『永遠の0』と『坂の上の雲』のコントラスト

このQ&Aのポイント
  • 映画『永遠の0』と『坂の上の雲』はテーマや作風が異なりますが、どちらも歴史と個人の物語を描いています。
  • 『永遠の0』は感動的な戦争映画で、主人公の苦悩や犠牲が描かれています。一方、『坂の上の雲』は日露戦争を背景にした歴史小説で、主人公の視点から時代の動きが浮かび上がります。
  • どちらの作品にも独自の魅力がありますが、『永遠の0』は感動的なストーリーと演出が、『坂の上の雲』は歴史の必然性を感じさせる描写が特徴です。
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『 永遠の0 』 と 『 坂の上の雲 』

やっと辿り着いた・・映画 『 永遠の0 』 、ラスト20分からは我が涙腺を刺激する掟破りの波状攻撃、ことにレーダー網を掻い潜り海面すれすれに接近後、急上昇して敵艦に突っ込むラスト・シーン・・、滂沱の涙また涙でありました。 原作は随分以前に読破しておりました、映画にだって興味が無かった訳じゃない、ただ私自身に、元アイドルが主役を張った映画への偏見のようなものがあったのだろうと思います。 他方一部に於いて、戦争賛美・特攻美化との批判も目立つようですが、当作を眺める限り私個人はそうは思わない、まあ捉え方は人それぞれですからどうでしょう。 翻って 司馬遼太郎 氏の名著『 坂の上の雲 』・・、御存知 秋山好古 ・ 真之 兄弟の生涯というフィルターを通して、日露戦争を描いた作品ですが、時あたかも帝国主義末期・・極東の片隅に突如躍り出た新興国家日本としては、富国を目指し列強諸国に喰われまいとするならば、避けては通れなかった歴史の必然であったろう・・少なくとも私はそう理解するところです。   当然の事ながら両作はテイストが全く異なる、全体的にカラッとした仕上がりの『 坂の上の雲 』に対し比較的ウェットな『 永遠の0 』、司馬氏 & 百田氏の個性そして歴史認識、並びに日露・太平洋両戦争の質の違いもあるのでしょう、他方 百田尚樹 さんの事はよく分からない、ただ 司馬遼太郎 さんの作品の根底には武士道という骨子が貫かれている気がしてなりません。 さて『 永遠の0 』 & 『 坂の上の雲 』のコントラスト、或いはどちらか一方に対して、お話を伺えればと思います。

  • isoken
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回答No.7

イソケンさんこんにちは。 永遠の0は映画のみ、坂の上は小説とNHKドラマ観ました。どちらも好きな作品ですが、事実を元にしたフィクションだという事を忘れちゃいけませんね。特に坂の上は読んでいると全て史実であるかのように錯覚してしまいます。 司馬史観・・・日本は日清日露の頃までは良かった、それからおかしくなって太平洋戦争で大敗北を喫した・・・そうなのかも知れません。組織というものは最初は目的があって組織されるわけですが、いつしか組織そのものの存続が目的になってしまう。日露戦争の旅順攻撃では陸海軍がいがみ合いつつも連係プレーで旅順港を攻略したのに対し、太平洋戦争では陸海軍が資材を取り合い、戦争末期には特攻による死者の数まで争ったふしがあり情けない限りです。 しかし、特攻作戦は是非はともかく、当初は戦果が望めました。最初の関大尉の特攻では空母を撃沈するという大戦果。その後米軍は特攻に対して厳重な警戒態勢を敷き、日本への侵攻を遅らせたのは間違いありません。しかし多くの若い命を散らして何のための時間稼ぎだったのか・・・米軍に大打撃を与えた上で講和?本土決戦の準備?どちらにしろ夢物語で、誰も戦争をやめる決断ができずにズルズルと続けてしまったのでしょうが、若者たちは多少なりとも戦局の打開を信じて死地へ向かったんじゃないかと思うのです。そうゆう意味で、二百三高地を攻略するまでロシア軍の機関銃の前に散った白襷隊などの殉死者とどう違うのか、と考えてしまいます。 どちらも薄氷を踏む戦いであった事は違わないのですが、日露戦争は始める時から終わらせるビジョンを描いていて、政府も軍もそれに向かってきちんと動いていたのに対して、太平洋戦争はそれが無かったのが大きな違いですね。太平洋の米空母を叩くために真珠湾へ行ったのに戦艦と基地を叩いて満足して帰って来ちゃう。短期決戦・早期講和が目的なら、ハワイ占領まで視野に入れてやるべきでした。捕虜を養うためという口実であらゆるものを輸送して完全に占領してしまえば、それと交換で講和できた可能性があります。大艦巨砲の象徴、戦艦大和を決戦兵器として秘密裏に建造しながら、自らマレー沖海戦と真珠湾攻撃で航空兵力の有効性を示したり、絶対国防衛圏なんてものを引いて置きながら、それを破られても戦争を続けたり、色々ちぐはぐで何がしたいのかわからない。やはりそれぞれの組織がそれ自体の存続を目的に動いていただけなんじゃないかと思います。 ・・・とまあ、うまくまとまらないのですが、以下映画「永遠の0」の感想です。(坂の上は長くなるのでやめときます) 初見では感動したのですが、特攻という悲しい歴史的事実を謎解きエンタテイメントとして創りすぎたな、と今は思います。とは言っても、だからこそヒットして注目されたわけですが(笑)あと、三浦春馬君は好きなんですが、この頃までは大げさな芝居が鼻につき、そして観てるこちらが泣く前に三浦春馬君が先に泣いてしまうのが邪魔・・・ おっしゃる通り、宮部久蔵が敵艦に突っ込むラストシーンは鳥肌モノでしたね。その前の、歩道橋にいる春馬君を宮部久蔵の零戦が横切っていくシーンも好きです。 一番好きなシーンは、宮部久蔵と大石賢一郎の小川のシーン。「不思議です。風がなびき、水が冷たい。そんな当たり前のことが愛おしく感じます。死んだあとのことなんて考えていませんでした。この日本が続いていってほしい。何年後、何十年後、日本はどんな国になっているんでしょう」「戦争が終わったら、何でもいいから人の役に立つ仕事がしたいです」 彼らが礎となってできた今の平和な日本で、自由に生きる事ができる我々は何をすべきか、という事を考えさせられますね。

isoken
質問者

お礼

mikasa さん、こんにちは。 諸般の事情に依り、お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 >司馬史観・・・日本は日清日露の頃までは良かった、それからおかしくなって太平洋戦争で大敗北を喫した・・・そうなのかも知れません。組織というものは最初は目的があって組織されるわけですが、いつしか組織そのものの存続が目的になってしまう。日露戦争の旅順攻撃では陸海軍がいがみ合いつつも連係プレーで旅順港を攻略したのに対し、太平洋戦争では陸海軍が資材を取り合い、戦争末期には特攻による死者の数まで争ったふしがあり情けない限りです。 冒頭から余談で恐縮ですが、司馬さんの歴史小説との個人的な出会いは、中学時代にまで遡ります。 偶々 司馬遼太郎 全集が親父の書斎に飾られておりましてね、何がどう気に入ったのか分かりませんが読み漁る事となりそれが世界史の興味にまで広がった、故に司馬さんが描かれた世界が、歴史というものを語る上での個人的な骨子になっている点は否定のしようがありません。 ・・と同時に、高校生の分際で無頼の生活を送り且つ超低空飛行であった成績故に、進学する気が更々無かった私の人生を若干軌道修正してくれた恩人でもある、・・というのも私が進学へと舵を切ったのは余りにも遅い高3の夏でありました。 世の真っ当な受験生諸君が、今まさに4コーナーを回り直線の叩き合いというその時点で、世の中を舐め切り当時ベース・ゼロの私が間に合うはずもない、ところがよくしたものでその時代の私立文系は概ね英国社の3科目、つまり高校生レベルとしてはほぼ完璧であった ( はず ) の歴史的知識のお蔭で、何とか現役で潜り込んで以降、至極平坦な人生を送る事となる。 都合よく言い換えれば、典型的不良少年であった我が人生を幾分かでも更生させた訳で、司馬さんへの尊敬と個人的な想いは、その辺りも若干加味されております。 ところで御指摘の所謂 司馬史観・・、先に kamejrou さんのお礼でも触れさせて頂きましたが、各論はともかく総論に於いて、思想というものは左右に振れれば振れるほど実は似通って来ると思っておりまして、戦後長らく優勢であった社会主義思想の残滓があるところに加え、従来ニュートラルであったはずの層が大きく右に振れて来た点にこそ、司馬史観が批判に晒される素地があるのでしょう。 >しかし多くの若い命を散らして何のための時間稼ぎだったのか・・・米軍に大打撃を与えた上で講和?本土決戦の準備?どちらにしろ夢物語で、誰も戦争をやめる決断ができずにズルズルと続けてしまったのでしょうが、若者たちは多少なりとも戦局の打開を信じて死地へ向かったんじゃないかと思うのです。 mikasa さんが好んでお使いになる 「 絶対国防圏 」 、実は終戦を考える上で非常に重要なキーワードであった、私としてもそう捉えるところです。 ・・とするならば主力空母4隻を失った ミッドウェー はともかく、空母3隻が撃沈され且つ艦載機と併せて500機近くの航空戦力を失った マリアナ沖海戦 そしてそれに続き サイパン玉砕に至った1944年7月こそが、非戦闘員を巻き込まない形で太平洋戦争の幕引きを考える、ほぼ唯一のタイミングであったと思う次第。 以降日本列島に至る制空権及び制海権が失われ、本土への直接爆撃が可能となる、冷酷に検証すれば マリアナ沖海戦で敗れて以降、米軍からすればほぼ一方的な掃討戦でしかない、しかも戦争の常で人的損害が倍加して来るとなれば余計にです。 >そうゆう意味で、二百三高地を攻略するまでロシア軍の機関銃の前に散った白襷隊などの殉死者とどう違うのか、と考えてしまいます。 仰る通りで二百三高地とどっちもどっち、そもそも兵士の死を前提とする作戦は作戦ではありませんね、参謀という職務の否定ですらあると思われます。 >どちらも薄氷を踏む戦いであった事は違わないのですが、日露戦争は始める時から終わらせるビジョンを描いていて、政府も軍もそれに向かってきちんと動いていたのに対して、太平洋戦争はそれが無かったのが大きな違いですね。 僅かな例外を除いて、日露戦争当時の軍指導部及び政治家には国家としての総合力を鑑みた合理性がある、ところが太平洋戦争となるとこれが一体同じ日本人なのかと疑いたくなるほど、精神論を振り翳した無茶な作戦が罷り通る事となります。 その一方で太平洋戦争に関わる各種資料を眺めると、後世の我々があれこれ考える程度の事は全てシュミレートされているんですね、ところがそれを生かす為の法令・指揮系統を始めとする環境整備がありませんでした。 それがそっくりそのまま、現行憲法の9条第2項と現に存在する自衛隊という組織との矛盾に当て嵌まるんですね、恐ろしい事に・・。 >太平洋の米空母を叩くために真珠湾へ行ったのに戦艦と基地を叩いて満足して帰って来ちゃう。短期決戦・早期講和が目的なら、ハワイ占領まで視野に入れてやるべきでした。捕虜を養うためという口実であらゆるものを輸送して完全に占領してしまえば、それと交換で講和できた可能性があります。 1940年の大統領選に於いて、当時既に勃発していた第2次世界大戦へは関与すべからずという圧倒的世論に阿り、 フランクリン・ルーズベルト 大統領は欧州戦線不介入という公約を掲げ見事3選を果たしました。 無論その本音は対独宣戦布告でありましたから、先の公約を覆す強力なインパクトが欲しかった、御承知の通りそれが我が国に依る真珠湾攻撃という構図でありまして、後にアメリカ国内に於いてすら ルーズベルト 陰謀説が囁かれた背景はその辺りにあるのでしょう。 ・・とすれば、仮にハワイを占領 ( 当初より作戦に組み込まれておれば、十分に可能であったと私は見ますが ) したとしても果たして早期講和が有り得たかどうか、私個人としては非常に懐疑的です。 無論その大前提は、アメリカの国力が欧州戦線と太平洋戦線という両面作戦に耐え得るかどうか・・、恐らく然るべきシンクタンクに諮問した結果YESという答えが出たのでしょう、そしてそこには我が国の石油備蓄が1年数ヶ月程度でしかない事が盛り込まれていたろうと思います、つまり早期講和に至らねばならない必然性がアメリカ側にはなかったと考えざるを得ない、大変残念ながら・・。 >初見では感動したのですが、特攻という悲しい歴史的事実を謎解きエンタテイメントとして創りすぎたな、と今は思います。 実は私もそう思うのです、少しばかりドラマティックに作り過ぎたかなとは・・、特に宮部少尉が部下 ( 春馬君の血の繋がらないお爺ちゃん )に妻子の行く末を託した部分は、意外性を演出したのでしょうが、本を半分程度読んだ段階で分かりますよねぇ。 >三浦春馬君は好きなんですが、この頃までは大げさな芝居が鼻につき、そして観てるこちらが泣く前に三浦春馬君が先に泣いてしまうのが邪魔・・・ 若手で一番好きです、ただ芝居はいまだに上手じゃありませんが・・。 >一番好きなシーンは、宮部久蔵と大石賢一郎の小川のシーン。 戦後は恐らく悪の限りを尽くしたやくざの親分が、表面上は剣呑ながらも戦争当時上官であった宮部少尉に抱き続けたウエットな感情・・、エンディングを除き瞬間最大の感動は、やくざの親分が春馬君を抱き締めたあのシーンでした、もう泣けて泣けて。 >彼らが礎となってできた今の平和な日本で、自由に生きる事ができる我々は何をすべきか、という事を考えさせられますね。 確かに難しいテーマです、但し大人の責任に於いてこれだけは言っておきたい、血の代償というものを含めて平和には応分のコストが掛かる、字面や口先だけでは決して掴めないって事だけは・・。 回答ありがとうございました。

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回答No.12

こんばんは。 長くなってしまい分けさせて頂きます。 『永遠の0』ですが、この本以外に読んだ本や記事が多く、少し記憶が曖昧ですが何を読んでも、涙無くして読めませんでした。 アメリカ軍の記録に残る最後の特攻被害は1945年7月、駆逐艦『キャラハン』『プリチット』『カシンヤング』『ホラスAバス』7機中4機が命中しました。キャラハン沈没、他3艦大破です。 この時の特攻は九三中練、通称『赤とんぼ』です。 鋼管フレームに躯体は木で出来ていて、翼は布張りです。 当時の戦闘機は600km/hでしたが、赤とんぼに250kg爆弾を搭載すると、フルスロットルで130km/hしか出ないようでした。但し、レーダーに映りません。微かに映っても消え、速度も遅いので飛行機と認識するのはかなり近づいてからだったようです。おまけに炸裂弾は貫通して、墜落しません。 宮古島の市営陸上競技場の東の嶺に、『神風特攻隊第三次竜虎隊』の碑には次のように記載されています。 【建碑の由来】 もう何も思うまい何も思うまいと、思うほどこみ上げる父母への思慕、故郷の山河。 今生の別れの瞼にうかぶ月影淡く孤独を伴に無量の思いを抱き、唯ひたすら沖縄へこの胸中いかにとやせん。 ああ途絶の死真に痛恨の極みなり 『妻と飛んだ特効兵』はドラマ化されたようですが、観れませんでした。 終戦間際の満州には知覧から飛び立つ特攻兵の練習隊が有りました。 満州では、日ソ中立条約を一方的に破り157万もソ連軍が押し寄せます。関東軍の国境守備隊はソ連軍との圧倒的な戦力差の前に破壊的な敗北を喫し、しかも信じられないことに、居留民を残したまま撤退してしまうのです。そんな日本人居留民に対して、ソ連兵は虐殺、暴行、略奪とやりたい放題の蛮行を働く。まさに地獄絵図。偵察機が確認した情報が伝わります。 19日に飛行機をソ連に引き渡す命令が下ります。 前夜18日、少年兵の教官を勤めていた少尉達は伊予屋というお店に、集まります。この中には新婚の谷藤少尉も居ました。知覧へ行く少年兵には『後から行く』と送り出したそうです。 「戦わずにおめおめと降伏なんぞできるか。俺たちは露助と戦うぞ」と気炎をあげますが、練習隊ですから空からソ連軍に対抗する爆弾は有りません。爆薬位は有ったのかも知れません。 唯一の戦法は、空からソ連軍の戦車に体当たり突撃するしかない。 爆弾を搭載しない飛行機で体当たりしても、もちろんたいした損害は与えられません。 それでもソ連軍が特攻を受けるのは初めてです。 彼らに相当な心理的ダメージを与えることはできはずだ。 そうして彼らの進撃を遅らせれば、日本人居留民が、たとえひとりでも余計に帰還できる時間を稼げるに違いない。 彼らの心は決します。自らの命を犠牲にしようとしたのです。 そしておそらく妻朝子さんは「残されて辱めを受けるくらいなら、愛する夫と共に敵軍に特攻して果てたい」と切実に訴えたものと推察されてます。かくして、白いワンピースは大空を舞った。 また大蔵巌少尉の飛行機には、前夜、みんなで打ち合わせし伊予屋の女中さんだったスミ子さんが、やはり白のワンピース姿で乗り込みました。恐らく恋人だったように思います。 2機がエンジントラブルで途中墜ちますが、残り9機がソ連戦車隊を目指します。 残る9機が、その後どうなったのかは、杳としてつかめません。 『国敗れて山河なし 生きてかひなき生命なら 死して護国の鬼たらむ』 谷藤少尉の辞世の句ですが、新婚のご夫妻がどんなお気持ちだったのでしょうか。 特攻を美化するつもりは有りませんが、両親兄弟家族、愛する人、故郷を守る為にご自身の命を犠牲にしてでも戦って下さった、ご先祖様、英霊の方々のお陰で今を生きている私達。 戦後、私たち日本人は、こうして命をかけて戦った帝国軍人を、微妙な言い回しで辱められ、貶められてきました。 日本は、戦争をしないでこの70年を過ごすことが出来ました。 その理由は、憲法だけじゃ無く寝た子を起こしたらヤバイというのが、世界の共通認識だったからです。 日本人は元来平和を愛する民族です。 海外と同時期の遺跡を見れば、武器に相当する出土は随分後年にならないと発見されない事でも証明されます。 これほど平和を愛する民族はいません。 けれど、ひとたび怒らせたら、これほど戦いに強い民族は他にないのです。 中曽根政権の頃から、ハンディキャップ国家、ひざまずき外交になりますが、日本から出させた資金をキックバックさせた政治家も居ます。 歴史教科書も嘘を教え、放送免許も外国人保有株20%枠を超えてる局がいくつか有りますが、記入しなければ良しとはとんだザル法です。記入するぞと脅かされ偏った報道をしてます。 航空自衛隊を退官なさった方にお聞きしましたが、専守防衛も細部の規定が有って、相手が撃つまでは発砲出来ないとか、それじゃ空中戦では絶対不利だし、ステルスなんて必要無いじゃないですか。 その後改善が有っのか解りませんが、せめて最低限の法整備は必要に思います。 ボーランドのように三度も国自体が消滅した国さえ有ります。 以前お話した侵略の件ですが、私の頭では難し過ぎるのですが、お暇な時にでもご覧下さい。 http://ironna.jp/article/1072 戦争は遠い過去に思っていましたが、祖父の家には大きな勲記が飾って有り、その隣に軍服を着た遺影が有ります。祖父の話では、祖父の叔父に当たるご先祖様です。出征の日に祖父の父に後は託すと言って、二度と帰る事の無かったご長男です。ご自分の弟に後は託すと言われた胸中を思い、祖父と一緒に泣きました。isokenさんも以前、お身内が戦死なさったお話をされてた記憶が有ります。 遺族会も代が変わり、忠魂碑の清掃ボランティアも中々厳しくなりましたが、俺が出来る内は俺がやると、歩く男気のような祖父が植木の手入れや除草作業を、周囲に声をかけて行い、慰労会はお気遣いのない程度にと難しい事を言われ離れでやってますが、私も続けて行きたいと思ってます。 司馬先生は、昭和の軍人、戦車隊の事も良くは書かれてませんが、戦車兵として満州の四平戦車学校に入学し、教官(後の校長)だった池田末男大佐に大いに薫陶を受け、尊敬されたようです。 短編ですが、池田大佐が戦死された北千島の占守島の戦いの後書きに、『いまでも、私は、朝、ひげを剃りながら、自分が池田大佐ならどうするだろうと思い、その困惑の大きさを想像したりする』と書かれてます。 この日、池田大佐が士魂戦車隊員の前での訓示は、平成に生きる私達へのメッセージのように感じる今日この頃です。長々と失礼しました。 諸士、ついに起つときが来た。 諸士はこの危機に当たり、 決然と起ったあの白虎隊たらんと欲するか。 もしくは赤穂浪士の如く此の場は隠忍自重し、 後日に再起を期するか。 白虎隊たらんとする者は手を挙げよ。 そして全員が挙手したそうです。

isoken
質問者

お礼

さて、続きです。 >『永遠の0』ですが、この本以外に読んだ本や記事が多く、少し記憶が曖昧ですが何を読んでも、涙無くして読めませんでした。 この本を以ってして泣かない人は一体何を読んで泣くのだろう・・、私の率直な疑問です。 >アメリカ軍の記録に残る最後の特攻被害は1945年7月、駆逐艦『キャラハン』『プリチット』『カシンヤング』『ホラスAバス』7機中4機が命中しました。キャラハン沈没、他3艦大破です。 既に駆逐艦程度しか撃沈不可能な陣容になっておりましたね、米軍にとっては蚊が差した程度の痛みでしかなかったのはそうでしょう、それでも出撃せねばならなかった若者達の心情を思えばやるせない。 >『国敗れて山河なし 生きてかひなき生命なら 死して護国の鬼たらむ』 谷藤少尉の辞世の句ですが、新婚のご夫妻がどんなお気持ちだったのでしょうか。 レイテ沖海戦に於いて、特攻に依る空母撃沈という大戦果を挙げた 関大尉がまさにそうでした、 「 僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない、最愛の妻のために行くんだ。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ。素晴らしいだろう。 」 心情を曝け出し何の衒いもないこの文章・・読むだけで涙が出ます。 >戦後、私たち日本人は、こうして命をかけて戦った帝国軍人を、微妙な言い回しで辱められ、貶められてきました。 戦前戦後の容赦ない価値観の転換・・、一言でこう結論付けるのは簡単な事です、何度か述べておりますが、明治開闢以来帝国軍人の家系であり、且つ終戦時それなりに高位の軍人であった私の祖父は敗戦と同時に無職となり、彼が嵌る場所は2度とありませんでした。 それはまあいい・・今更言っても仕方がありませんし、但し職業軍人の殆どは公職追放され、あまつさえシベリア抑留で苦労した人々は公安の監視下にすら置かれて、第二の人生を迎えるに当たってどれだけ苦労したか・・。 >日本は、戦争をしないでこの70年を過ごすことが出来ました。 >その理由は、憲法だけじゃ無く寝た子を起こしたらヤバイというのが、世界の共通認識だったからです。 >日本人は元来平和を愛する民族です。 >海外と同時期の遺跡を見れば、武器に相当する出土は随分後年にならないと発見されない事でも証明されます。 >これほど平和を愛する民族はいません。 >けれど、ひとたび怒らせたら、これほど戦いに強い民族は他にないのです。 さて yuria さんから賜った大作をつらつらと眺めるに、最も感銘を受けたのが実はこの部分でありまして、その全てが私の想いに被るのです。 追い詰められれば敵わないまでも牙を剝き、死をも厭わない民族・・、その方法論はともかくとして、世界に向かってそう印象付けたのは一体誰のお陰であったのでしょうか。 そもそも戦後70年に渡って我々が享受して来た平和は、必ずしも平和憲法に依るものではなく、そこに至る過程で死んで行った多くの英霊が齎せた財産、それを食い潰して来たのだという反面の真理を、果たして一体どれだけの人々が認識している事やら・・。 >中曽根政権の頃から、ハンディキャップ国家、ひざまずき外交になりますが、日本から出させた資金をキックバックさせた政治家も居ます。 紐付き円借款と申しましてね、その中からキックバック ( 総額の3%という相場まであったらしいのです ) させた政治家は、それこそそこいら中に転がっておりました、中には北朝鮮利権にすら群がった政治家もおりましてね、そういった連中は拉致疑惑の否定すら厭わなかった、恥知らずとは強いものでして・・。 御存知の森某という元総理は、拉致被害者が第3国で見つかった事にすればとの提案すら北朝鮮に対してしているのです、呆れ果ててものも言えない。 他方破綻した朝銀に対して、1兆4000億円もの公的資金導入が為された経緯は、自民党の重鎮であった 野中広務 というおじさんの鶴の一声だったと言います、無論その中の何千億かは北朝鮮に流れてミサイル開発の原資になったはずです。 >戦争は遠い過去に思っていましたが、祖父の家には大きな勲記が飾って有り、その隣に軍服を着た遺影が有ります。祖父の話では、祖父の叔父に当たるご先祖様です。出征の日に祖父の父に後は託すと言って、二度と帰る事の無かったご長男です。ご自分の弟に後は託すと言われた胸中を思い、祖父と一緒に泣きました。isokenさんも以前、お身内が戦死なさったお話をされてた記憶が有ります。 今更言っても詮無き事ですが、父方の伯父に限定しても全て南方で5人戦死しました、まあそれはやむを得ぬとしても、戦死した我が子を終生思い続けて、天に召された祖母の気持ちを考えますとね、今でも泣けるのです。 そりゃ命の尊さを教え込んだのは無論戦後教育の功の部分でしょう、反面若い命を散らせた方々を余りに軽く扱ってはいまいか、私にはそう思えてならない、2度とあっては欲しくはないが、個人の力では如何ともし難い時代であったのもまた事実でありました。 大作の御回答ありがとうございます。

回答No.11

こんばんは。 永遠の0は原作を読みましたが映画は観てません。 坂の上の雲は読んでませんが、回答に当たって相方にレクチャーを受けました。 一週間前から少しづつ書いていた割にまとまらないお話で申し訳有りません。 私もisokenさんと同様に考えます。 当時のアジアを見れば、殆どの国が欧米の植民地になり、清国は辛うじて独立国でしたが、欧米列強の半ば分割支配状態です。明治時代は欧米列強のアジア支配の真っ只中。日本も幕末に不平等条約を押し付けられますが、幕府の弱腰に反発した志士たちの命がけの働きで明治維新が成就し、日本はかろうじて独立を守ることが出来ました。 戦後の日本では、軍国主義、侵略戦争と言ってますが、それでは他のアジア諸国のように植民地支配された方が良かったとでも言うのでしょうか。 明治の日本が独立国として生き残るには、欧米に劣らない近代的陸海軍を作り上げる事、富国強兵策以外に道は無かったように思います。 日露戦争から遡る1900年に、北清事変(義和団の乱)が起こります。 ご存知かと思いますが、義和団と称する拳法の結社が『扶清滅洋(清国を助け、西洋を滅ぼせ)』をスローガンとして、外国人や清国人キリスト教徒を襲うようになり、遂に北京の公使館街に迫ります。 後に『北京の55日』としてチャールトンヘストン主演で映画化されましたが、実は中心となって活躍したのは、日本の柴五郎中佐でした。秋山好古さんとは士官学校が同期で、秋山真之さんとは米西戦争の折にキューバに行ってます。坂の上の雲でもちょっと書かれてるそうです。 北京には11カ国の公使館が有り、籠城戦になります。困った事にこの輩を西太后は支持し、清国軍までが一緒に戦います。 英国マクドナルド公使を総指揮に防衛会議を開きますが、この時代、三国干渉の事も有ってか欧米列強に配慮して、綿密な作戦を用意した柴中佐ですが、最初からリーダーシップを取ると、欧米人の機嫌を損ねる事を知っていたのでしょう。 しかし、マクドナルド公使はじめ各国の人々が徐々に柴中佐に惹かれていって、意見を求められるようになりました。兎に角、柴中佐配下の日本人将兵は勇敢で強かったそうです。弾薬にも限りが有るので無駄弾は撃てません。 イギリス公使館に応援に行った安藤少尉は、サーベルを抜いたかと思ったら数人を斬り倒し、兵士も銃剣で戦い撃退します。目の前の出来事に後々まで語られたと言います。 日本人は昔から、対外的なアピールは苦手でしたが、各国の新聞がこぞって賞賛しました。 日清戦争の旅順6万人虐殺のアメリカの捏造が有りましたが、この時は在日ベルギー公使のダネダン伯爵が、各国の観戦武官の証言をもとに否定して頂きました。尤も当時0.24平方kmにそんなに住めません。 2ヶ月近い籠城戦も天津からの援軍により終結し、各国が北京市内を分割統治しますが、ロシア軍管区では、軍紀が乱れてロシア兵が暴徒と化し、略奪、放火、強姦など暴行の限りを尽し、『大日本順民』と書いた布や紙を持った市民は難を逃れて日本軍管区へ洪水の如くに押し寄せました。たまりかねた北京市長は、その暴状を英国公使マクドナルドに訴え、ロシア管区を日本管区に替えるよう嘆願したと言われてます。 日本の軍紀は世界一厳しく、一兵卒に至るまで徹底してましたから、各国からの視察も有ったそうです。 外国軍も恐いけど自国の暴徒の如き武装集団も恐い。 そういう歴史の中で苦しめられて来た清国人には、日本のような軍紀厳正な軍隊は初めてだったでしょう。 その後も各地で日本軍は、『大日本順民』と『日章旗』で歓迎されます。 これらは自画自賛ではなくて、外国人の見聞記であるところに大きな意味と価値が有ります。 参考資料 http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog222.html 籠城戦がきっかけになり、その後、在日英国公使になったマクドナルド公使は日英同盟の推進に奔走します。 『光栄ある孤立』政策を転換し、その相手がアジアの非白人小国の日本であるとは、思い切った決断だと世界が驚愕します。信用に値する相手と認められたのです。 明治時代の軍人は武家出身者が多かったように思います。明治4年の廃藩置県で禄を失い、文字通り清貧の家庭で育ち、それでも文武に励み軍人になった。これが日本の武士道精神に思われます。 日露戦争における日英同盟のメリットは、イタリアで建造された日進と春日の購入と日本への航行です。 当時アルゼンチンとチリは関係が悪化し、この二艦は海軍力強化の為にアルゼンチンがイタリアに発注した装甲巡洋艦でしたが、イギリスの調停により戦争が回避出来たので、日本がアルゼンチンから購入出来ました。 イタリアから日本への航行は、ロシアが狙ってる情報も有ったので、イギリス海軍が護衛してくれたし、途中での石炭の補給にも尽力して頂いたのでスムーズに行きました。 反対に、バルチック艦隊へは補給の妨害もして、到着に7ヶ月も掛かっています。 さて日露戦争ですが、東郷司令官の抜擢は大当たりでしたが、児玉源太郎は乃木希典に任せず最初から指揮を執れば良かったように思います。 三国干渉もその国が租借出来ないのを条件にするとか出来なかったのが残念です。 戦後のポーツマス条約の条件の悪さに政府の弱腰と暴動まで起きましたね。 続きます。

isoken
質問者

お礼

yuria さん、こんにちは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >戦後の日本では、軍国主義、侵略戦争と言ってますが、それでは他のアジア諸国のように植民地支配された方が良かったとでも言うのでしょうか。 それはその通りでしょう、当時の国際情勢は食うか食われるかの2つに1つ、事実・・インド以東に於いて我が国を除き独立を保ち得たのは、イギリス & フランスが緩衝地帯として紳士協定を結んだタイのみという惨状でした。 無論植民地にされた地域の悲惨さは言わずもがなです、熱帯モンスーン気候という稲作に最も適した環境ながら米を作る事が許されず、プランテーションに依り換金性の高い作物を強制された挙句、主食にすら事欠いたとか・・。 平和のお題目を唱えるのは勝手ですが、それも度を超すと 馬 & 鹿 と言われかねない、今の日本にはそんな人が大勢おりますね。 >明治の日本が独立国として生き残るには、欧米に劣らない近代的陸海軍を作り上げる事、富国強兵策以外に道は無かったように思います。 ・・であるからこそ、食うや食わずでそれなりに一流の軍隊を作り上げた・・、私も yuria さん同様、決して間違った方法論であったとは思いません。 >後に『北京の55日』としてチャールトンヘストン主演で映画化されましたが、実は中心となって活躍したのは、日本の柴五郎中佐でした。秋山好古さんとは士官学校が同期で、秋山真之さんとは米西戦争の折にキューバに行ってます。坂の上の雲でもちょっと書かれてるそうです。 sq さんへのお礼を書き書き、実は私も 『 北京の55日 』 を思い浮かべておりました。 一方の米西戦争に関してですが、同じ帝国主義国家に於いても序列がある事を世に知らしめた戦いですね、それと性質 ( たち ) の悪い イエロー・ジャーナリズム が無知な ナショナリズム を突き動かして宣戦布告に至らしめた嚆矢とも言えるでしょう。 但しそこには大きな矛盾もありました、キューバの解放を声高に叫んで始めた戦争でありながら、戦勝後のアメリカはカリブ海スペイン領の殆どを手中に収め、且つフィリピンをスペインから取り上げて新たな植民地にしましてね、アメリカの戦史上最も費用対効果に優れた戦争であったと言って差し支えないかと・・。 もっとも キューバ ・ サンティアゴ湾 に閉じこもったスペイン艦隊の存在は、その何年後かに想定されていた、旅順要塞攻略 & 旅順艦隊殲滅の為の叩き台となりましたね、 秋山真之 が観戦武官として当地を訪れたのはその為です。 >そういう歴史の中で苦しめられて来た清国人には、日本のような軍紀厳正な軍隊は初めてだったでしょう。 >その後も各地で日本軍は、『大日本順民』と『日章旗』で歓迎されます。 これらは自画自賛ではなくて、外国人の見聞記であるところに大きな意味と価値が有ります。 太平洋戦争終結直後の台湾もそうでした、束の間の解放を喜んだ台湾人も、大陸より乗り込んで来た国民党軍の余りの腐敗と乱暴狼藉を目の当たりにして、却って日本統治の昔を懐かしんだと言います。 その点は、いまだ台湾人が日本に対して友好的でいてくれる理由の根っ子にあるのでしょう、30年近く前になりますが、流暢な日本語を操るお年寄り何人かから私が直接聞きましたから、間違いありません。 >さて日露戦争ですが、東郷司令官の抜擢は大当たりでしたが、児玉源太郎は乃木希典に任せず最初から指揮を執れば良かったように思います。 そうも行かないのが軍隊の規律というものでありましょう、 児玉源太郎 は満州軍総参謀長という職責にありましたから、出先の軍団・・つまり乃木第3軍の作戦変更に口を出すのは指揮権介入という重大な越権行為。 それとですね、 『 坂の上の雲 』 の描写が余りに有名になり過ぎた為、児玉大将 = 〇・乃木大将 = X という先入観が支配的ですが、必ずしもそうではなかったという資料も実は多数存在しておりまして、平たく言うとよく分からないというのが正直なところなのです、加えて戦史を作成する当事者にとって、何よりも優先されるのが作成時に於ける陸軍内部の力関係という事でありましてね、いい加減な話ですが・・。 もっとも 児玉源太郎 と 乃木希典 は共に長州系です、親友であったと言っても差し支えないでしょう。 ・・続く。

  • oya_zico
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回答No.10

isokenさん、こんばんは。 私が、戦争のことを語ると、また誰かさんに怒られるので、ちょっとだけ。 >司馬遼太郎 さんの作品の根底には武士道という骨子が貫かれている そういうことでしたら、百田さんの作品の根底には、商い(商人)道という骨子が貫かれているような気がします。 要するに、実利を取る、ということでしょうか。 故やしきたかじんさんの奥様の本を出版されたときも、これは儲かるに違いないと思ったから、態々そのために埋まっていたスケジュールを調整してまで執筆したそうですし、売れない純文学を最高の作品とする出版界を痛烈に批判した『夢を売る男』も、利益を優先する彼の真骨頂と言える作品だと思います。 ちなみに、私はファンタジーが大好きなので、百田さんのフィクション小説は大好き。 特に『海賊と呼ばれた男』は小説をほとんど読まない妻までが面白かったと言うほどですから、史実かどうかは別にして、エンターテイメント作品としては素晴らしい作品だと思っています。 だから『永遠の0』も、戦争礼賛映画と呼ばれようと面白い作品に違いないと思いますが、ただ、私もジャニーズ俳優主演の映画やドラマを積極的に見たいとは今まで思わなかったので、実は、大河ドラマの軍師官兵衛も見ませんでした(涙) ということで『永遠の0」も観ていません。申し訳ございません。 更に、妻が大の戦争嫌いということで、戦争映画を観るには、妻が実家に一人里帰りするときだけなので、当分は観られないと思います。 話は変わりますが、 今、お金にまつわる漫画を描く、三田紀彦さんという漫画家の『アルキメデスの大戦』というフィクション漫画にはまっているのですが、これも史実とは全く違っているようで、数学が得意な主人公の櫂直が、無資源国家の日本には膨大な燃料や資源を使う戦艦大和は不要だと主張、その予算を戦闘機に回すべく、数学を使って戦うという一風変わったお話です。 お金については、古今東西、拝金主義だとか色々批判されたりもしますが、私達夫婦にとっては、どう考えたって最重要課題。百田さんにはこれからも頑張って欲しいと思っています。

isoken
質問者

お礼

zico さん、こんにちは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 決して戦争をテーマにした質問のつもりではなかったのですが、やっぱりそっちに行っちゃいますよね、まあ難しいです・・この戦争ってやつは、触れないのが無難なのでしょうねぇ。 ところで kamejrou さんへのお礼でも触れましたが、直虎 所縁の地を巡りたく、 「 奥浜名湖 」 という国民宿舎を予約しました。 9月辺りの週末はまだ空きがあるようですよ、 zico さんも奥様とどうですか? >故やしきたかじんさんの奥様の本を出版されたときも、これは儲かるに違いないと思ったから、態々そのために埋まっていたスケジュールを調整してまで執筆したそうですし、 たかじんさんに関しては殆ど知らないのですが、彼は在日という事実を隠しに隠し抜いた人だったようですね、親友といっていいレベルの友人にすら喋った形跡がない、あれほど好き放題に生き且つ発言していたという印象の人にして、朝鮮半島に出自を持つ事の重さ・・、その辺りが作家としての興味を刺激したのかも知れません。 >だから『永遠の0』も、戦争礼賛映画と呼ばれようと面白い作品に違いないと思いますが、ただ、私もジャニーズ俳優主演の映画やドラマを積極的に見たいとは今まで思わなかったので、実は、大河ドラマの軍師官兵衛も見ませんでした 『 軍師 官兵衛 』 も 岡田准一 さんでしたよねぇ、実はトライしたんです・・お試し期間みたいなもので最初の 2 ~ 3 回だけ、でもクーリングオフしてしまいました、面白く無さ過ぎて無理!、 井上真央 ちゃんには悪いが 『 花燃ゆ 』もそうでした。 >ということで『永遠の0」も観ていません。申し訳ございません。 >更に、妻が大の戦争嫌いということで、戦争映画を観るには、妻が実家に一人里帰りするときだけなので、当分は観られないと思います。 奥様が鹿児島の御実家に帰省された際、御夫婦で知覧の特攻平和会館に足を運ぶ事をお勧めします。 回答ありがとうございました。

  • kamejrou
  • ベストアンサー率17% (191/1107)
回答No.9

こんばんはisoken さん 小林幸子ではありませんが「🎵ふたたびの」 年齢ですねえ話したかった事を後になって思い出す 「おんな城主 直虎」ですがもう欠かさず観ておりますが 別に短気な性格でもありませんが又来週と言うのがイラッとしますので 今、二話ほど貯めております 柴崎こうは私は好きな女優さんですが表情が豊ですね ドラマ「ガレリオ」からでしょうか?良い女優さんと思っておりましてね 「奥浜名湖」❓ あらあいい旦那さんだこと❗アハハハ 九月に行かれる? Isoken さんも奥様大事にされてね、男なんてものは情けないもので 私もここで大抵の悪態をついてますが 家内に先に逝かれたらどうしましょうか?アハハハ 国民宿舎で思い出しましたが 以前にも紹介しましたが茨城の「鵜の岬国民宿舎」ここは是非❗ 唯一家内に「あなたにしては良い選択」と誉められたアハハハ 予約が難しいでしょうが覚えておいてほしいのです ここで議論する積もりは毛頭ありませんisoken さんにも迷惑をかける ただisoken さんが触れませんので私が話してみますが 司馬さんにも困る? 面白いことを言われる、でも断言出来るでしょうかね? ここは沢山の方が閲覧される 膨大な資料と言われますが土方歳三について膨大な資料などありません 恐らくはまあ永倉新八さんの「浪士文久報告記事」なり 同じく「新撰組顛末記」などを指しておられるのでしょうが 人間、土方歳三に迫ったものは私は知りません 島田魁日給なるものもありますが、あとは子母沢さんの三部作でしょうか? 是非、私に教えていただけませんか? 私は興味があるのです Isoken さんには関係のない話しをしましたね申し訳ありません 「旭龍」は面白く読ませていただきました 山平さんでは最近の本❓ 私は知りませんで富永清さん、広島の山田久さんと重なりますねえ あの世界にも世代交代と言うものはある この話しを始めると長くなりますのでしませんが 最後に知性、教養について少し まずベースにあるのは品性でなければいけない 私は簡単なことであろうと思いますまず勤勉である事でしょうね 人には色々事情もあるでしょうし私も分からなくはない まあ頑張ってほしいのです 人生は思うほどには長くはないのですがねえ 山形の人との酷い別れかたの話しをしてみましょうか?と思いましたが 長くなりましたし 山形にはご存知でしょうが天童と言う町があります 私もさすがにこれは話しずらいのです まあそのうちに

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、こんにちは。 色々とありましてお礼が遅くなりました、お許し下さい。 >「おんな城主 直虎」ですがもう欠かさず観ておりますが >別に短気な性格でもありませんが又来週と言うのがイラッとしますので >今、二話ほど貯めております >柴崎こうは私は好きな女優さんですが表情が豊ですね >ドラマ「ガレリオ」からでしょうか?良い女優さんと思っておりましてね 彼女いいですねぇ、実に感じがいい、笑顔もまた良しです。 他には、盗賊団の頭・・ 龍雲丸 を演じる 柳楽優弥 のアウトローな雰囲気と危ない目線が、最近気に入っております。 >国民宿舎で思い出しましたが >以前にも紹介しましたが茨城の「鵜の岬国民宿舎」ここは是非❗ 随分以前に kamejrou さんより御推奨頂いて以来、正直いつも頭の片隅にあります、写真で見るロケーション並びに奥様の太鼓判付き・・とくれば尚の事心穏やかではありませんが、ネット予約出来ない点がネックでありまして、そのうち是非に・・。 >ここで議論する積もりは毛頭ありませんisoken さんにも迷惑をかける >ただisoken さんが触れませんので私が話してみますが >司馬さんにも困る? 実は私が持つ 土方歳三 に関する知識は、 『 燃えよ剣 』 ・・のあれが全てでありましてとやかく言えるレベルに無い、あとは御賢察頂きたいと・・。 >「旭龍」は面白く読ませていただきました >山平さんでは最近の本❓ >私は知りませんで富永清さん、広島の山田久さんと重なりますねえ >あの世界にも世代交代と言うものはある 比較的最近の作だと思います、ブックオフで任侠関係の書籍をしょっちゅう覗いているこの私にして、見つけたのがつい何ヶ月か前でしたから。 それにしてもさすがは kamejrou さん、なるほどそういう視点もありますか・・と唸りました、広島と沖縄というかつてはどうにもならないほど縺れた幾つかの組織を、大同団結に導いた手腕は確かにそうですね。 >最後に知性、教養について少し >まずベースにあるのは品性でなければいけない 過去の天皇家に対する発言で、例の罰当たり・・辻元清美がまた叩かれておりますが、仰る通りで品よくあって欲しいですねぇ。 一方の保守系にしてもそうでしょう、仮に主義主張に共感出来たとしても論理的でなければ皆離れて行きます、少なくとも街宣車で非論理的に連呼する似非右翼が身に纏う胡散臭さがあってはならないと思います。 ところで、 zico さんや yuria さんから賜った真摯な回答に不支持の雨霰を寄せた輩・・、訳の分からないのがいるもんです、もっとも私の質問に対する不快感の表明かも知れませんが・・。 さて天童に関するくだりは、そうのち是非御披露頂きたいと存じます。 回答ありがとうございました。

回答No.8

こんばんは 永遠の0 自分は其の時代を体験していません 戦争、特攻で多くの命が失われてしまった、 いまや 国民の為の政治ではなく 政治家による政治家の為の政治 確かに今の日本は平和です 拉致問題1つ解決できない フリーター引きこもり自ら命を投げる、 戦争、特攻で多くの命が失われてしまった その人達が今の日本を見て、どう思われるでしょうか? 生きて、夢見て、仕事や、趣味、子孫を残す 戦争で、その人生の全てが奪われてしまった事だけは事実。 私たちは、生きている、生かされている 全力て生きなければ申し訳ない、 『 永遠の0 』 & 『 坂の上の雲 』 小説・アイドル映画作品としてであっても、その時代風景を知る事で、 私たちは、もっと真剣に全力で嬉し恥し楽しく生きなければいけない と 思う今日コロコロであります、キッパリ。 作品うんぬんは語れませんです 作者は何を伝えたいか?を考えたいどえす。 いやぁ映画って本当に素晴らしいものですね

isoken
質問者

お礼

raimugurin さん、こんにちは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。 >戦争、特攻で多くの命が失われてしまった >その人達が今の日本を見て、どう思われるでしょうか? >生きて、夢見て、仕事や、趣味、子孫を残す >戦争で、その人生の全てが奪われてしまった事だけは事実。 >私たちは、生きている、生かされている >全力て生きなければ申し訳ない、 >『 永遠の0 』 & 『 坂の上の雲 』 >小説・アイドル映画作品としてであっても、その時代風景を知る事で、 >私たちは、もっと真剣に全力で嬉し恥し楽しく生きなければいけない と思う今日コロコロであります、キッパリ。 戦争 & 特攻 の総論はともかく、少なくともそれで命を散らした先人達を貶める事だけは止めて欲しい、切にそう願います。 それにしても久し振りに虎ちゃんからいい御言葉を賜りました、全くその通りで何一つケチを付ける部分が無い、でも最後に落とす( 今日コロコロ・・ ) のは止して下さい。 回答ありがとうございました。

noname#244657
noname#244657
回答No.6

「紫電改というのは、戦闘機の名前だ。。」 育毛剤のコマーシャルを目にしたとき、父がぽつりとつぶやきました。まだ私が子供だったころです。 isoken様、こんにちは^^ 『 永遠の0 』は実話を組み合わせたフィクションですので、こころにグッとくるシーンは数多ありますね。 映画館で観たのですけれど、私より年配の方の姿が多かったのです。それも、20人も入れば大盛況の田舎の映画館に、50人はいらしたでしょうか。 「イッツアゼロ!」の悲鳴に似たアメリカ兵の叫び。 戦艦ミズーリにのこるゼロ戦の衝突痕。 特攻を美化する気持ちはありませんが、特攻なくして今の日本は存在しえたのでしょうか。。とても悲しい歴史ではありますけれど、特攻を馬鹿だという権利は、今の私たちにはありません。

isoken
質問者

お礼

MJ さん、こんばんは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >「紫電改というのは、戦闘機の名前だ。。」 育毛剤のコマーシャルを目にしたとき、父がぽつりとつぶやきました。まだ私が子供だったころです。 ありましたねぇ、確か 杉浦直樹 さんがCMをやっておられた。 >『 永遠の0 』は実話を組み合わせたフィクションですので、こころにグッとくるシーンは数多ありますね。 >映画館で観たのですけれど、私より年配の方の姿が多かったのです。それも、20人も入れば大盛況の田舎の映画館に、50人はいらしたでしょうか。 思った以上にいい映画でした、日本人なら泣けて当然でしょう。 そりゃフィクションですし商売ですから、何等かのデフォルメがあるのはしょうがない、それを見もしないで批判する連中が一部にいるようですが、せめて映画を観てから能書きを言えと・・。 >特攻を美化する気持ちはありませんが、特攻なくして今の日本は存在しえたのでしょうか。。とても悲しい歴史ではありますけれど、特攻を馬鹿だという権利は、今の私たちにはありません。 須らく仰る通りでしょう、誰が好き好んで死にに行くものか、祖国の為・愛する家族の為に諸々の想いを呑み込んで若い命を散らせたのです。 馬鹿にはそれが分からないから、何かあれば戦争賛美・特攻美化だと・・こう来る、一体お前さん方は誰の腹から出て来たのかと申し上げたいですね、まあ言っても無駄なのは百も承知ですが・・。 回答ありがとうございました。

  • sqqrcxvx
  • ベストアンサー率9% (84/911)
回答No.5

isokenさんこんにちは。 お久しぶりです。 >翻って 司馬遼太郎 氏の名著『 坂の上の雲 』・・、御存知 秋山好古 ・ 真之 兄弟の生涯というフィルターを通して、日露戦争を描いた作品ですが、時あたかも帝国主義末期・・極東の片隅に突如躍り出た新興国家日本としては、富国を目指し列強諸国に喰われまいとするならば、避けては通れなかった歴史の必然であったろう・・少なくとも私はそう理解するところです。 若い頃は司馬遼太郎の大大大ファンでした。あの独特のセンテンスの短さ、説得力、好きでしたねぇ。 司馬遼太郎も亡くなってかなり経ちます。どうしてもどんな作家も記憶の彼方に去って行きますね、残念ですが。 日露戦争に対する認識もisokenさんと私は恐らく少し違うかも知れません。私に言わせればあれは英米特に英国に利用された結果の戦争。と断定するのは極端すぎますか?。満州への利権とか野心もありましたから。 あの国は常に一方的に近付いて来て一方的に去って行きますね。日露戦争後の第1次大戦でも、どうして日本海軍が地中海まで出張し、大被害を被らなくてはならなかったのか。背後に大英帝国の影を感じます。日露戦争の時といい、老獪で海千山千なものを感じます。 日露戦争に話しを戻しますと。 超大国ロシアとの戦争ですから莫大な戦費が掛かります。これを調達すべく高橋是清は当時の世界金融の中心ロンドンへ。どの銀行からも融資を断られ、しょんぼりと或るレストランへ入ります。偶然隣のテーブルに座っていたのがロンドン出張に来ていたリーマンブラザースのオーナー。「どうしたんだ?」「いやね、お金がなくて戦争が続けられない」「それじゃウチが何とかしよう」 このように日英同盟下においても英国の銀行は渋いのです。アメリカ礼賛ではありません。当時日本に融資するのはいわばベンチャービジネスです。何時駄目になるか分からない国ですから。アメリカはベンチャーを試みてくれた。英国は日本を利用するだで金は貸さない。 秋山参謀の日本海海戦における功績に異を唱えるものではありません。史上あれほどの完璧な勝利は例がないでしょう。 ただまたもやisokenさんに対し水を差すようで申し訳ございませんが、何分sqはひねくれ者ですのでご容赦ください。 あの時、世界に散らばる三井物産の駐在員たちがつぶさにバルチック艦隊の動静を打電して来る。アフリカ最南端を通過したとか、シンガポールから艦隊が見えるとか、カムラン湾で長期に休息しているとか。 今も昔もこの国は「民」は優れ「官」はう~~んですね。 百田尚樹については「海賊と呼ばれた男」を中途まで読んで現在そのまま放置しています。「永遠の0」は読んでいません。映画も観ていませんが、TVドラマのシリーズは見ました、その程度です。「永遠の0」は彼の家系に纏わる自伝的要素の強い作品のようですね。 >司馬遼太郎 さんの作品の根底には武士道という骨子が貫かれている気がしてなりません。 特に初期の中短編には考えさせられるものがあります。大家になってからの作風とはまた違いますね。 あと、自身学徒出陣して戦車部隊にいたのですが、その時の事を全く語らない。永遠の謎です。 この場をお借りしてお願いですが・・ もしもですが、Kさんがこれを見ておられたら、ファッションのレディースなるカテでsqが立てた質問に立ち寄ってただけませんか?いえいえ無理にとは申しません、もし差し支えなければという程度です。 もちろんisokenさんにも是非持論を展開して頂きたいのですが、何しろ本日このアンカテで質問をされたばかりでして只今回答受付中です。ご無理も言えないなと思っております。    

isoken
質問者

お礼

sq さん、こんにちは。 皆様から読み応えのある回答を賜り、お礼にも力が入りましてこれが中々大変・・と言う事で言い訳にもなりませんが、お礼が遅くなった事をお詫び申し上げる次第です。 >日露戦争に対する認識もisokenさんと私は恐らく少し違うかも知れません。私に言わせればあれは英米特に英国に利用された結果の戦争。と断定するのは極端すぎますか?。満州への利権とか野心もありましたから。 遥か記憶の片隅を過るのは、当時小国だった我が日本を焚きつけて、ロシアと戦わせようとしている米英を捩った風刺画の存在です。 あの風刺画は、西洋のどこかの新聞に掲載されたものでありましたから、列強が思い描いていた 満州 ~ 朝鮮半島 に関する4ヶ国の思惑は概ねああいった認識であったのでしょう。 他方帝政ロシアの膨張主義・南下政策は皮膚に刻まれた本能、依って満州の次に狙うは朝鮮半島であった事は火を見るより明らかでした、その挙句釜山辺りを租借して旅順以上の大軍港を築かれてからでは遅い、依って我が国としても敢えて火中の栗を拾わねばならない状況にあったと認識しております。 そもそも当の朝鮮といえば、今に至るあの通りの民族でありまして、国家存亡の危機を目前にしてすら幾多の政争を繰り返して来た歴史的事実が指し示す通り、危機感が欠如し且つ極めて民度が低い、加えて外圧を跳ね返す武力が無くまたその意志もありませんでした。 ただどうなんでしょう、英国の色気が満州へまで及んでいたと私は思いません、むしろ弱体化した清朝に於いて権益を広げ過ぎたが故の焦燥感があったのでは・・、如何な大海軍国とはいえ、遠く極東に大兵力の派遣は無理ですからねぇ。 その視線の先にあったのは無論帝政ロシア、その実力はイギリス・フランス・オスマン帝国・サルディニアの4ヶ国連合軍相手に戦ったクリミア戦争に於いて、十分以上に見せつけられておりますし・・。 先にも挙げた通りロシアの膨張運動は本能のようなものですから、イギリスの目にも彼等の食欲が満州・朝鮮に留まるとは思えなかったのでしょう、つまり 威海衛 及び長江流域で獲得した諸々の権益、ことに掌中の珠であった香港に危険が及ぶ事を恐れた、しかしながら遠く極東の地に於いて大陸軍国家のロシアと対峙する力がイギリスには無く、そこで少々頼りないが用心棒として目を付けられたのが我が日本、・・とまあ私はそう理解しておりますが・・。 ただ sq さんが仰る通り、危険の割に反対給付が少ない点は 『 荒野の7人 』を彷彿とさせる世界、英国の場合徹底しておりますね、極めて現実的であり且つ何等かのメリットが見込めねば余計なお世話は一切しない点に於いて、そこがかつては気前の良かったアメリカとの最大の相違。 但し当時の日本にとって、英国と同盟を結ぶ事のメリットは決して少なくなかったと思います、獰猛なロシアの興味を極東に向ける点に於いて、フランス & ドイツ の利害は一致しておりましたから、日英同盟の締結は我が国に於いて孤立化の恐怖を取り除く点、そして英国に於いては極東のパワーバランスに幾許かの安定感を付与する点で、まあ双方の利益が合致したという事でしょう。 それとイギリスが持ったもう1つの期待は、万に一つのロシアの敗戦がフランスの経済に飛び火する事であったでしょう、当時のフランスはロシアに対して莫大な投資をしておりましたから、ロシアの戦時国債が大暴落する事にでもなれば、ライバル・フランスの力が相対的に弱まる事となる。 大英帝国には明らかな外交上の法則がありました、パワーバランスの均衡を国是とし、突出した存在が出ない為にありとあらゆる手段を行使するという・・。 >日露戦争に話しを戻しますと。 >超大国ロシアとの戦争ですから莫大な戦費が掛かります。これを調達すべく高橋是清は当時の世界金融の中心ロンドンへ。どの銀行からも融資を断られ、しょんぼりと或るレストランへ入ります。偶然隣のテーブルに座っていたのがロンドン出張に来ていたリーマンブラザースのオーナー。「どうしたんだ?」「いやね、お金がなくて戦争が続けられない」「それじゃウチが何とかしよう」 七福神を思わせるこのふくよかなおじさんは、我が国の積極財政に先鞭をつけた政治家にして ケインズ に先んじた ケインジアン ・・、日露戦争の戦費調達に昭和大恐慌からの脱出、日本国という貧乏所帯の遣り繰りにこの人ほど苦労した人もおりませんが、こと国家経済に関する限り天才的な感を持ったお人でした、財政家としては私が最も尊敬する人物の一人でもある。 この財政というものは、時と場所さえ得られれば誰でも7合目辺りまでは到達可能です、ところが残り3合というのが生まれ持った感とセンスの領域、そういう意味で 小泉進次郎 氏はこと経済に関しては語らないほうがいいと最近思うようになりました。 ・・というのも、このところ何度かその種の 進次郎 氏のコメントに接しておりまして、唖然としたのです、彼は驚くほど経済が分かっていないと、もっとも彼の親父さんもそうでしたし安倍さんもそうですが・・。 自民党の数少ない珠を傷付けない為にも、こと経済に関する限り口を閉じさせた方がいいですね、彼の将来に関わりますから、財政なんて得意な閣僚に丸投げにすればいのです。 それにしても一つ勉強になりました、戦時外債との絡みで私が知っていたのは、 ジェイコブ ・ ヘンリー ・ シフ そして クーン ・ ローブ 商会だけでしたから。 そこでのキー・ワードはただ一言 『 ユダヤ 』 なんでしょうが、このユダヤ世界も複雑ですよね。 日露戦争開戦当時、ロシアの油田に投資していた関係で、シティーの関係筋に日本外債の不買圧力を掛けた ロスチャイルド 家が ユダヤ なら、 リーマン ・ ブラザース そして ジェイコブ ・ ヘンリー ・ シフ & クーン ・ ローブ 商会もユダヤ系。 またオイルショックの時もそうでしたね、 OPEC の禁輸という恫喝に恐れおののいた ( ふりをした? ) エクソン を始めとする メジャー の内何社かは、明確に ロック・フェラーの流れを汲むユダヤ系、その際足並みを揃えてアメリカの国益を損ねた為売国奴呼ばわりされましたが、蛙の面に何とやらで史上空前の利益を上げました。 もっとも ロスチャイルド 家を除き、世に ユダヤ系 と認知されている世界的企業グループの殆どは カザール系・・、つまり偽ユダヤという説もありますが、どうなんでしょう。 >秋山参謀の日本海海戦における功績に異を唱えるものではありません。史上あれほどの完璧な勝利は例がないでしょう。 戦術・操船技術そして挙げた大戦果は無論の事そうですが、当時の脆弱な国家財政下に於いて、戦艦三笠 他世界的水準を遥かに超えた艦隊・・しかも2セットを揃えた事、その点こそオールジャパンの勝利であった事実を裏付ける快挙ではなかったでしょうか。 >今も昔もこの国は「民」は優れ「官」はう~~んですね。 言い古された言葉ですが 官僚 VS 民僚 、戦前は東京帝国大学よりも遥かに狭き門と言われた超難関の陸海軍大学校を出て、参謀肩章を付け職業軍人の道を歩んだ超エリート達に於いて極めて顕著ですが、徐々に前例主義 & 省益の呪縛に捉われ、柔軟性を喪失して馬鹿になって行った気がします。 他方後者は、飯の種を自分の足で稼がねばというバイタリティがある、その辺りの違いでしょうかねぇ。 >胸元、開いてますか? すみません、締め切りに間に合いそうもありませんので、こちらで回答させて頂きますが、皆様と同じで 「 この程度で何を言ってるの? 」 ・・そう感じちゃいますね。 ・・というのもつい先日の事です、半蔵門辺りにオフィスを構える某日本法人 ( これ以上は言えません )の女性スタッフにお世話になりましてね、お礼を兼ねて食事に誘ったのです、無論儀礼上の事ですから辞退されても一向に構わなかった。 ところが2つ返事でOK頂きまして、家内とのデートに使う某フレンチを予約しました、最近は品行方正ですしやましさは微塵もありませんでしたから・・。 ところが待ち合わせの場所に颯爽と現れた、彼女のいで立ちを見て驚いたの何の・・、それこそ胸の谷間どころではなく、おっぱいの北半球の上部半分程度が露出したド派手な上着、ついこないだ LPGA に参戦した韓国のセクシー・クイーン・・ アン ・ シネ もびっくりの超ミニ、そして脚立かと見紛うピンヒール、周囲のねっちっこい視線を浴びて私の方が気もそぞろです。 知り合った切っ掛けが仕事絡みでしたから、如何にアフター5といえどもそれ相応のファッションがあるんじゃないかと考えるのは、じじいの感覚なんでしょうかねぇ。 あれから見れば写真の女性なんか至極まともです、まあ最も高く売りつけるタイミングを図っていたのでしょうが、交渉決裂といったところだったのか、或いは思った以上に山口某に力が無かったのか、どっちにしても結果は自爆テロですね、山口某もジエンドなら彼女もそう・・。 ストラテジーが拙劣だったという事でしょう、当然陰にいるはずの男に参謀としての能力が欠如していた、そういうことではないでしょうか。 回答ありがとうございました。

  • eroero4649
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回答No.4

百田尚樹氏は元々テレビの放送作家で、小説家ではないのです。まあ小説家と名乗るのに資格は要りませんからね。テレビ出身ですから視聴者(読者)がどういう演出を喜ぶかは知り尽くしていますし、テレビ出身なので基本的に「真実を正しく伝える」ということには無頓着。面白くて、視聴率を稼ぐことが評価の全てなのです。だから読者を感動させる演出は上手です。 しかし現実は、沖縄戦くらいになるともう神風特別攻撃でもアメリカ軍に損害を与えることはほとんど不可能となっていました。掟破りの攻撃方法に最初はパニックになったアメリカ軍もすぐに対処法を学び(この辺りの柔軟性がアメリカ軍の優れたところだと思います)対処したのです。だからもうその頃にはアメリカ軍に損害を与えられるとしたらレーダーピケット艦と呼ばれた囮の駆逐艦くらいで、アメリカ軍もその駆逐艦が沈められるくらいなら別にいいと思っていたのです。 日本軍側も「なんかもう特攻もダメっぽい」と薄々分かっていたものの、他に名案があるわけでなくただダラダラと特攻を続けていました。えっ?私は東芝の経営陣の話なんて一言もいっていないですよ。 さて一方の司馬遼太郎氏。この方は戦争経験者で軍隊経験者で戦争中は戦車部隊にいました。だから軍隊と戦争の理不尽さを骨の髄まで知っている。軍隊や戦争なんて美化するものじゃないと身をもって知っているのです。その重みは軍隊も戦争も経験していない私たちには分かりません。現代の私たちは「津波は恐ろしい」ということをよく知っています。あの世代は「戦争は恐ろしい」ということをよく知っているのです。 ただ司馬氏にも困ったところがあって、あの人は知ってておきながら演出をした可能性が高いのです。人気作の一つに「燃えよ剣」という土方歳三を描いた作品があります。世間の土方歳三像にものすごい影響を与えた作品ですが、実物の歳三さんはそういう人ではありません。たぶんもっとおチャラけて女好きだったはずです。だけど司馬氏はストイックな剣士という歳三像を作った。膨大な資料を読んでいたはずなので、それは知っていたと思うのです。知ってて、あえて描かなったのではないかなと思います。それって「面白ければ何でもいい」の放送作家とあまり変わらないのではないか、あるいは確信犯であるぶん余計にタチが悪いともいえます。 特に私が罪深いなと思うのは、「坂の上の雲」の乃木将軍です。坂の上の雲の乃木将軍は待ち受けるロシア軍の要塞にバカのひとつ覚えのように突撃をくり返した愚将というような扱いを受けています。でも乃木将軍は大量の大砲を旅順要塞攻略に割いていて当時としてはできることを可能な限りやっていたのです。日露戦争から10年後の第一次世界大戦でドイツ軍やイギリス軍、フランス軍はものすごい膨大な大砲による準備射撃をしても、要塞化された機関銃陣地は無敵であるということを嫌になるほど思い知らされます。たった1日で8万人もの将兵が死傷したこともありました。それに比べれば乃木将軍はむしろ旅順要塞を攻略したので名将だったといってもいいかもしれません。実際、ロシア軍は乃木将軍とその第三軍を最精鋭部隊だと認識して最も恐れて、後の奉天会戦では第三軍を警戒するあまりに日本軍の陽動作戦(第三軍を主力に見せて陽動する)に引っかかってしまいました。 司馬遼太郎が乃木将軍を貶めたのは、軍隊のいじめなどへの恨みを旧陸軍内で神格化されていた存在を貶めることで復讐したかったのではないかなと思います。司馬氏自身が軍隊生活を振り返ったときに「陸軍時代は楽しかった」みたいなコメントは一切ないですからね。むしろ「こんなブリキの戦車に乗せやがって兵士の命をなんだと思ってやがるんだ」とコメントしています。ちなみに「日本軍の戦車は装甲がペラペラなブリキ戦車」というイメージを世に広めたのも司馬遼太郎氏であります。まあ確かにペラペラなんですけどね。でもそれは・・・(以下自粛)。

isoken
質問者

お礼

eroero さん、こんにちは。 >百田尚樹氏は元々テレビの放送作家で、小説家ではないのです。まあ小説家と名乗るのに資格は要りませんからね。 本を評価するに当たって私が念頭に置くのは、先ずは面白いかそうでないか、次いで作家の筆力がどのレベルにあるか、その2点です。 前者は無論主観が支配する領域、一方の後者には私なりの明確な基準があります、ここでは触れませんが・・。 どう贔屓目に見ても 「 素人に毛が生えた程度 」 ・・としか思えない、ベストセラー作家の作品を過去随分と読みましたが、その私の目からして、『 永遠の0 』 は充分に及第点を差し上げられるレベルにあると思われます。 >さて一方の司馬遼太郎氏。この方は戦争経験者で軍隊経験者で戦争中は戦車部隊にいました。だから軍隊と戦争の理不尽さを骨の髄まで知っている。軍隊や戦争なんて美化するものじゃないと身をもって知っているのです。 司馬さんは学徒出陣・・予備役からの招集ですから、少尉といっても名ばかりで消耗品と同様の扱いですね、熟練の士官を温存する為危険な最前線へと投入され、戦死率が最も高いのも特徴の一つ、加えて叩き上げの部下から突き上げられ、それこそいい事は何一つ無かったはずです。 昨今に例えれば、工事現場に於いてゼネコンの大卒若手現場監督が、ベテランの職人に遠慮するのと同じ構図ですね。 >特に私が罪深いなと思うのは、「坂の上の雲」の乃木将軍です。 >でも乃木将軍は大量の大砲を旅順要塞攻略に割いていて当時としてはできることを可能な限りやっていたのです。 203高地に於ける 乃木希典 将軍に関しては、大日本帝国がある限りオブラートに包み込んで、決して触れてはならない存在であったろうと思います、現行憲法第9条第2項のように・・。 それほどナイーブな存在でありまして実は私も避けたい、何せ人格的にとにかく素晴らしい軍人であった事は疑いようもない、それこそ武士道の具現者です、その点は作中で司馬さんも認めておられる、乃木将軍を生涯敬愛したという、イギリス派遣の観戦武官 ハミルトン という青年の目を通してですが。 その一方で、数万の兵卒をして荒野に屍の山を築かせしめたのもまた事実ですからねぇ、 簡単に eroero さんの意見に組する訳には参りません。 明治政府開闢以来のこの時期ほど、民にとって国家が重い時代は無かったでしょう、江戸期以上の重税を課せられその上徴兵制となれば、我が国の民百姓ほど憐れな存在もまた無かった、・・といった風に目線を下げれば下げるほど、適材と思われない司令官を上に戴く事がどれほどの悲劇であったか・・、惨憺たる犠牲は全て乃木軍司令官の責任に帰せられて当然でありましょう。 司馬さんとしては、 歴史の検断者として日露戦史を炙り出す事を苦悩されたのかも知れません、仮に 乃木将軍 の高潔な人格に魅かれていたとするならば余計にです。 さて私なりに乃木将軍の悲劇を集約すると以下の3つ、先ずは現地司令官の人材に乏しい長州閥掌中の珠であった点、次いでそれ以上に近代戦の軍司令官しての感とセンスが著しく欠如していた点、更には補佐する総参謀の人材に恵まれなかった点、まだあるかも知れませんが・・。 >司馬遼太郎が乃木将軍を貶めたのは、軍隊のいじめなどへの恨みを旧陸軍内で神格化されていた存在を貶めることで復讐したかったのではないかなと思います。 確かに司馬さんは昭和の軍国主義を嫌っておられた、いや憎悪しておられたと言って差し支えないでしょう、ただその点と乃木将軍を結び付けるのは、正直如何なものでしょうね。 回答ありがとうございました。

  • kamejrou
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回答No.3

こんにちはisoken さん お久し振りでしたが、見かけませんので はて?何かあったろうか?と少しばかり心配をしておりましたが 人間齢50を過ぎれば明日のことは分かりませんし 私も百田尚樹さんの事は良く知らないのです 「永遠の0」にしても観たいとは思っておりますが未だ観れずにおりますし ただ彼の発言は部分的には承知しております 先日も「朝まで生TV 」に出ておられたが過激な保守と言う印象でしょうか? 原作も面白いのでしょうね? ただ正直、今更この類いの本をと言う思いもないではありません 随分と読み漁ったようにも思いますし ただ、映画は機会でもあれば観てみようと思います 私もまたご同様、涙また涙でしょうねえ私などは号泣するかも知れない 映画への偏見は私にも良く理解出来るのです 別に元アイドルには罪はないのですが アイドルを起用して映画を興行的に成功させようとするあざとさが透けて見える そのような意識はないのでしょうが私などは天の邪鬼ですからそう考える 戦争美化、特攻美化については仰るように捉え方は人それぞれでしょうし 私がここで言及する事でもありませんでしょう 「永遠の0」は読んでおりませんので比較は出来ないのですが 司馬遼太郎さんとその著書「坂の上の雲」について少し話してみましょう 〉歴史の必然であったろう 私は仰るとうりであろうと思います 司馬さんが「坂の上の雲」で言わんとした事はそれであったでしょうし 時代は正に世界史的帝国主義の時代です 「窮鼠猫を噛む」の例えではありませんが追い詰められれば前に出ざるをえない 進歩的学者なる人達はそれを侵略戦争と断じる 司馬さんは日本にとっては生きる為のやむを得ない防衛戦争であったと言う これは恐らくは意見は別れるところでしょうが私は司馬さんの側に立つ ただ司馬さんは生前はこの「坂の上の雲」だけは映像化される事を 頑なまでに拒否しておられた 他の作品が次々と映像化されていく中で不思議なほどの拘りでしたが 何年前でしょうね? NHK で放送されたようですがどのような経緯でNHK が取得出来たものか? 司馬さんの没後20年近くですものねえ 司馬さんは曖昧にして言葉を濁しておられたが 恐らくはミリタリズムを肯定してるかのように思われることが 忸怩たる思いでもあったろうか? そうも思うのですが まだ話したいのですがisoken さんの事、重々承知の上での質問でしょうし この話しはここいらで、またお話する事もあるでしょうし 少し余談を 例の松方さんの本なのですが私も紹介はしてみたものの 未だ読んでおりません 図書館に在庫がありましたから直ぐに読めるものと思っておりましたら 保育園ではありませんが待機児童が6人もおりましてねアハハハ 田中森一さんの「反転」は手元にありますが中々読めずにおります PC を叩いて拾った知識で能書きを言う うまい事を言われる、私はあれにも笑いましたが 最後に司馬さんについて一言、 作品に武士道の精神が骨子にある、仰るとうりでしょう 加えれば司馬さんは日本と言う国と日本人が大好きであったに違いない 私はそう思います

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、こんにちは。 御無沙汰しておりました、私自身は至って健康なのですが、家内の方と併せて80歳を超える身内を3人も抱えておりますと、何かとありまして・・。 ところで撮り溜めした 『 おんな城主 直虎 』 は御覧になりましたか?、こちらは家内が 直虎 所縁の地を訪れてみたいというので、取り敢えず9月の連休に 「 奥浜名湖 」 という国民宿舎を押さた次第、我ながらいい旦那です。 それにしても土曜日一泊で2人分 27000 円也・・いや安い!、遠州の古刹・ 龍潭寺 他を巡り、鰻でも食べて帰って来ようと思っております、 kamejrou さんも奥様と如何でしょうか? >私も百田尚樹さんの事は良く知らないのです >「永遠の0」にしても観たいとは思っておりますが未だ観れずにおりますし >ただ彼の発言は部分的には承知しております 先ずは 『 永遠の0 』に関して、・・実は原作から入る事をお勧めしたいのです。 確か戦争総論への言及は無かったと記憶しておりますが、特攻を敢行した軍上層部への批判精神も盛り込まれておりまして、少なくとも私には書き手の立ち位置が非常にニュートラルであると感じられました、加えて 百田氏 という作家にはそれなりの筆力がある、それなりに読み応えのある作品でもありますし・・。 >先日も「朝まで生TV 」に出ておられたが過激な保守と言う印象でしょうか? 右翼と左翼というものは似ておりますねぇ、それも両極に振れれば振れるほど不思議な事に似て来てしまう。 古く ヒトラー と スターリン の例を持ち出すまでもなく、昨今ネット上に於いても、一方が ネトウヨ と罵ればまた一方は 馬鹿サヨ と嫌悪する、互いに ドグマ の塊でありまして、他の意見に一切耳を貸そうとしない、私には互いに無知・無教養を曝け出しているとしか思えませんが、どうなんでしょう。 >ただ、映画は機会でもあれば観てみようと思います >私もまたご同様、涙また涙でしょうねえ私などは号泣するかも知れない 原作はじんわりと泣かせます、一方の映画はウエットには仕上がっておりましたが淡々と進行しましてね、前半部分は聊か盛り上がりに欠けるとの印象でありました。 ところが後半部分で、特攻生き残りのやくざの親分というお人が登場しますがこれがいけない、エンディングを除いて最も泣いたのがそのシーン・・、それ以上はネタバレになりますから口を塞ぎますが・・。 >ただ司馬さんは生前はこの「坂の上の雲」だけは映像化される事を 頑なまでに拒否しておられた >他の作品が次々と映像化されていく中で不思議なほどの拘りでしたが 何年前でしょうね? >NHK で放送されたようですがどのような経緯でNHK が取得出来たものか? DVDに落として永久保存版にしてありますがいい出来でしたねぇ、その前後の大河ドラマより遥かに良かった、司馬さんの意図は 好古 に武士道を語らせ、一方の 真之 に於いて近代戦の何たるかを表現したのではなかろうか・・、私は勝手にそう思っているのですが。 他方映像化へ抵抗した理由としては、 kamejrou さんが仰る ミリタリズム の肯定云々が先ずあったのでしょう、次いで日露戦争の講和から100年を経ておらず、まだ完全な歴史へと移行していないという意識から来る関係者への配慮、その2点ではなかったでしょうか。 >図書館に在庫がありましたから直ぐに読めるものと思っておりましたら 保育園ではありませんが待機児童が6人もおりましてねアハハハ >田中森一さんの「反転」は手元にありますが中々読めずにおります >PC を叩いて拾った知識で能書きを言う うまい事を言われる、私はあれにも笑いましたが kamejrou さんや私に限らず好きな人はそうでしょう、そりゃ読みたいはず、それにしても待機児童ですか、今度使わせてもらいます。 ところで以前経済カテでよく回答していたのですが、そこに田舎の物知り程度の方から横槍が入るんですね、しかもその文章というのがどう見ても ウイキペディア からの引用そのまま・・、 「 生憎とこっちはその最前線で修羅場を潜っていたんで~ 」 ・・と思うと、反論するのも馬鹿らしくなり逃げ出しました。 >最後に司馬さんについて一言、 >作品に武士道の精神が骨子にある、仰るとうりでしょう >加えれば司馬さんは日本と言う国と日本人が大好きであったに違いない 私はそう思います 司馬さんは主としてエッセイに於いて、 「 古来よりこの国の人間は・・ 」 というフレーズを書き出しによくお使いになった、この美しい島国そしてそこに住む全ての人間への格別な愛情を感じてしまう、私も全く同じ思いです。 それともう一つは、不器用な人間への愛情と包容力・・例えば 塙団右衛門 、御存じの通りこの人はまあ功名と売名の餓鬼でありまして、その前には作戦もへったくれもない、自分の軍勢すらうっちゃって敵勢浅野軍の真っ只中に単騎切り込む辺りはもう無茶苦茶ですよね、ところが短編小説に登場する 団右衛門 は不思議な愛情で包まれている、きっと 司馬さんという作家はその種の人間が嫌いではなかったのだろうと・・。 さて恐らく御存知でしょう、かつて産経新聞に身を置きつつ、 『 サイゴンから来た妻と娘 』 シリーズで人気を博した作家で 近藤紘一 さんという方がおられました、40代で早世されましたが、大学は確か kamejrou さんの先輩に当られたと記憶しております。 そんな彼がまだ陥落前のサイゴン支局長であった時代、現地のベトナム人女性と再婚して、彼女が住む下町のオンボロ長屋に転がり込んだと思って下さい。 そこに訪れたのが、恐らく産経新聞繋がりで親交のあった 司馬遼太郎 御夫妻、当然ながら近藤さんの新しい奥様は日本語が全く分からなかった、一方で幾ら日本一の作家だと説明されたって実感が湧くはずもない。 ところがそのベトナム人の奥方は、初めて会った瞬間から司馬氏に対して深く尊敬の念を抱いたといいます、他には 開高健 氏のたった2人だけ。 尊敬するされるというのは恐らくそういう事であろうと思います、何も重々しい肩書や垂れる能書きが他人を魅了する訳ではありませんよね、 司馬遼太郎 さんというお人はきっとそういう方だったんでしょう。 回答ありがとうございました。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9577)
回答No.2

isoken さん、こんにちは。 やっと辿り着いた・・映画 『 永遠の0 』 、ラスト20分からは我が涙腺を刺激する掟破りの波状攻撃、ことにレーダー網を掻い潜り海面すれすれに接近後、急上昇して敵艦に突っ込むラスト・シーン・・、滂沱の涙また涙でありました。 いまだに謎が解けない。なぜ彼はパイロットを交代したんだろう。 司馬遼太郎 氏の名著『 坂の上の雲 』・・、御存知 秋山好古 ・ 真之 兄弟の生涯というフィルターを通して、日露戦争を描いた作品ですが、時あたかも帝国主義末期・・極東の片隅に突如躍り出た新興国家日本としては、富国を目指し列強諸国に喰われまいとするならば、避けては通れなかった歴史の必然であったろう・・少なくとも私はそう理解するところです。 あそこで勝って、和平交渉に臨まなけば、国は破たん寸全だった。 どっちともだいぶ前に読みました。日露戦争の時には戦争に対するビジョンを持った元老がいた。でも、太平洋戦争時にはそういうビジョンを持つ人がいなかった(元老は死に絶えた)。だから、あんな誤った考えに取り付かれ、敗戦を招いた。この国には元老が必要らしい。だから、今でも元老のような人たちが意気揚々と活躍している(本当にそんなに頭がいいのかわからないけど、)。

isoken
質問者

お礼

ithi さん、こんばんは。 >いまだに謎が解けない。なぜ彼はパイロットを交代したんだろう。 敢えて汚名を恐れず妻子の為に生き残るという或る種受動的な決意が、戦況の悪化・・ことに教え子の特攻死が度重なったある瞬間に、能動的な自分の意志に切り替わった、そして遂には特攻を志願する事となる、そういう事ではないでしょうか。 その時点で積極的に死を選択したのでしょう、つまり石に噛り付いてでも妻子の元に帰る選択肢を放棄した、故に万に一つ生き残れる可能性をより生きて欲しい・・、言い換えれば自分の妻子の将来を託すに足る部下に委ねた、当たらずと言えども遠からずであろうと思います。 >あそこで勝って、和平交渉に臨まなけば、国は破たん寸全だった。 開戦前年の1903年、大日本帝国は既に戦時経済に突入しておりましてね、マクロ経済の観点から考察する日露戦争はまさに無謀の一言でありました。 『 坂の上の雲 』に於いて、 渋沢栄一 翁他経済界のお歴々が開戦に反対する場面を御記憶かと思いますが、常識的にはあれが正論です。 何せ一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合・・現代に置き換え且つ平たく言うと ( 正確には若干異なりますが、まあ御了承下さい ) 軍事費の対 GDP 比の事ですが、開戦後にはMAX60%にまで跳ね上がる事となる。 因みに冷戦構造下の旧ソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻し、ベルリンの壁崩壊の間接的要因となった際の同比率が50%強ですから、この60%を超える数値の異常さが御理解頂けるかと思います。 他方富める国の戦争は概ね経済的メリットの享受が開戦理由です、ところがこの頃の我が日本は国家経済の破綻に目を瞑ってでも防衛を優先せざるを得なかった、そういう時代であったのだろうと・・。 当時の日本国民だからこそ耐えに耐えた、つまり我々の御先祖様は食うや食わずで戦争していたんですね、一方に於いてその善良な国民性故に、却って太平洋戦争の悪しき雛型となった点も紛れも無い事実でありましょう。 >どっちともだいぶ前に読みました。日露戦争の時には戦争に対するビジョンを持った元老がいた。でも、太平洋戦争時にはそういうビジョンを持つ人がいなかった(元老は死に絶えた)。だから、あんな誤った考えに取り付かれ、敗戦を招いた。この国には元老が必要らしい。だから、今でも元老のような人たちが意気揚々と活躍している(本当にそんなに頭がいいのかわからないけど、)。 その点はですね、 ithi さんが仰る通りであろうと思います。 日露戦争当時の政治家及び軍指導部には、新国家建設の当事者意識があったのではないでしょうか、故に政治及び陸海軍の意識がその後ほど乖離しておらず、オール・ジャンパンとして合理性のある総力戦を推し進める事が出来た、一方に於いて203高地という例外を除いた作戦面にしてもそう、その点こそが日露戦争を最終的な勝利に導いた最大の要因だと考えるところです。 回答ありがとうございました。

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