• ベストアンサー

自殺論

1. カルト、新興宗教を除き、「自殺」を「悪」「罪」としない、或いは消極的ながらも容認している宗教(宗教家)は存在するのでしょうか? 2.古今東西、自殺を容認した「哲学者」「思想家」などは存在しますか? 3.数多の自殺否定論の内、その根拠として「公共の迷惑」を挙げた思想家は誰でしょうか?

noname#226970
noname#226970
  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数4

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 177019
  • ベストアンサー率30% (1039/3443)
回答No.1

分かる事だけお答えします。(1)自殺を容認している宗教は御座いません。(2)自殺を容認した「哲学者」「思想家」は私の知る限り存在しません。 ちなみに、私は仏教徒ですが、その教えの中に人が死に直面する「臨終」について詳しく書かれています。「公共の迷惑?」自殺する人は何かに縋る思いで自らの命を絶つのであって、公共の迷惑なんてそんな裕著な事を考えるならば、自殺者はいません。

noname#226970
質問者

お礼

早速のお答えありがとうございます。 1、2、共に存在しないということは、人類の共通の認識として自殺=忌むべきものという認識があるのでしょうね。 3、については、作家のカミュが「自殺こそもっとも哲学的な課題である」と言っていますが、少なくともネット上では、(ここでの「哲学」のコーナーでも)自殺=迷惑ということで、思索の対象にすらなっていないようなので、思想界にもそのような考えを広めた思想家が存在するのかという疑問がありました。

その他の回答 (1)

回答No.2

自殺をダメと言っているのはキリスト教系だけではないでしょうか(系といってるのは、ユダヤ教・イスラム教について知らないので、それらまで含むかどうか分からないからです)。 未亡人という言葉がありますが、これの原意は、夫が死んだのに殉死しない妻を”未だ亡くなっていない人”という意味で呼んだものだったと記憶しています。

noname#226970
質問者

お礼

お答えをありがとうございます。 他の主な宗教の自殺観も知りたいところですね。「系」と言われるように、キリスト教、仏教でも様々な流派というのか、宗派がありますね。 未亡人という言葉の原議ははじめて知りました。驚きです。どのような文化的背景からこのような発想が出て来たのか知りたいですね。

関連するQ&A

  • 宗教・哲学の自殺観

    かつて親しい人をふたり自殺によって失ったものとして、 また自身、中程度の精神・情緒障害を持つものとしてお聞きします。 1. カルト、新興宗教を除き、「自殺」を「悪」「罪」としない、或いは消極的ながらも容認している宗教(宗教家)は存在するのでしょうか? 2.古今東西、自殺を容認した「哲学者」「思想家」などは存在しますか? 3.数多の自殺否定論の内、その根拠として「公共の迷惑」を挙げた思想家は誰でしょうか?

  • 古今東西の宗教体験についての記述について

    古今東西の宗教体験についての記述について注目に値するものがあれば教えて下さい。 時代は問いませんが、 1.カルト系のもの 2.日本の新興宗教系のもの 3.勧誘・宣伝目的のもの 以外でお願いします。 1.哲学系 2.伝統宗教系(仏教・キリスト教・イスラム教などを筆頭にスタンダードなもの) 3.ニューエイジ系 4.個人の宗教体験で有名なもの くらいの範囲でお薦めがあればよろしくお願いします。

  • カルトな反宗教論者がいる気がします。

    カルトな反宗教論者がいる気がします。 有神論でも無神論でも反宗教でも思想は別に良いのですが、反宗教論者の一部の人は異常ではないでしょうか? 「宗教信者の気が知れない」「宗教なんて無くなるべきだ」「あんなものは馬鹿馬鹿しい」。 この独善性はカルト宗教とどう違うのでしょうか? 有神論・無神論の方向性が違うだけで同じではないでしょうか。

  • 認識論は哲学ではない

       問う人: 認識論は意味が無いとゆー人がおるが、実際そーなのか。 「人の道」: はっきりゆーて認識論は哲学ではない。 問う人: なぜ認識論は哲学とは言えんのか。 人の道: 認識論とは、例えば次のよーな問いを発することである。   今わしが食っているこのおにぎりは果たして存在するのか、   今おにぎりを食っておるこのわしは果たして存在するのか、   今わしが生きているこの世界は果たして存在するのか、   今わしが死んだらその霊魂はどーなるのか、存在するのか、             ・             ・             ・ しかし、これらは哲学とは呼べない。 なぜなら、これらの問いを発しても何一つ価値ある答えは得られないし、何一つ価値あるものは生まれないからである。 実際、これらの問いは昔から行われているが、これらが何ら価値あるものを生み出した試しがない。 また、これらの問いには何等の思想も理念もない。 哲学と呼ぶには思想や理念がなければならない。 哲学と呼ぶにはもっと高い位置に立つものでなければならない。 これらは単に漬かろーとする心から自然に生まれるものに過ぎない。 どーやら宗教的精神は認識論が土台になっていると見える。 これらが長年にわたり哲学の進歩発展を阻害し、本来あるべき哲学を蝕み退化させた。 哲学における病巣とゆーてえー。 問う人: 認識論は単に漬かろーとする心から自然に生まれるものに過ぎず、哲学とは呼べないゆーこと、皆はどー思うか聞かしてくれ。    

  • 哲学的に自殺は悪ですか?

    今の日本の法律は自殺を悪いものとはしていません。 宗教的にはキリスト教は仏教よりも自殺に対する寛容度が低いような気がします。 哲学的には自殺は悪なのでしょうか?そうだとすると何故ですか?

  • 人を自殺から救う力は…

    私は宗教よりも古今東西の立派な文学や音楽より下世話なエロ本とかエロDVDの方が人を自殺から救う力は大きいと思うんですが、 僕は感性がおかしいんでしょうか? 真剣に悩んでいるので回答お願いします。

  • 宗教家・哲学者・心理学者・精神医学者の名言

    宗教家・哲学者・心理学者・精神医学者の人生や真理に関する名言であなたのオススメがあれば教えて下さい。 スピリチュアル系とかカルト、新興宗教系はNGです。

  • よくカルト宗教の騙されて人生がうんぬんというひとが

    いるが そもそも元々この世界に答えがあるとか、何か正しい人生の理があるとか信じる人がカルト宗教を信じるのであって どちらにしろそういう考えをする人は同じ結果にしかならなかったとおもうね 別にカルト宗教に対して世俗的考えがはっきり言うととくに正しいわけでもないから たとえばオウムがカルトだと明らかにされたとき、実はかなり大量の信者が自殺している つまり、元々世俗的生き方とか、ふつうの善も悪もわからない定まっていない人生とかに耐えられない人がカルトを信じるんで 実は最初からその人間の性質そのものに問題があるんであって カルト宗教の問題とはカルト宗教を存在させているそういう人たちの精神構造の問題であって カルト宗教自体が問題なわけではないから みなさんはどうおもいますかあ?

  • 日本人の「正義論」

    西洋において、アリストテレスやカント、ロールズなどが「道徳的正義」について論じていますが、 古代から現代までの思想史において、日本特有の「正義」観は存在するのでしょうか。 それについて述べられている文献があれば、是非お教え頂きたいです。 (哲学に限らず、社会学、宗教学、文学などジャンルは問いません) どうぞ、よろしくお願いします。

  • 哲学・懐疑論の人たちは科学や芸術をどうとらえているのでしょうか??

    哲学初心者です。 哲学はある意味、主観と客観の一致の問題を考えてきたと捉えています。 (真理は存在するか??客観視は可能か??など) そこに近代哲学批判のニーチェが出てきて・・・ 「真理などはない、すべてあるのは解釈だけだ」と述べ、その考えが現代思想の根本にある気がします。 ポストモダン思想などは懐疑論状態に陥ってしまったと思っているのですが、懐疑論の人たちは、ある程度法則が見つかったとされる物理学(運動が説明できる)や生物学(遺伝子など)などをどう捉えているのでしょうか?? また、最近は「人それぞれ」というのが流行っていますが、何処までが人それぞれなのか?? 美しさや善悪の判断など、微妙にそれぞれといえないものがあるのはどのように説明されるのでしょうか??(芸術や道徳がなぜ存在するのか?) 気になったので質問させていただきました。よろしくお願いします。