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木の実

アダムとイブはヘビにそそのかされて木の実を食べたら、お互いが裸であることに気が付いて隠したのだそうです。 何の事なのでしょう? 私はそこそこ歳をしているのですが、未だに良くわかりません。 お教え下さいますよう、宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.10

●ペテロとパウロは、このようにして善悪知識の木  を食べました。   事実上、ペテロとパウロは、アダムの中で、   善悪知識の木を食べました。   経験上、ペテロとパウロは、思いを肉につけ   る時に、善悪知識の木を食べます。 I.事実上では、こういうことです。  A.ヘブル7:9-10に、このような記述があ    ります。   1.「また、このようにも言えます。十分の一     を受けるレビも、アブラハムを通して、十     分の一を納めたのです。   2.というのは、メルキゼデクが彼を出迎えた     時、レビはまだ父の腰の中にいたからです」。  B.同じように、アダムの中にいたペテロとパウ    ロも、アダムが善悪知識の木(悪魔サタンを    表徴する)を食べた時に、その中にいたペテ    ロとパウロも、善悪知識の木を食べたのです。 II.経験上では、こういうことです。  A.人は、霊、魂、体の三部分からなっています    (Iテサロニケ5:23)。  B.命の木は、神、キリストを表徴します(ヨハ    ネ11:25、15:1,5)。そして、神    は今や、クリスチャンの霊の中にいます(ロ    ーマ8:9,15、Iコリント6:17、4    :22)。  C.善悪知識の木は、悪魔、サタンを表徴します。    そして、サタンは今や、すべての人の肉体の    中にいます(ローマ7:20,23,25)。    善悪知識の木は、死の木です。なぜなら、ど    れだけ知識を溜め込んでも、命を食べなけれ    ば、死ぬからです。  D.食べることは、それを受け入れ、構成される    ことです。経験上、善悪知識の木を食べるこ    とは、肉の事柄を思うこと、命の木を食べる    ことは、霊の事柄を思うことです(ローマ8    :5-6)。  E.ローマ8:6、「肉につけた思いは死ですが、    霊につけた思いは命と平安です」。   1.肉の事柄を思い、思いを肉につける時、死     を取り入れ、死で構成されます。   2.霊の事柄を思い、思いを霊につける時、命     を取り入れ、命で構成されます。  F.ペテロとパウロは、思いの肉につけた時に、    死を取り入れ、死で構成されました。これが、    経験上の善悪知識の木を食べることです。 ●そして、もう一つの方の回答ですが、「自分の負  い目を他の人達に伝染させた彼らの論 理」とい  うのがちょっと良く分からないので、 答えがだ  せないのですが。

torauma
質問者

お礼

なるほど。 >・・・・答えがだせないのですが。 自分で考えます。 どうもありがとうございました。

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その他の回答 (9)

回答No.9

●創世記のライフスタディを読んだことのうろおぼえ ですが、答えてみたいと思います。 ●圧縮して(まとめて)いうとこんな感じです。   人が堕落する以前は、罪がなかったので、   はだかであっても、良心は機能する必要   がなかったのです。しかし、堕落以後、   罪が入ってきたので、良心は機能し始め、   恥の感覚が出てきたのです。 ここから、少し展開します。 I.人は創造された時、罪のない完全な人として創造   されました(創世記1:31)。しかし、その後、   人は善悪知識の木を食べたために、罪の法則(ロ   ーマ8:2)、罪が人に入り込みました。 II.恥というのは、良心の感覚です。罪が人に入った   時、恥の感覚が機能し始めました。  A.人が善悪知識の木を食べる前(人の堕落以前)、    人の中に罪はなかったので、良心は存在してい    ても、恥の感覚は機能する必要はありませんで    した。  B.人は善悪知識の木を食べました(すなわち、堕    落しました)。その結果、罪が人の中に入り込    みました。  C.直ちに、良心が罪に反応して、機能し始め、恥    の感覚が出てきました。 ●分からないことがあれば、聞いてください。その部  分を展開しますから。 ●参考URLは、創世記ライフスタディを売っている  ところを載せておきます。

参考URL:
http://www.jgbr.com/
torauma
質問者

お礼

御回答ありがとうがざいます。 そうしますと、ペテロとパウロはそれぞれ、どういうきっかけで木の実を食べたのでしょうか。 又、自分の負い目を他の人達に伝染させた彼らの論理と、「罪の意識と裸」にどういう関係があるのでしょうか。

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  • kodai78
  • ベストアンサー率45% (56/122)
回答No.8

私はクリスチャンではなく、宗教論について語る資格も無いとは思うのですが、学生時代にキリスト教について学んでいろいろ考えた事があります。そのとき以来の感想ですがご参考になれば幸いです。 聖書の創世記の序章で神は六日間の間に天と地の全てを創造し、その最後にそれらを支配する存在として自分のかたちとして人を創ったようです。神の創造物でありながらその最高の権威者として人類を創造したという事らしいです。そしてエデンの園を設け人を住まわせました。そこで神は「園のどの木からも自由に食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは食べてはならない、食べたなら死ぬ。」と警告しました。それはこの善悪の知識の木が植物的に特殊な木だからではなく、創造主である神の命令を単純かつ従順に守る事に意味があるのだと思います。 そして蛇の誘惑によりイヴ(聖書ではこの時点では名は無く女とだけされていました)は善悪知る木の実を食べ、夫のアダムにも分け与えました。これはこれまで神のかたちであったという意味での死と言うことではないでしょうか。それまで持たなかった俗的な欲を持つようになったという事です。神のようになれるという権威欲、飢えていたわけでもないのに節操無く食べる食欲、裸である事に気付き体を隠したというのも性欲に目覚めたのかもしれませんが、理性も残っているゆえの羞恥心だと思います。問題なのは木の実自体ではなく、食べる事を禁じられていた木の実を食べた行為が、神のかたちである事からの決別を意味していたのだと私には思えます。実際、神への反抗の始まりですから。ある意味、いくら知能が高かろうが動物同然の生物としての人に成り下がったのかも知れません。その結果、園から追放されました。 そしてその子孫であるカイン、アベルの兄弟は神に捧げ物を捧げる中、競争欲に目覚め、カインは自分の物が神に無視された事から羨望と憎しみに駆られアベルを殺しました。これらを見ても今日的な人間の過ちの原点を見ているような気がしてなりません。 私はキリスト教や聖書を全面的に肯定するつもりは無く、欲を持つ事が決して悪だとも思ってはいません。欲望は生きていくエネルギー源でもありますから。ただ、この失楽園の物語を聞かされて、何一つ不自由無かったはずのアダムとイヴがたいした事ではないと思われた禁止事項を破った事から、後の罪を重ねていく人類の構図を見ていくと何か考えさせられる事があるのは確かです。欲を持ったからこそ人類が進歩をし、発展をしていったのは確かですが、その結果、戦争、差別、環境破壊、その他の犯罪に繋がっていったのは否めません。 大変、独り善がりで長い内容につき失礼しました。

torauma
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 知人の父は40年ほど公務員をしておりました。 飲む・打つ・買うの3拍子で、退官時はバクチで莫大な借金を造り家族に押し付けて自分は勝手に殿様をやっている人間でした。 強欲のツケはその子供・兄弟に回って深刻な家庭状況に陥りました。  神殿の園でお勤めをしていると「悪魔と仲良し」になって常識ハズレなマネを平気でするようになる例は他にもある様ですが、警察関係公務員のためなのか裁判所は本人を庇って「父に感謝しなさい」という精神論スタンスを貫く意志をお持ちです。 詳しい話はしませんが、封建的で敷居が高いなどというものではなかった様です。 子供は親の恥、親の苦労子知らず、女の腹は借り物・・・・・云々。 最近ですが子供・兄弟の間で父のために誰がどういう苦労をさせられたかで争いが生じ、「顔を見ただけでヘドが出る」関係との事です。 精神の病になっている者もいるのに。 ユダヤ史と比べれば大した事は無い、とある私事で失礼しました。 人間は善悪を知ると堕落して死ぬのでしょうかね。 その子供達は経済的苦境に悩まされ、強欲むき出しで争う様になる?

torauma
質問者

補足

私の解釈ですが・・・、旧ユダヤ史からすると。 アダムとイブは善悪を知って自分で分別がつけられるようになった結果、神(父)の代わりに{神の様}に振舞える不完全な知恵がつきました。 同時に神への反逆者となり中途半端な創造物のまま神殿中央を追われたのです。 同時に神殿にいて何も知らずにいた自分を恥じるようになりました。 しかしその子は自分で労働をして食べ物を捕獲しなければならない身分になったのです。 神は植物より動物の血と肉を好む者でしたので、反逆者の血をひくカインは救済される機会がありそうなアベルを憎んで殺し、結局追放さて苦難を歩むユダヤ人となったのではないでしょうか? キリスト教徒によるユダヤ人弾圧の理由も上記の意味によるものとしか思えませんが。 つまり反逆者であって救済を信じない人。 一般的な感覚では同情すべき人間的な者ではないかと思います。 いかがでしょうか。

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

役に立たない参考程度の追伸まで [なのですが、話をわかりやすくされすぎた様に感じました。] 真理というのは簡単なところにあるのですね。子供でもわかるから真理なんですね。(これは、かって中国のちょうか禅師が白楽天にいった言葉ですね。) それはさておき、旧約聖書によれば全知全能の神が人間をつくり生めよ増やせよということになっていますね。そのような神がりんごの木から知恵の実を取ったからといって罰することがあるでしょうかね。常識的にはありませんね。一方、ユダヤの神ヤハウエはたたり神といわれていますね。契約の神と呼ばれ契約に反すれば罰するのだそうですがその程度の神が全知全能の神であるわけがありませんね。どこの国にもいる民族神でしょうかね。イエスは愛の神ですから自らの弟子13人全員がイエスを知らないといって逃げても責めてませんね。中の一人は金をもらって自殺しましたが。そのイエスがわが父と呼んだ神も同様にイエスの弟子の誰も責めていませんね。全知全能の神がいるとしたらそのような寛容な神じゃないでしょうか。 例えば、ユダヤの司祭がイエスを責めたのはモーゼの教えに反して安息日に(人を助ける)仕事をしたからなんですね。でも神であれば日曜日でも人助けの仕事はするのが常識ですね。つまり、本当の全知全能の神なら本来罪など持ち込むことはないということですね。だから、悪魔にそそのかされた時の心という意味にしか取れないんですね。裸は純粋に善なる心を表し、そそのかされて栄華におぼれたというのを木の葉で表し、その結果はエデンの東に住むことになったというのが素直な解釈じゃないですかね。 また、ユダヤ教徒に原罪の考えはないと思いますね。原罪はキリスト教徒にありますね。キリスト教を広めたパウロはキリストを十字架にかける側にいましたので、改心してもその罪意識は消えなかったんでしょうね。他の弟子もみんな逃げましたのでその意味での 罪の隠蔽をりんごの木の実にもっていってるんでしょうかね。確かに旧約聖書にはたくさんの神がいますが神とサーペント(悪魔、へび)を分けるとそういう風になりますね。

torauma
質問者

お礼

なるほど。 mmkyさんの解釈は良く分からないけどほかにも色々ありそうですね。 神は人間が作った・人間は本能が狂って幻想を追う動物である。 という意見を連想しました。 それで私は、訳がわからなくなってしまった様な気もします。 どうもありがとうございました。

torauma
質問者

補足

>裸は純粋に善なる心を表し、そそのかされて栄華におぼれたというのを木の葉で表し、その結果はエデンの東に住むことになった・・・<どう考えてもこの点が良くわかりません。 私の解釈ですが・・・、旧ユダヤ史からすると。 アダムとイブは善悪を知って自分で分別がつけられるようになった結果、神(父)の代わりに{神の様}に振舞える不完全な知恵がつきました。 同時に神への反逆者となり中途半端な創造物のまま神殿中央を追われたのです。 同時に神殿にいて何も知らずにいた自分を恥じるようになりました。 しかしその子は自分で労働をして食べ物を捕獲しなければならない身分になったのです。 神は植物より動物の血と肉を好む者でしたので、反逆者の血をひくカインは救済される機会がありそうなアベルを憎んで殺し、結局追放さて苦難を歩むユダヤ人となったのではないでしょうか? キリスト教徒によるユダヤ人弾圧の理由も上記の意味によるものとしか思えませんが。 つまり反逆者であって救済を信じない人。 一般的な感覚では同情すべき人間的な者ではないかと思います。 いかがでしょうか。

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  • ondok
  • ベストアンサー率25% (3/12)
回答No.6

勝手ながら、補足させていただきます。 > 「神と契約をしている」という意識を持つことができるということに、私自身との根本的な違いを感じます。 ユダヤ、キリスト教徒でないならば、自然かとも思われます。ユダヤ教徒の方々はとくに、自分たちの民族の歴史が聖典の内容となっているわけですから。方々は、信仰に、民族の存続をかけておられます。 あるいは、キリスト教徒であっても、生まれながら、日常生活が信仰とともになければ、神を盲信するのは、ちと、難しいのでは。 > 知恵の木 - 羞恥心 - 罪 これは、考え方の相違、と思うのですが、わたくしは、羞恥心は、枝葉だと考えます。 アダムとイブは、言いつけに背いた結果、「善悪を知る者」として、出産、労働、死、が必然の生き物になったわけですが、知恵を持った人間なら、隠すべきところは隠すのが当然という、今から3000年前を生きた作者らの認識によるところではないでしょうか。セム族の生きた環境は、風土においても、ギリシアのごとく、温暖ではなかったために。 追記。 タナクは、前1100年頃から前150年頃まで、約千年にわたって書き継がれたというのが定説です。(自分の知る限りでは、です。) 作者「ら」、といいますのは、ご存知かもしれませんが、さまざまな伝承が入り乱れて成立している書物ですから。

torauma
質問者

お礼

なるほど。 ユダヤ教徒の歴史的不遇、作者達の風土文化。 こうしたものを知れば「謎解き」になるような事では無い訳ですね。 その様に言われますと、当然の事です。 他人の境遇に気が付いて、理解するのは難しいですね。 わかっていたハズでも忘れています。 どうもありがとうございました。

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  • ondok
  • ベストアンサー率25% (3/12)
回答No.5

内容は、ユダヤ聖典のタナクか、旧約聖書の創世記が出典と思われます。 ユダヤ教での最大の罪といいますか、禁止事項は、神との契約に背くこと、すなわち、神への反逆です。 だとすれば、食べてはいかんと神に言われていたというのに、蛇ごときにそそのかされて誘惑に負け、禁を犯してしまった、・・・これが「原罪」、とわたくしは、解釈しておりますが。 キリスト教になると、契約対象である神の性質はかなり異なってきますが、罪という考え方に違いはないようです。 以上、簡単ですが、参考になれば幸いです。

torauma
質問者

お礼

アドバイスを下さいましてありがとうございます。 「神と契約をしている」という意識を持つことができるということに、私自身との根本的な違いを感じます。 私のように、なんともならない不信心者は、どうしても真っ直ぐな理解をしない癖があります。 知恵の木 - 羞恥心 - 罪 の相関性について感心を持ってみたものの結局、謎が解ける気がしなくなってしまったため、質問を試みました。 私は常日頃、誘惑に負けております。 考えてみれば自分のそういうところは、不信感をもたれやすく反逆者にされ易いのかもしれませんね。 少し反省してみます。

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回答No.4

「善悪知るの木」とは、エバのことです。 「いのちの木」とは、アダムのことなんですね。 ですから、善悪知るの木の実とは、「エバの愛」の ことを指していました。 アダムとエバが未完成期である「成長期間」を経て、 「神様も干渉できない責任分担」を完成して、 個性完成(愛の人格を完成)したら、 エバの愛を取って食べてよかったのです。 それまでは、食べるな!!と神様は言われたのです。 人間が神様の自由にコントロールできる産物なら、 そんな戒めをお与えになる必要はありませんでした。が、 神様の人間創造の目的がそもそも、愛の完成なので、 自由意志のないロボットのような人間とは、 「愛の完成」がなされないのです。 ですから、人間にのみ、自由意思をお与えになられました。動植物には、自由意思はありません。 ですから、「責任」もありません。 人間は、自分の責任で完成するように、創造されていた のです!! しかし、悲しいかな、愛の減少感を感じた天使が 堕落して、エバを誘惑して性的関係を霊的にもち、 さらには、エバがアダムを誘惑して、まだ、未完成の 時期に、二人は、性的な肉体関係を持つにいたったのです。 それゆえ、人類歴史は、偽りの愛の実を結実させた 偽りの血統圏から皆生まれる運命となったのです。 これが原罪です。 ですから、いじじくとは、「花咲かずして実がなる」 =無花果   と書くのです。 完成する前に、二人が自己中心的な動機で愛の関係を もってしまったのです。 それ以来、人類は、皆、自己中心的な愛をもって 生まれるようになってしまったのです。 愛する動機が自分にあるのですね。 これがすべての不幸の根本原因なのです。 ですから、男女関係が世の終わりには乱れてしまいます。 これを誰も止めることができません。 ゆえに、終末時代には、アダムが出来なかったことを 世界的次元で成就するために、再臨主が来られるのです が、 その方は、真の愛と命と血統から生まれてくる方なのです。 そして、イエス様のことをセカンドアダム 第2のアダムと聖書で書かれているように、 今度来られる第3アダムは人類始祖アダムができなかった ことを成し遂げるために来られるのです。 人類の責任分担がいまだ完成されずに、しかも、 自己中心的な罪悪歴史となってつづられてきたのが まさしく今日までの「人類歴史」だったのです。

torauma
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 疑問ばかり浮かんでしまって何とお答えしたら良いものか分からなくなってしまいました。 今日までの「人類歴史」・・・・が今後も継続しそうな人間社会ですが、ところで。 人間は単なる罰として現在の人類種であることを続けることになりそうです。 神の側の理由も単なる罰なのでしょうか。 それとも「神の業」を証明させるために、役割を与えたのでしょうか。 でなければ、何ゆえそこに「木の実」を置いたのでしょうか。 人間始祖はそそのかされただけであって、自らは望まなかった道なのでしょうか。 >愛する動機が自分にあるのですね。 これがすべての不幸の根本原因なのです。 私は進化論信望者ではありませんし、神業や存在証明が「木の実」の力で明かされるとは信じておりません。 それほどの絶対的な科学信教徒でもありませんが、「人類の知恵と英知」なるものに対しての信頼は大きなものです。 己自身を滅ぼすかもしれないのに。 神の栄光はいかなる権威や権力よりもはるかに偉大なのだそうです。 一方で私ときたら結局は、神の意図した政略結婚の先の栄光を失い、堕落した人間であることを再び選んでしまう者ではないかと感じておりますし、これが当然とも考えております。 何か間違っているのでしょうか? 不完全な者が自分に近い親しい者に、より信頼を寄せようとするし、ヘビの言葉も信じてみる事は、必然的なできごとではないでしょうか。 ・・・・やっぱり人間のすることは間違いだらけですよ・・・ね。

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回答No.3

#1です toraumaさんはバカではありませんよ^^; 解釈の仕方の違いですよ。万人共通の考えなどないですから。謎のままにしておくのも神秘的でロンチックではないでしょうか? 宗教による解釈のちがいもあるようなので

torauma
質問者

お礼

>謎のままにしておくのも神秘的でロンチック 納得しうる現実的な解釈と、自分の理解を求めております。

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

参考程度に 「へびにそそのかされ」というのは「悪魔にそそのかされた」ということですから「良い知恵の実」であるわけがありませんね。「悪い知恵」という意味ですからその知恵は「欲望、飢渇、嫉妬、羞恥など」の悪いものと考えられますね。その結果、「お互いが裸であることに気が付いて隠した」ですからおそらく「派手な欲や羞恥心」が出たと考えられますね。もしこの文章が「天使にそそのかされ」で始まっていれば、良い知恵という意味ですから別の解釈は出来ますね。それからこれは旧約聖書の部分、つまりユダヤ経典の部分ですからキリストの教えではありませんね。キリスト教者がこの点を原罪の論点に持ち込むのは間違いですね。

torauma
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なのですが、話をわかりやすくされすぎた様に感じました。 A.悪人にそそのかされてする行為=悪行 B.善人に奨められてする行為  =善行 と単純化すると実際的ではないのではないかと考えます。 普通、子供には善悪判断はつかないと考えることが一般的ですから、 当然のように「知らないおじさん(お姉さん)についていってはいけません」 と躾ますよね。 親の言うことを守らない子供は罰を与えるのも躾では? それと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は別の神でしたっけ? 意外と 彼らの実際は「マイゴット」派で、多神教徒なのかもしれませんよ~。 ?

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回答No.1

アダムとイヴが食べた実のもつ効果に視点をおけばわかるかもしれません。 食べた実は(知恵)(善悪を知る)の実といことから 羞恥心をもった、裸は淫ら(悪い事)だとわかったのではないでしょうか? 変な言い方するとオバカでなにもわからなかったけど知恵の実で頭が良くなった。または 幼児から大人になった。みたいな考え方でいいと私はおもうのですがどうでしょう?

torauma
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 おバカで意味の分からない事を理由に、「・・・だから我々人間には罪があります」というのも変な宗教だな~。 と思っておりましたが、私だけ根本的なバカなので分からないのでしょうか。 皆が裸なら、私は自分が裸でも恥ずかしく無い、と思ってしまいます。 知恵が働かない者なのでしょうか。

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