になっているという認識で良いですか? 検索されると自国民にボロがバレるので閲覧禁止にしている。 別に中国共産党が日本の売国奴の蒋介石から中国を取り戻すために南京でゲリラをやって盛った数字だと言えば中国人も良くやったと言うと思うけどなぜ言えないのだろう。

  • ハム速というブログで南京大虐殺は嘘だったと書かれて

    ハム速というブログで南京大虐殺は嘘だったと書かれているのですが・・・ 【貴重写真】『南京大虐殺』は捏造だった!…南京の本当の写真 http://www.hoshusokuhou.com/archives/34972823.html この旧日本軍の入城で歓喜した中国人たちはどこに消えたのでしょう? これだけ大勢の証人が中国人でいるのに、なぜ誰も南京大虐殺は中国共産党による後からの歴史捏造だと誰も指摘しなかったのかが不思議でなりません。 旧日本軍入城後に歓喜した中国人たちはどこに消えたのですか?

  • 「南京事件」について

    「南京事件」については、すでに歴史的事実として世界中の歴史学者が、その存在を肯定しており、我が国においても歴史学者と呼ばれるレベルの研究者で、その存在を否定する専門家は、ほぼ、いません。 第一次安倍政権により着手された「日中歴史共同研究」では、日中双方の主張がそれぞれの学術論文としてまとめられ、PDFファイルによりネット上でも公開されています。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html 日本語論文のPDFから一部抜粋。 >12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始し、最初の部隊は12日から城壁を突破して城内に進入した。翌13日、南京を占領した。 この間、中国政府高官は次々に南京を離れ、住民の多くも戦禍を逃れ市内に設置された南京国際安全区(「難民区」)に避難し、また、日本軍に利用されないために多くの建物が中国軍によって焼き払われた21。 国民政府は11月中旬の国防最高会議において重慶への遷都を決定したが、首都南京からの撤退には蒋介石が難色を示し、一定期間は固守する方針を定めた。首都衛戍司令官に任命された唐生智は、当初は南京の死守方針であり、松井司令官の開城投降勧告を拒否したが、12月11日、蒋介石から撤退の指示を受けると、12日に各所の防衛指揮官に包囲突破による撤退を命じた22。 しかし、計画通り撤退できた部隊はわずかで、揚子江によって退路が塞がれ、中国軍は混乱状態となり、多数の敗残兵が便衣に着替えて「難民区」に逃れた23。 中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。 しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。 日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20 万人以上(松井司令官に対する判決文では10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している 。 一方、日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている24。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している25。 (引用終了) 犠牲者数については様々な議論があり、上記「日中歴史共同研究」の日本側論文では、上限で「20万人」、一番少ない数字として「2万人」が取り上げられています。 実は「なかった」、あるいは数百人などのきわめて少ない数字だった、という説は、少なくともここでは取り上げられていません。 (有名な東中野修道氏などの説は、歴史学の専門家からは相手にされていません) なぜ、一部の人たちは学問的には相手にされていない「南京事件」の「否定論」などを主張し続け、また、それを根強く支持する人たちがいるのでしょうか? これが質問です。

  • 南京陥落?南京大虐殺?どっちが本当の歴史認識?

    日本側は当時の中国の首都、南京陥落が歴史認識だと思いますが 中国側は南京大虐殺だと主張しています。 どちらが本当ですか?

  • 日中戦争や南京事件について。

    南京大虐殺というのは本当はなかったんですよね? 昨日ネットで調べたら楽しそうな南京市民の画像が出てきました。 http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm そのことを微博で言 ったら中国人の人たちから「これは嘘だ。日本は侵略してきた」「偽満州帝国の時の写真。親切なんて存在しない」などたくさん言われました。 天安門事件、文化大革命を含んだ投稿をしたら微博で一時的にアカウント停止にされてしまいました。 私は歴史に全然詳しくないので南京事件や抗日戦争などについてはよくわかりません。 昨日微博では#日本投降記念日とタグ付けされた投稿で「勿忘国恥」と言ってる人たちがたくさんいました。 なんだか悲しいです。 日中戦争のとき日本はそんなにひどい殺し方をして3500万人も殺したのでしょうか? 文化大革命や天安門事件で中国共産党はたくさんの中国人を殺したのですよね?

  • 南京大虐殺再び

    ■【コラム】南京事件の1次資料と3次資料 http://www.d3b.jp/npcolumn/4435 これって、日本人なら、南京城の安全区から、逃げる中国兵を中国軍が虐殺したのが事件の発端なのに、なんで朝日新聞の嘘報道が真しやかにいわれるのでしょうか?

  • 南京事件の真偽

    南京事件は本当にあったのでしょうか。 6週間 - 2ヶ月のあいだで人の手で約30万人を殺すことは、不可能じゃないでしょうか。原爆でさえ14万人の犠牲者です。当時の歩兵の銃は三八式歩兵銃で殺傷力も低く、銃剣も白兵戦には不向き(単に威圧効果)なものです。また、無抵抗な市民を虐殺したともありますが、中国軍と戦った後でそれなりに消耗もしている上でそのようなことが行えたのでしょうか。(南京防衛軍の動員兵力は約10万人と言われてます)証拠も真偽を問われています。旧日本軍は本当にそのようなことをしたのでしょうか。 身近にこの事件の体験をされた方がいる方、実体験などを交えて回答していただければありがたく思います。よろしくお願いします。

  • 南京への侵攻は侵略だろう

    太平洋戦争(または大東亜戦争)で中国の南京への日本軍の侵攻はどうみても侵略になると思いますが、そうではないという意見がありましたら教えてください。 なお、私は南京30万人虐殺などは信じていません。白髪三千丈の中国のことですから3~5万人くらいは死者が出たのだろうと思っています。それも中国軍部指導部が逃げてしまい、残された中国軍人が軍服を脱いで市民の中に紛れ込んでゲリラ戦的な戦いになったので、犠牲者が多くならざるを得なかったという説明は理解しています。その上でのことです。

  • 南京攻略戦について

    南京大虐殺に関連して質問です。 一般的に言われる南京攻略戦というのはどの戦闘をさすのでしょうか? 南京から蒋介石と貧乏人をのぞく80万人が日本軍の空襲により南京から脱出したとありました。 これは推定の数だと思いますが、今回はこの戦闘においての質問です。 世に言われる南京虐殺は地上部隊が行なったとされているわけですが、この蒋介石と中国人が南京を脱出する原因になった空爆。 この空爆も南京攻略戦の作戦の一環だったのでしょうか? 詳しい方教えてください。 この空爆が始まる前の南京の人口は推定100万人であり、その後、脱出し20万人が残されたと聞きました。 細かい数字には諸説があるのでこだわりませんが、この空爆が南京攻略戦に属する戦闘行為だったのかどうか知りたいのです。よろしくお願いします

  • 南京事件について語る国民党軍少尉の謎

    <「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉> http://ameblo.jp/daily-china/entry-11415804641.html http://japan-plus.net/299/ 以上の内容を踏まえて質問です。 (1)この話が本当なら、南京事件が起きる前に、中国軍は列車で逃げたことになりますが、中国人または中国軍が列車で逃げたという資料はこれ以外にありますか? (2)この話が本当なら、線路付近に大量の銃殺死体があったはずですが、そういった資料はありますか? (3)この話が本当なら、外祖父が九江で脱走しているので、中国軍は南西方向に逃げたと推測されます。また、外祖父は南京城から撤退したと言っているので、虐殺は城外で行われたと推測できます。 以上の2点より虐殺は中華門・雨花台のあたりで起きていたと思われますが、中華門・雨花台あたりの死体の資料や虐殺の資料はありますか? 以上は他サイトで投稿されていた質問ですが、思うところがあり、私の方からこちらで質問させていただこうと思います。 せっかくなので付け加えますけど この話が本当なら、1937年の日本軍による南京攻略戦当時、南京周辺の鉄道は一応運行が出来ていたことになります。 そんなことがあり得るのでしょうか? 日本軍は包囲殲滅戦を行っており、実際に江南県城を占領し、中国軍の渡河撤退を阻止しています。 第12航空隊、第13航空隊は「中国軍が汽船で南京を脱出中」との情報を得て汽船の爆撃を行い、結果として「パナイ号事件」を起こしています。 中国軍が鉄道での撤退を行おうとしたのであれば、当然日本軍も阻止のための行動を起こすはずですが、そんな記録はありません。 この開国少尉の話は、どう考えてもおかしいのではないでしょうか?